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「とまあこういうわけさ。こういうね」
「いやあ凄い。さすがだ」
「本当にぃ。私にはとても真似できないですぅ」
今は、会合の打ち上げの最中だ。打ち上げといっても、僕が選んだ者だけが来ることのできる、飲み会だ。今日は、二人だけ選んだ。実際は課長ではないのに皆から課長と呼ばれている先輩と、後輩の女の子だ。会合には一時間遅れで到着したが、どういうこともなかった。誰も遅れたことを咎めたりはしなかった。皆、僕を咎めるなんて畏れ多くてできないと思っているからだ。
「なあ、どうやったらあんな素晴らしい作品を書くことができるんだ。ひとつ、この僕にコツを教えてくれたまえ」
「ははは、コツなんか、ないですよ、課長さん。ただ、思ったことも思ってないことも、そのまま、書いているだけです」
「うそだぁ。先輩うそついてるぅ。コツがなくてあんな奥深い作品を書けるわけがないじゃないですかぁ。私も聞きたいですぅ、コツ」
「いや、うそじゃないよ。本当に、コツなんて、ないんだ」
「ええー、コツがなくてどうしてあんなに有名な小説の賞がとれるんですかぁ。先輩、今や時の人じゃないですかぁ。全国版の新聞にも、新進気鋭、曲樹賞受賞の大学生作家現る、とかなんとか、書かれてたじゃないですかぁ」
「そうそう若干二十歳で曲樹賞受賞だもんな。創設以来五十年を迎えた我らが文学同好会の歴史の中でも、曲樹賞受賞は初めてだよ。いやあ君は本当に凄い」
「そこまで、言わないで下さいよ、照れちゃいますよ」
この文学同好会においては、僕の評判と人気とは、相当高かった。曲樹賞をとるまでは、評判の方はそれほどでもなかったが、曲樹賞をとった途端、僕は文学同好会のボスになった。同好会のメンバーは、学内で僕を見かけると、男なら一礼をし、女なら僕の受賞作の本の裏にサインをねだった。誰もが僕に一目置き、僕の一挙手一投足を見逃すまいとして、僕に声をかけてもらえることはもちろん、僕の目の中に入れてもらえること、僕と同じ空気を吸うことができることさえ、光栄に思っていた。
「そんな大したのは、書いてませんよ」
「謙遜はいかんよきみのような曲樹賞受賞の大作家が謙遜することは、逆効果だよ」
「そうですよぉ、先輩。先輩の曲樹賞受賞作『ぼきゅは安威が保すぃ位野ぉ』は、素晴らしく奥深い純愛作品でしたよぉ」
「いやぁ、本当にそうだよ。もう題名からして良いよ。ぼきゅは安威が保すぃ位野ぉ、とは、僕は愛が欲しいの、を、変形させたものなのだからないやあ実に素晴らしいよ奥が深い」
「はは、いやいや、それほどでも」
「君、君はそうやって自分を謙遜することができる人間では既にないんだよ。自分の文学的才能をもっと自覚したまえ。私などは、君、君の受賞作の題名が僕は愛が欲しいのを単純に、本当に単純に何の考えもなく変形させたものだということを、君が説明するまで解らなかったのだからね」
「そうですよぉ先輩。もっと自覚してくださいよぉ。曲樹賞選考委員も言ってたじゃないですかぁ、この題名の妙に文学的才能を感じる、この題名が、受賞の理由である、ってぇ。そして実際には先輩は、僕は愛が欲しいのを、なんとなくノリで変形させただけで、そこには何の文学的知性も文学的考慮もなかったんですよぉ。本当に凄いことですよぉ」
「曲樹賞受賞、これが本当に凄い。これこそまさしく文学だ」
「曲樹賞受賞したんだから、先輩には文学の才能があるんですよぉ。うらやましいなぁ。あたしも賞、受賞したいですぅ」
そうだ、『ぼきゅは安威が保すぃ位野ぉ』は、本当に何の文学的考慮もなく、単にノリで変形しただけのものだった。それがなぜか、審査員に文学的才能ありと判断された。自分でも、なぜそう判断されたのか、不思議だった。だが、まあいい、兎にも角にも、僕は曲樹賞を受賞したんだ。曲樹賞を受賞すること、すなわち、僕には文学の才能があるということだ。
「ところで君、先ほどの会合で発表された君の新しい短編作品だがね。あれも実に素晴らしい」
「『機・背・氣』ですか」
