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また、夢の中だ。
雪の世界にいる。
雪だるまの顔には赤い小さな赤い実がついて、これが口だと主張している。
「少しの魔法だけど、ちゃんと口がついて声が出せるはずだよ」
シマエナガが雪だるまに話しかけた。
「凄いよシマエナガ! ありがとう! ちゃんと喋ることが出来るよ!」
「良かったね」
「うん。シマエナガは? 何か、忘れてしまった?」
魔法を使って記憶を失くしてしまう事を不安に思っていたのだが。
「…………何も忘れてないと思うよ」
シマエナガは首を傾げて記憶を探るが、何ともないようだ。
「良かったね」
嬉しそうな声で雪だるまは喜んだ。
また一緒にいられるんだと、二人は喜んだ。
「そういえば、雪だるまに手や足を付けていないんだった。頭と胴だけだと、一緒に散歩したり遊べない……」
シマエナガはいつも雪だるまを作るときに魔法の力が途中でなくなり、小さな目までしか作れなかった。
そして、記憶を失くしてしまっていた。
でも、今回は覚えているから、次に何を作ってあげられるのかを考えることができた。
「よーし、じゃぁ次は手を作るよ!」
「うん。ありがとう。でも使う魔法は少しにしようね? 記憶を失くさないようにちょっとにしてね」
「わかってるよ、大丈夫!」
そして、シマエナガは雪だるまに少しだけ魔法をかけて、小さな手を作ってあげるのだった。
三度目の夢を見た僕は、雪の世界でシマエナガの魔法で手を作ってもらっていた。
夢から醒めた僕も、手を動かせるようになっているのだろうか?
現実でも魔法が効いててほしい。
そう思うと、なんだかワクワクする。
動いて、僕の指先!
右手に集中して、握ってみる。
動かせた……。
左手にも集中して動かしてみる。
ちゃんと握れた……。
両方の手を握っては開いて、何度か繰り返してみた。
一年間動かしていなかった指は、それだけで強張ってしまった。
まだ、手首も肘も、腕も持ち上げられそうにない。
僕の身体はどれくらいで元の状態に戻せるのか、途方に暮れてしまった。
「あ、朔くん起きてた。おはよう。藤代先生とお父さんが来たよー」
先生の明るい声が聞こえて、誰が来たのかを自分で教えてくれた。
「朔。おはよう。お父さんも一緒にいるよ。……何をしているんだ?」
手の運動だよ。
でも、頑張っているんだけど、全然思うように動かないから落ち込んでるんだよ。
藤代先生は僕の様子をのぞきこんできたようだ。
「朔くん、触るよ? 顔が赤いし、少し汗をかいてるね。自分でもわかるかい?」
藤代先生は僕の身体を掌で確かめるように触りながら聞いてくる。
瞬き一回。
藤代先生の手が少しひんやりしていて気持ち良い。
「何をしようとしていたのか、やってみてくれる?」
「……う…ん…」
小さな掠れた声で返事をして、僕は両手を動かしてみせた。
ゆっくりと、ゆっくりとしか今は動かないけど、そのうちちゃんと出来るようになるかな。
「おおっ! 凄いじゃないか朔くん。頑張っていたんだね! 偉いぞ!」
藤代先生が驚いて僕を褒めてくれた。
「朔……。……偉いな」
そう言って、お父さんは僕の手を握った。
お父さんの手がブルブルと震えている。
「日高さん。泣くのはまだですよ。次に泣くのは、朔くんが退院するときにしましょう。朔くんは、これからリハビリが始まるんですから、頑張れるように励ましていきましょう」
藤代先生がお父さんに話しかけている。
「そう、ですよね。でも朔が自分から何かをやり始めてくれたことが嬉しくて。生きようとしているのが本当に嬉しくて」
「朔くん、お父さん感激しているよ?」
そうみたいだね。
「う…ん」
すぐそばでズズッと鼻をすする音も聞こえた。
「……このまま目覚めなかったらと思っていた時には絶望しかなかったのに」
繋がった手をまた少し強く握る。
「はぁ…。私は朔に生かされているんだな」
瞬き一回。
「朔……頑張ろうな。お父さんも朔のために頑張るからな。お前は自分の身体を元に戻す事だけ考えていればいいからな」
瞬き一回。
「それじゃあ、お父さん仕事に行ってくる」
そう言ってお父さんは、僕が横たわっているだけの病室から出勤していった。
「行ってらっしゃい」
僕の代わりに藤代先生が送り出してくれた。
「…あ……いぁ……と」
