女将、感涙する
宜しくお願いします
登場する食材の名前を変更しております。
内容に変更はありません
30分以上水に浸した昆布を入れた鍋をコンロの上に置いた。
ゆっくりと加熱されていく昆布を見詰める。よし…味をみて沸騰直前に昆布を取り出して一煮立ちさせてから火を止め削り節を入れていく。
グツグツ…灰汁を取りながら出汁を見詰める。出汁を取った後の削り節はショーユと絡めて、葉野菜のおひたし和えに使おう。
昆布と鰹っぽい魚の節から取った琥珀色の出汁を見ていると心が凪いでくる。今日も一日宜しくね。
唐突に口づけを交わしてしまった私とスワ君なのだが、びっくりするくらいその日から何も変わらなかった。あの界渡り事件の後、スワ君は結構忙しいようでお店には現れていない。
そう…お店には現れてはいないけど、通信用の魔道具を私に渡してきたので…夜におやすみ連絡がくることがある。少したわいもない話をして、会話は終了することが多いのだけれど…今日は違ったみたいだ。
『今から部屋に行っていい?』
何だろうか?と思って待っていると廊下に静かに響く私の部屋の扉をノックする音。
部屋の中にいきなり現れないのがスワ君らしい。スルリと室内に滑り込んで来たスワ君はフードを下ろして、少し息を吐いた。
「最近、ずっと魔術師団の詰所と実験室に籠りきりでさ~あぁ疲れた」
スワ君はそう言って紺色の布をポケットから出してきた。
「これ見てよ。上手く再現出来たと思うんだ」
紺色の布…はよく見たら巾着袋だった。しかも縫い目はガタガタ…誰が縫ったのこれ?思わず姑アイズで縫い目ガタガタの巾着を睨みつけた。
「下手くそな縫製ね…。これ縫ったの、誰?」
スワ君は顔を真っ赤にして巾着を後ろ手に隠した。
「ぬっ…縫い目が荒いのは仕方ないだろう!そうじゃないよっこれ、ヒコルデラ皇太子の持っていた『モチ』を再現したんだ!」
もしかしてこのガタガタはスワ君が縫ったのか?チラチラとスワ君の指先を見たが針で刺しまくったと思われる痕跡は見えない。
モチ…ああ、確かヒコルデラ皇太子が持っていた小汚い袋のことね。ジュエルブリンガー帝国の魔道具はエーカリンデ王国に渡したので、帝国の所持していた数々の古の魔道具は今はエーカリンデ王国の管理下に置かれている。
「モチを再現したって…スワ君あの小汚い袋を一回見ただけよね?」
スワ君はカッと目を見開いた。
「小汚い袋って言うな!あれは国宝級の魔道具なんだぞっ!」
「へぇ…」
興味が無いので、適当な返事を返した。スワ君は紺色の巾着袋を再び私の目の前に出して来ると私に顔をグイッと近づけてきた。
「ヒコルデラ皇太子からモチを取り上げて魔道具と術式を視た時に、魔術原理と魔術式の解読は出来ていたんだ。亜空間連結魔術式の構成の組み立てと障壁魔力の調和と半永久供給術式の安定をさせるのに時間がかかってしまったが、どうだ、凄いだろう?」
「…うん、一息で何だか分からない説明をしているスワ君が凄かったね」
スワ君は王太子殿下あるまじき、すんごい怖い顔で私を睨んでいる。何だよ?睨んだって怖くないよ?スワ君はアレだね、魔術オタクなんだよ。魔術関連のことではのめり込んで熱くなってキモイくらいに饒舌になる。
「もういいよ!ラジーにモチの素晴らしさを理解してもらおうなんて思ってないからっ!」
何だか、小学生の捨て台詞みたいな言葉を私に投げつけると、スワ君は巾着袋の中を手でゴソゴソと探っている。
「はいっ!」
今度は何だ?スワ君が巾着から何かを出して私に差し出してきた。鍵?
「ジュエルブリンガー帝国の食糧保管庫に珍しい食材があるって聞いたんだ。その保管庫の鍵、エーカリンデ王国の殿下から許可を頂いたんだ。好きな食材は持ち帰っていいって。なのになんだよ~いらないならラジーにあげようと思ってた鍵返してもらおうかなぁ~?」
珍しい食材!
