83話 怪盗魔王、謎の少女に懐かれる
「ユーシャちゃん、良いお名前ね」
マリィが頭を撫でると、少女はくすぐったそうな顔をして喜んだ。
少女はキースの顔をしばらく見上げてから、ためらいがちに、そっとマントから手を放した。
そこから、とてとてと歩いて行って、マリィの黒いドレスの袖を掴む。
キースとディアナは、密かに目を合わせる。
ふたりとも、他人に声を聞かれずに言葉を交わす【念話】のスキルを持っていた。
『彼女は“ゆうしゃ”と名乗っていますわ……まさか』
『考えすぎだ。“勇者”にしては幼すぎる』
そしてパーティーも連れていない。
勇者がたったひとりで魔王に挑むなど、あり得ないことだ。
(それにしても……)
抜けるように白い肌。
アクアマリンのように深い青色の髪。
エメラルドのような明るい緑色の瞳。
珍しい顔立ちに加え、小さな身体を包んでいる、その衣服が異様だった。
あの火事の中、焦げひとつない真っ白なワンピース。
そしてその上から巻き付く、端の引き千切れた、古く太い革紐。
まず町で見かけるような出で立ちではない。
ではどこで見かけるのか――想像もつかない。
一方マリィは、この小さな珍客がいたく気に入ったらしい。
「ユーシャちゃんはどこから来たの?」
「……わからない」
「そう、わからないんじゃ仕方ないわね」
また頭を撫でられて、少女は気持ちよさそうに目を細めている。
キースは念のために【確信の片眼鏡】で少女のステータスを確認した。
「………………!」
キースは思わず、マリィを掴んで少女から飛びすさりそうになった。
(嘘だろ……こんな小さな女の子が……)
緑色に輝く文字は、奪い尽くせないほどの大量のスキルを映し出していた。
ステータスは、勇者ゲルムとは桁違いだ。
数値としては、伝説の“龍”であるンボーンに匹敵する。
――つまり少女は、完全に人間の領域を超えた何かだった。
「………………?」
少女は不思議そうな顔をして、冷や汗を流すキースを見上げている。
キースはなんとか、ぎこちない笑みを返した。
『ディアナ』
『はい、魔王様』
キースの【念話】に、ディアナは顔も合わせずに答える。
もちろん、キースもディアナの方を見たりはしない。
『彼女のステータスを確認した……結論から言うと、彼女は本物の勇者である可能性が高い』
ディアナは思わず、ばっと少女の方を振り返った。
少女は相変わらず、マリィの腕に頬を寄せている。
『……始末しますか?』
『いや、彼女のステータスはゲルムの比じゃない。下手をすれば魔王城がエルフの里の二の舞だ。それに……』
キースはなんでもないというふうを装って、マリィと少女を見つめた。
『彼女はマリィにべったりだ。下手に攻撃を加えればマリィを巻き込むことになる』
ギリ……とディアナの歯ぎしりの音がかすかに聞こえた。
マリィも少女も、それに気づく様子はない。
『幸い、彼女は俺が魔王だと気づいていないらしい。気づかれたら終わりだ』
『いかが致しますか?』
『こうなりゃ、隠し通すしかない』
そのうちに食堂へと辿り着いた。
立食パーティーの準備は、すっかり整っている。
「これはこれは、お待ちしておりました、まお……」
「ゴホン、ゴホッ、ゴホオッ!」
オークの長の言葉を、キースは慌ててかき消した。
「あー、みんな、聞いてくれ!」
キースは片手を上げて、徒の長たちの注目を集めた。
「エルフの里の火事も無事治まった! 大怪我をした者が出なかったのは、不幸中の幸いだ、これは実にめでたいことだ! だから今日はその、無礼講といきたいと思う。今日は、俺のことは遠慮無く“キース”と呼んでくれ!」
「「「おおーっ!!」」」
長たちの声が高く上がった。
今のところは、これで切り抜けるしかない。
ゴーレムのメイドたちが、キースや長たちに蜂蜜酒の入ったグラスを渡す。
「ユーシャちゃん、お酒は大人になってからね」
少女には、ブドウジュースの入ったグラスが手渡された。
「では僭越ながらわたくしが乾杯の音頭を取らせていただきますわ」
ディアナが、キースの隣に進み出る。
「では、エルフの里の危機を救ってくださった、我らが偉大なる……その……き、き、き……」
声が尻すぼみに小さくなっていく。
『どうしたディアナ? 何か問題か?』
『いえ、ご心配なく……平気ですわ……そうです、わたくしは平気ですわ……」
いつの間にか【念話】が口から漏れている。
ディアナは落ち着かない様子で、髪を払った。
「その……き、きーす……さま……」
いつもは陶器のように白い顔が、真っ赤になっている。
「きーす、さま……きーす、さま、ですわ……その……あの……きーすさまに乾杯っ!!」
そう言い切ると、ディアナは頭から湯気を出しながら、ふらふらとテーブルに手をついた。
再び長たちの声が上がる。
「「「我らがキース様に乾杯!!」」」
みんなが一気に蜂蜜酒をあおった。
立食パーティーの始まりだ。
「どうしたディアナ、調子が悪いのか?」
「いえ……その……」
ディアナは濡れた瞳で、上目遣いにキースを見上げた。
「お名前をお呼びしたのは……初めての……ことでしたので……」
「これからもそう呼んでくれていいぞ」
「そんな……畏れ多いことでございますっ!」
ディアナは取り皿を掴んで、逃げるように人混みの奥に消えていった。
