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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

命を救った男は蛮族の王でした ~放浪令嬢は便利屋で軍師でたまに愛人?~

作者: 烏川トオ




 金の髪をなびかせた娘が一人、草原の彼方を眺めながら、石組みの塀に腰かけていた。


 持っていた骨付き肉にかじりつくと、豚や牛とは違う独特の匂いと脂身の甘みが口の中に広がった。祖国にいた頃なら、野外でこんな豪快な食べ方をすれば、周囲から『はしたない』と眉をひそめられただろう。


(羊肉に慣れてきたけど、たまには淡白な物が食べたいな……魚とか)


 少女、レトは緩やかな丘の下を流れる川へ視線を向ける。緑豊かな山から草原へと注ぐ川には、魚くらいいるだろうが――そこでは、むくつけき男たちが雄叫びを上げ、全裸で水浴びをしていた。


(……いや、でもこれが彼らの習慣だし)




 はるか西の彼方にある故郷を旅立ち、この《銀の海原》と呼ばれる草原地帯に逗留するようになって、二か月ほどが経った。きらめくシャンデリアの下で行われる舞踏会や、美しいドレスで着飾った貴婦人たちのお茶会に招かれる日々が、今は遠い昔のようだ。


 この地域では一般的な食べ物である、独特の臭みがある羊肉や、乾酪(チーズ)発酵乳(ヨーグルト)ばかりの食事には慣れた。こうして肉にかぶりつく真横で、放牧された羊が交尾している姿にも何とも思わなくなった。むさくるしい男たちが全裸を晒しているのも……まあいい。


(でもあればっかりは……)


 彼方から地面を轟かす響きが、こちらへと近づいてくるのがわかった。人馬の集団が、彼らの根城であるこの場所に近づいているのだ。先頭の騎手の服装がはっきり目視できる距離になると、彼らが槍を掲げているのがわかった。その先に刺さっているのは水瓜(すいか)ほどの大きさの――どう見ても人間の生首だった。


「……蛮族め」


 思わず祖国の言葉でこぼすと、レトは残った肉片をかじり取り、塀の上から降り立った。






 戻って来た集団を、集落の人々が歓声を上げて出迎えていた。その隙間を縫って進み出ると、馬上にいる一際大柄な青年の姿を見つけた。


 周囲の男たちと同じく鎖帷子(くさりかたびら)に、オオカミの毛皮を肩に巻いている。地上に立てば、女としては長身の部類に入るレトが見上げるほど背が高い。束ねられた長い髪は、青みがかった灰色という珍しい色をしていた。


 この辺り一帯の人々は、他の土地との混血が進んでいる。背が高い者、低い者、黒髪の者、金髪の者、同じ集落どころか、親兄弟ですら特徴の異なる人々が多い。その色彩豊かな人々の中でも、彼の姿ははっきりと人目をひいた。


 青年がふいにこちらを向く。頭上に広がる蒼穹の空を想わせる、鮮やかな青色の瞳と目が合った。目鼻立ちがはっきりとした美丈夫ではあるが、それ以上に険の強さが際立っている。人を射抜くような視線はいまだに慣れない。




「……お前か」


「ご無事のご帰還お喜び申し上げます、旗手王殿下」


『旗手王』とは、大陸の東の果てにある円月帝国が、従属を誓った異民族の長たちに与える称号だ。草原の民には元々『国』という概念はないが、目の前の青年――ジスランは宗主国である帝国からその武勲により、氏族を束ねるこの一帯の『王』と見なされていた。


「首尾は上々だったぞ」


 珍しく上機嫌なジスランは、自身が手にした槍の穂先に視線をやる。そこには、金と珊瑚の耳飾りを付けたひげ面の男の首があった。恨みがましい表情を向けてくる生首に背筋が凍る。まして彼がそうなった要因の一端は、自分にあるのだ。


 生首となった男は敵国の人間ではない。本来ならジスランの旗下にあるはずの一族の首領だ。


「今日は宴だ。終わったら俺の部屋に来い」


「……かしこまりました」




 不満が顔に出ていたのだろう。ジスランは面白がるように笑みを深める。


「言いたいことがありそうだな」


「……別に。異邦人である私が、あなた方の流儀に口出しする権利はありません」


 彼らには彼らの道理がある。ジスランは戦士たちの長であり、自分の一族を守護する立場にある。戦場が日常の中にあるこの地では、中途半端な振る舞いは命取りだと理解はしていた。……心情はともかく理屈の上では、だが。




「その割には、顔にきっちり『クソ野郎』と書いてあるぞ」


「そんな物言いはしませんよ。私はこれでも、祖国では名家のお嬢さんなんで」


「知っている」


「え?」


 思わずジスランの顔を仰ぎ見る。


「普段の所作を見れば、お前が高貴な出であることくらいわかる」


 ジスランは素っ気なく言うと、レトに背を向けて仲間たちの元へと戻って行った。


(変な人……)


 蛮族、としか表現できない、残忍な行為も辞さない凶暴な男であるのに、ときおり理知的な一面を見せる。ジスランとは二か月近い付き合いになるが、その為人(ひととなり)がいまだに理解できなかった。






 ※※※※※※※※※※






 ジスランとの出会いは旅の途中、レトが彼の命を救ったことがきっかけだった。


 渓谷の枯れた川のほとりで、両手両足を縛られた男が息絶えている――最初はそう思った。罪人のように拘束されていたが、装束や装飾品から、この辺りに住まう高貴な者とわかった。


 青年は自由の利かぬ体で、必死に水を求めて這ったのだろう。地面に残った形跡を見て、さすがに気の毒に思った。憐れな青年の(むくろ)をこのまま野ざらしにしておくのは忍びない。


 そう考えたとき、閉ざされていた瞼が開き、鋭い眼光を放つ瞳がレトをはっきりと捉えた。




『訳ありの者には深入りしない』――これはレトが師と仰ぐ叔父から教わった旅の鉄則だった。しかし目の前の出来事を見なかったことにはできなかった。

 

 レトは青年の傷の手当てをしてやり、水や食料を分け与えた。最初は死体同然だった青年は、強靭な体と恐るべき体力で、すぐに動けるようになった。


 ジスランと名乗った青年は、この地を統べる旗手王であることを明かした。青年の身なりから貴人の身内、くらいのことは想像していたが、まさか円月帝国から称号を下賜されているほどの大物とは思わなかった。


 最初は警戒心もあらわだったジスランだが、レトが手当に専念していると、信頼に足ると判断されたらしい。この地域の人間とは、利害関係のない異邦人であったこともあるだろう。レトに少しずつ事情を話してくれた。




「――つまりその日あなたは、他の首領たちと共に聖地での儀式に参加した後、その帰りの道すがらで意識を失ったんですね。 で、気づいたら岩山の渓谷に放置されていたと。……ちなみに、命を狙う人間の心当たりは?」


