79話 怪盗魔王、いばらの3姉妹からすべてを取り戻す
森深くにある、いばらの3姉妹の家。
窓の外では蝶が羽ばたき、遠くでヒバリの鳴く声がする。
そんな中でのティータイム。
さぞ優雅に、と思いきや、いつもと様子が違っていた。
「キース! キース・アルドベルグ!! んがっ! んぐっ!」
3姉妹の長であるバロン・アンリエットは、テーブルに並ぶケーキを次から次へとフォークでぶっ刺し――。
「私を欺くなんてェェェェ!! んぐっ、ガブゥ、許せないわァァァァァ!! マグムグッ」
――すさまじい勢いで、それらを次から次へと口に押し込んでいた。
姉の異様な様子を見て、双子のアンナとオリヴィエが同時に口を開く。
「「お姉さま」」
「そんなに」
「召し上がりますと」
「「お身体に障りますわ」」
しかし、アンリエットの食欲は止まらない。
タイトなジャケットのボタンは、はち切れんばかりだ。
「ほンがぁ事はどうだっていいのよ! それよりもキース・アルドベルグ!!」
まるごと口に放り込んだミルフィーユを、紅茶で流し込む。
「どうにかしてやらないと気が済まないわ! ガブゴブゥ、トリストラム王国は魔王国にべったりだし、アシュトラン共和国も今回の件で縁を深めることになったわね。ムシャァガブゥ」
「「コールデン共和国も魔王の手に落ちましたわ、お姉さま」」
「だったらもう、北のラデン公国か、東のイヴァン帝国あたりを、ンガブゥ、焚きつけるのがいちばんかしら、ンガング!!」
テーブルの上から、凄まじい勢いでケーキが消えていく。
羽根を生やした小さな妖精たちが、慌ただしく新しいケーキを運び込んでくる。
「「お姉さま、ヤケ食いはそのあたりに……」」
「ヤケ食いじゃないわッ! ンバクゥ! 私はスイーツを楽しんでるだけなのォォォォ!!」
アンリエットはペッ、と苺のヘタを皿に吐き出した。
「まあいいわ! 私には【ステータス偽装】のスキルがあるのよッ! だからッ、ンガフゥ! 怪盗魔王に後れを取ることはないのッ!!」
次々とケーキを口に放り込みながら、アンリエットはハート型に縁取られた【識別の鏡】に目をやった。
そこに確かに表示されている【ステータス偽装】。
そしてその下には――。
「ん? んんんんんん? ンぶふゥっ!?」
アンリエットは鼻からケーキを吹き出しそうになった。
………………。
…………。
……。
マリィは、魔王城での生活にゆっくりと馴染みつつあった。
毎日用意される、豪華な黒のドレスにも慣れてきた。
もちろん最初は、生活様式の違うであろう魔族と生活することに少し怖じ気づいていた。
けれどもそんなもの不安は、アルドベルグ盗賊団のみんなが吹き飛ばしてくれた。
ある日、マリィは砦のティータイムに呼ばれた。
身の回りの世話をしてくれるリュカに連れられて、マリィは砦へと向かう。
リュカもマリィの世話を任されているだけあって、可愛らしいメイド服を着ていた。
マリィにリュカをあてがうことを提案したのはキースだ。
リュカは覚えが良くてなんでもこなすし、また同じ人間だということで、ゴーレムメイドなどよりは親しみやすいだろうと考えてのことだった。
キースの提案は正しかったようで、ふたりはすぐに仲良くなった。
「キースお兄ちゃんたちのお茶も素敵だけど、盗賊団のお茶も美味しいよ!」
リュカは八重歯を見せて笑った。
ンボオオオオオオオオオオン……
樽から紅茶を飲んでいたンボーンが、マリィを見つけてずいずいと寄ってきた。
ンボーンは初めて会ったときから、マリィに妙に懐いている。
最初は驚いたものだったが、今ではすっかりその巨体に慣れていた。
「よしよし、今日も良い子ね」
マリィは、前に突き出した鼻面を撫でてやる。
ンボオオオオオオオオオオン……
ンボーンは満足げな声を上げる。
砦に入ってみると、もうティータイムは始まっていた。
ディアナたちと違って、豪快な作法に驚く。
鍋にたっぷりと淹れられた紅茶。
木皿にでんと盛られるジャム。
「よう嬢ちゃん! あんた聖女様なんだって? ひとつご利益のあるお祈りでもしてくれよ!」
親分はヒゲについた紅茶を拭って、マリィに言った。
「あなたが親分さんですか? キースさんからよくお話をうかがっています」
「キースは俺をなんだって?」
「とても、お優しい方だと」
「照れること言いやがんな、あの野郎! どんな顔すりゃいいのかわかんねえよ」
親分は、ボリボリと後ろ頭を掻いた。
「まあ、ここは案外楽しいところだ。そりゃ確かに人間と魔族の中身は一緒じゃねえよ……」
マリィは静かに頷く。
アレイラとの間に感じた、価値観の違いを思い返しながら。
