子犬侍女の幸せと嫁入り〜かつて『狐目令嬢』と呼ばれていた主に仕える侍女エマの幸せな王城生活〜
この作品は後日談となります。
単独でも物語として成立するように書きましたが、先に本編
狐目令嬢の幸せな嫁入り~人相の悪さのせいで『狐目令嬢』と蔑まれ婚約破棄され、政略結婚の道具にされた私の幸せな婚姻~
https://ncode.syosetu.com/n8143ha/
を読んでいただけると、より楽しんでいただけると思いますので是非ご一読ください。
作品は上記のURL、私バルサミ子のマイページもしくはこのページの1番下のリンクよりお読みいただけます。
私たちがブランク王国にやってきてからおよそ一年が経ったある日のことです。
王宮に大吉報が飛び込んできました。
──第三王子のユーグ様と婚姻を結んだソフィア様がご懐妊された。
その知らせは瞬く間に王宮を駆け巡り……国中へと広まりました。
陽気なお国柄なのか、何かにかこつけて騒ぎたいだけなのか、街行く人は皆浮足立っています。
以前ならば、プロノワール王国にいた時ならば考えられなかったことです。
愚かにも私の大切な主であるソフィア様の優秀さを妬んで、『狐目令嬢』などと陰口を叩いていた連中ばかりだったのですから。
その連中がこの光景を見たらどんな顔をするんでしょうか?
特にソフィア様が必死に勉強なさっていたプロノワール王国の最新の技術に関する知識がユーグ様の柔軟な発想力と結びついて様々な発見をもたらしていると知ったら……
きっと苦い顔をするに違いありません。
ざまぁみろです──なんて言ったらまたソフィア様に怒られてしまいそうなので、このことは私の心の内だけにしまっておきますけどね。
★☆ ★
私たち侍女の仕事は朝早くから始まります。
仕事はそれぞれ人によって違うのですが、私の最初の仕事はソフィア様のお着替えをお手伝いすることです。
日の出と共に起床して身支度を整えます。
ありがたいことに、私はここでは外から来たよそ者だというのに変わらずソフィア様の専属の侍女としての仕事を続けさせてもらっています。
これがソフィア様直々の希望、というのですから嬉しいことこの上ありません。
身支度を整えれば、ユーグ様とソフィア様のいる寝室へと向かいます。
質素でありながら管理の行き届いた王城の廊下を歩いていると、
「エマ!」
私を呼ぶ声がします。
「アダン! おはようございます」
「ああ、おはよう。今日も素敵な笑顔だね」
「それが私の取り柄みたいなところですから!」
「そうだね、太陽のようだよ」
そう言ってはにかむのはアダン。
明るいブロンドヘアが良く似合う長身の男性です。
ユーグ様専属の執事の一人ということもあって、私と一緒に仕事をする機会が多いです。
付き合いがあるのはお仕事だけではありません。
「それにしても……随分流暢にブランク語を話せるようになったね」
「アダンが教えてくれたおかげです!」
「ならよかったよ。これならたくさんお話ができるしね」
ここに来た当時はカタコトのブランク語しか話せなかった私に、色々な言葉を教えてくれた恩人でもあります。
多分ソフィア様の次に一緒にいる時間が長いのではないのでしょうか?
……良い方だと思います。
★☆ ★
「失礼します! エマです!」
寝室の分厚い扉を叩きます。
程なくして、奥からコンコンと扉を叩く音がします。
その音が聞こえるとアダンがゆっくりと力強く扉を開きました。
『おはようございます、ユーグ様、ソフィア様』
まだ少し眠そうなユーグ様と、既にしゃっきり凛々しく目を開けたソフィア様が視界に入ってきます。
ブランク王国式の礼を終え、顔を上げるとソフィア様がニッコリと柔らかな笑みを浮かべます。
「おはようエマ、それにアダン。いつもご苦労様」
「今日もお元気そうで何よりです!」
ソフイア様はゆったりとした寝巻を着ていました。
ご懐妊されてからはコルセットもつけていないので、血色も良好に見えます。
「それでは、ユーグ様。お着替えの方を」
一通り体調を伺ったところで隣にいたアダンが声をかけます。
少し軽い印象のあるアダンですが、仕事に関しては誰よりも真面目です。
私も負けてられません。
「ああ、そうだね。今日も頼むよ」
「はい!」
アダンはユーグ様の言葉に目を輝かせながら力強く答えます。
その目の輝きからはユーグ様への尊敬が見て取れました。
私も傍から見たら同じように見えているのでしょうか?