「たくさんあり過ぎてわからん。《中つ国》の連中は当然俺を殺したいだろう。実際もう何度か捕虜や商人に紛れ、刺客を送り込まれている」

 

 円月帝国は、《中つ国》と呼ばれる大陸中央部の国々に侵攻し、支配領域を広げようとしている。その尖兵となるのが、《中つ国》とは大河を隔てた《銀の海原》とその周囲の森や山に住まう、ジスランらの氏族だ。




「円月帝国の宮廷にも、俺たちをよく思っていない者が大勢いる。夷人(いじん)は根絶やしにすべし、とな」


「外部の人間がそそのかした、という可能性はあるでしょうが、実行犯は違うと思います。あなた身内に裏切られたんですよ」


「なぜそう思う?」


「だって殺したいのなら、渓谷に捨てたりせず、意識のないあなたを切り捨てれば済んだ話でしょう? あなた方の習慣では、神聖な儀式の期間中に殺生は禁じられているのですよね。《中つ国》や円月帝国の人間なら、この土地の蛮神を恐れなどしません。儀式の直前はどこで何を口にしましたか?」


「……集落で食事を取っている。儀式の際にも酒を呑んだ」




 それからジスランは押し黙り、レトが呼びかけてもすっかり反応しなくなってしまった。感情に乏しい冷徹そうな男に見えたが、身内の裏切りはそれなりに堪えたらしい。しまった、と思ったが後の祭りだった。


 結局レトは、『関わったからには、命の責任は最後までまっとうしろ』という、叔父の教えに従った。まだ本調子ではない体を押して、一族の元へ帰るというジスランを馬で送って行くことに決めた。


 正直なところ、彼の心を不用意に傷つけてしまった負い目もあった。ジスランを仲間の元に送り届けたら、さっさとこの地を発つ。――そのはずだった。






 ジスランの氏族は七つに分かれていて、それぞれの一族には、この地を支配した蛮神の宝玉になぞらえた名がついている。ジスランが率いる《翡翠(ひすい)》の一族は、かつては草原を転々と移動する遊牧の民であり、同時に他民族からの略奪を生業とする騎馬の戦士たちでもあった。


 一週間以上戻らぬ、旗手王にして《翡翠》の首領たるジスランに代わり、混乱する彼の一族を束ねていたのは、川の畔に暮らす《瑪瑙(めのう)》の一族の首領だった。氏族は親戚同士のようなもので、非常時に助け合うことは当然だった。


「これは旗手王殿下、ご無事を信じておりました」


 そう言いながら、揉み手しながら現れた《瑪瑙》の首領を、ジスランは感慨もなさそうに、長い間じっと見つめていた。


「あのぅ殿下……?」


 ジスランが無言のまま、近くにいた若者に向けて右手を差し出すと、心得たように湾刀が手渡される。「あっ」と思う間もなく、男の脳天が赤く爆ぜた。ジスランが恐るべき剛腕でもって、《瑪瑙》の首領を一刀で叩き斬ってしまったのだ。




 頭から血を噴き出す死体が、ゆっくりと草原に倒れる。あまりの展開に立ち尽くすレトは、顔にかかった返り血が渇きかけた頃、ようやく言葉を絞り出すことができた。


「……なぜ彼が裏切者とわかったのですか?」


「そんなこと俺が知るか。疑わしいやつらを全員始末すれば済む話だ」 


 ジスランの凶行に、配下の者たちは「あーあ」と肩をすくめただけだった。慣れたように、揉み手をしたままの死体を運んで行く。女や子供たちですら、この惨劇を気に留める様子もなく、自分たちの首領の帰還に沸いていた。


(ここでは、私の知る倫理や理屈は通じない……)


 レトは改めて自分が、とんでもない土地に足を踏み入れ、どんでもない男に関わってしまったことを思い知った。




 そんなレトの様子に構うことなく、ジスランが配下の男たちに話しかけていた。


「こいつは帰る途中で拾った。女たちに面倒を見させろ。寝床は俺の館でいい」


「ってことは、首領の?」


「ああ。お前たちは手を出すなよ」


 茫然自失となっていたレトは、その言葉を訂正する機会を失ったまま、結局今に至ることになる。





 ※※※※※※※※※※






 部屋の中で、レトは敷物の上で片膝を立てて座るジスランと対峙していた。一族の首領の館といっても、周囲の民家より多少造りが立派なくらいで、内部の調度品も少なく質素なものだ。


「お前の発案は役に立ったぞ」


「まさか、本当に実行されるとは思いませんでした。あと、私は発案者というわけではありません」


「勝てれば何でもいい」




 彼の言うところの『裏切り者への制裁』の中で、今日は一番大きな戦いがあった。山岳地帯で遊牧を営む、やはり騎馬の民である《珊瑚(さんご)》の首領率いる戦士たちとの全面戦闘だ。つまり互いに手の内を知った者同士、ということになる。


 騎馬民族は剣にも弓の扱いにも長けているが、最大の武器は巧みな馬術による機動力の高さだ。寡兵がおとりとなり敵軍勢を惹きつけ、戦線が伸び薄くなったところを、予め配置されていた伏兵部隊が両脇から叩く。その戦法で《銀の海原》の民は、近隣諸国に名をとどろかせていた。


 仕掛けられた方は、おとりとわかっていても対処しなければ、敵兵は機動力に物を言わせ背後や補給を狙い回り込んでくる。確実に揺さぶりをかけられるやっかいな戦術だ。


 今回の戦の前に、レトはジスランから意見を求められていた。『お前の祖国の武人なら、俺たちとどう戦う?』と。


 レトの祖国も歴史上幾度となく、周囲の騎馬民族との闘いに手を焼いてきた。自国の騎士団ならば、主力部隊の外側に戦力を集中させ、伏兵に襲われると同時に逆に包囲戦を展開する。さらに兵力は均等に分けず、先に敵を撃破した強兵部隊が、他の部隊を支援するという形を取るだろう――そうジスランに答えた。




 世間話程度のものかと思いきや、なんとジスランはレトの意見を実行し、自軍はほぼ無傷で、敵軍を壊滅状態に追い込んだらしい。


「正直ここまで綺麗にハマるものとは思いませんでした。これもひとえにあなた様のご手腕あってのことかと」


「くだらん世辞はぬかすな」


「本心ですよ」


 本や人から聞きかじった知識など、ジスランの手腕に比べれば些細な要因に過ぎない。人にも馬にも個性があり、さらに戦場には天候などの外的要因も加わる。あらゆるものは流動的で、そこに口頭で説明した作戦を当てはめるのは、簡単ではなかったはずだ。


