終章『Callenging the people――諦めない勇気――』
ナツメが気がついたのは、一通りの厄介ごとが終えた2日後のことだった。
その間にやってきた涼谷がナツメの冤罪を証明してくれたという事を、ナツメはまだ知らない。
涼谷その後直ぐに、荒波の勤める『北第5区支部』の局長に辞表を出しにいくも、今までの功績と、今回の事件解決の功労を評価されて無罪放免。だが今回の1人で勝手に向かったことに対して、一月の謹慎処分を下された。
空っぽになる西地区第3区画支部は、荒波をはじめとする数人が管理し、その一ヶ月を過ごすという。
次に、処分を下されるのは呉氏崎一行。
料理人、門番の2人の奴隷は呉氏崎の目論見を知りながら協力をしていたという事で共犯に。その処分は、呉氏崎の処分と同等になるという。
呉氏崎については、未だ何か関連した犯罪行為が無いか言及している最中である。完全にソレが終わるには、まだ当分かかるそうだ。
呉氏崎が金で売った上守社ら、全十余名を買った奴隷商人は難なく捕らえられたが、上守らは全員売却済みで、詳細を奴隷商人から聞き出すも、捜索は困難を極めるのであった。
だが決して諦めることは無いという。理由は誰にも分からないが、北第5区画支部の局長が強くソレを強調していた。
そして、岩垣。涼谷に胸を貫かれ、絶命したかと思われた彼だが、思いのほかタフらしく、その息を永らえさせていた。
だが最も、血を流しすぎたらしく左半身が麻痺、そして言語に少しばかりの障害が残るらしいが、それ以外はいたって健康。
その傷が完治してから、改めて裁判にかけられるという。
残る西篠は、現在、岩垣が入院している病院に同じく入院していた。
理由は、両足首の粉砕骨折。歩くことが出来ていたのがおかしいと医者は言葉を残している。
西篠は自身の電撃で電気信号を麻痺させていたのだろうと、医者はそう分析していた。西篠の両足首が完治することは難しいと話らしい。医者は西篠に機械化を進めているが、どうやら西篠の返事は芳しくないようであった。
治安維持委員会北第5区支部は、それからというもの、仕事が追いつかないほどの忙しさであった。
本来ならば本局に連絡をして、協力を要請するのだが、現在中央区への侵入は禁止され、閉鎖中である。
中に入ることが許されているのは、能力者、または副局長以上の地位を持つ人間のみ。どれも治安維持委員会の関係者での話である。
――――白い部屋。窓から入る風は生暖かかった。
ナツメはベッドに寝ていた身体を起して、直ぐ傍の窓の向こう側を眺めた。
ここ数日のことが嘘のように、呑気な青空が広がっている。思わず出た欠伸に、ナツメは眼の端から涙を流した。
左腕の痛みはない。どうやら完治しているらしいと、ナツメは簡単に理解すると、身体をずらして、ベッドから足を伸ばした。
足裏にひんやりとした床の感触。渇いた喉を潤そうと、文明の利器で、この東京にですらまだ普及がイマイチな冷蔵庫に手を伸ばし、中に入っているビンを手にとった。
蓋を開け、飲み口を口に寄せて傾ける。脳に痛みを促すほどの冷たさが喉を滑り落ち、胃に溜まる。
美味な水であった。一升瓶の一回り程小さいソレを半分ほど空にして口から離し、一息つく。
そうして蓋を閉め、冷蔵庫に仕舞うと、不意に声がかけられた。
「寝坊だぞ」
声がする方へ――――スライド式の扉が開放されているその場所へと、顔を上げる。
そこには、この間見た武装から肩当てが無くなっただけの姿をした涼谷が微笑んでナツメを見ているのが見えた。
ナツメは、寝ている間の、全ての経過を聞こうとも考えたが、今はその時ではないと考えて、全ての考えを遮断して、思ったことを口にしてみる。
「涼子さんが早起きなだけです」
微笑んで返すと、涼谷は表情を崩さずに、手に吊るしたバッグをナツメへと放り投げる。