私はスワ君の差し出した鍵をがっちりと掴んだ…掴んだ…が、何故かスワ君が鍵を握った私の手を握って離さない。
そして静かに近付いて来るスワ君の顔…。柔らかく私に触れて来るスワ君の唇。スワ君の普段使っている香水の香りがする…。
最近は挨拶のようにキスをしてくるスワ君だが、相変わらず触れられてもドキドキはしない。嫌悪感も無いけれど…。だけどスワ君はキス以上のことはしてこないみたいだ。
節度あるお付き合いね…真面目なスワ君らしいわ。
それはそうと
ルルシーナ=ペスラ伯爵令嬢とラノディア=リスベル公爵令嬢…令嬢達はルルシーナ様は療養の為に領地に引っ込んでしまった。ラノディア様は年の離れた伯爵の後妻にはいるらしい。
今スワ君は自身の周りを身綺麗にしている。多分…どころか絶対、私との婚姻に本腰を入れ始めたのだ。また同じことでグルグル考えてしまうけれど、スワ君は嫌いじゃないしなぁ~こうやって抱き締められていても苦痛じゃないな~。
絶対的に燃え上がる恋とか愛とかじゃない…のだけど、最近はこれでもいいかな~と思い始めている。何となくだけどスワ君も運命が~とかでゴリ押ししなくても、穏やかに流れる様なお付き合いに満足しているみたいだ。
もういい加減聞いて確認しておこうかな。
「私、小料理屋ラジーは続けたいわ」
スワ君の胸の中でボソッと呟くとスワ君は微かに笑ったみたいだ。体に振動が伝わる。
「勿論、続けてよ。ラジーの美味しい料理はずっと食べていたい。」
「毎日続けて行くのは無理じゃない?」
「時間のある時に店を開けたらいいよ」
私は顔を上げてスワ君を見上げた。
「でも、仕込みをしたり下ごしらえの時間が無いもの…お店を開けたって営業する暇が無い…。そ、それに作りたくても食材も料理も腐っちゃうから…」
スワ君はう…ん、と返事をしてから彫像のように固まっている。イケメンの考える人のポーズだ。
「ラジー…」
スワ君が言葉を発したが、15分くらい同じポーズで固まってた。その間私は抱っこされたままだった…。
「料理を腐らせないで保存する…これは大丈夫だと思う。だから…小料理屋ラジー続けてよ。」
「…いいの?」
「いいよ」
小料理屋ラジーを続けてもいい…。公爵家の娘として生まれた以上は家の為に婚姻をしなくてはいけない。1人で小料理屋を営業する…なんて壮大な我儘も公爵家のご令嬢だから許されたことだった。
そして一国の王太子妃になってもその我儘が許されようとしている。私恵まれているな…。
数日後
ジュエルブリンガー帝国にやって来た。スワ君も一緒だ。マサンテとキマリに護衛の皆も一緒だった。
「珍しい食材が見付かるといいですね!」
キマリが拳をグゥゥと握り締めている。そう…私達はジュエルブリンガー帝国の皇宮の食糧貯蔵庫に来ている。うちの城の倍はある大きな貯蔵庫だ。過去の栄華の象徴だな…とその貯蔵庫の扉を見てギナイセ卿が呟いていた。
実はスワ君は事前にこの貯蔵庫に立ち入り調査をしていて、その中で世紀の大発見?!をしたらしいのだ。
何だろうね?河童のミイラでも見つけたのかな?食材を保管している場所で河童は嫌だな…。
スワ君が食糧貯蔵庫の鍵を開けた。本当に大きな扉だ…。ギギギ…と大きな音をたてて扉は開いた。
「扉近くの部屋に乾物や日持ちのよい食材を保管している。奥は…兎に角見てくれ。」
何やらニヤニヤと笑うスワ君は奥の部屋を見せたくて仕方ないらしい。何だろうか…本当に河童でも飛び出してくるのじゃないかと警戒しながら、ギナイセ卿の後ろに隠れた。
部屋の奥にある飾りも何もない武骨で重量感のある焦げ茶色の扉を、スワ君はゆっくりと開いた。
ブワッ…と魔力が体全体を覆う。私でも感じるほどの魔力の気配が扉の向こうから流れて来る。
「さあ存分に見てくれ!永続魔法により防腐魔法がかかった魔術保管庫を!」
何だって?私は保管庫?の中へ入ってみた。何も変哲もない倉庫のようである。但し、圧倒的になま物が多い気がする。生の魔獣肉塊…一頭分だ。
別に冷たい冷蔵庫の中では無いのに今、捌いて入れたみたいな感じだ。あ…!