 日頃から配下を『組織』として訓練させる前準備に加え、指揮官の戦場を見渡す視野の広さ、さらに場の流れを汲む天性の勘の良さが備わっていなければ、ここまでうまくいかなかっただろう。ジスランはだてに円月帝国から、『王』の称号を与えられているわけではないようだ。




「ルスキエ、という名前だったなお前の国は。西の彼方のもう一つの帝国か……」


 この一帯に人々は、レトの祖国のことを『もう一つの帝国』や『西の帝国』という呼び方をする。彼らにとって帝国と言えば、まず円月帝国のことだ。


「私の祖国の歴史は戦争の歴史でもあります。内外の敵との戦で、この手のよくある戦法は攻略法も研究され尽くされています」


「ところでお前の国では用兵について、女でも学ぶのが当たり前なのか?」


「さあ……。禁止されているわけでもないし、個人次第なのでは」


 レトはついと顔を背けた。




「まあいい。お前はその調子で俺に祖国の知恵を授け、策を絞り出せ」


「ですから、どうして私のような行きずりの小娘に、そんな役割を任すのですか?」


「使えるものは、羊でも豚でも異邦人でも何でも使う。身内も外部の人間も、今の俺は誰も信用できない。少なくとも『敵ではない』とわかっているのは、半死半生の俺を目の前にして、とどめを刺さなかったお前だけだ」


「……すみません、質問の仕方を変えます。どういう理屈で、私が縁もゆかりもないあなたに協力する義理があると思うんですか?」


 もちろんレトとしても、この地に留まる理由はないので、何度か隙をついて逃走を図ろうとしている。しかし地の利がない上、遮る物のない草原で、騎馬民族の追跡を逃れることは容易くない。妙に勘のいいジスランに、いつもあっさりと追い付かれ、連れ戻されてしまうのだ。




 ジスランにしては珍しく、虚を突かれたように目を見張った。


「お前には、拾われた恩を返そうという気持ちがないのか?」


「私があなたを拾ったんですよ! あーもう、こんな厄介な人に関わるんじゃなかった……」


 ぼやいた瞬間、大きな手がレトの顎を捉えた。グイ、と無理やり視線を合わせられる。一点の曇りもない、深く澄んだ青い瞳の中に自分の姿があった。


(この手も散々血に塗れてるだろうに……瞳だけは綺麗だな、この人)


「お前は見目は悪くないが、中身は本当に可愛げのない女だな」


 ジスランと似たような思考をしていたことがわかり、レトは複雑な気持ちになる。




「お前がどこの良家の娘であろうと、今は何の権限もない無力な娘で、俺はここの王だということを忘れていないか?」


 噛みつかれるのでは思う距離で、低くささやかれる。だが、その程度で動揺を見せるほど、確かに自分は可愛げのある人間ではない。


 レトは目の前の男を見据え、はっきりと答えた。


「あなたが何者であろうと、私の君主はルスキエ帝国の皇帝陛下ただお一人。私の忠義はあの方だけのものです」


「……お前がそんなに入れ込むほど優れた人間なのか、その皇帝とやらは?」


「ええ、大帝国を統べるにふさわしい、度量と慈悲と魅力を備えた素晴らしい方です」


 ――たとえその尊敬する人に、大切な物を取り上げられかけ、監禁されそうになったとしても。




 ジスランがギリと、歯噛みしたような気がした。視線と顎に込められた指の力が一瞬強くなる。レトが痛みに顔をしかめると、はっとしたようにジスランは手を引いた。


「……忠義があろうがなかろうが、俺の役に立ちさえすればいい」


 まるで自分に言い聞かせるように、顔を背けたままジスランは言った。そして「もう寝る」とだけ告げると立ち上がり、(ベッド)の傍で、腰帯を解き長衣を脱ぎ始める。


(もしかして怒ってる?)


 ジスランはいつも不機嫌そうな表情をしているが、感情の乱れを出すところはあまり見たことがない。彼の機嫌を損ねたとすれば、ジスランを差し置いて自国の皇帝を褒めたことだろうか。


(子供じゃないんだから……)


 冷徹で残忍な行為も辞さないくせに、意外と子供っぽいところがある青年は、さっさと自分の牀に入り、こちらに背を向けて寝ている。完全にふて寝の体勢だ。


 何か声を掛けておこうかと迷ったが、ご機嫌取りも馬鹿らしく、レトは燭奴(しょくど)の灯りを落すと、自分の寝床である布張りの(ソファー)へと向かった。






 ※※※※※※※※※※






 レトが《翡翠》の一族の元へ身を寄せてから、さらに一月近くが経った。


「レト様、こちらは洗濯してもよろしいですか?」


「お願いします。私は小道具を虫干ししてきますね」


 その日、レトは集落の女たちと共にジスランの館を掃除していた。ジスランは配下の男たちと共に偵察に出ているため不在だ。先日打ち倒した《珊瑚》の集落を見に行ったらしい。


 一方、レトの草原での日常生活は意外にも快適だ。ジスランの傍で暮らすレトは、一族の中で『王の愛人』として認識されているため、異邦人でありながら邪険にされることなく、客人として扱われている。


 大変不本意ではあるが、自分の身を守るためには、その方が都合がいいことも理解していた。




 一緒に小道具を運んでいた、手伝いの少女がふと手を止めて、大量の槍や弓矢を運ぶ少年たちを見ていた。


「……また戦になるのでしょうか」


「そうかもしれませんね」


 最近はこれまでにも増して、ジスランも戦士たちも忙しなく動き回っている。


 それというのも、ジスランが数日前に《水晶》の首領が寄越した使者を、用件を聞くどころか、顔を見るなり叩き斬ったからだ。和睦はおろか、降伏すら認めないということだ。こうなった以上、全面戦争は避けられない。


《水晶》の一族は、《銀の海原》の端にある森林地帯で暮らす民だ。氏族の中でも特に弓の扱いに長けていて、首領は狡猾で戦上手と聞いている。


(今回ばかりは、適当なところで手を打てばよかったんじゃないかな……)


 レトは岩の上に干した敷物の埃を叩きながら、空を仰ぐ。




 ジスランはとにかくやることが派手で過激。この土地の価値観からしても異端だ。しかしレトが観察している限り、ジスランは凶暴なだけの単純な男ではない。むしろ巧みに、こけおどしや詭弁が通じない人間を演じている節すらあった。


 おそらく彼が考えていることは自分と同じだ。決定的な証拠こそないが、ジスランは最初から気づいていたのだろう。だとすれば、首領たちと交渉の余地など最初からなかったのだ。


(やっぱり他の首領全員が結託して、彼を裏切ったんだろうな……)




 今回の発端は、ジスランが何者かに一服盛られ殺されかけたことだ。最初レトは《翡翠》の集落で何者かが、儀式に向かうジスランの食事に薬を盛ったのではと考えた。だが、その割には以降の動きがまったくない。


