第13話
どこかの街に腰を落ち着けて二十年ほど暮らし、旅に出て、頃合いを見てまたどこかの街に腰を落ち着ける。ここ数百年、私とロザリーはそんな風に暮らしてきた。
どこかの街に落ち着くとき、ロザリーは必ず店を、それも飲食店を開いた。買うにしろ借りるにしろ、店は必ず裏口のある建物を選んだ。そして、〝裏口のおつとめ〟をした。
でも――。
「このゴミを捨てたら帰れるから。ちょっとだけ待っててね、タリア」
今、借りているこの店の裏口はゴミを捨てに行くときくらいしか使っていない。
世界大戦中、世界大戦後と百年ほど旅をして、海に囲まれたこの島国に腰を落ち着けたのはほんの五年ほど前のことだ。ロザリーが得意とする菓子やパンの他、その土地土地で気に入った料理の店を出すこともある。
この島国では〝おにぎり屋〟を始めた。
店を始めたばかりの頃、ロザリーはこれまでの八百年と同じように裏口にやってくる子供や、いっしょにやってくる親たちにおにぎりを振る舞っていた。でも、困窮しているように見えない人ばかりがやってくるのだ。
魔王には人の心を操る能力がある。
ロザリーは裏口にやってきた人たちにどうして店にやってきたのかを尋ねた。本当に困っているのかを自白させた。
そうして、わかったのはやってきてほしいと思う子供や親たちは来ず、招かれざる者たちばかりが来ているということ。やってきてほしい子供や親たちに裏口の情報は伝わっておらず、図々しい人たちばかりに伝わっているらしいということだった。
そうとわかるとロザリーは悩むこともなく〝裏口のおつとめ〟をやめ、裏口も閉ざしてしまった。
「人助けなんて自分の心を疲弊させてまでやることじゃないもの」
あっけらかんとした調子でそう言うロザリーの微笑みは少しだけ一度目の千年の彼女のソレに似ている気がした。
ゴミを捨てるために裏口を出ていくロザリーの背中を見送り、カウンター席に腰かけるとスマホを手に取った。ロザリーと共有で使っているスマホ。壁紙は世界大戦終戦直後に撮った白黒の写真だ。
私の腕にしがみついたロザリーはヒマワリのような笑顔で写っている。私のひざでくつろぐ猫は左後ろ脚がないことなんて気にしたようすもなく優雅に澄ました顔で写っている。そして、真ん中に写っているのがぎこちない笑みを浮かべた自分。
「……」
自分の顔を見るのが嫌で壁紙を変えてほしいと何度か頼んだがロザリーはニヤニヤと笑うばかりで変えてくれない。私がスマホやパソコンといった電子機器の操作を苦手としていることをよく知っているのだ。
壁紙の白黒写真は薄目に見てやり過ごし、目的のボタンを押す。店の休業日や営業時間の変更を知らせるためにロザリーが作ったSNSのアカウントだ。スマホの操作に疎くて書くことはできない私だが読むことはできる。
ずらっと並ぶ文字を眺め、気になるタグを見つけて押す。このタグを押すと似たような話題が見られるらしい、ということはロザリーに教えてもらった。
でも――。
「……」
そのタグを押した結果、表示された文字や写真、映像に私は凍りついた。吐き気がする。それでも指は勝手に動いて次から次へと現れる文字を、写真を、映像を追いかけてしまう。どうしてこんなものがあるのか。どうしてこんなことをするのか。その理由を求めて指を動かしてしまう。
と――。
「あれでしょ。かわいい猫の写真や動画が見られると思ってそのタグ、押したんでしょ」
ゴミを捨てて来たのだろう。気配もなく背後に立ったロザリーが私の手からスマホを取り上げてため息をついた。
「そのタグね、その国の猫たちがひどい虐待を受けてる、虐待動画で稼いでる人がいるって訴えてる人たちが使ってるタグなの。タリアが見たいかわいい猫の写真や動画は出てきません」
「そう、なのか」
「あとね、タリア。見て落ち込むような投稿は見ない。理解できない人間っていうのは絶対にいるんだから理由を求めない。あ、と思ったらすぐに閉じる。ブロックする。ミュートする」
「みゅーと……?」
「タリアはSNS、向いてないと思うよ。見るのも向いてない。なんでも真面目に受け止めすぎるんだもの」
くすりと苦笑いして背中に抱きつくとロザリーはそのままスマホを操作し始めた。私のたどたどしい操作とは違ってロザリーはすっかり使いこなしている。次々と切り替わる画面に目がついていかない。
酔いそうで目をそらそうとしたところで猫や犬、うさぎや鳥の写真がずらりと並んだ。愛らしくて幸せそうな写真と、それらをわざわざ探して表示してくれたロザリーに頬を緩め――。
「どうして……あんなことができるんだろうか」
しかし、心はすぐに沈む。
大魔法使い・シャルル=ヴィアが故郷を檻から解放したいと願い、トンネルを作った結果、青い花は山を覆わなくなった。
錬金術師・イドナがたくさんの人たちを笑顔にしたいと願い、故郷の蝶の鱗粉からアイシャドウを作った結果、どこまでも続いているかのように見えた草原は跡形もなくなり、薄桃色の蝶が飛ぶことはなくなった。
でも、彼らは青い花を枯らすつもりも薄桃色の蝶を飛べない家畜にするつもりもなかった。
ジャングルに火炎放射した兵士たちもそうだ。ジャングルに潜む敵と〝上からの命令〟に怯えていただけ。その行為が小さなサルたちの住処を奪い、絶滅に追いやるなんて思いもせずに木々を焼き払っていった。
環境が破壊されるとき、ある種が絶滅するとき。
その始まりのきっかけを作った人たちはそんなことになるとは思っていなかったはずだ。死ぬその時もまだ、自分のしたことがそんな大それた結果を招くなんてつゆほども思っていなかったかもしれない。
