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辺りに静寂が訪れる。
呉氏崎はうめき声を上げながら、顔に血が付かないように奮闘している。
その首筋に大剣の刃を突きつける涼谷は、腹部分に大きく、焼けたように穴が開く服を特に気にした風も無く、微動だにしない。
「……人殺し」
呉氏崎が涼谷へ、鋭い切っ先のように言葉を投げる。それでも特に気にせずに、その剣を持つ手から少しばかり力を抜く。
ふっと、ゆっくり刃が下がり、呉氏崎の柔らかい首筋の肉に食い込み、鮮やかな紅い血を流させた。
ヒステリックな悲鳴も上げられずに黙り込む呉氏崎はうつ伏せで、表情は窺い知れないがその肩がビクビクと小刻みに揺れているのを見て、涼谷は怒りでまともな思考が出来ないまま、言葉を放った。
「1人も2人も、大した違いは無いよな?」
――――涼谷は、上守と面識があった。上守はその莫大な資金や、豊富な技術で治安維持委員会を支えていたのだ。
それは割と初期の頃。数百か、それよりももっと前の出来事だったかもしれない。
だから、今現在はその恩恵として一定額を治安維持委員会から貰っている。一定額といっても、一般人から見ればソレは膨大な額なのだが……。
だから、涼谷は仕事で知り合い、その後は私事でもよく訪問するようになった。
上品で、気品溢れて、だが嫌味のない感じ。涼谷とはまったく別のタイプの彼女は、それでも何故か気が合うらしく互いに慕い合っていたのだ。
だが――――。
無力のまま床に伏せ、血に塗れる少女は上守の人生をぶち壊した。
治安維持委員会にとっても重要な人物を得体の知れない地へと、金で交換したのだ。
それは支部局長としても許せない事態であり、涼谷涼子……上守の親友としても許されてはいけないことである。
人徳云々の話ではない。理屈や、倫理なんて事も深く関連するが、今現在、2人の間にそんな無粋なモノは存在しては居ない。
『報復』。ソレだけが、涼谷と呉氏崎の原動力であった。
「立て」
少し経って、少しばかり自身の理性を取り戻したと感じたところで、涼谷は呉氏崎の首筋から刃をどける。
自分の直ぐとなりの床に切っ先を突き刺し、床に伏せたままの呉氏崎にそう命令すると、彼女は舌打ちをしながら真赤に染まる身体を起して、立ち上がった。
「両手を頭の後ろで――――」
呉氏崎を睨みつけたまま言う。だがそんな中で素早く腰に手を伸ばす呉氏崎は、たくし上げたスカートの中、太ももにくくりつけたホルスターから慣れた手つきで拳銃を引き抜いて、両手で構える。
血に濡れたままの手は、ベトベトだったが、拳銃を操作することは他愛もない。
黒塗りの拳銃は、銃身を鈍く光らせながら、銃口を涼谷の額へとあわせる。
震える様子が無いところを見ると、最初からコレを狙っていたのだろう――――そう考えた涼谷は、面倒くさそうに息を吐いて、
「武器を捨てろ、さもないと――――」
「さもないと、何かしら?」
既に撃鉄は起きている。後は引き金を引くだけで相手を殺せるというお手軽さだ。
必要なのはちょっとした握力と、莫大な勇気、または麻痺した神経か、慣れた経験。
真ん中か、後者を持っているであろう呉氏崎は、その後有無を言わさず引き金を引いた。
けたたましい発砲音がして、銃口から火花が散ったと思ったら――――それはただの爆発であった。
銃身の真ん中辺りがはじけ飛び、金属の破片が飛んで涼谷の頬を切り裂いた。
発砲音よりもさらに大きい爆発音は、どうやら暴発らしかった。
銃身を弾けさせ、自動拳銃はそのまま手から離れて床を転げる。爆発を直に受けた呉氏崎の両手は、肉が見え、骨までがその姿をでしゃばるように見せ付けていた。
血が絶え間なく流れ続ける。その量は致命的なほどであった。
ヒステリックな悲鳴が空間に響き渡る。涼谷は無表情のまま、悶え苦しみ、腰を抜かして床に座り、何かを拝むように両手を頭上に上げる呉氏崎を見下ろしていた。
「図……たの、ねぇ……、騙された、フリをして……三文芝居を、最初から三文芝居だと理解してみていたのね……、ナツメェェェェッ!」
ボルテージが徐々に上がり、叫び終えた呉氏崎へと、不意に言葉がかけられた。
「最初ッから相手を信じるのが悪いんだよ」
そんな台詞を受けて、呉氏崎はキッと前を向く。すると、破壊された扉の前に仁王立ちするナツメの姿があり、その背後には弱々しくその後に立つ西篠が居た。
「武器だけが信じられる? んじゃ俺が持ってた武器は、究極的に言えば俺の一部なんだから、信用すんじゃねェっつー話だよなァ?」
「全てを見通して、コレをしていたの……?」
昨夜見受けた美貌はどこへやら、その顔を怒りに染め上げる呉氏崎が聞くと、ナツメは「そうだ」と頷いた。
「最も、俺がこの場に居るとは思ってもいなかったけどな。全部人任せにした後、勝手に自爆するアンタの噂を風に聞くだけかと思ってた」
――――暴発の原因。それは、ナツメが眠らず、呉氏崎に渡す予定の拳銃に細工をしたことである。
何かをつめることは暗く、さしたる物も無かったから負荷。連射による熱で銃身が曲がって暴発なんてものは最初から期待できない。ならどうするか?
そこで出たのが、最初から銃身、弾丸の通り道をゆがめておけばよいのではないか? という発想。
ナツメは迷わず実行し、一番根元の、曲げにくい部分を能力を使用して捻じ曲げ――――その結果が、目の前の呉氏崎の両手であった。
「……私の、負け……かな。どの道、私に勝つ道は無かったのかもね」
「お前の敗因は、俺がこの屋敷に来たことだな」
それだけ言うと、呉氏崎はフッと笑い、そのまま頭を垂れて動かなくなった。
そんな経過状況を確認した涼谷は、その剣を背中の刀剣用のホルスターに固定して、ナツメへと向く。
窓から陽光が差し入る部屋の中にある、血みどろな残虐的光景を一瞥してから、ナツメはまた涼谷の眼を見据える。
「ナツメ。能力者、で思い出したが……お前は『辛勝のナツメ』とかいうあだ名が付いてなかったか?」
「あぁ、そう言われた記憶もありますが、何か差別用語っぽいのであまり好きじゃないですね」
『辛勝のナツメ』。その道の人間ならば一度は耳にしたことがあるとおり名。
その名の通り、辛い勝利だが、決して負けはしない。どれ程傷を負っても、絶対に勝利を持ってくるという戦歴から、そう付けられた名前であった。
当の本人は、先の台詞の通りと、正直響きがあまり格好よくないという理由であまり好きではないが、人に存在を知ってもらえること時代はそう嫌いというわけではなかった。
そんな勝利を舞い込ませてくれる存在から、仲間内からはそう呼ばれ、また敵からは大抵「死神」だとか「悪魔」等の暴言を投げられるのである。
「それじゃ、あたしは隣の区まで人を呼んでくるから、待ってな」
「あぁ、それには及びませんよ」
ナツメの横を通り抜けていく涼谷にそう声を掛ける。駆けられた、不思議な言葉に足を止めると、ナツメはこう続けた。
「そろそろ義理深い人が来ると思いますから」