 そうなれば儀式の最中、首領の内の誰かに謀られた可能性が高いだろう。しかも他の首領の隙をついたというより、ジスラン以外の全員が手を組んでいると考える方が自然だ。


 制裁と言う名の旗手王の『蛮行』に、首領同士が共闘しないのも、全員裏切り説を裏付ける理由の一つだった。


 腹に一物ある人間は、自分が出し抜けれることを嫌う。あわよくばジスランを打ち倒した後、他の首領を出し抜いて自分が旗手王に成り代わろうという魂胆を、互いにわかっているのだろう。おかげで各個攻撃ができるのは、ジスランにとって不幸中の幸いだが。




 こうなってしまった原因は想像がつく。ジスランは短期間の内に、戦士たちを率いて《中つ国》の主要都市をいくつも落している。皇帝お気に入りの『猟犬』を敵のみならず、『飼い主』である円月の宮廷人たちも脅威と感じても不思議はない。


(他の首領たちが円月帝国の人間に(そそのか)されたか、彼らの不興を買うことを恐れた、という辺りかな……)


 今回の件、一連の戦に勝利したからといって決着するほど、簡単な話ではなさそうだ。




 そこでレトは、自分が生真面目に考え込んでいることに気づく。誰が知っているわけでもないのに、急にばつが悪くなってきた。


(だいたい、あの人がどうなろうが私には関係ない話だし?)


 さすがの彼も旗色が悪くなれば、レトのことになど構う余裕はなくなるだろう。戦闘に巻き込まれる前に逃げ出してしまえば、この地に縁もゆかりもない自分には何の関係もなくなる。


(だったら私、むしろ彼に協力しない方がさっさと逃げられたんじゃ……)


 そんな矛盾に気づき憮然としていると、手伝いの少女が布に巻かれた長い筒状の物を運んでいることに気づいた。




「ああ、それは――」


 レトは少女からそっと布の包みを取り上げた。布越しに、ずっしりとした無機質な重みが伝わってくる。


「私が運びます。ちょっと扱いが難しいものなので」


「ずいぶん重たいですね。楽器と聞きましたけど西の国の物ですか?」


「いいえ、少なくともこの大陸に同じ物はないと思います。私にこれを授けてくれた人は《魔笛(まてき)》と呼んでいました」


(てき)? 円月の都で宮廷楽師が演奏する?」


 少女から無邪気な視線を向けられて、レトは苦笑する。


「よくご存じですね。でも残念ながらこれを披露したせいで、私は自分の国の皇帝陛下からお叱りを受けてしまいました」




 きょとんと、少女が不思議そうな視線を返すが、ふいにあさっての方を向く。耳をそばだてる彼女の視線の先には、レトからすれば草原が広がるばかりで何も見えない。


「あっ、ジスラン様が帰って来ます!」


 草原の民は目も耳もよく、勘のいい者は馬蹄の音で誰のものかを聞き分ける。ジスランから今日は遅くなると聞いていたが、まだ昼過ぎだ。急な行動の変更に嫌な予感を覚える。




 少女の言う通り、ほどなく青毛馬に乗ったジスランがレトの前に現れた。


「お帰りなさいませ」


「――来い」


 下馬し手綱を配下に預けると、ジスランはレトの腕を乱暴に掴む。有無を言わさず館の方へと連れて行こうとするのを、女性たちが「あらあら」と微笑ましそうに見ていた。誰も彼の奇行に疑問は抱く様子がない。


 レトは思わず赤くなる顔を伏せる。


(愛人呼ばわりしたのも、そういうことか……)


 二人きりで密会するのも、人払いをするのも、逢瀬を重ねているからと周囲に思わせておけば都合がいい。おかげで『そんな薄っぺらい体じゃ、首領の子は産めないよ!』と、やたらと食事の量を増やされる羽目になったが。






 部屋の中に、突き飛ばされるように入れられるや否や、甘い雰囲気とは無縁な険しい顔を向けられる。


「何かあったんですね?」


 眼前に突き出される物があった。最初は串にささった肉、と思いきや……正体に気づいた瞬間、レトは喉の奥で息を呑んだ。


「なっ……何ですかこれ!?」


 それは『耳』だった。真新しい傷跡も、付けられた耳飾りも生々しい、複数の人間の耳介だ。それが矢に連なって刺さっている。




「あなた、何をやって――」


「俺じゃない。これは今日様子を見に行った、《珊瑚》の一族の集落近くにあった物だ」


「《珊瑚》の? いったいどういうことですか?」


「あそこには今、まともに戦える男たちがいない」


「……あなたが全滅させたからでしょう」


「だから残された集落の女子供を守るために、俺の配下を置いていた。ところが今日行ったら、家畜の面倒を見ていた女たちと護衛についていた男たちが、集落に戻って来ないと言われた。周囲を探したら、大岩の上に耳のない男たちの死体が置かれ、その一人の額にこの矢が刺さっていた。……文と一緒にな」


「つまり、あなた宛てということですね」


 レトは手渡された紙を開く。《銀の海原》には元々文字というものが存在しない。首領やその家族など、ごく一部の高貴な者が円月帝国の文字を読み書きできる程度だ。




「差出人もわかっている。こいつは《水晶》の連中が使う矢羽だ」


「手紙には、女たちを取り戻したければ武装を解き、あなた一人で東の岩場まで来るようにと書いてあります。……本気なのでしょうか?」


 凶暴性と残虐性ばかりに目が行くが、《銀の海原》の民は戦士の名誉を重んじている。武器を持たぬ女子供を手に掛けたり、人質に取る行為は不名誉とされていたはずだ。


「《水晶》の首領は俺に個人的な恨みを持っている。何をかなぐり捨ててでも、俺を殺したいらしい」


「一応聞きますが、まさか行くつもりじゃないですよね? 」


「配下の連中にはこの件は伏せてある。お前も他に漏らすなよ」




 その言葉の意味するところを察し、レトはジスランをにらみつける。


「馬鹿ですか!? それじゃあ、むざむざ死にに行くも同然じゃないですか!?」


「俺が行かなければ、捕らわれた女たちは見せしめに(なぶ)り殺しにされる」


 一瞬言い詰まったが、レトは努めて冷静に言葉を返す。


「……だとしても、です。ほんの少数のために、替えの利かぬ王自らが危険に身をさらすと? だいたい身内ならまだしも、《珊瑚》の女性たちはあなたの直属というわけではないでしょう」


「倒した連中の家族は既に俺の戦利品だ。むざむざと奪われて見過ごすことはできない」




《銀の海原》の民に混血が多いのは、征服地の女を妻に迎え入れる慣習があるからだ。その連れ子も、男児なら氏族の尖兵とすべく訓練を施され、女児ならばいずれ戦士と(めあわ)せられる。