でも、虐待は違う。
自分の手で行い、自分の目で結果を見る。食べるためでも、自分の命を守るためでもなく。華奢で非力な子猫を笑いながら、時間をかけて、鳴き叫ぶ声を聞きながらいたぶることができる人間とはどういう人間なのだろう。どんな環境に生まれ、どんな風に育った人間なのだろう。
「どうしてあんなひどいことを笑いながらできるんだろう」
「さあ、どうしてかしらね」
苦い顔で吐き出す私にロザリーが笑みを含んだ声で答える。一度目の千年では多くの人々の命をもてあそび、殺し、最終的には人類を滅ぼした魔王だった女性が。
ロザリーが一度目の千年で魔王になったのはあのボロ宿で最後の希望が失望に変わり、深紅色の瞳から光がすっかり消えたあの瞬間。親に、人間に失望し、魔王となり、非道の限りを尽くした。
そして、勇者である私に殺された。
「許せないなら殺したら?」
私が一度目の千年の魔王にそうしたように――。
ロザリーが耳元で囁く。
何度も殺されて、そのたびに神の力で生き返って、千年をかけて殺すために追いかけ続けた。一度目の千年の魔王は油断できる相手でもためらっていられる相手でもなかった。刺し違える覚悟でなければ殺せない相手だった
でも――。
「……」
自分よりも非力な存在を選んでいたぶるような弱くて油断をできる相手、ためらっていられる相手、刺し違える覚悟なんて必要のない相手を殺すことなんてできるのだろうか。
小刻みに震える手を見つめて唇を噛む。
「一度目の千年で十人や百人は殺しているのでしょう? まだ慣れないの? タリアって時々、妙に初心なところがあるわよね」
ロザリーがくすくすと笑うのは一度目の千年の世界で旅に危険は付きものだったからだ。盗賊やゴロツキ連中に襲われる、殺されるなんて当たり前。身を守るためにそういう連中を返り討ちにする、殺すというのも当たり前だったからだ。
商人なら用心棒を雇っていたし、貴族なら兵士や騎士を連れていく。街から街へと移動するだけの商人ですら武器を持っていたし、実際、私も何度も襲われた。
ただ――。
「もみ合っているうちに崖から落ちたり、山道を逃げまわっていて足を踏み外したり。結果的に相手も死んでしまったということはあったが……殺そうと思って殺したことはなかった」
千年で一度も、だ。
なにせ、こちらは何度死んでも魔王を殺すまで生き返るバケモノだ。奪われて困る物も命もない。さすがに聖剣を盗られた時には困って取り返しに行ったが、殺したはずの相手が平然とした顔で追いかけてきて剣だけは返してくれと頼めば大抵の人間は大人しく返してくれる。
「そう、なの? 殺してない、の?」
「手を下したことがないというだけで私が殺したようなもの、という人なら百人、千人では利かないほどにいるけどな」
魔王に街を焼かれ、殺された人々を助けられなかったのは私。仲間たちを死地に向かわせ、守り切れなかったのもまちがいなく私だ。
自嘲気味に笑い、うつむきかけた私は――。
「それってつまり、タリアが自ら手を下したのって一度目の千年の私だけってこと? 私が最初で、今のところ最後の、タリアが自ら手を下して殺した相手ってこと!?」
「…………ん?」
私の頬をガシリとつかんで振り向かせ、キラッキラとした目で見つめてくるロザリーに困り顔で微笑んだ。どうしてそんなにうれしそうな顔でそんなことを聞くのだろう。
当のロザリーはと言えばこちらが戸惑っていることなんてお構いなしでまくし立てる。
「私……私、絶対に最初で最後の相手でいたい! タリアに殺された最初で最後で、唯一の相手でいたい! 虐待しているやつらを許せない、殺したいって言うなら私がタリアの代わりに殺してくるから!」
「それはダメだ!」
一度目の千年で魔王だったロザリーはどこにでも一瞬で移動できる能力を持っている。この勢いのまま一瞬で姿を消し、殺して戻ってくる――なんてことをされたら大変だ。慌てて止める。
人間にしろ、人間以外の生き物にしろ、面白がっていたぶるような人間が殺されたところで同情する気になんてならない。殺されて当然だとすら思う。
ただ、ロザリーの手が汚れてしまうのがいやなだけ。魔王になんてならないようにとボロ宿から助け出し、今回の千年では一度として人を殺していないロザリーの白い手が汚れてしまうのがいやなだけだ。
だから、私は――。
「殺すなんて……そんなこと、しなくていい」
そう言って首を横に振った。首を横に振りながら目をふせた。虐待するような非道な人間を放置することへの罪悪感から目をそらすように。
私の胸のうちを見透かしたようにロザリーが艶然と微笑んだ。
「うん、わかった。殺さない。でも、タリアにそんな顔をさせたことは許せない。許さない」
かと思うと――。
「……だから」
ロザリーは一瞬で姿を消した。まばたきを一つ。
「代わりに二度とあんなことができないように心を操って嗜虐心をなくしてきたわ。嗜虐心いうものがどういう感情、どういう欲求から来るものなのかわからなかったからテキトーな感情、欲求をテキトーに消してきただけなんだけどね」
再び、姿を現わしたロザリーはにっこりと、ヒマワリのような笑顔で言った。
「私はタリアに殺された最初で最後で、唯一の相手でいたい。ずっとずっと、唯一の相手でいたい。だから、タリア。この先、未来永劫、私以外の人間を殺さないで。絶対に殺さないで。……殺したら、許さないから」