「それじゃ、ソフィア……行ってくるよ」
「ええ、あなた。行ってらっしゃい」
そう言うと二人は軽く口付けを交わします。
初めの方はソフィア様は顔を真っ赤にして恥じらっていましたが一年も経つとさすがに慣れた様子です。
でも私は知っています。
ソフィア様の耳が少しだけ赤くなっているのを……。
元から奥手なソフィア様のことです。
きっとまだ心のどこかに恥ずかしさが残っているのでしょう。
私も同じです。
初めて見た時は二人の前だと言うのに顔を真っ赤にしてしまいました。
だって仕方ないじゃないですか。
私にそんな経験はないんですから!
アダンがユーグ様を別室へと案内します。
扉が閉まると私たちは二人きりになりました。
「ソフィア様! お加減はいかがですか!?」
「ちょっとエマ、そんなに心配しなくていいのよ」
「でも妊娠すると体調が悪くなるって……」
「それはまだ少し先の話よ。もう、エマったら心配性なんだから」
くすくすと笑うソフィア様の笑顔は一段と素敵になりました。
ソフィア様はプロノワール王国にいらっしゃった時はずっと……気を張り詰めていたように感じていました。
どこか余裕がなくて……焦っているかのような、そんな気がしていました。
それに比べて今は、ふとした時のお顔が、表情が柔らかいように感じます。
この国に来てから心身ともに穏やかでいるからでしょうか。
いいえ、それだけではない気がします。
一人の女性として、蛹から蝶へ羽化したような……
そんな気がするのです。
これが恋の魔法、というものなのでしょうか……?
「──それでね、ユーグがね」
「はい、その件でしたら私も聞いています、」
「そうなの、ユーグってああ見えて意外と抜けているところがあるのよね」
ユーグ様の話をしている時は、いつにも増して楽しそうです。
毎日、ソフィア様のお着替えを手伝うこの時間だけは二人きりでお話ができるのですが、日に日にユーグ様の話題が増えているように感じます。
……ちょっと嫉妬しちゃいます。
ソフィア様のことを一番知っているのは私なのに……!
それと同時に少し不安になってしまいます。
いつか……ソフィア様にとって私は必要のない存在になってしまうんじゃないか、と。
私の役割は終わりを迎えるんじゃないか、と。
ソフィア様の味方がたくさん出来た今、私はソフィア様を慕う大勢の中の一人に埋もれてしまうんじゃないかと……ふとした時に怖くなってしまうのです。
★☆ ★
それからしばらく時が過ぎると、ソフィア様の体に目に見えた変化が生まれました。
スラリとした細身の体のお腹の部分だけが、ぽっこりと膨らみ始めたのです。
それと同時にソフィア様の体調の優れない日が続くようになりました。
──つわり、だとお医者様は言います。
少し顔が青い日が続き……毎日私は気が気でなくて……少し痩せてしまいました。
しかしそれも一過性のもの。
二月ほどが過ぎると、また再び元気なソフィア様が帰ってきました。
容体が安定してきたようです。
私は心の底から安堵の息をつきました。
本当に安心したのです。
安心しすぎて痩せた分よりも体重が増えてしまいました。
……食べ過ぎちゃいました。
そんなある日のことです。
アダンから夕食に誘われました。
私はソフィア様のことが気になるから、と断ろうかと思いました。
しかし……アダンがあまりにも真剣な顔をしているので、断るに断れませんでした。
ブランク王国は、というより王城は使用人に対して割と寛容です。
早い時間であれば外食することも認められています。
私たちはその日の仕事を一通り終えると、市井に繰り出しました。
アダンは商家の跡取りのような恰好をしていました。
思いのほかキッチリとした服装です。
ほとんど外に行く機会がないのでまともな服を買っていなかったことを初めて後悔しました。
「この店の猪肉のラグーが絶品なんだ。どうしてもエマと来たいと思ってね」
「ラグーですか」
「あ、今代わり映えのしないメニューだと思ったでしょ」
「いやいや、そんなこと!」
「でも食べたら分かるよ、本当にここのラグーは別物だから」
少し、言葉尻が取り繕っているように硬く感じます。
いつも通りではない、そんな気がしました。
アダンの言う通りこの店のラグーは絶品でした。
口に入れた瞬間猪肉がホロリと解けて、溶けていきます。
獣臭さも全くありません。
……美味しい、はずなんですけどあまり味を感じませんでした。
それはアダンから出る独特な、硬く張り詰めた空気。
