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階段に座り込んでいたナツメの背に、暖かな何かがかぶせられたような暖かさがあった。ナツメは不思議に思って振り向くと、階段を上った先にある窓からは、陽光が注ぎ込まれていた。
日が明ける。埃の舞うカーテンを開けた窓から、明るい日差しが徐々にその強さを増していく。
汗で冷えた身体、まだ後遺症じみたダメージの残る節々を気にしながら、それでも呑気に襲い掛かってくる眠気を振り払って、ナツメは段差に下ろしていた腰を上げる。
両手を天井に大きく伸ばし、背筋を真っ直ぐに。骨が音を鳴らして、ズレを調整していった。
心地の良い伸びの後に、口を大きく開けて空気を吸い込む。そんな、寝起きのような動作の後、ナツメは静かにバッグを漁り始めた。
未だ屋敷内。気を失う3人を他所に、ナツメは探し物をするが――――
「……あ、っれー?」
眉根に皺を寄せて、動作を止める。バッグに手を突っ込んだまま、ナツメは記憶を呼び起こした。
――――この都市よりやや北にある小さな集落。そこへ赴き、仕事をこなした帰り道。
砂船という、砂の上をまるで海のように移動する船でのこと。
突然砂が盛り上がり、そこから巨大な砂蟲が現れた。それは巨大なミミズ型で、船を飲み込んでいったのだ。
その際、バッグの中身の大半が零れ落ちていって――――
命は助かった。だが、命が絶対的に安全な状況で口に出来る『命より大事なモノ』を落としてしまったのだ。
心当たりのある事象を思い出して、ナツメは嘆息する。
命より、というのは流石に言い過ぎなのだが――――それは確かに大切なモノ。それに変わりはなく、ソレが無いと不便である。
『携帯端末機』、それはその昔あった移動式電話の一般的名称で、その名の通りに、移動しながら電話が出来る。
そもそもこの時代電話自体が普及していないので不要とも思われ、開発を断念しかけたのだが――――治安を守るためと、その組織内のみでしか普及しないケータイが作られたのだ。
中央区に巨大な電波塔があり、そこを中心として通話が可能となる。その電波に乗って、それぞれが持つケータイ固有の電波を送り、相手側へと通信する。
そうして通話は可能となるのだが――――
「……よわったなぁ」
それを無くしてしまったナツメは、現在の状況を本局に知らせるためには最寄の治安維持委員会支部に行かなければ為らない。
しかし、今この場を離れることには強い抵抗がある。いつ目を覚ますかも分からぬ3人を放っておくことなど、ナツメには出来なかったのだ。
それに、能力を酷使し、睡眠を摂っていないナツメは酷く疲弊していて、日差しが出てきて暑くなる中、どこにあるかも分からぬ支部を探すのは困難に思われた。
こんな時に新聞屋でも尋ねてくればなぁ、なんて、都合の良いトリップを始める脳に、ナツメは大きく頭を振って正気に戻す。
「…………ん、寒い……」
不意に小さく響く言葉。ナツメはモゾモゾと動き出す影に目をやると、それは上半身を起して辺りを伺い始めた。
「……あ、そうでした。私は…………」
それだけ言って、上守は俯き、頭を抱える。そんな姿を見て、ナツメは肩を降ろすように息を吐いた。
「あ~……上守卿? おはようございます」
ナツメが優しく声を掛けると、上守は驚いたように肩を弾ませてから、ゆっくりと、恐ろしいものを覗き込むように顔を挙げ、日のあたる場所に立つナツメの姿を見て、その身体を強張らせた。
「え、あ、あぁ……お、おはよう、ございます……」
ぎこちなく言葉を紡ぐ中、顔をナツメに向けたまま上守は近くにあるアサルトライフルを手探りで、気づかれないように静かに探し始める。
しかし、どちらにしろそのアサルトライフルには弾倉が装着していないので、弾は出ない。ナツメはソレを知って、また1つ溜息を吐くと、バッグの近くに置いた自動拳銃を手に、上守へと近づいた。
そんなナツメを目にして、上守は目を見開き、既に背中と密着している壁の向こう側に行きたいように、必至に壁に背を押し付ける。
その姿に、立ち止まったナツメは顔を手で覆い、首を振って拳銃を床に置き、上守へと滑らせた。
床をする音、少しして、上守の足へと辺り、カチャと音を鳴らせる。
「それはくれてやりますよ。そして恐らく貴方が失脚することはないでしょう。何故そこまで高い地位に居るかはわかりませんが、金と権力がある人間を、そうそう下界へと落とせませんからね。もっとも、詳しくは分からない今回の事件では貴方は被害者みたいですから」
背を向けながらナツメは言いたいことを伝え、深夜のうちにかっぱらった上等な外套を羽織って、バッグから上守に渡した拳銃の弾倉を床に置く。
そうして、軽くなったバッグに解体したショットガン、銀製の短発式拳銃を詰め込み、腰に結局ナツメには扱えなかったロングソードを携えて、玄関の扉へと向かった。
「……、どちらへ?」
広いホールの、玄関を正面にして右側の壁に座り込む上守が恐る恐る声を掛ける。ナツメはホールの真ん中に倒れる西篠を跨いで答えた。
「とりあえず、治安維持委員会に連絡を入れてきます。いや、来ませんけどね。謝礼に古書でも貰っていきたいところですが、そもそも今回はお節介みたいなものだったので流石におこがましいと言うモンですね」
「あ……、あ、あの」
返事が無いので再び歩き出すと、喉から搾り出すような声が聞こえて、また足を止める。
震える声が少女の儚さをよく表していた。それでも必至に、上守は何かを伝えようと、膝に掛ける外套を握り、多きく息を吸った。
「あ、ありがとうございますっ! 今回のことが、正しいのか、そうでないのかは分かりません。私のただのエゴかもしれません……ですが、貴方のお陰で私は、『自分で決める』事ができました……。え……と、ま、また来て下さい!」
どもりながら紡ぐ言葉は、以前のような堅苦しさは無く、1人の少女のものであり――――ナツメは顔も向けずに、再び歩き出した。
「……御達者で」
噛み合わない返事を呟くようにして、ナツメはやがて玄関の前にたどり着く。
横から未だ掛かる、元気が出たような声を他所に、ナツメは扉を開き漏れ出す光の中へと入り、屋敷を後にした。