 敵は一族郎党皆殺しが鉄則の、円月帝国のやり口よりは多少マシとも考えられるが、夫や父を殺された人間からすれば、どちらにしろ不幸な話だ。


《銀の海原》の民が非戦闘民に手を掛けないのは、もちろん人道的な理由ゆえではない。征服した女から生まれた子はより強い戦士になるという、この土地特有の教えによるものだ。さらに女子供を我が物とすることで、敵から命ならず名誉まで奪うという目的もある。




「戦士の習いを先に破ったのは《水晶》の首領です。あちらだって、どうせ本気で旗手王の命を取れるとは思っていませんよ。おそらく、あなたの名誉を汚すことが真の目的です」


「だからこそだ。女子供を奪われた長は、いずれ配下の戦士たちの信用をも失う。円月からどんな称号を与えられようと、そうなればもう『王』ではない。……『王』でなければ、命を繋いだところで俺は死んだも同然だ」


 そう語る、彼の青い瞳はどこまでも澄んでいた。混じり気のない覚悟を決めている者の目だ。


(ダメだ……)


 自分にはジスランの止める言葉など持ち合わせていない。部外者が何を言い立てようと、彼らには彼らの揺るがぬ道理があるのだ。




「お前の皇帝はどうなんだ? 民を見捨てて、自分だけ安全な場所に引き下がるか?」


 この状況下で、おもしろがっているような声音に、レトはわずかに苛立ちながら答える。


「いいえ。我が皇帝陛下も自分の身を危険にさらしてでも、民を助けに行くとおっしゃるでしょう。……そしてあの方を愛する周囲の臣下が、全力でお止めします。私もきっとその一人です。あの方のためなら、不興を買おうが、命を落そうが惜しくありません」


 その言葉に、ジスランが瞳が揺らいだ。それは身内に裏切られたと知った時の表情と同じだった。彼の動揺を知り、レトもまた驚いていた。


「結局は敵わんか……」


「……え?」




 ジスランは嘆息すると、瞬時に平静な顔に戻る。


「お前は今晩のうちに《銀の海原》を出て、あとは好きにしろ」


 突き放されるような言葉に、レトは足場を失うような錯覚を覚える。


「どうして……」


「もし俺が帰れなければ、敵はこぞって『旗手王の女』であるお前を欲しがるだろう。貧相な小娘だろうとな」


「大きなお世話です」


 ジスランは眉を上げて軽く笑った。


「世話になった。お前は生きて故郷に帰れよ」


「こんな時だけ殊勝にならないで! 縁起でもない!」


 ジスランは背を向け片手を上げると、それ以上何も語らずに部屋を出て行った。






 ※※※※※※※※※※





 その日は満月で、目に良い草原の民にとっては昼間と変らぬように周囲を見渡すことができた。草原の中で馬を進めていると、突如として民家ほどの大きさの無数の影が前方に浮かび上がってくる。それは集落ではなく、巨大な岩の群れだった。


 《銀の海原》の中央部より東寄りに位置するこの場所は、山からも川からも離れた草原の真ん中にありながら、なぜか天から降って湧いたかのように、巨大な岩が点在している。


 西から来る商人たちの話では、何千年も前の人間が運んだ物らしいが、そんなことはジスランたち今を生きる者には些細なことだった。障害物が多いため馬の機動力は生かせない、肝心なのはそこだけだ。




 ゆっくりと、巨岩の間を縫うように馬を進めていたジスランは、ある場所まで来ると歩みを止めた。下馬すると、愛馬の頬を軽く叩く。青毛馬は小さくいなないた後、何かを心得たように来た道を戻って行った。


 ジスランが一人先を進むと、やがて開けた場所に出た。円を描くように岩が立ち並ぶその中央に馬に乗った男たちがいた。数はそう多くなく二十騎ほどだ。その背後には縄を打たれた女たちが、五人ほどうつむき座っている。怪我を負ったり、凌辱を受けたりした形跡はない。


 ジスランは小さく舌打ちした。


(さすがにこの場に、多勢を引き連れてくるほど馬鹿ではないか……)


 恐れをなした《水晶》の首領が大軍勢でくれば、小回りの利かない地形と混戦に乗じ、むしろ隙をつけると思ったが、二十騎程度ではそうはなるまい。




「よお、伯父貴」


 呼びかけると、目つきの鋭い初老の男が前に進み出た。


「ジスランよ、本当に一人でやってくるとはな。馬鹿正直なところは父親に似たか」


「可愛い甥を呼び出しておいて、歓迎のあいさつもないのか?」


「お前はやり過ぎたのだ。このままでは、いずれ我が一族は円月帝国の怒りを買い滅ぼされるだろう」


「ぬけぬけとよく言う。要は俺の地位が欲しいだけだろう」


 草原の民は末子相続が基本だ。実力実績で覆すことは不可能ではないが、伯父は結果的に実家の相続を諦め、他の一族の元へ婿入りしている。


 当時も散々揉めたと聞いているが、祖父の元で武勲を上げてきた伯父にとって、まだ子供であった父に跡目を取られたことは、今も後を引くほど不服だったのだろう。ましてその憎き弟の子は、いまや『王』と見なされているのだ。




「なあ、伯父貴。あんたは本来なら誉れ高き戦士のはずだ。配下の手前、無様な真似はできんだろう」


「……何が言いたい?」


「俺と一騎打ちをしろ。勝てば、命も地位も全部くれてやる」


「その手は喰わんぞ。今すぐにでも、お前を八つ裂きにすれば済む話だ」


「なるほど。女を盾に多勢で寄ってたかって俺を仕留めたあんたは、今後さぞや氏族の者たちの尊敬を集めるだろうな」


 ジスランの挑発的な笑みに動揺したのは《水晶》の首領ではなく、その配下たちだった。ざわつく背後の男たちを、《水晶》の首領は忌々しそうに横目で睨む。




『卑劣者は他人もそうだと思い込むものなんです』


 そう言ったのは、あの異邦人の少女だ。レトが貴族の出であることはすぐ予想がついたが、よほど権謀術数うずまく場所で生まれ育ったのだろう。賢いを通り越して、いささか世間ずれしたところがある。それだけに、彼女は腹に一物ある人間の心理を読むことに長けていた。


 レトの言葉の通りなら、今《水晶》の首領の中にある気がかりは、旗手王を卑劣な罠に()めたことを理由に、今度は配下から足を引っ張られることだ。


「……剣を貸してやる。その申し出を受けて立とう」


 苦々しく発せられた言葉は想定通りで、ジスランは笑みを深めた。






 


 ――その頃、ジスランから二百歩ほど離れた場所の岩陰に少女が現れた。


 レトは岩を背に座ると、布包みから自分の腕よりも長い、黒い鉄製の筒を取り出す。集落で《魔笛》と呼んでいた物だ。帯に取り付けた革袋から、紙の包みを一つ取り出すと、端を歯で嚙みちぎり、中身の粉を筒の中に入れる。残りも包みごと、筒に備え付けてある細い棒で押し入れた。


 ふいに剣戟(けんげき)の音が甲高く響いた。岩陰からそっとうかがうと、月明かりの下で二人の男が剣を手に戦っていた。


(始まった、急がないと……!)