「魚!?」
慌てて、鰤?ハマチ?のような丸々と肥えた魚が寝かされた木箱の中を見た。鮮魚だ…魚の目は白濁していない。尻尾やヒレの張り具合も見る。綺麗だ…まるで朝一で市場から買ってきたみたいだ。
「腐ってない?!これお刺身で食べれるんじゃない!」
私が叫ぶとマサンテとキマリが駆け寄ってきた。
「オサシミって何ですか?」
「新しいお料理ですか?」
ワクワクと期待を込めた目をしている女子2人に「生で食べる魚料理だよ!」と言った。
やはり、女子2人は悲鳴を上げた。
「そんな…?!もしかして渡り人の世界では常識なのですか!?」
後ろで大人しく護衛に徹しているはずの、近衛副団長のフエルカ卿も思わず叫んでいる。しかしそんな周りの絶叫を無視してスワ君が、私の手を取ってキラキラした美しい顔を向けてきた。
「ラジーどう?すごいだろう?この部屋に保管していると防腐魔法がかかって物が腐らないんだ。凄い魔術原理だと思わないか?この魔術式を発明をした術師は天才だよ!本当に素晴らしい!」
スワ君が褒めたたえているのは、お肉腐ってない!お魚新鮮!じゃなくてこの魔術すげぇ~だった。
「…腐らないということは飲み物も腐らないのよね~。この貯蔵庫…欲しいな」
私がそう言うとスワ君の目が三倍くらい大きく見開かれた。
「ラジー!やっぱりそう思うか?!絶対そうだよな?!よしっ魔術式を複写していこう!」
ふ、複写?コピーて意味だよね?魔術式ってえ~と新しい魔術式は申請して登録とかすることが義務化されていて、所謂特許のようなものが存在すると聞いたけど…。コピーして大丈夫なのかな。
スワ君は床に手を付くと、何かの術式を発動した。光の粒子が飛び上がり部屋の四方に消えると…。スワ君の手が虹色に輝き始めた。
「ふんふん?成程…おおっそうくるのか?」
何か独り言を言っているスワ君…。ずっとブツブツ言っているので、見詰めるのに飽きてきた私は大型冷蔵庫の中を物色し始めた。
魚やお肉…酒、果実水…へえ~野菜まで鮮度抜群じゃないの…ん?棚が並んだ所に…怪しい陶器製の瓶がある。
「…!これっ…」
急いで瓶の蓋を開けてみて匂いを嗅いだ。この鼻にくるこの香り…。
「梅干しだーー!やったー!」
私の叫び声が貯蔵庫内に木霊した。
そしてブツブツ呟いていたスワ君は、何と本当に小型の冷蔵庫を開発して私にプレゼントしてくれた。宝石よりドレスより私にとって何よりも嬉しいプレゼントだった。しかも
「これでラジーの美味しい料理をもっともっと作ってくれ。とても楽しみだ」
と言われてしまった。私には一番嬉しい言葉だった。泣いてしまった私をスワ君は優しく抱き締めてくれた。運命の出会いでもない。全然ドキドキもしないし、寧ろ安堵感と安心感の塊みたいなスワ君だけど、私にはこれくらいの穏やかな結婚で良いのかもしれない。
「スワ君、今日は何を召し上がられますか?」
スワ君はニッコリと笑った後に
「オサシミ定食を頼む」
と言った。食べてくれるんだ~と、またまた泣けた。
オサシミ定食はスワ君大絶賛だった。お酒のアテにもいいな~と御猪口でお酒を飲みつつ上品且つ、カッコよくお刺身を食す未来の旦那様にまたまた目頭が熱くなった。
きっとこのまま私達はこんな風にゆっくりと過ごしていくんだと…未来の姿まで想像出来てしまった。
本編はここで終了です。次話からは王太子妃として二足の草鞋の女将奮闘記が続きます。もう少し近付いてイチャコラさせてあげたい私の我儘です、お付き合い下さいませ^^