慌てて手を伸ばして、それを受け取ると――――ガシャリと、妙な金属音。そして、異常なほどの重さがそこにあった。
見覚えのあるバッグ。それは間違いなくナツメのモノで――――。
「お前の荷物だ。武器の修復、弾丸の補充は済んでいるし、着替えも入ってる。食料や水の調達は着替えが終えてからだ」
ナツメがバッグを開けて見ると、そこには綺麗に磨かれている、解体されたショットガンと、銀色に照る単発式拳銃。
ショットガン専用の弾薬箱に、銀の弾丸を詰めていた箱は、ポケットに入れた弾が全て戻っているらしかった。
そして、中に入っている衣服を取り出す。
それは真っ黒で、いかにも砂漠を歩くには向いていない、下手をすれば命の危険に繋がる色。
日差しに光るのは、それが革製だからであろう。肩当て部分が角々しく、ゴツイ。単車に乗るライダーが来ていそうな衣装であった。
「……すごい、悪趣味ですね」
「それは北5区支部の局長に行ってくれ」
苦笑を顔一杯に見せる涼谷は、そっぽを向いてナツメの顔を見ないようにそう告げる。ナツメは溜息をついて、さらにバッグからインナーを取り出して、着替え始めた。
涼谷はソレを察して、背を向ける。衣擦れする音だけを聞く涼谷は、何故だかその顔をにやけさせていた。
――――やがて、着替えが終わる。
皮製の上下のスーツには、元よりホルスターが付いていたが、護身用に扱える手軽な拳銃は持ち合わせては居なかったので使用していない。
肩にバッグを下げ、バッグの当たらないほうの肩に、ショットガンを下げた。
今回は弾が20発近く補充されていたことは、ナツメにとって心頼もしいことである。
「何か、忘れ物は?」
着替えが終わったことを察して振り替える。そうして聞く涼谷に、
「治安維持委員会の身分証明書と、賞金首討伐の賞金20万円です」
それらは、結局処分されていた。それを思い出して、ナツメはうな垂れて答えた。
「ならば当分、単独行動は制限されるかもな」
「単独……? これから、何処へ行く……いや、連れて行くつもりで?」
「あたしは偶然1月の休暇が出たんでな。さらに中央区の捜索は人員不足で困難を極めたときた。ならばあたし『たち』のすることはわかっているな?」
さり気なく『達』を強調する涼谷に、限りなく深い息を吐いて、ナツメは言葉を投げる。
「火事場泥棒ですか?」
「そうだな……、取り合えず、中央区に行ってから考えよう」
まるでノープランが当たり前のように腰に手をあて胸を張る涼谷に、ナツメは何度目かになる溜息を、飽きずにも吐き続けた。
――――どうやら、未だに俺の不幸な日々は終わっていないらしい。
治安維持委員会での初任務よりも厳しい、この状況でナツメは、頼れるのか、頼れないのか分からない年上の女性を見据える。
―――だけど、まぁ、大丈夫かな。今回の事もそうだし、出張で当たった村のことも、帰路で記録的な砂蟲と出会ったことも、局長に伝えなくちゃだし、どの道あってもなくても、本局に行くことには変わりが無いんだから。
涼谷が居るだけ、幸運ってことで。
「取り合えず一ヶ月、パートナーとしてよろしく」
歩み寄る涼谷は、そう言いながら黒い布に包まれた右手を差し出した。
ナツメはそれに大して、誠心誠意を持って返し、互いに強く、その手を握り合う。
「えー、多分戦闘においては苦労はかけません。だから涼子さんは道行くたびの中では面倒をかけないで下さいね」
ハッハッハと愉快に笑い出す涼谷に、つられて笑うナツメ。
その直後、突然真顔に戻ってナツメの顔を真っ直ぐと見る涼谷に、ナツメは不安の色を隠せずに居た。
――――コレも運命ってヤツかな。嫌な運命だけど。
不幸だと、だがどこか嬉しそうに、心の中で呟く。
誰もがまだ、知り得ない。
ナツメに、人類に対して聞こえてきた鎮魂歌はまだ、序章を終えたばかりであったという事に――――。