 焦りのせいで震える手を叱咤(しった)し、筒の奥を棒を何度か突くと、装填を終える。鉄の筒を掲げ、レトは岩陰からゆっくりと半身を出した。




『――こいつが奏でるのは『命』だ』


 自分に《魔笛》を授けてくれた老人はそう言った。旅の途中、ある国の海岸で彼と出会った。


 海の果てでは、数多の国が覇権をめぐり争っていると聞いたことがある。打ち上げられた小舟の中で、腹を裂かれ死にかけた老人を見たレトは、すぐに彼が近隣の人間ではないとわかった。


《果ての大陸》にある国には、罪人の体を生きたまま裂き、海に流す刑罰があると言われている。海沿いの国々には、時おりそういった死体が流れ着くのだ。




 しかし、その老人は死体にはなっていなかった。レトの献身的な手当てにより、老人はかろうじて命を繋ぐことができた。そして動けるようになると、近くの村の鍛冶場を借りて、何かに取り付かれたように作業に打ち込んだ。男は本来なら生きて国を出ることは許されない、《果ての大陸》の鍛冶師だった。


『それはくれてやる。好きに使え。わしは生きた証を残せさえすればいい』


 作り上げた《魔笛》をレトに託すと、そう言い残し老人は死んだ。レトとの出会いから半年後のことだ。死地から一度は回復したものの、その冬の流行風邪に耐えられる体力が彼には残っていなかった。




 死ぬ前に老人から《魔笛》の扱い方を聞いたレトは、それがとんでもない可能性を秘めた代物だとわかった。だから、意気揚々と《魔笛》を皇帝に献上しようとした。これを量産できれば、我が国の覇権は万全になるだろうと。


 しかし《魔笛》を目にした瞬間、皇帝の顔色が変わった。誰にでも気さくで陽気な皇帝は、見たこともない冷ややかな表情で『……今すぐにそれを破壊しなさい』とレトに命じた。




(陛下はご存じだったんだ……)


《魔笛》を物や獣に向けたことはあるが、人間に向かって構えたのは、今この瞬間が初めてだった。そうして、ようやくレトにも理解ができた。


 現ルスキエ皇帝は、政治に関しては側近頼りと陰口を叩かれることもあるが、意外なところで博識な一面がある。《魔笛》の正体も、これが世に出回れば祖国どころか、世界すら変えうるとわかっていたのだ。


(……私はなんて馬鹿だったんだろう)


 今自分が背負っていることの重さと、己の浅はかさに涙があふれそうになる。


 この《魔笛》を奏でた瞬間、レトは部外者でも傍観者でもなくなる。二度と祖国に帰れないかもしれない。それでも視線の先で、自分の運命を切り開こうと、必死で戦っている青年を見捨てることができなかった。




 ジスランと戦っている初老の男がよろめいた。その手から剣が弾き飛ばされて膝を付く。勝負がついたのだ。肩で息をするジスランが、剣を振り上げた。その瞬間男が叫ぶ。弦音と共に、ジスランの体に無数の矢が突き刺さり、傾ぐのが見えた。

 

 レトは悲鳴の代わりに大きく息を吸い止めた。《魔笛》を右頬の横で構え、上部の打ち金を起こす。本来ならもっと近づかなければ、確実に狙いを付けられる代物ではない。だがこれ以上距離を詰めれば、敵に気づかれてしまう危険があった。何よりジスランを救うためには、今ここでやるしかない。


(――奏でろ)


 心で念じ、レトは引き金に指を掛けた。








「やれえー!!」


 膝を付いた《水晶》の首領が、背後の男たちに叫ぶ。最初からそのつもりだったのだろう。灼熱を感じた瞬間、ジスランの体にはいくつもの矢が刺さっていた。


(……さすがにここまでか)


 氏族の人間だからこそ、自分の剣の腕は彼らもよく知っている。近接戦にならないことは最初からわかっていた。


 十本近い矢が体に喰い込んでいるが、幸い致命傷になる傷はない。ジスランは口の端を上げると、剣を振るのに支障がある、肩や腕に刺さっていた矢のみを無造作に引き抜いた。ここで果てようと、目の前の男だけは道連れにするつもりだった。


「何を休んでいる? 俺はまだやれるぞ!」


「このっ……化け物が!」


 身体に矢を突き立てたまま凶悪な笑みを浮かべ、ズカズカと近づいてくるジスランを《水晶》の首領が罵る。




 その時、落雷のような轟音が響いた。少し離れたところの岩肌がパラパラと剥がれ落ちる。視線を向ければ、くっきりと穴が開いていた。いつの間にか雷雲が近づいていたのかと思ったが、空には雲一つなく、戦場とは裏腹に美しい月が浮かんでいる。


(何が起こった……!?)


 驚いたのはジスランだけでなかった。男たちとの狼狽の声と、馬のいななきが周囲に満ちる。


 さらにもう一度轟音が響いた。苦悶の声と共崩れ落ちたのは《水晶》の首領だった。彼が片手で抑える腹部から真っ赤な血が滴り落ちる。


 再び轟音が鳴り、さらに今度は今までより間を置かず、もう一度空気が大きく揺れた。


(飛び道具か!?)


 ジスランも動揺はしていたものの、それでもこの場の誰よりも状況を理解していた




「何だ!? 雷か!?」


「こら、落ち着け!」


《水晶》の配下たちは、雷鳴の如き轟音と突然倒れた首領の姿に、勇猛果敢な戦士とは思えない有様で(おのの)いていた。馬に振り落とされ、馬蹄に踏みつけられる者の悲鳴や、焦りの怒声が周囲に響き渡る。


「――蛮神の怒りだ!!」


 その中に、少年のような甲高い声が響いた。


「卑劣な振る舞いに蛮神がお怒りなったんだ! 早くこの場から逃げろ!!」


 冷静であれば、その声にかすかな西方(なま)りがあることに気づいたかもしれない。だが恐慌状態に陥った戦士たちは、誰も気づくことがなかった。




「逃げろ!」


「おい、押すな!」


 戦士たちは神の怒りと信じ込み、恐怖に満ちた叫び声を上げると、一斉に馬首を巡らし始める。


「ま、待てお前たち……!」


 その場に取り残されたのは、憐れにも馬に踏みつけられた死体と、身を寄せ合い震える女たち、そして出血で身動きが取れない上に、配下に見捨てられた《水晶》の首領だけだった。