しかし親分は続けた。
「だがな、中身が一緒じゃなきゃ暮らせねえって道理はねえ。俺たちは仲良くやってる。嬢ちゃんもきっと慣れるさ」
「ありがとうございます」
マリィはそう答えて、スモーキーな香りのする紅茶をひとくち飲んだ。
「お、聖女の嬢ちゃんじゃねえか!」
ペガトンがマリィの隣に座った。
「しかしあのキースが、こんなべっぴんさんと結婚なんてよう! めでてえわ羨ましいわで」
マリィは危うく紅茶を吹き出すところだった。
あわてて飲み込んで、今度はむせそうになる。
「そ、そんなこと、一体どなたが!?」
「アレイラの姉ちゃんが言ってたけど、違うのか?」
アレイラは未だにキースとマリィとの結婚にこだわっているらしい。
「それはその……ちょっとした誤解というか……いろいろとありましてその……」
マリィは、真っ赤になってうつむいた。
それをみたペガトンは、したり顔で笑う。
「ナガンの実に、ちょいと白いところが残ってるって感じだな? そういうのは、じきに熟れるもんだ! キースの野郎と未来の花嫁に乾杯!」
乾杯! と盗賊団の声が砦中に響き渡る。
魔王討伐の旅とはまた違った奔放さを、マリィはたっぷりと味わった。
魔王城に戻ると、そんな空気は一変する。
「お帰りなさいませ、マリィ様」
執事のジョセフとメイドたちが、恭しくマリィを迎え入れる。
マリィも、それに応えて深く頭を垂れた。
「居室に戻られますか?」
「いえ、なんという予定もないのですけれど……」
マリィに与えられた部屋は、アルドベルグ盗賊団がまるまる住めるほど、広かった。
調度品も一流のものばかりだ。
レースのついた天蓋付きのベッドに、猫足の優雅な椅子と書きもの机。
チェンバロまで置いてあった。
「………………」
はっきり言ってしまうと、少々落ち着かない。
「そうだ、まだお会いできていない方にぜひご挨拶をさせていただきたいと思うのですが」
マリィが思いついたようにそう言うと、ジョセフは一礼して答えた。
「四天王のギンロウ様は、副官のレネー様と共にコールデン共和国との戦後処理に当たっています。マリィ様と同じく人間であらせられるエラーダ様は、アシュトラン共和国の内紛の後始末に追われている次第です。その護衛として、四天王のヴィクトル様がついておられます」
「……皆さま、お忙しいのですね」
いよいよやることがなくなってしまった。
家事などはみな、ひと目ではゴーレムとはわからないメイドたちがやってくれる。
この前、ちょっと手伝おうかなと思って近づいてみると、ジョセフに苦言を呈されてしまった。
「マリィ様は我らが賓客であらせられます。ぜひ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
「………………ええ」
そこでマリィの様子を察したリュカが、ドレスの裾を引いた。
「マリィお姉ちゃん、もしヒマだったら魔王城を案内してあげるよ!」
願ってもないことだ。
これから自分の住む場所なのだから、どこに何があるかくらいは知っておきたい。
「ありがとう。じゃあ、お願いしていいかしら」
「いいよー! じゃあまずは食堂からだねー。そうだ、あそこは霊体化しないと入れないんだった……ジョセフさん、メイドさんについてきてもらっていい?」
「もちろんでございます」
そのとき、エントランスの階段からディアナとアレイラが現われた。
「マリィ様、ここでの生活は慣れまして?」
ディアナは麗しい笑顔を浮かべた。
根に持っていることなど、何ひとつないというふうに。
「ええ、皆さん良くしてくださるので」
「それはようございますわ」
アレイラの表情がぱあっと輝く。
「魔王様との結婚ももうすぐだね!」
ペガトンに結婚の件を吹き込んだのはアレイラだ。
それを聞いて、ディアナは露骨に眉間に皺を寄せる。
「黙りなさいアレイラクォリエータ。そんなご予定はなくってよ」
そうしてディアナはアレイラを睨むのだが、アレイラはどこ吹く風だ。
「ねえ、マリィは魔王様のどこが好き? ねえねえ!」
「あの、好きというか、誠実なところをその、信頼して……」
グイグイ来るアレイラに、マリィはしどろもどろに答える。
そんなやり取りをしていた、そのときだ。
「………………!」
エントランスに黒々とした雲が輪を描いた。
【ゲート】――無論、アレイラのものではない。
「ここに【ゲート】を開けるなんて、あいつらくらいよ!!」
アレイラは杖を掲げた。
ディアナの周囲に、オオカミが現われる。
マリィは杖を持っていないので、使える魔法は限られる。
