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先ほどの、発車駅の一回り程小さい到着駅の広場を丸まる詰め込んでもまだ余りある庭。
真ん中に真っ直ぐ伸びる道があり、其処を並んで歩くナツメは、辺りを眺めながら歩みを進めていた。
道からずれると生い茂る芝生。右手には噴水が見え、左手には咲き乱れる花が視界を覆い尽くしている。
広すぎて、さらに惜しげもないその自然は、ここいら一帯でも一番で――――それが、この家が最も金と権力を持っている証明でもあった。
ふと、隣の西篠に一瞥をくれると、緊張をしているのか、右手と右足が同時に出て、まるで軍隊で訓練された兵士のような歩き方をしている。そんな姿に、原因不明の焦燥感を少しばかり抑えられ、1つ息を吐く。
そうして、続けて深呼吸をする。次第に迫る、上守社の居城。人の等身大よりも高い、玄関の扉。
全てに虚を突かれ高鳴っていた心臓は、今では常通りの落ち着きを取り戻していた。
「……本当に、良いんですか? 僕の為に……、今ならまだ、引き返す事だって」
「愚問だな。俺はたとえ後悔することが合ったとしても、事前にソレが分かっていても、一度決めたことは決して曲げたりはしない」
「強いんですね……僕とは大違いだ」
「お前だって、鍛えれば――――」
ナツメの発言の最中で、西篠は遮るように首を振った。それは違うと、言っているように取れてナツメは静かに口をつぐむ。
「精神が、弱いんです。あ、勿論身体もですけどね」
あはは、と笑う西篠は眉間に皺を寄せ、誰が見ても無理をしていると受け取れるモノだったが、ナツメはそれを見て少しばかりの思考の後、
「……今日で何か良いきっかけになればいいんだがな」
そう口にしてから、黙りこくった。
西篠はその言葉に頷いて、やがて手の届く位置にやってきた玄関の前で立ち止まる。
隣のナツメをチラリと見てから、その意図を受け取って首肯したのを確認して扉に手を掛け、押す。
が――――
「……」
ガチャと、それは何かにつっかえているようで、その扉は開く様子は無かった。
「あぁ、すみません。鍵が掛かっているようです」
そう言って軽く笑う西篠に、ナツメは緊張がほぐれたように息を吐く。
「ったく、何事かと――――」
言いかけて、ナツメは言葉を止めた。
それは、その耳に確かな開錠の音が聞こえたからである。
そうして、今現在誰の手も触れては居ないその扉は、錆びた音を立てながらゆっくりと開いていく。
西篠は恐怖に目を剥き、ナツメは緊張の為に息を呑む。その中で――――開いた隙間から見えた向こう側の闇とは違う、形のある影が、ゆらりと顔を覗かせた。
「……輝、か。そちらはお客人か?」
低い声が、空気を震わせる。聞かれてから少しの間が開いて、西篠は慌てて返答した。
「え、あ、は、はい。そうです」
言われてから、その影はゆっくりとその隙間を広げて、ナツメへと顔を向ける。
そんな挙動を受けて、ナツメは不審に思いながらも軽く会釈をした。
「どうも初めまして、ナツメと申します。ここまで来た経緯としましては――――」
「あぁ、それは結構ですお客人。大体、話は読めてきましたんでねぇ……。ようこそいらっしゃいました。どうぞ中でごゆるりと」
言いながら扉を大きく開き、やがて日に照らされて男の姿が露になった。
浅黒い肌に、隆々とする筋肉。それが浮き出て見えるタキシードは、彼にはいささか似合ってはいないようであった。
ぎらりと輝く眼光に、歯を剥いて笑うような、野生を垣間見る笑顔。ナツメより一回り程大きな身体。
初対面の者であれば誰がもたじろぎ、恐怖を感じそうな外観であったが、ナツメはまた会釈をして、気にしていないように、中へと促されるままに扉の向こうへと足を踏み込ませた。
中は薄暗い。決して完全な闇ではないのだが、見た目の明るさとは裏腹すぎる闇に、ナツメは思わず疑問を口にした。
「あの、何故電気を一番小さいものに?」
聞かれて気づいたように声を出す男は、
「えぇ、実はお嬢様――――上守社様が病で床に伏せていましてね。あまり、電気の無駄遣いは出来なくて」
そう言いながら――――背後の強い光を取り入れる、解放された扉は乱暴な音を立てて閉まった。
バタン、という音に跳ね上がる心臓を押さえながらも振り向こうとすると、今度はガチャリと、鍵を掛ける音がして、ナツメは知らぬ内に額から冷や汗を流した。
そうして、再び疑問を問いかける。
「……、それじゃ、何故窓に遮光幕まで閉めるんですか?」
息遣いが伺えるほどの静寂。背後、左右に広がる二つの気配を感じながら、ナツメは静かに、脇下の自動拳銃に手を掛けた。
「あぁ、それは――――」
言いながら大きく踏み込む男を感じて、セーフティロックを解除しながらソレを引き抜こうとする、その瞬間。
「暗い中で目が慣れてしまって、陽光が少しばかり目に痛いからです。申し訳ございません、こちらの怠惰のせいでありました」
肉厚の掌が、その腕の動きを掴んで止めた。
ナツメは驚きで目を剥いてソレを見上げると、男はその『愛嬌のある』笑顔でナツメを見ていた。
「私はお嬢様の執事でボディーガードを兼業しています『岩垣伸一』でございます。どうかお見知りおきを」
手を離して、ナツメの前で深く頭を下げる岩垣は、背を向けて「では客室にご案内いたします」と声を掛けて背を向けた。
その大きな背中を見つめて、ナツメは自動拳銃から離した手で、流れ出る汗を拭い1つ、大きく息を吐く。
「因みに、他の従者や、奴隷の方々は?」
広い玄関ホールを歩き、その正面にある階段を上りながら尋ねると、岩垣は控えめに口を開く。
「お嬢様は、あまり人を信用なさらないようで。従者も、奴隷も、私と西篠を含めて5人ほど。1人は料理人で、今は食事を作っていますし、残りの2人はお嬢様のご看病を致しておりますゆえ」
吹き抜けとなっている其処は、2階に到達しても辺りが良く伺えた。そこから右に曲がり、少しばかり進んだところで、岩垣は足を止める。
「こちらが客室となっています。今お嬢様を呼んで参りますので」
「でもご病気なのでしょう? こちらは勝手な都合で来たわけですし、無理をさせては……」
「いえ、西篠の恩もあるわけですから。お嬢様もそう無下には出来ません。それじゃ輝、ナツメ様をご案内しておきなさい」
そういい残し、後は聞かぬとばかりに背を向け歩み去っていく岩垣の姿は、少しばかり離れた位置で完全に闇に溶けていった。
後姿を見送っていると、扉が開く音がして、
「あ、それじゃ、どうぞ……」
中から漏れる光を手で遮りながら、ようやくこの城で目に掛かることが出来た明るい部屋の中へと入っていった。