「……当てが外れたな、伯父貴」


「ジスラン、貴様の企てかっ!?」


「まさか。どうもこれは神意らしいぞ」


「図に乗りおって!!」


 ニヤリと笑って言ってやれば、《水晶》の首領の青ざめた顔に、怒りのせいか多少血の気が戻った気がした。


 剣を支えに立ち上がろうとした《水晶》の首領が、ゴボッと大量の血を吐いた。荒い呼吸と共に、眼差しから急速に光が失われていく。その様子をジスランは静かに見やってから言った。


「……身内の情けだ。今、楽にしてやる」


 言葉が返ってくることはなく、ジスランは大きく剣を振り上げた。




 草の上に落された首が転がるのを見届けた後、ジスランは振り向きもせずに言う。


「言っておくが、この男を殺したのは俺だ。お前じゃない」


「――気遣いは不要です」


 岩の間から現れたのはレトだった。その両手には黒く細長い鉄の筒があった。


「私も覚悟の上でやったことですから」


「そうか」


 レトの平静な様子に安堵しつつ、ジスランはうなずういた。




「……敵兵をおとりに引き付けさせ伏兵が叩く――お前たちにとっては、使い古されたつまらん戦法ではなかったのか?」


「そこまで言っていません。……というかその調子だと、私がここに来るとわかっていたんですか?」


「五分五分くらいだな。だってお前は、俺に死なれたくないだろう」


 知恵が回り、いざとなれば冷静な判断ができるが、彼女が情にもろい人間であることは短い付き合いだがわかる。一度命を救った人間を、簡単に見捨てはしないだろうという打算はあった。


「体に矢を突き立てた人が何を言ってるんだか……」


 レトは呆れ顔で大きく息をついた。




 ジスランはレトが持つ鉄の筒を指さす。


「そいつで(つぶて)か何かを飛ばしたのか? 円月の()とも違うな」


 弩は円月帝国で用いられている機械弓のことだ。レトが持っている筒にも木と鉄を組み合わせた仕掛けらしき物はあるが、どうみても弓の構造ではない。


「ルスキエで採掘される特殊な鉱石に炭などを混ぜた物を、筒の中で着火させ爆ぜた勢いで鉄球を――……いえ仕組みはともかく、その分だとこれが武器だということにも、薄々気づいていましたよね?」


「女が一人であちこちを旅してるんだ。お前の手を見れば、剣の扱いは多少心得ていることはわかるが、その細腕ではな……。他に切り札があると考えるのは普通だろう。そうなれば、旅に不釣り合いなその大きな荷物は怪しすぎる」


「無駄に勘がいいんだから……」


 レトは顔をしかめて独り言ちる。




「でも人に向かって撃ったのは初めてですよ。……この手で誰かを殺したのも」


「なるほど。そうまでしてでも俺を助けたかったか」


「なっ……」


 真っ赤になって唇を震わせるレトを見て、ジスランは多少可愛げがあるじゃないかと、小さく笑む。


「だいたい、これには弓や弩ほどの精密さはないですし、弾が当たってたのはあなただったかもしれませんよ! まあそうなったところで、私には惜しくも何ともありませんけどっ!」


「せめて、もう少し素直ならな」


「はあ?」




 ふいに疲労感と軽いめまいを覚え、ジスランはその場に座り込む。慌てたようにレトが駆け寄って来た。


「大丈夫ですか!?」


「……ああ。さすがに血を流し過ぎた」


「私だけでは、女性たちと怪我をしたあなたを連れて、集落までたどり着ける自信がありません。先に戻って助けを呼んできます」


 レトの視線の先には仔羊のように身を寄せ合い、不安そうにこちらの様子をうかがっている女たちがいた。




「待て。だったら女たちの中で、若く壮健そうな者に行かせろ。彼女たちの方がお前より馬の扱いが巧みだ。俺の愛馬も近くにいるだろう」


 だからお前はここにいろ、かすれた声でそう告げて、立ち上がりかけたレトの手を掴む。確実な判断を下したまでだが、彼女を傍から離したくなかったこともまた嘘ではなかった。


「わかりました。女性たちにお願いしてきます。少しだけ待っていて。――しっかり気を張っていていくださいね。必ず一緒に帰りましょう」


「一緒に、帰る……か」


 言われて、はっとしたようにレトは息を飲み、すぐにはっきりとうなずいた。


「はい、()()()()。あなたの集落に」


 レトの手を離すと、女たちの元へと駆けて行った。皓々(こうこう)と輝く月を見上げ、ジスランは深く息を吐いた。痛みと倦怠感で体はボロボロだったが、悪い気分はしなかった。






 ※※※※※※※※※※





 ――《水晶》の首領を打倒してから、四日が経った。


 レトが館に戻って来ると、大人しく牀で寝ているはずの人間が、なぜか自室で黙々と剣の素振りをしていた。


「……何でここで素振り?」


「外でやると、他の連中がうるさい」


「当たり前でしょう。つい数日前に、死にかけで戻って来た人が何をしてるんですか」


 さっさと横になってください、と剣を取り上げようとすると、ジスランは不服そうな顔をしつつも大人しく従い、牀の上に腰かけた。




「そいつを撃ってきたのか?」


 レトが背中に背負っていた《魔笛》をジスランが指さす。


「はい。適度に使って、手入れしないと錆びつきますから」


「結局のところ、お前が自分の国にいられなくなった原因はそれか?」


 レトは軽く眉を上げる。ジスランは、自分の事情を一方的に押し付けることはあっても、レトの事情に深入りすることはなかった。


「……私は《果ての大陸》の人間から、この《魔笛》を譲られました」


 少し迷ったが、『これから』のことを考え、ジスランには話しておくことにした。




「《魔笛》を国に持ち帰り、皇帝陛下に量産と軍での採用を奏上した結果、お叱りを受けてしまいました。赤子の頃から可愛がっていただいた陛下に、ご恩返しができればと考えていたのですが……浅はかでした。私は謹慎を命じられ、その上これ幸いとばかりに、私の放浪癖をよく思っていなかった両親から、しばらく隠居した祖父の城に預けると言われたので――」


「逃げ出したということか。……それはそうなるだろう」


「そういうものなのでしょうか?」


 当たり前だろうと、ジスランは指を突き付ける。


「お前は擦れてるわりには、妙なところが青臭いな。そういうことは、こっそり裏で進めておいて、否やが言えない状況にまで持って行ってから、上に進言するものだ。そんな代物を正面から喜び勇んで持ち込む人間なんぞ、危なっかしくてフラフラさせておけるか」


 もっともな言葉に、レトは真っ赤になって肩を落とす。ジスランは粗雑に見えて、物事の本質を察することに長けている。確かに彼に比べれば、自分など少しばかり頭でっかちなだけの愚鈍な人間だ。




「国に戻れば、処分を受けるのか?」


「一度は《魔笛》の破棄に同意しておきながら、陛下の言葉に背いて逃げ出しましたから、もう謹慎程度じゃ済まないと思います。さすがにこの地にまで手が及ぶとは思いませんが、近隣諸国には手配が回っているかもしれません」


「罪人のような扱いを受けておきながら、それでもお前はルスキエの皇帝に忠義を捧げるのか?」


「大切な方ですから」


 レトがきっぱりと告げると、ジスランが舌打ちをして顔を背けた。この話題になると、なぜかジスランは露骨に機嫌が悪くなる。その態度はまるで不貞腐れた子供のようだ。


(……もしかして、思っていたよりこの人若いのかな?)