私だって、一人の女です。
……何を考えているのかくらい、分かります。
ラグーを食べ終えたところで、アダンが大きく息を吐きます。
そして力強く真っすぐに私を見つめて言葉を絞るように紡ぎます。
「好きだ──一人の女性として、エマのことが」
「……」
「私と、いや僕と婚約してくれないか?」
私は、自分でも驚くくらい冷静でした。
何故かは分かりません。
まるで芝居を見ているかのように、遠くから自分たちを俯瞰しているような気分になっていました。
正直なところ、私は……おそらく男性として、アダンのことを意識しています。
……愛、しています。
ブランク王国に来てからどれだけ助けられたか分かりません。
他の使用人たちと私が仲良くできているのはアダンが間に入って取り持ってくれたからです。
言葉も、仕事についても相談に乗ってもらいました。
そうしているうちに芽生えたこの感情……。
私は必死にその気持ちを押しとどめようとしていたのです。
何故なら、それ以上にソフィア様を愛しているから。
それはもちろん親愛としての愛です。
ですが愛には違いありません。
私は誓いました。
ブランク王国に来る時に何があってもソフィア様に付き従うと。
その約束を裏切ることになってしまうんじゃないと思って。
それが何よりも怖くて。
「……少し、考えさせてください」
「ああ、すぐにとは言わない。いつまでも待ってるから」
私は、どうすればいいの?
★☆ ★
昨夜はあまり眠れませんでした。
当然です。
考えることが多すぎました。
頭の中を考えが通り過ぎては消えて……その繰り返しです。
目を堅く瞑っても……ダメでした。
それでも私はソフィア様の侍女。
朝が来たら、綺麗さっぱり全てを忘れて仕事に集中します。
いつものように身支度を整えて、ソフィア様の部屋へ。
着替えを手伝って……ソフィア様に付き従って……。
それでも雑草が固い土を突き破って生えてくるように思考に雑念が混じります。
何をしているの私!
今は仕事中なんだから! ソフィア様のお世話に集中しなくちゃ!
「……」
ふと、ソフィア様がこちらを向きました。
目と目が合います。
どういうわけか、ソフィア様は優しい、子犬を見るような目で私を見てきます。
「ねえ、エマ」
「はい!」
「ちょっと散歩に行きたいわ」
「でも……ソフィア様、あまり運動してはいけないって」
「ずっと座りっぱなしはダメ、とも言われているの」
「それも……そうですね」
「だから、ちょっと付き合ってくれない?」
「はい! 喜んで」
いつものように明るい笑顔を作れたはずです。
でも何故か、全てを見透かされているような気がしました……。
ブランク王国の王城には中庭があります。
プロノワール王国では、どこの貴族も屋敷に競って豪勢な中庭を作ります。
それは自分の家の力を誇示するためでもありました。
それに比べてブランク王国の王城の庭はあまり華美……とは言えません。
権力を誇示する習慣がないのだ、とこの庭を見て思いました。
爽やかな空気を思いっきり吸い込みながら、ソフィア様の横を歩いて行きます。
何かあった時のために、わずかな変化だって見逃さない気持ちで。
ジーっと、ソフィア様を見ていると、唐突にソフィア様が口を開きました。
「何かあったの?」
「いえ! ソフィア様が気にするようなことは何も!」
「てことは、何か……はあったのね」
「あ……」
やられました。
うっかり口を滑らせてしまいました。
「そうね、当ててみせましょうか」
「え?」
「アダンに……告白されたのでしょう?」
ビクっと体が震えます。
どうして分かったのか……気になってソフィア様を見れば、少女のように無邪気な笑みを浮かべていました。
「どうして……分かったんですか?」
「そうね……女の勘、というやつかしら?」
「やっぱりソフィア様に隠し事はできませんね……」
「というよりエマが分かりやす過ぎるのよ」
再びソフィア様がくすくすと笑います。
……屈辱です。
いつも通りに振る舞っていたつもりだったのに……。
「断るの?」
「多分……今は」
「私が妊娠してるから?」
「はい……、今はソフィア様が一番大事なんです!」
これは嘘偽りない気持ちだった。
アダンのことも……大事です。
でもそれ以上に今、ソフィア様は大変な時期で……。
「あのね、エマ」
「はい」
「私はね、貴女にも幸せになって欲しいの」
「ソフィア様……」
