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裏切られた盗賊、怪盗魔王になって世界を掌握する  作者: マライヤ・ムー/今井三太郎
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80話 トリストラム国王、お仕事をする

 トリストラム国王は、ある日を境に知性を完全に失ってしまった。

 その代わりに執務に臨んでいるのは、副王と呼ばれるゴルドリューフ辺境伯だ。



「失礼いたします! 辺境伯、魔王国との交易で問題が!」

「どうした……」



 ガリガリと書類にペンを走らせながら、ゴルドリューフ辺境伯は答える。

 いつも整髪料で丁寧に整えられていた白髪は、ぴんぴんとあちこちにくせ毛が飛び出している。



「届いた鉱石に対する、輸出用の穀物がまるで足りていません。どうやら手違いがあったようで……」

「軍の備蓄分を回せ。そうだな……30%までは供出して構わん。現段階で国外派兵の可能性はあるが、それよりも今は少しでも資源を取り込みたい」

「承知しました!」

「失礼します! 辺境伯、ご報告したいことが!」



 執務室には、次々と報告やら相談やらが持ちかけられる。

 ゴルドリューフ辺境伯はすっかり激務にやつれ果てていた。


 彼は有能な男だ。

 かつての国王よりも、はっきり言って執務能力は高い。


 だからこそ、他の者に適当に仕事を振って自分は楽をする、ということができずにいた。

 人に任せた仕事が失敗に終われば、後悔するのは自分だからだ。


 更に今、トリストラム王国中枢は、多忙を極めている。


 始まったばかりの魔王国との交易やら、アシュトラン共和国の内乱に対する国外協力やらの対外政策。

 そして国内では、反魔王の旗を翻そうとしていたコールデン共和国派を政治的に抑え込まなければならない。


 髪を切る暇すらなく、後ろ髪が襟に長くかかっている。

 しかし彼にとってそれよりも問題なのは――。



(エミリー……)



 エミリーはゴルドリューフ辺境伯の愛娘だ。

 今年で10歳になる。


 歳を取ってから産まれた娘なので、可愛くって仕方がない。

 彼女は城近くの別邸に、母と共に暮らしている。


 しかし最近のゴルドリューフ辺境伯は、激務のために城に泊まりきりだ。

 もういつから会っていないのか、彼自身も忘れかけていた。


 そしてエミリーの10歳の誕生日は、1週間後だった。

 別邸には成人した子供たちも集まって、久々の家族団らんとなる予定だ。


 だが、その父であるゴルドリューフ辺境伯は、この調子ではとても参加できそうになかった。



「………………」



 眉間を押さえて息をつこうとした瞬間、また報告がやってくる。

 ため息をつく暇すら無い。



「失礼いたします! ご報告です!」

「どうした……」



 血走った目で、ゴルドリューフ辺境伯は役人を睨んだ。

 睨んだところで状況は改善しないし、相手を萎縮させるだけのことだ。

 しかし部下を気遣う余裕など、とうに失われていた。


 役人は、怯えながらも報告する。



「その……魔王陛下と聖女様がご成婚なさったとのことです! 如何いたしましょうか?」

「ん……んんん!?」



 ゴルドリューフ辺境伯は、疲労で落ちくぼんだ目を見開いた。



 聖女を擁するコールデン共和国と、魔王国とはまさに開戦直前だったはずだ。

 魔王国の同盟国であるトリストラム王国としては、コールデン共和国に非難声明を出す手はずも整っていた。



(急いで破棄せねば!)