 ジスランのことを勝手に二十代半ばくらいだと思っていたが、『王』という立場が彼を老成させたのであって、実年齢は自分とそこまで変わらないのかもしれない。




「赤子の頃から世話になっていると言っていたが、お前の国の皇帝は何歳くらいなんだ?」


「陛下ですか? えーと……確か三十五、六くらい」


 ジスランは面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「お前、まだ二十にもなっていないだろう。ずいぶん年かさの男が好みなんだな」


「……は?」


 レトは思わず、まじまじとジスランを見つめる。


「あの、何かいろいろ勘違いされているようですが、皇帝陛下は女性ですよ」


「女?」


「我が国では女性でも帝位に就けるんです。私は陛下を実の母と同様にお慕い申し上げていて――……聞いていますか?」


 ジスランはすっかり興味を失ったように、背を向けて牀の上に寝転ぶと、『もういい』とばかりに後ろ手を振った。


「そっちから聞いたくせに!」




 その身勝手な態度に呆れながらも、レトは少し迷ってから、牀の前に膝を付く。


「――ジスラン」


 名前を呼んだ瞬間、なぜかジスランは弾かれたように身を起こし、こちらを向いた。


「改めてお願いがあります。私はまだ祖国には戻れません。もうしばらく、私をここに置いてもらえませんか? 必要な働きはちゃんとこなしますから」


「だが、いずれは帰るのだろう?」


「それは――」


 返す言葉がなかった。ジスランにも《銀の海原》にもすでに思い入れはあるが、どちらかを選ばなければいけない日が来るとしたら、レトはためらいなく祖国を選ぶだろう。




「レト」


 今度はジスランがレトの名を呼んだ。


「……確か《中つ国》のどこかの神話だったか、『レト』は夜明けを告げる女神の名前だ。お前の名の由来はその瞳の色だな。珍しい色だが、ルスキエではそうでもないのか?」


「いいえ。私が知る限り身内のみ――自分以外では父方の祖母と、それから叔母だけです」


 レトの瞳は二つの色彩が混ざっている。下部が茜色で上部が藍色だ。夜明けの光景に似ているため、祖国では『暁の瞳』と呼ばれていた。


「お察しの通り『レト』は偽名です。私の本当の名前は――」


「俺が知り合ったのは、レトという名の旅人の娘だ。それ以上の興味はない」


「……ありがとうございます」


 レトはほっと息をつく。にべも無い言葉が、ジスランなりの気遣いだとわかっていた。




「留まるからには、俺の役に立ってもらうぞ。まだ内部の始末も終わってないしな」


「もちろん。役割は果たしますし、あなた方の流儀も学びます。食事も寝る場所も……とりあえず文句は言いません」


「なるほど。だが俺の子供が産みたいのなら、まず喰う物を増やせ。その薄っぺらい体をなんとかするんだな」


 レトは何度か目を瞬かせながら、ジスランに言われたことを反芻(はんすう)する。


「……今そんな話してましたっけ?」


「子を産むのが女の役割だろう。寝る場所も俺と同じでいいと言ったし、役割も果たすとはそういうことじゃないのか?」


「ぜんぜん違います! あなた方の流儀は学びます。でもそれはそれとして、私のやり方も貫かせてもらいますからね!」


(この本能的な価値観にだけは、慣れたらお終いだ……)


 熱の灯る頬を背けるように立ち上がると、レトは「朝ごはんをもらってきます!」と告げ、部屋を出ようとした。これ以上この男のやり口に付き合っていると、なし崩しにまずいことになりそうだ。




「――お前の好きにすればいい」


 振り返れば、こちらを真っ直ぐに見つめる視線と目が合った。心なしかその眼差しはいつもよりか柔らかかった。


「戦士の名誉を享受するのが男の特権なら、そんなもんそっちのけで、内側から強かに支配するのが女の特権だからな。それもまたこの土地の流儀だ」


 その堂々たる笑みに、レトはいたたまれなくなって視線を逸らす。


 ジスランは厳しく残酷だが、同時に寛容さと豪胆さも備えている。そして何より、大国に隷従する立場であろうと心が自由だ。誰よりも尊敬する祖国の皇帝と同じく、ジスランもまた『王の器』の持ち主だった。


 そんな彼に人として惹かれていることを、レトはもう否定できなかった。




 外に出れば、冷たく湿った風が頬を打った。集落のむこう側には、朝露に濡れ、銀色の輝く草が海原のように波打っている。この草原が《銀の海原》と呼ばれる由来だ。


 優雅できらびやかな祖国の宮廷と同じく、その美しい光景の裏側では、血なまぐさい権力争いと陰謀が渦巻いている。つまりレトにとっては、幼い頃から慣れ切った戦いの場であり、国は違えど自分にもできることもあるだろう。


 ――もうしばらくこの土地で、あの蛮族の王と共に生きていく。決意を固めてレトは足を踏み出した。











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 拙著『元地下アイドルは皇帝を目指す!』をご存じの方はお気づきかもしれませんが、本作は同じ世界の別の時代、別の国のお話になります。


 今作主人公レトも、『元地下アイドル~』に登場していると言えば登場していますが、第一部完結時点では台詞も顔出しもありません。ただ彼女の存在は主要人物たちの行く末を大きく変えるため、キーパーソンの一人ではあります。どういうことか気になった方は、あちらを読んで確認いただければうれしいです。


 こてこてのボーイミーツガール物がやりたいと思っていたのですが、ずいぶん物騒な感じに仕上がってしまいました。中編として書きたかった作品ですが、着手するまで時間がかかりそうなので、我慢できずに序章部分だけ短編として書いてしまいました。いずれ続編が書ければなあと考えています。


 今後の予定は、上の方で紹介した『元地下アイドル~』の第二部を近日中に開始したいと考えています。こちらもよろしくお願いいたします。






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[良い点] おもしろかったです! 物騒な話は大好物です笑 文明国のやんごとなき令嬢が野蛮な異民族の長と出会う展開は、ロマンだと思ってます。 レトは図太く、ジスランは意外に紳士なので安心して読めました…
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