第1話 弟くん、できちゃいました
「えええええっ! 再婚⁉︎」
高層階ビルの高級レストランで、思わず立ち上がって叫んでしまった私。お客さんや店員さんの視線が一斉にこちらを向くも――私がキョロキョロ辺りを見渡しながら着席したので、周りの人たちもバツが悪そうに平常を装った。
「あらやだ〜。藍ちゃんてば、そんなに叫んで〜」
「驚かせて済まない、藍ちゃん。僕が桜子さんに惚れ込んで、プロポーズさせてもらったんだ」
光沢のあるシルクの布がかけられた円卓に用意された、あからさまに高級そうなコース料理を前に、アツアツのお二人は照れることすらせずに腕を組み惚気倒す。
おかしいと思ったのよ。
高層階ビルの夜景が綺麗なレストランを予約したから、着飾ってたまにはいいとこでディナーしましょ、なんて前触れもなくお母さんが急に言ったんだもの。だから、一生懸命メイクまでして着飾ってきたっていうのに。
私の名前は、佐藤藍。
小さめの身長に、細身の身体。
地毛が茶色でゆるっとした髪質を肩下まで伸ばしてて、今日はフォーマルスタイルに合わせてアップしてる。目も大きめで鼻筋も通ってて、割と変な顔じゃない……はず。
……はぁ、それにしても。
母子家庭、二人三脚でいつも頑張っている私たちへのご褒美かな、なぁんて思ってノコノコやってきちゃった私。なんでもっと疑いの心を持たなかったのか後悔してる。
幸せになるのはいいんだよ⁉︎
特にうちのお母さんは、お父さんに不倫された末に捨てられてからというもの、ずっとずっと頑張ってきたから幸せになって欲しかった。
両親が離婚したのは私がまだ小学生の頃の出来事で、お母さんは専業主婦だったから大変だったと思う。でも頑張って、就職して、私を一人手で育てて……高校まで入学させてくれた。
……だから、本当に幸せになってほしい。
お義父さん――俊輔さんは優しそうだしイケメンだし……。
私だってブーブー言わずにもっと段階を踏んでくれたのなら諸手を挙げて応援したわよ。
……だけど、だけどね?
「私にだって心の準備がいるし、なにより……!」
私はお義父さんの横に腰掛ける渦中の人を――指差しする。
「――兄弟ができるなんて、聞いてないんですけどッ!」
「――僕のことですよね、お姉さん」
「おっ、お姉さん⁉︎」
お姉さんっていうことは私が年上⁉︎
見たところ同い年くらいなのに、もしかして中学生とかなのかしら。
弟くんは狼狽える私とは正反対に、落ち着いた様子でホットティーを飲んでいる。
「落ち着いてください、お姉さん。まぁまぁ、お座りください」
「えっ! あ、はぁ……」
気がついたらまた私は立ち上がっていた。どうやら年下らしい弟くんに諭されゆっくり椅子に腰掛ける。
すっかり観客と化した周囲の人は相変わらずの様子だけど、プロはさすがね。ホールの中央で演奏されるグランドピアノの音楽だけは優雅に奏でられている。
「ねぇ、藍ちゃんは、お母さんが再婚するの、反対……?」
「急なことで本当に申し訳ない。プロポーズを急かないと……桜子さんが盗られてしまいそうでね」
「そんな……俊輔さんったら」
頬を染めるお母さんと、勇ましげなお義父さん。
私の反応に不安そうなお母さんの手に、そっと手を添えている。
――あーもう! 見るからにアツアツのラブラブ! まるで私が悪者みたいじゃないッ!
……でも、でも〜!
「アツアツなのはいいことだよ? でも、物事には順序ってものが……。
――それに! 君! 君は再婚に賛成なの?」
私の質問に、弟くんはティーカップを静かに置いてニコリと微笑んだ。
中学生くらいの男子って言ったら、もっとこう……なんていうかワンパク小僧じゃないの?