 ぱらりと額に落ちた前髪をかきあげる。



(いや、その前に事実関係の確認だ。外交筋に連絡を取らねば。その上で事実とわかれば、祝辞。それは良いが問題は贈答品だ……)



 トリストラム城の宝物庫は、かつての怪盗の襲撃によってほとんどカラになっていた。

 食糧資源の豊かな国ではあるが、贈答品となると国内の美術館より選別する他ない。


 キュレーターに任せるという手もあるが、できれば美術に明るいゴルドリューフ辺境伯自ら贈答品を選ぶのがベストだ。

 こういうときにも、ゴルドリューフ辺境伯は人任せということができない。


 彼は崩れそうになった書類の山を押さえて言った。



「コールデン共和国の大使を召還しろ! 詳しい話を聞く必要がある。それから馬車の用意だ。オルドブール美術館へ……」



 ゴルドリューフ辺境伯が立ち上がろうとしたその瞬間――。



「辺境伯!」



 ――世界がぐるりと反転した。


 自分を呼ぶ役人の声が、遠く聞こえる。

 やがて視界が闇に覆われて、とうとうゴルドリューフ辺境伯は、過労で気を失ってしまった。




………………。

…………。

……。




 ゴルドリューフ辺境伯が目を覚ますと、見慣れぬ天蓋があった。



「ん……」



 ベッドの上だ。

 身体を起こそうとしたが、やけに重たい。



(どうも身体が鈍ったらしい……)



 彼は歳に負けず、日頃から剣の鍛錬を欠かさない。

 もっとも最近は執務に追われ、そんな余裕はまったくなかったのだが。



「辺境伯様、気がつかれたようでございますわね!」



 看護師の声で、ゴルドリューフ辺境伯はようやく自分の状況に気がついた。



「そうだ、ちょいと立ち眩みを起こしたらしいな……仕事に戻らねば」

「辺境伯様、立ち眩みなんてものじゃございませんよ!」



 起き上がろうとするゴルドリューフ辺境伯を、まるまると太った看護師はそっと押さえた。



「なにせ、1週間も眠っていらしたのですからね」



 ゴルドリューフ辺境伯は、その怖ろしい報せに声を上げた。



「1週間!?」



 かすれた喉で叫んだものだから、彼は激しく咳き込んだ。

 むせながらもなお、起き上がろうとする。



「ほら、無理をなさるから……」

「せずにはおけぬ無理もある!」



 なにせ1週間分の執務が滞っているのだ。

 トリストラム城に、彼ほど仕事をこなせる人間はいない。


 しかし身体に力が入らず、おまけに目が眩む。



「気付け薬を用意してくれ、至急確認せねばならんことがある!」

「しかしその前に、パン粥でも召し上がりませんとお身体に……」

「そんなことは後だ!」



 ゴルドリューフ辺境伯は、用意された苦い気付け薬を、吸い飲みで喉に流し込むと、ベッドから勢いよく立ち上がった。

 さすが城付きの医者の用意した薬だ、とてもよく効く。


 寝間着姿にスリッパを履き、ねぐせのついたまま、ゴルドリューフ辺境伯はずんずんと国王の執務室へ向かった。

 国王の執務室といっても、今ではゴルドリューフ辺境伯以外に、その椅子に座るものはいない。



 ――はずだった。



 無人の部屋に大量の書類が山積みになっている光景を想像していたのだが、少し様子がおかしい。

 自分が働いていたときのように、役人でごった返している。



「国王、至急報告したいことが!」

「どうしたの?」

「な…………!」



 ゴルドリューフ辺境伯は、あまりのことに腰を抜かしそうになった。

 あの国王が――知性のカケラも無くなったはずの、あの国王が執務をこなしている。



「……ベケット、ベケットはいるか!?」



 ベケットは国王の側近だ。

 最近の業務内容は、国王にプリンを頼まれたり、積み木崩しの遊び相手になったりすることだった。



「これはゴルドリューフ辺境伯、目を覚まされたのですね!」



 ベケットは快活な笑顔を見せる。

 しかしゴルドリューフ辺境伯は、まず状況を把握したかった。



「私は山のように仕事を残していたはずだ! それはどうなっている!」

「はい、国王陛下がなんとかこなされているといった状況で」



 自分の目は嘘をついていないらしい。

 ゴルドリューフ辺境伯は、詳しく尋ねた。



「コールデン共和国の大使を召還したはずだが、報告は受けたか?」

「ええ、魔王国とコールデン共和国との戦争は、魔王陛下と聖女様とのご成婚により回避されたとのことです」

「ならば、準備せねばならぬことが山のようにあるはずではないか!」



 ゴルドリューフ辺境伯は目を血走らせて、ベケットに詰め寄った。



「それについてはご心配には及びません。国王陛下がすでに親書を送っております。さらに贈答品の目当てもつきました」

「キュレーターに選ばせたのか?」

「いえ、国王陛下自身がオルニエール美術館に出向かれまして、“魔王はたぶんかっこいいのがすき”とのことで、クスコワールの会戦図を選ばれました。オード・リヨンの作によるものです」