しかし有り余る【最大魔力量】がそれをカバーしてくれる。
「「………………」」
【ゲート】から出現したのは、アンナとオリヴィエのふたりだった。
しかしバロン・アンリエットがいない。
「お兄様はどうなさったのかしら?」
ディアナはふたりの周囲をオオカミの群れに囲ませる。
「「お……お姉さまは……」」
アンナとオリヴィエは、戦闘態勢を取るでもなく――その場に平伏した。
「なっ!?」
「うそっ!?」
「えっ!?」
驚く3人の声と共に、歯が砕けんばかりの歯ぎしりがエントランスにこだました。
「「ぜひ……キース魔王陛下に拝謁を賜りたく……」」
前回に会ったときとは、まるで態度が違う。
ディアナはおとがいに指を当てて言った。
「それは魔王様のお心次第ですわ。アレイラクォリエータ、マリィ様、ふたりを見張っていてくださいまし」
そうして、階段の奥へとひとり消えていった。
「「………………」」
ディアナを待っている間も、アンナとオリヴィエは顔を伏せたまま動かない。
よほどの事情があるらしかった。
やがて、ディアナがふたたび階段の奥から現われた。
「魔王様は謁見の間でお待ちですわ」
ディアナに連れられて、アンナとオリヴィエは謁見の間へと入っていった。
アレイラとマリィがそれに続く。
「ずいぶん遅かったじゃないか」
キースは玉座の上から、開口一番そう言った。
そうして、片膝をついたディアナに顔を向ける。
「言っただろう? またすぐに来るって」
そう言って笑ってみせた。
3人には、なんのことやらわからない。
「で、肝心のバロン・アンリエットはどこかな? いたら目立つはずなんだが」
「「今、お連れします……」」
背後に、ふたたび【ゲート】が開いた。
そこに現われたのは――巨大なベッドだった。
「なるほど、そこまでがまんしちゃったわけか」
キースは声を上げて笑う。
玉座に向けて片膝をついたディアナとアレイラは、気になって仕方がない。
一方、マリィはキースの配下というわけではないので、部屋の隅に立っていた。
そうして、ベッドの上にあるものを目の当たりにした。
「あれは……いや、あの人は……」
ベッドの上には、巨大な肉のかたまりが乗っていた。
「お久しぶりだな、バロン・アンリエット。元気そうで何よりだ」
「フググゥ……キーフ……アルドヘウブゥ……」
「ディアナたちも見てやれ、なかなか面白いことになってるぞ」
キースの許可が下りたので振り向くと、ディアナとアレイラは声を上げた。
「あの……あのかたまりがまさか……」
「バロン……アンリエット!?」
「そういうわけだ。ずいぶんとグラマラスになったようで」
笑うキースを、肉のかたまりが睨みつけた――ように見えたが、顔が肉に埋もれていてはっきりとはわからない。
「どういうことですの、魔王さま?」
ディアナの問いに、キースは答えた。
「こいつからスキルを奪うことはできない。だから逆にくれてやったのさ」
キースは肉のかたまりに、爽やかな笑顔を向ける。
「……ちょうど良いのを持ってたんでね。どうだ、気に入ってくれたかな?」
謁見の間に響き渡る3つの歯ぎしり。
「何を、でございましょう?」
「【暴食】ってスキルだ。これを身につけた奴は飢餓状態に陥って、物を食うのがやめられなくなる。その結果がアレだ」
かつてンボーンを苦しめ、暴走させていたスキルだ。
それはキースが記憶を取り戻し、アンリエットが激怒したそのときのこと。
『経緯はどうあれ、感謝はしなくちゃな』
そう言って肩を叩いたその瞬間、キースはアンリエットにそのスキルを“与えた”のだった。
「………………」
マリィは思わず口もとを押さえる。
これがあのバロン・アンリエットだとは。
すさまじい状態ではあるが――マリィはあの男に間接的に殺されかけたのだ。
しかもキースの手を汚すかたちで。
それを考えると、この仕打ちにはキースの怒りが込められているように見えた。
「ふぎゅう……ふ……ふぎゅうううう!!」
バロン・アンリエットだったものが、悔しげなうめき声を上げる。
悠久の時を生きる魔女は、肉体的には非常に不安定な存在だ。
膨大なカロリーという負荷がかかれば、こんな姿になり果てるのに1週間もかからなかった。
キースへの対抗心から我慢に我慢を重ねたが、とうとう限界に来て、助けを乞いに来たというわけだ。
スキルの付け替えができる者など、世界中を探してもキース以外に存在しない。
「さて、君たちは“アレ”をどうして欲しいのかな?」
アンナとオリヴィエは、穴が空くのではないかというほどに床を睨みつけた。
しかし、彼女たちに選択肢はない。
