第11話
錬金術師・イドナの故郷は草原の真ん中にあった。馬車一台がなんとか通れるだけの、赤いレンガを敷き詰めて作られた一本道が草原を切り裂くように隣街へと繋がっている。どこまでも続いているかのような草原には様々な種類の虫や鳥、小動物が生息していて特に目を惹くのは薄桃色の蝶たちだった。
風が吹くと草が揺れ、止まって休んでいた蝶たちが一斉に飛び立つ。そうすると薄桃色の鱗粉がキラキラと宙を舞うのだ。
――私のアイシャドウ、イイと思わない?
――あの蝶の鱗粉を集めて作ったのよ。
美しい赤髪を背に払い、あごをあげて見せびらかす彼女の――イドナの横顔をよく覚えている。小さな自宅の小さな自室にはずらりと化粧品が並べられていた。お手製の化粧品を片っ端から説明するイドナの目はキラキラと輝いていた。化粧に興味のない私には呪文にしか聞こえなかったけれど。
そして、イドナはこうも言っていた。
――今はポーションの研究を優先させてるけど、魔王を倒したら絶対に化粧品の研究をするの。お店も出したい。
――ビンとかケースとか入れ物にもこだわって、飛び切り可愛くて綺麗で見ているだけで幸せな気持ちになれるような化粧品をずらりと並べるの。
――もちろん看板商品はこの蝶の鱗粉で作ったアイシャドウ。
と――。
風が吹くたびに薄桃色の蝶が舞い飛び、キラキラとした鱗粉が宙を舞う。私がロザリーに見せたかったのはそんな景色だ。あの日、イドナが草原に連れ出して見せてくれたあの美しい景色。
でも――。
「タリア、大丈夫?」
バスを降りた瞬間、目に飛び込んできた景色に私は青ざめた。
どこまでも続いているかのように見えた草原は跡形もなくなっていた。代わりに立ち並んでいたのは二階建て、三階建ての建物。一回は店舗になっていて店ごとに雰囲気の異なる化粧品がずらりと並んでいる。イドナが望んだ通り、並んだ化粧品を見つめる人々は幸せそうな笑顔を浮かべていた。
街のさらに奥には無機質で四角くてだだっ広い建物がいくつも建っている。
「そんな顔しないの、タリア。タリアが私に見せたかった蝶がいないってまだ決まったわけじゃないんだから。……ほら、あのアイスを買いがてら、食べがてら、聞き込みしよう!」
様変わりした街の様子に立ち尽くす私の腕をロザリーがぐいぐいと引っ張る。視線の先には露店でアイスを売る老婆の姿があった。
一度目の千年や国境近くの街で暮らしていた三百年以上前と比べると人間の寿命はずいぶんと伸びた。今でも三、四十才で亡くなる人が多いとは言え六、七十才まで生きる人も珍しくはなくなっている。
「アイスを二つ、お願いします」
「はいよぉ」
恐らく、この老婆もそれくらいの年令だろう。
「ねえ、おばあちゃん。このあたりに薄桃色の蝶が見られる場所があると思うんだけど……どこにあるか知らない?」
「薄桃色の蝶?」
アイスを差し出しながら眉をひそめて首をかしげる老婆を見てため息をつく。六十年か、七十年か。それだけの年月を生きているだろう老婆が知らないということはこのあたりではとっくの昔に姿を消してしまったのだろう。
もしかしたら、絶滅してしまっていて世界のどこを探してももう見つからないのかもしれない。一度目の千年の、人間のように――。
「もしかして、メルシシャナン蝶のことじゃないですか」
ロザリーと老婆の会話を聞いていたのだろう。近くのベンチに座って書き物をしていた青年が言った。うなだれかけていた私は慌てて顔をあげるとうなずいた。そう。確か、そんな名前だった。
「よくご存知ですね。一般的な虫ではないのに。メルシシャナン蝶の鱗粉はこの街の名産品であるアイシャドウを作るのにかかせないんです」
そう言いながら青年は立ち並ぶ化粧品店のさらに奥に建つ建物を指さした。無機質で四角くてだだっ広い建物だ。
「なので、メルシシャナン蝶は工場で大切に飼われているんです」
「工場で……?」
「より良い鱗粉を効率的に、たくさん採取するために長い年月をかけて品種改良がなされてきたんです。家畜化されたメルシシャナン蝶の幼虫は這う力も弱く、成虫になって羽が生えても飛ぶことはできません。ですから、雨風をしのげる安全な建物の中で人間に食事を運んでもらい、世話をしてもらい、暮らしているんです」