 クスコワールの会戦とは、かつてコールデンが王国であったときに、当時敵国であったラデン公国と、魔王領国境付近にて行われた戦闘のことだ。

 その際コールデンは、魔王国国境を背にして戦った。

 魔王国とコールデン共和国の同盟を祝うには、これ以上の品はないだろう。



「なるほどそれは運の良い……いや、さすが国王陛下の慧眼だ」



 ゴルドリューフ辺境伯は、ほうと息をついた。



「だが聞きたいことはそれだけではない。魔王国との交易に問題が出ていたはずだがそれは……」

「国王陛下が“おかねのことしってるひとにおねがいしようよ”と仰ったので、息子に家督を譲った大商人を相談役として招きました。うまく働いてくれているようです」



 その他、ゴルドリューフ辺境伯はさまざまのことを尋ねたが、ことごとく上手くいっている。

 内乱を起こそうとしていた旧コールデン派の貴族が、教会の援助を失って瓦解し、領地召し上げとなるオマケまでついてきた。

 話によれば、混乱した星導教会に、国王自身が出向いたという。


 人混みのなかをよく見ると、毒気を抜かれた教会の司教が、飴ちゃんを持って並んでいた。



「あの国王が……」



 毎日ポテポテと城を散歩して、積み木で遊んだりプリンばかり食べているあの国王が、しっかりと執務をこなしている。

 ゴルドリューフ辺境伯は、少し涙ぐみそうになった。



「辺境伯、病み上がりのところを無理なさらないでください。いったん私室に戻られては?」



 ベケットは、にこやかに笑いかけてきた。



「ああ、そうさせてもらおう」



 ゴルドリューフ辺境伯がきびすを返そうとしたとき、ベケットはひとこと付け加えた。



「そうそう。今日はご息女のお誕生日でございますよ」

「…………そうか。ありがとう」



 さすがに、今から別邸に戻る余裕はない。

 娘はもう、父の顔を忘れたのではないだろうか。

 それも仕方のないことだ。


 そんなことを考えながら、ゴルドリューフ辺境伯は私室へと戻った。


 ドアを開くと――彼はまるで幻を見たのかと思った。



「お父様!」



 ゴルドリューフ辺境伯の腰に抱きついてきたのは、紛れもない、愛娘のエミリーだった。



「私の誕生日をお祝いに来てくれたのね!」



 エミリーの満面の笑みは、やつれ果てたゴルドリューフ辺境伯の心に染み込んだ。

 娘の柔らかな髪を、優しく撫でた。



「あなた、すっかりお痩せになって……」



 妻や、成人した子供たちも部屋にいた。

 そして用意されたテーブルには、たっぷりと料理が並んでいる。



「ジョアンナ、これはいったい……」

「国王陛下がお城にお招きくださったのよ。“ゴルドリューフはおうちにかえれないから、きてあげて”とのことで」

「………………」



 ゴルドリューフ辺境伯は、寝間着の袖で目元を拭った。



「お父様、泣いていらっしゃるの? 泣いちゃやあよ?」

「そうだな……お前が素敵なレディに1歩近づいたのが、父は嬉しいのだよ」

「見てくださいな、あなた」



 妻のジョアンナは、窓の外へ目をやった。

 何やら騒がしい。

 ゴルドリューフ辺境伯が外を覗くと、そこでは民たちがお祭り騒ぎをしていた。

 屋台が出ていたり、即席のビアホールが作られていたり。



「みんな、エミリーの誕生日を祝ってくださっているのよ」

「これも国王陛下の……」

「そう、素敵なお計らいだわ。わたくしたちも祝いましょう。外の人たちに負けないように。料理が冷めてしまうわ」

「……そうだな」



 久しぶりの家族団らんは、激務に荒んだゴルドリューフ辺境伯の心を、優しく溶かしていった。




………………。

…………。

……。




 翌日、すっかり元気を取り戻したゴルドリューフ辺境伯は、国王の仕事を引き継いだ。