「「お姉さまを蝕む【暴食】のスキルを、どうか盗んでください……」」
「そうしてやりたいのは山々なんだが、生憎と、俺にはそいつのステータスが見えないんだな」
アンリエットには【ステータス偽装】のスキルがある。
目にしたものすべてを盗むことができる怪盗への唯一の対抗手段だ。
キースは玉座から飛び降りると、ベッドと一体化したアンリエットの傍らに立った。
「その上で、どうして欲しいのか言ってごらん? お嬢さん方」
「「………………」」
再び響く3つの歯ぎしり。
歯が粉々に砕け散らんばかりのすさまじい音を立てる。
アンナとオリヴィエは、怒りに仮面を震わせ、アンリエットは巨大な肉を震わせた。
――もはやいばらの3姉妹には【ステータス偽装】を渡す以外の手段がない。
「ぶひゅひゅい! ひゅい! ひゅい!」
肉のかたまりが鳴く。
アンナとオリヴィエは、即座にそれを翻訳した。
「ではお姉さまの【ステータス偽装】を……盗んでいただければ……」
「魔王陛下にはお姉さまのステータスが開示されることでしょう……」
「「ですから、どうかその上でお姉さまの【暴食】を取り除いてくださいませ……」」
「そこまで頼まれれば、仕方がないな。【ステータス偽装】は貢ぎ物だとでも思って受け取っておこうか」
キースは肉のかたまりに手をかざし、【確信の片眼鏡】にぼんやりと映るひとつのスキルを盗んだ。
【ステータス偽装】だ。
すると霧が晴れるように、アンリエットのステータスがあらわになった。
「そうだ、貢ぎ物でひとつ思い出した」
キースの言葉に、いばらの3姉妹はびくりと震える。
この男は、自分たちからさらに何かを奪おうとしている。
キースは柔らかな笑顔を浮かべた。
「昔ウチのアレイラがお世話になったと聞いた。そこで彼女の帽子を“預けた”らしいんだが……」
そのひとことに、アレイラは燃えるような赤い瞳を丸くした。
「魔王様、まさか……!」
「いつまでもそちらに置いていても迷惑だろう? ここに持ってきてもらえると助かるんだが」
「ぶふぇいふぇい!」
アンリエットが肉を震わせた。
オリヴィエとアンナは、さらに深く頭を垂れる。
「「それは、過去に“対価”として頂いたものですので、お返しするというのは……」」
「ならいいんだ。いろいろと世話になったな。ディアナ、お客様がお帰りだ」
「かしこまりました」
「ぶぶひぶひょいぱ!」
「「わ、わかりました、お返しします! アレイラクォリエータ様の帽子をお返しします!!」」
それを聞いたアレイラは、玉座にかしづいていることも忘れて、杖を抱きしめて飛び跳ねた。
「魔王様! 魔王様魔王様魔王様!!」
えぐえぐと涙を流しながら、アレイラはキースに抱きついた。
「ぼうし……とっても……とっても大事で……帽子……嬉しくて……ごめんなさい……魔王様……!」
キースは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった、アレイラの頭を撫でてやった。
アンナとオリヴィエが手をかざすと、小さな【ゲート】が開いて、つばの広い黒い帽子が現われる。
宝石と金鎖で美しい意匠の施された、素晴らしい帽子だった。
アレイラはさっそく帽子を手に取って、頭に被る。
濡れた赤い瞳は、太陽のように輝いた。
「これで、なんの禍根もなくなったわけだ」
キースは再び手をかざし、アンリエットから【暴食】のスキルを盗んでやる。
「わかってるだろうが……2度目はないぞ」
「ふぐ! ふぐ!」
肉のかたまりは、どうやら頷いているらしい。
これでいばらの3姉妹は、2度とキースに逆らうことができなくなった。
――ちなみに、お腹いっぱいにケーキを頬張る快楽を知ったアンリエットは、2度と痩せることはなかった。
一時はどうなることかと思いましたが、おかげさまで無事退院することができました!
なんか胆石がいろいろ悪さをして膵臓が溶けてました! わーおびっくり!
その間『怪盗魔王』の更新が滞ったにも関わらず、皆さまから温かい励ましのお言葉を多数賜り、大変痛み入ります。
共著者の今井にも病院までパンツやら何やらを届けてもらいまして、彼と編集担当にたっぷり迷惑をかけたところでどうにか再び筆を執ることができました。
1,2か月後に手術があるのでその頃また更新が滞るかもしれませんが、引き続き『怪盗魔王』ならびにマライヤ・ムー、今井三太郎の両名をよろしくお願いします。
なお書籍化の続報につきましては、近日中に公表できるかと存じます!
(その際に若干ですが改題を行わせていただく予定です)
ご期待ください!!
 