「うむ。いやあ本当に君には畏れ入るよ。純愛作品とは
正しくこの作品のことを言うのだろうなあ」
「私、ベタ男がベタ美に、ぽくちん、ベタ美ん美んのこと、ちゅきなんでちゅーって赤ちゃん言葉で言ってそれに対してベタ美が、あたちはベタ男たんのこと、だいちゅきっぽいって赤ちゃん言葉で答えたところで、読んでて泣いちゃいましたぁ。ここでベタ美に赤ちゃん言葉を使わせるなんてぇ……。これぞ、女の一大決心ですよねぇ。きっと先輩はこの部分で女の一大決心を表したかったんですよねぇ。この女の一大決心こそ文学ですぅ」
『機・背・氣』の中には、ベタ男とベタ美による、赤ちゃん言葉による愛の語り合いの部分がある。実を言うと、この部分は、適当に何の意味もなく書いた部分なのだが、なぜか読み手にはこの部分が、女の一大決心、そしてその女の一大決心が文学として映っているらしい。
(どうしよう。いや、この部分は何の意味もないよとか、ちょっと格好つけながら本当のことを、言おうかな。でもこの子の言った女の一大決心って、文学的知性に満ち溢れているような気が、多分、するな。文学っぽい。本当に文学かどうかは全く解らないけど、なんとなく文学のような気がする。よし、文学ということにしてしまおう。文学だっていう確信はどこにもないけど、雰囲気的に文学チックなんだし、もうこれ文学でいいや。そしてそもそも、僕は女の一大決心なんて表したつもりはこれっぽっちもないんだけど、まあいい、表したということにしてしまおう)
「ははは、そうなんだ、全部、君の言うとおりさ」
「ええぇ、本当ですかぁ!?」
「うん。君は、素晴らしい感性の、持ち主だよ」
「きゃあ、曲樹賞を受賞した、先輩にほめられちゃったぁ!」
(単純な女だ)
「先輩にほめられるなんて、カンゲキ。本当のこと言うとぉ、あたしぃ、先輩のこと、本気で好きなんですぅ。きゃあ、言っちゃったぁ!」
「嬉しいよ、君のような、素晴らしい感性を持った女の子に、好きになってもらえて」
(はー、これで今月、俺に愛の告白をした女、三人目だよ)
「そんな、トロ子君は彼のことを好きだったのか。僕は君を好きだのに君は僕のことを好きではないのか答えてくれたまえよ」
「私は課長先輩のことは好きではありません。あたしはぁ、曲樹賞を受賞したぁ、先輩のことがぁ、大好きなんですぅ!」
「うう、そんな……」
「課長先輩、私のことはあきらめてください」
「ははは、まあまあ」
(全く、何やってるんだか、とんだ茶番だよ。これだから、文学的才能のない小市民どもは)
「先ぱぁい、あたしとぉ、付き合って下さぁい。お願いしまぁす!」
「トロ子君となら、こちらからも、お願いしたいくらいさ。でも生憎、僕は、付き合うとかそういうことはあまりしない主義なんだ。まあ、いわゆる、哲学って、やつかな。だから、トロ子君と付き合うのは、その、なんていうか……」
「哲学だなんて、先輩、かっっこいいぃー」
「ははは、まあ、それほどでも」
「先ぱぁい、改めてお願いしまぁす、あたしとぉ、付き合ってくださぁい。かっこいい先輩の、彼女になりたいんですぅ」
「トロ子君ほどの女の子となら、僕の主義を曲げてもいいんだよ。トロ子君だけとならね。ただ、僕は有名人だし、かなり忙しい。仮に付き合ったとしても、君にはあまりかまってあげられないかもしれないけど、それでもいいのかい?」
「いいですぅ。私、先輩の彼女になれたら、それだけで、幸せなんですぅ」
「よし、わかった。君の気持ちを受け止めよう」
(くぅ、ちょろいちょろい。これで、こいつ入れて付き合ってる女、全部で十人だ)
「わぁい、やったぁ!」
「ああ、そんな。君が彼と付き合うことになってしまったら、この僕は一体どうなってしまうんだい、トロ子君、答えてくれたまえよぉ、答えてくれたまえよぉ!」
「んっもぉ、課長先輩ったら、しつこい!」
「だははは」
(これはおもしろい。小市民による大市民のための偽大茶番劇だな。もう、俺のカリスマ性、底なしだ。金は入る、人望は得ることができる、そしてなにより、女にもてる。あ、間違えた。女にもてる、じゃなくて、女にもてすぎて困る、だった。だっははは)