「ん?……あいあと? ……もしかして、『ありがとう』?」
瞬き一回。
「そうか。ありがとうって言ってくれたのか。嬉しいな。これからどんどん言葉を声に出していこう。一年間使っていなかった筋肉をしっかり動かして体力つけなきゃね」
瞬き一回。
「……ふふ……か…ん…ば…うぅ」
「うん。頑張ろうね」
藤代先生も笑っているみたいだ。
だけど、どうやら僕はまだ、起きている時間よりも寝ている時間の方が多いらしい。
少し目を閉じて、休憩したつもりが十時間経っていた。
目を開けたら仕事帰りのお父さんが呼びかけていて、耳元で名前を呼んで起こしていたみたいだ。
傍らにいた藤代先生も心配してくれていた。
体力がないから直ぐに寝てしまうのだろう。
まるで赤ちゃんのような自分の身体にビックリしてしまった。
これからの対策として、起きたらナースコールを鳴らして知らせる事になった。
指が動かせるようになったからだと思う。
そして、誰かが来たら少しずつ声を出したり、指を動かしたりする。
時間がかかるだろうけど、焦らないでゆっくりと回復するように、リハビリを続けることが僕にとって良いのかもしれない。
藤代先生がそんなことを言っていた。
瞬き一回。
「…ぁ…か……た」
「朔……。今、『分かった』って言ったたのか?」
「…ん」
瞬き一回。
「喋るための舌の筋肉が落ちているので話せないだけですから、舌をゆっくりと動かして、発音を確認していくうちに事故前のように自然な会話が出来るようになるから、入院中はたくさん喋ることがリハビリになるよ」
「…あい」
瞬き一回。
「えーと。あ、ちょっと待ってて。……保科さーん! 今って手が空いてるかなぁ?」
藤代先生は病室のドアを開けて人を呼んでいる。
「ハイ。なんでしょうか? ……あ、朔くん起きてた。ていうか起こしたんですか先生?」
女の人の声だ。
この声の人が先生が呼んだ保科さん?
「うん、起こしたんだ。だって朔くんお父さんが出勤したと同時に寝て、帰ってきてもまだ寝てたからね。ちょっと心配した。また眠ったまま起きなかったら嫌だし」
「は? そんなに寝てたんですか? 申し送りが抜けてる?」
「保科さん夜勤でしょ? 朔くんのリハビリの相手してあげてほしいんだ。頼める?」
「そりゃあ良いですよ、やります。えーと、指の運動? 発音訓練? まだ点滴は継続ですよね」
「うん。まだ点滴は続けるよ。少しずつ訓練して筋力アップだ。舌を動かして自分でご飯が食べられるようにならないとこの点滴は外せないから」
そうなんだ。
「かんば…う」
瞬き一回。
きちんと言葉に出来なくて合図を送る。
「頑張るのは良い事だけど、無理はしないように。疲れたらちゃんと眠るんだよ? 君はまだがむしゃらにやる時期ではないからね」
そう言って、藤代先生はお父さんを連れて部屋を出ていったみたいだ。
「さて、朔くん。リハビリしながら身体のマッサージをしようか。身体を動かすからねー」
残った保科さんは、僕が眠っている時に毎日マッサージをして、僕の関節が固まらないように動かしてくれていたんだって。
「ずっと寝たきりで放っておくと床ずれになってしまうんだよ。だから、時々体の向きを変えているんだけどね、その時に関節を動かしておくの。朔くん、今お布団に隠れて見えないけど、素っ裸なの。私以外のスタッフも同じことを朔くんにしているから、皆、朔くんの怪我が良くなっていくのが分かるし、手術のあとがキレイに治っていくのも見てる。朔くんが一生懸命に生きていてくれているのを見ていたからね。よく頑張ったねぇ。偉いよ。
それにしても筋肉が無くなってめちゃ細い足になっちゃったね、腕も細いの。
私のお肉あげたいくらいよ~。……そこは要らないって反応がほいしなぁ」
保科さんはよく喋る人だった。
今なにが流行っていて、どんなことが楽しいのか。
自分にも小学生の子供がいるから、学校ではこんなあそびをしている、給食が、習い事が、いろんな話をしてくれた。
「じゃあ、次は朔くんが喋ってみて。どんなにゆっくりでもいいんだよ。頑張って。朔くんの事を私に教えてね」
「…えー……」
僕は途方に暮れてしまう。
保科さんのようにいっぱい話せないぞ。
「大丈夫。私、待つよ?」
耳元に近づいてこっそりと小声になった。
「ていうか、夜勤って暇なんだよー。だから、お喋りの時間ができて、少しずつでも回復しているの朔くんの事をみられるのが嬉しいの」