9
朝の日差しが強くなりつつある時間帯。まだ午前10時前。
外套を羽織るナツメに対し、薄いシャツにホットパンツなど、妙に露出の多い涼谷に、ナツメは思わず声を掛けた。
「大丈夫なんですか? そんな薄着で……」
その上、無意味と受け取れる鉄の肩当てに、膝より少し上の位置からを覆う脚甲。右腕だけに装着する黒い布といい、その武装は妙なモノであったが、ナツメは敢えて触れない。
真っ直ぐ前を見据える涼谷は、「暑がりだから」とだけ答え、口をつぐんだ。
やがて日光を遮る並木道へと到達。木漏れ日の中、それ以降会話を交わさずに歩く中、ナツメは思考をめぐらせる。
――――まぁ、涼子さんの武装は良い。置いといて、だ。バッグの中に入るのは榴弾砲、そして主に使うであろう大剣。剣の使い手ならば、いくらか心頼もしい。
武装、戦力に一抹の不安が残るのは俺の方だ。昨夜からの疲労を引き継ぎ、たまる一方。これを上手く分割利用できるかどうかが不安だ。
それに、そもそも装備が無い。拳銃も弾を撃つだけなら出来るかもしれないが、そもそも純銀製の弾しかないから多分……いや、まてよ――――。
思惟、そして挙がる不安点を追求。そこから自分に出来る、または可能性のあるものをそれに組み合わせていく。
そうして、ナツメは小さく頷いて、新たに生まれた可能性を試してみようと考えた。
1つ息を吐いて、前を見据える。
未だ並木道は続いて、抜けるには数分ほどの時間を要しそうであった。
次いで、流れるように涼谷を一瞥する。口を一文字に閉じて、眉間に皺を寄せる顔を見て、ナツメは心で決意した。
――――つい一時間ほど前までの計画は塵の如く消え去って、なし崩し的に現状のまま涼谷を新たに加えて上守宅へと再び赴くことになったが……。
何よりも、今は机上の、不確かな事件を解決することを前提とするのではなく、その不確かさが実際、本当なのか、嘘なのか。それだけを確認すればよい。
まだ土地も、屋敷も上守のモノだ。逃げるには全てを資金に換えていくはず。だから、まだ少しばかり時間が残っている。
追っ手を使わせられればこちらのモノ。それが証拠になり得るから、そのまま隣の区まで逃げていけばよい。
だから飽くまで消極的に、忍び込んで『今の上守は別人が化けたもの』という事、もしくは『奴隷、涼谷の部下を消した』という事実を裏付ける証拠を手に入れればいい。
……そもそも、何故俺が依頼されていないことにここまで精力的にならなければいけないんだ? 本部だって今は大変なのに――――。
1つ嘆息して、考えを一旦胸に収める。
今はとやかく考えるべきではない。そう判断して、空を見上げた。
鬱蒼と生い茂る緑の葉、それはまるでアーケード。そこから漏れる陽光は、微かな風に揺られて風情を出していた。
今の日本には豊かな季節感はない。その中で、真夏の穏やかな日を連想させるここは、どことなく、心落ち着かせる場所であった。
そこで――――ナツメは不意に気がついた。
「……、確かに」
1つ、自身の中の思考に言葉を漏らす。
――――いくら朝だと言っても、時刻は9時を過ぎているのは明らか。昨日見た限りでは決して人通りが多いというわけではなかったが、全くないというわけでもない。
だから、人が通らない時間帯があってもおかしくは無い。無いのだが――――。
「どうした?」
足を止めずに歩き続けたまま、涼谷はナツメに聞いた。
ナツメもまたそれに倣い、隣に並んだまま、簡潔に答える。
「少し静か過ぎや、しませんか?」
人が居らずとも、並木道の向こうにある沢山の住宅、そこからは人が存在する独特の気配や、生活音が漏れていた。
だが、今はその全てが無い。気配も、音も。
――――駅前は人が居た、だからここに限った事なのか? いや、考えすぎか? この辺りの習慣か何かかもしれない。そもそも音がしないくらいで不穏に思うほうが変なのかもしれない。なるほど、杞憂か、それなら少しばかり、得意気に言ってみた俺は恥ずかしいが、ソレで済むなら――――。
ナツメの発言の直後、足を止めた涼谷は、静かに眼を閉じ、耳を済ませる。
緊張が走る。何故だか胸が高鳴っていくのを感じて、ナツメは額から嫌な汗を流した。
「……確かに、おかしい。いつもなら、そこで固まって井戸端会議を始める主婦の集団が居て、犬の散歩をする老人が居て――――」
涼谷は、脳裏に戦慄が走って言葉を止めた。
部下と同じ事に――――いや、それはありえない。その上、無駄なこと極まりない。
ならば何故だ? 何故ここまで人が居ない。これは偶発的なことではないだろう、恐らくは――――。
「避難、ですかね。何かしら、武力介入があって。あぁ、でもソレだと時間的に早すぎるか。俺が出てからそんな間もないし」
涼谷の頭の中の空論を口にしたナツメに、涼谷は「いや」と口を挟んだ。
「上守が増援を呼び、治安維持委員会を偽って人払いをし、あたし達の行動を読んで待ち伏せしているか。あるいは本当に治安維持委員会が駆けつけているか――――」
「前者ですね」
即答するナツメに、涼谷は同意見だと頷いた。
緊張で心も身体も、ガチガチに固まるというほどでもないが、程よく引き締められる緊張。それに、どことなくナツメは心を躍らせていた。
――――久しぶりだな。この感じ、最近は井戸掘りの手伝いとかスリ、賞金首を捕まえたりだとか言う、小さな事ばかりだったが……、今回は、善悪関係なしの……なんだ?
いや、理由なんてものはあって無いようなものか。こっちはテロ組織が出来上がるのを未然に防ぐ。向こうは降り注ぐ火の粉を振り払うだけ。たったそれだけだ――――
首を傾け、骨を鳴らす。大きく空気を吸い込んで、肺に酸素を満たして深く深く、息を吐き出した。
隣でバッグから取り出した何かを、カチャカチャと組み立てる音を耳にしながら、ナツメもそれに倣って、外套下、左脇のガンホルスターから拳銃を抜いて、撃鉄を上げる。
バッグから、その純銀製の拳銃専用の、これまた純銀製の弾丸を乱暴に探って握り、取り出したソレをポケットに詰め込んだ。
純銀製――――情報屋曰く、『悪魔祓い』の為の物。
能力者、ふと、そんな言い方もあったなと思い返して、ナツメは少し口角を上げる。
能力者が悪魔を払うための武器を持って能力者を対峙するとは、中々出来た話だな、と。
そう考えて、我ながら臭いと苦笑する。
やがて――――並木道を抜けたナツメたちは、陽光を直に喰らって思わず目を薄めたが……。
そこからようやく見えた、上守宅前にたむろする黒い塊を見てそんな眩さも忘れたように、それぞれ武器を構え――――
「耳を塞げ」
隣から突然放たれた声にしたがって、疑問に思いつつもその動作をした、直後。
榴弾砲なんて大砲ではないソレ、携帯対戦車無反動砲----所謂パンツァーファウストを構えて跪いた涼谷は、何の迷いも無くその先端に装着されている榴弾を弾き飛ばした。