まるで執事付きのお姫様か令嬢のようですね、と笑って青年は去って行った。もしかしたら彼は工場で働いているのかもしれない。無機質で四角くてだだっ広い工場が立ち並ぶ方へと歩いて行く青年の背中を私は黙って見送った。
〝天空の神殿〟から戻り、ロザリーと二人で世界を見てまわるようになって二百年が経とうとしている。大魔法使い・シャルル=ヴィアの故郷を訪れた後も私とタリアは世界のあちこちを見てまわった。一度目の千年で私の仲間だった者たちの故郷や神のもとで過ごした千年で見た景色。
どれも言葉では言い表せないほどに美しい景色だった。けれど、どの景色も失われていた。
人間の技術や知識は日々、進歩する。それは一度目の千年のときも同じ。
大魔法使いシャルル=ヴィアの弟子、そのまた弟子、そのまた弟子と技術と知識を受け継ぎ、研究し、魔王を追い詰められるほどにまで魔法の攻撃力を高めた。それと同じ。
でも、一度目の千年での百年の進歩とこの世界での百年の進歩はあまりにも違う。あまりにも劇的に変化する。
石畳の道を走るバスのエンジン音と排気ガスの臭いにぼんやりと振り返る。一度目の千年では移動手段と言えば馬と馬車がせいぜいだった。でも、この世界では広い海を巨大な船が渡る。人を乗せた鉄の塊が走る。どこかでは人を乗せた鉄の塊が空を飛んだという話も聞く。
劇的に変化する技術や知識に追いやられるようにあの美しい景色は――私がロザリーといっしょに見たかった景色は消えてなくなっていく。
風が吹くと草が揺れ、止まって休んでいた蝶が一斉に飛び立ち、薄桃色の鱗粉がキラキラと宙を舞う光景も――。
「イドナと見た、あの景色も……」
ロザリーに見せられないままに消えてなくなってしまった。
「ねえ、タリア。一度目の千年と比べるから悲しくなるのよ。一度目の千年とは違うかもしれないけど、この二度目の世界だって悪くないかもしれない。この世界にしかない美しい景色だってあるかもしれない。二人でそんな景色を探してみましょう。」
「……ロザリー」
「それにね」
そこで言葉を切ったロザリーは私の目を下からのぞきこみ、赤い瞳をすーっと細めた。
「様変わりした世界にタリアがショックを受けているみたいだからあまり困らせないようにって我慢してきたけどいいかげん、限界なのよね」
「我慢……限界……?」
「仲間の誰それが言っていたとか、仲間の誰それと見たとか。いいかげん、嫉妬でどうにかなっちゃいそう」
「……影が滑っているぞ、ロザリー」
「手が滑ったみたいに言ってるけどわかってるでしょ。うっかりじゃなくてわざとやっているの」
にーーーっこりと微笑みロザリーの足元で影でできた黒い腕が十本、二十本と生えてきてうねうねとうごめいている。周囲の人たちに気付かれて騒ぎになったら厄介だ。周囲の視線を気にしてあたりを見まわそうとした私のあごをロザリーがガシリとつかんで引き戻す。
「よそ見しない」
影でできた腕ではなく、ロザリー自身の白い手が、だ。
「何度も言ってるでしょ。タリアへの私の執着心、なめないでくれる? あんまり放っておくと私、タリアの気を惹くために人類を滅ぼしちゃうわよ? 一度目の千年のときみたいに」
それはつまり、一度目の千年で人類を滅ぼしたのは私の気を惹くためで、一度目の千年で人類が滅んだのは私のせいということだろうか。詳しく聞きたいけれど確認するのが怖くて困り顔で黙り込む。
そんな私の足首を影でできた黒い腕は逃がさないと言わんばかりにガシリとつかむ。
「久々にどこかに落ち着きたいわ。十年か、二十年か。またタリアと二人でお店を開きたい。そうね、今度はパン屋なんてどうかしら」
もちろん仲間の誰それとは関係のない場所で、ね? と言ってにっこりと微笑むロザリーの足元では続々と影でできた腕が生えてきてうねうねとうごめいている。
口元は笑っているけれど目は少しも笑っていないロザリーの笑顔と、うねうねとうごめく影でできた黒い腕と。私は引きつった笑みを浮かべてうなずいた。うなずくしかなかった。
「パン屋、いいんじゃないか。……とてもいいと思うよ、パン屋」