弟くんは始終落ち着いていて、テーブルマナーも完璧。それにお義父さんに似てとってもイケメン。
茶の短髪に筋の通った鼻。
年下とは思えない、余裕のある笑みをたたえた端正な顔立ち。背もそこそこ高そうね。
自分で言うのもなんだけど、これじゃあどっちが年上だからわからないわ……(涙)。
「僕は賛成ですよ。父はいつだって僕を優先してくれていましたから。僕が幼い時に母に先立たれて……悲しみに暮れる暇もなく男手一つで僕を育ててくれましたから」
「隼人……」
「隼人くん……」
お義父さんの漢泣きに、つられて涙ぐむお母さん。
――なになになんなのっ! 私の仲間は誰もいないわけ? 私だって、お母さんには幸せになってほしいけど……。女同士、少しは相談して欲しかった。私はもう高校一年生だし、少しは相談相手になれたと思うんだよね。
…………。
本当はわかってる。これは私の嫉妬だってこと。
「も、もう……。わかった、わかったよ。私もお母さんには幸せになってほしいもの。俊輔さん……いえ、お義父さん。母をよろしくお願いしますね」
やばい……。
精一杯絞り出した自分自身の言葉で、なんだか泣いちゃいそう。
お母さんはというと……、我慢しきれずに泣いてしまっている。
「ぐすっ、ぐすっ……。ありがとうね、藍ちゃん……」
「ありがとう、藍ちゃん。お義父さんって、いい響きだなぁ」
そんなお母さんの肩に、そっと手を添えるお義父さん。
――色々ブーブー言っちゃったけど、良かったんじゃないかな、これで。
一息ついて、ようやくメインディッシュのステーキにナイフを当てがったところ、お義父さんは背筋を伸ばした。
「改めてよろしく、藍ちゃん。横山俊輔と横山隼人だ。隼人はこう見えて小学生だけれど、しっかり者だから仲良くしてもらえると嬉しいよ」
「……え?」
「よろしくお願いします。お姉さん。小学5年生、横山隼人です」
「……は?」
「やだぁ、失礼よ藍ちゃん。は、だなんて。略さないで隼人くんってちゃんと呼びなさい」
「いやいや略称じゃないし」
私の失礼な物言いにも動じず、弟くんは作ったように綺麗な笑顔で微笑んでくる。小首を傾げて、つぶらな瞳で(っていうか小学生って知った今は瞳が純真無垢に見えるのよ!)。
「よろしくお願いします、お姉さん。隼人って呼んでください」
「あ、うん。ごめんね隼人くん。私は藍。よろしくね。隼人くん、すごく大人びてるから、同い年くらいかと思っちゃった」
――クスリ。
見間違えかもしれないけど隼人くん今、笑ったような……。しかも鼻の下に指を添えて、アツアツの二人に見えないように。まさかね。
アツアツの二人は、私たちにお構いなしで公共の場にもかかわらずイチャイチャしてらっしゃって気がつく様子もなく。まぁ、私の勘違いだよね。
私がそんなことを考えていると、そうだ! とお母さんは幸せそうな笑みを浮かべて声高らかに話し始めた。
「明日、俊輔さんのおうちにお引越しするから」
「ええっ!」
大掃除だとか断捨離だとかに最近燃えていたのは、まさかこのためだったなんて――
「引越し業者さん頼んであるし、私たちもともとミニマリストじゃない? すぐ引越し終わると思うのよね」
ま、まぁ、ミニマリストは否定しないけれど、節約の成果でもあるわけで――
「明日引越しチャチャッと終えて、役所に行って婚姻届提出して、そのまま夜から新婚旅行行ってくるから。しばらく隼人くんと二人暮らしだけど藍ちゃんなら大丈夫よね」
――え?
「悪いね藍ちゃん。隼人をよろしく頼むよ。会社の仕事を兼ねた海外への新婚旅行だから長くなるかもしれないけれど」
――は?
「――――はああぁぁぁ?」
「まぁまぁお姉さん、落ち着いて。せっかくの新婚旅行、ゆっくりしてきてくださいね。父さん、お義母さん」
「隼人……」
「隼人くん……」
――誰が予想できたかしら。
私の孤独な闘いが、まさかこれから始まるなんて。
……どうして孤独な闘いかって?
まさかって思うでしょ?
この弟くん。
私がさっき違和感を覚えたように。
一癖も二癖もある、二面性の持ち主だったの。