「きっと真面目なエマのことだから、私のことばかり考えてくれてるんだと思うの」
「はい! それは当然です」
私は私である前に、ソフィア様の侍女。
この国に来る時にそう決めたのだから。
「私は、エマのことを愛しているわ」
「そんな、もったいないお言葉を!」
「でも当然、ユーグのことも愛しているの」
ソフィア様は自分でそう言って顔を赤らめた。
──乙女の顔だ。
そう思いました。
「欲張りなさい、エマ。自分の気持ちに正直になるの」
「でも私はソフィア様にどこまでも付き従うって……!」
「だから、よ」
「え?」
ソフィア様の言葉の意図が分からずに私は素っ頓狂な声を漏らします。
「もうすぐ、子供が生まれるでしょ?」
「はい」
「この王城って……あまり子供がいないの」
「そう言えば……」
確かに、この王城で子供の姿を見たことがありません。
大半の侍女は近くにある宿舎から王城に通っています。
子供がいないのは多分そのせいです。
「困ったわ……これじゃ私の子供にお友達ができないかもしれないわ」
「──っ」
「あのね、エマ」
ソフィア様が歩みを止めて、私の両肩にそっと手を置きました。
「私はこれからもずっとエマと一緒にいたいと思っているの。侍女である必要はないわ。乳母だっていいし、ただのお友達でも構わない」
「そんな……」
「私はあの人と……ユーグと出会えて変われたの、前に進めたの。だからね、エマ。貴女も前に進んでいいのよ」
「ソフィア様……私っ」
なんて……なんて慈悲深い方なんだろう。
気付けば私の頬を熱いものが伝っていました。
「アダンと一緒にいることで、私と一緒にいられなくなるかもって思っているんでしょう?」
「はい……」
「ガッカリだわ」
「……」
そう言われて頬が引き攣るのを感じます。
息が、呼吸がうまくできません。
「エマが私を信頼してくれていないことに対して、よ」
「あ……」
その言葉には覚えがあった。
何を隠そう、その言葉は私がソフィア様に言った言葉なのだから。
「ここに来る時、エマが言ってくれた言葉よ。私ってそんなに信頼できない?」
「いえ! 信頼してます! 心から……!」
「そう、だったら傍にいて。エマが私の傍にいたいと思う限り」
「う……うっ……ソフィアさまぁ~」
私はあろうことかソフィア様の胸に顔をうずめて泣いてしまいました。
お召し物が汚れてしまいます。
なのに……なのに……。
ソフィア様は優しく私の頭を撫でてくれました。
その手はもう、母親の手でした。
「返事はしたの?」
「……保留にしてます」
「じゃあ、今日、これから! 返事をしてきなさい」
「……いいんですか?」
「ユーグには私から話しておくから」
「ありがとうございますっ……」
私は心に決めました。
いいえ、決め直しました。
この身朽ちるまでこの方に仕えよう、と。
★☆ ★
「アダン!」
長い廊下。その真ん中にいたアダンに向かって叫びます。
隣には……当然ユーグ様がいましたが、もうこの際関係ありません。
今の私には最強の味方がいるのですから。
「……エマ?」
アダンは驚いた顔をしています。
当然です、今は職務を遂行しているはずの時間なのですから。
何かを察したのか、或いは察していたのか、ユーグ様は何も言いませんでした。
むしろ一歩身を引いてさえいました。
「私……! 私のなかでアダンを一番に考えることはできないかもしれません。今は……今までは、ソフィア様が一番大切な存在だったから! そんな私でもいいですか? 貴方と一緒にいてもいいですか!?」
勢いに身を任せました。
ギュッと目を瞑りながら。
なるようになれ、と思って。
「ああ……!」
アダンの優しくて力強い声が響きます。
その声を聞いて目を開くと、アダンは半笑いで言葉を続けました。
「だって……エマ。君のそういう、健気なところが好きなんだから」
私に大切な人が増えました。
欲張りかもしれません。
でも、それでいいとソフィア様は仰ってくれました。
そして今日も──私は扉を叩くのです。
隣にいるこの世界で二人目の大切な人と一緒に。
この作品は本編を読んでくださった方からの声によって執筆させていただきました。
一人の物書きとして、これ以上に幸せなことはありません。
本当にありがとうございました!
作者のモチベに繋がりますので、ブラバ前に感想や↓の★★★★★から評価を残していただけると嬉しいです。
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