「ゴルドリューフもうげんき? びょうきじゃない?」

「ええ、おかげさまで、良い休日を過ごさせていただきました。国王陛下」

「じゃあ余はあそんでくるね。ベケット、いこ!」



 ゴルドリューフ辺境伯は執務机に着き、国王の仕事ぶりをチェックする。

 拙い字ではあるが、いくつもの書類が処理されていた。



「………………ん?」



 だがそのうちに、怖ろしいことに気づく。

 国王は、国民の陳情を何から何まで承認しまくっていたのだ。



「やはり……国王は国王……」



 昨日はたっぷりと滋養を取った胃が、キリキリと痛みそうになった。

 思えば国王の純朴さは、悪意のあるものにとって、これほどつけこみやすいものはない。



 ――ところがよく見てみると。



「これは…………」



 ゴルドリューフ辺境伯は、1枚の書類を手に取った。

 そこには、悪名高い貴族や商人が、多額の寄付をして救貧院を増改築するという旨が記されていた。

 働く者を増やし、食事も大幅に改善するという。


 ゴルドリューフ辺境伯は、すぐに国王の側近、ベケットを呼んだ。



「国王陛下のお相手、忙しいところすまんが、これは一体……」



 渡された書類を見ると、ベケットは快活に笑った。



「最初は私も心配をしていたのですよ。ロクでもない連中が次から次へと押し寄せましてね」



 書類をゴルドリューフ辺境伯に返して、続ける。



「ですが、国王陛下の純朴さにすっかりアテられてしまった様子で……救貧院の改善の件も、彼らが自ら言い出したのです」



 その汚れのない眼で見つめられると、誰も嘘をつけなくなる。

 国王の純朴さは、いつしかそこまでの力を発揮するようになっていた。



「あ、ベケットいた!」



 扉を開いて現われたのは、当の国王だ。



「余はプリンがたべたくなってきたよ。ねえ、ゴルドリューフ、余はいいことおもいついたんだ」



 国王は、相変わらずの毒気のない笑顔を浮かべる。



「魔王においわいの絵をプレゼントしたんだけど、もっとおいわいしたほうがいいかなって。だからプリンをプレゼントしたいなって」

「プリンは傷んでしまうので、別の品を選びましょう」

「そっかー。うん、わかった!」




………………。

…………。

……。




 誰よりも純真無垢で、子供のように汚れのない王。

 彼はトリストラム王国史上、最も民に愛された為政者とされた。


 その曇りなき眼は、物事の本質を見抜くことができる。

 それ故に、歴代で初めて魔王国との国交を持つという英断を下した、王の中の王。


 トリストラム王国の歴史には、そう刻まれることとなったそうな。

今回は番外編です。

次回からまたキースの新しい物語が始まります!


「面白いぞ」

「続き読みたいぞ」

「さっさと更新しろ」

「42.195km走りながら書け」


そんなふうに思ってくださるあなた!


評価! ブクマ! 感想!


そのすべてが作者の強いモチベになっています!


いいぞ評価するぞ! という方は下の「☆☆☆☆☆」を「★★★★★」にしてください!

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表紙
― 新着の感想 ―
[一言] アホの子になったトリストラム王秘かに好きだったから活躍してくれて嬉しいw
[良い点] 前々から見え隠れしてたけど王様ファインプレーどころじゃねえwww 純粋通り越して史上稀に見る名君に生まれ変わってたwww きっと以前は知性が有りすぎて策略とか謀略とか間違った方向に使ってた…
[一言] 毒気を抜かれて、意外な為政者になりおったwww 神算鬼謀でなくても、人徳一つで回る王というのもありだね。
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