「あいつもなかなか変わってるよな」
「まお……あ、いえ、キース様!」
再び現れたのは、オークの長だ。
手元の取り皿には、手羽先が山のように積まれている。
「それにマリィ様。ご成婚おめでとうございます! 素晴らしい宴にお声がけいただけたことを、心よりありがたく存じております。それに料理の見事なこと!」
「んんん?」
「キース様、今回は本当におめでたいことで」
徒の長たちが、列をなしてキースのもとへ集まってくる。
どうやらこのパーティーを、披露宴か何かと勘違いしているらしい。
「めでたいことこの上ありませんな、酒も素晴らしい!」
「まったくお似合いのおふたりで」
「手に手を取って世界を漆黒に染め上げていく未来が見えるようです」
少女が顔を上げた。
緑色の瞳で、キースを見つめる。
キースは思わず後ずさりしそうになった。
「キース、マリィと結婚するの?」
「えっ、いやそれはなんというか、周りが盛り上がっちゃってるような部分がありつつ……なあ?」
キースはマリィに視線を向けた。
マリィは顔を赤くして、俯く。
「それは、そのとおりでその、成り行きというか……」
「だめっ!」
少女はマリィのドレスを手放して、再びキースのマントにしがみついた。
「キースはゆうしゃと結婚するのっ!」
「そ、そうか……ははは」
キースは苦笑いを浮かべながら、おそるおそる青い髪を撫でた。
少女は心地よさそうに目を細めている。
おかしな事態になってしまった。
勇者が魔王領に入る理由などひとつしかない。
――魔王の抹殺だ。
その勇者が、すっかりキースに懐いている。
しかしこれも、キースが魔王だとバレたらすべてが破綻する。
キースとしても、あどけない少女を手にかける気にはとてもなれなかった。
(参ったな……)
キースはいろんな考えを巡らせながら、取り皿に香草とベーコンのキッシュと、鶏肉のトマトソース煮込みを載せて、少女に渡した。
「ありがと……」
「こぼさず食べるんだぞ」
少女はキッシュにフォークを突き刺して、口いっぱいに頬張った。
「………………」
今、少女が勇者だと知っているのはキースとディアナだけだ。
そしてキースの次に、少女に近い位置にいるのは――。
「ユーシャちゃん、美味しい?」
「むぅ」
「口もとが汚れちゃってるわよ」
マリィは黒いハンカチで、少女の口もとを拭った。
そう、少女の近くにいるのは、他の誰でもない、マリィなのだ。
彼女にはどうにか事実を知らせたい。
しかし少女はキースかマリィにべったりだし、マリィは【念話】が使えない。
一見和やかな場ではあるが、ふとしたきっかけがあれば、ここは地獄に変わる。
「………………」
「どうしたんですか、キースさん?」
真剣な表情で辺りを見回すキースに、マリィが声をかけた。
キースは視線をマリィに移す。
「マリィ、今夜大事な話がある」
少女とマリィを引き離せるとしたら、夜しかない。
「あの、それって……」
「夜、ふたりきりになりたいんだ」
それを聞いて、少女はマントをぎゅっと引っ張った。
「キースはゆうしゃと寝るの」
「あー……」
キースはツノをコリコリと掻いた。
「すまないが、今日は無理だよ」
「どうして? キースはマリィと寝るの?」
「ああ、だから君とは一緒に寝られないんだ。な、マリィ」
それを聞いて、マリィは耳まで真っ赤になった。
マリィはこれまで魔王城で、それこそお姫様のような扱いを受けてきた。
美しいドレスを着せてもらい、広い寝室に、美味しいご飯。
でも、それがそれだけで時が進むはずがないのだ。
いま大陸中が、魔王と聖女の結婚に沸き立っている。
結婚するということは、夫婦となることだ。
「………………」
そして夫婦には、ふたりを固く結びつける営みがある。
修道院育ちのマリィでも、そのくらいのことは知っている。
ついにそのときが来たのだと思った。
怖くないと言えば嘘になる。
でもキースさんはきっと優しいはず。
「はい……」
マリィは赤くなったまま、こくりと頷いた。
………………。
…………。
……。
陽が沈んでしばらくすると、少女は壁際の椅子でうつらうつらし始めた。
「この子が新しいお友達? 可愛いね!」
リュカが駆け寄ると、親分が止めた。
親分は相変わらずの酒飲みで、赤ら顔にしゃっくりをひとつ。
「起こしちゃ可哀想だろ。遊んでやるなら明日にしろ」
「はーい」
キースは人混みの中からディアナを見つけて声をかけた。
「ディアナ」
ディアナは蜂蜜酒をどれだけ飲んだのかはしらないが、頬にぽうっと赤みが差していた。
「まお……いえ、その……きーすさま……」
未だにキースを名前で呼ぶことに慣れないらしい。
キースは壁際のマリィと少女を眺めながら言った。
「しばらく、あの子の世話を君に頼みたいと思ってる。けっして手は出さないように。これは君のためでもある。それと」
キースは少女からディアナに視線を移した。
「もし何かあれば、一刻も早く逃げて俺に知らせてくれ。あくまで自分の命を最優先するんだ」
「……承知いたしましたわ」
ディアナは深く頭を垂れた。
「しかし……」
マリィの腕に頭を預けて、すぅすぅと眠る少女を見て、キースはため息をついた。
――いったい、どうしたものか。
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