78話 ヴィクトル、反乱軍に魔王様の優しさを教える
大聖堂で行なわれた会談によって、アシュトラン共和国、トリストラム王国への内乱工作は急遽中止されることとなった。
コールデン共和国から両国に密使が飛んだのは、会談が終わって即座のことだ。
しかしアシュトランに潜入した工作員たちは、予想以上に優秀だった。
「ついに我々が立ち上がる時が来た!!」
演説台の上から、黄金の兜を被った貴族、ルイシュタール侯爵の声が響き渡る。
コールデン共和国の裏工作で、丸め込まれた者のひとりだ。
彼の後ろにも、多くの貴族たちが並んでいる。
広大な練兵場には、貴族たちの私兵が整列させられていた。
兵たちは皆、金属製の防具で武装している。
帝国時代から、アシュトランは貴族国家だ。
多くの貴族は、自分たちの私兵を持っている。
戦時には、国からの要請で多くが貸し出された。
私兵とはいえ、戦争をくぐり抜けてきた戦士たち――。
それが大貴族を中心に徒党を組めば、精強なアシュトラン共和国軍からしても、馬鹿に出来ない大軍となる。
ルイシュタール侯爵は、そのよく通る声で、兵たちに向かって叫んだ。
「アルツファイト将軍は、愚かにも皇帝の御首を貶めたことに飽き足らず、あろうことか魔王に尻尾を振り、国家を売り飛ばした男だ!」
ルイシュタール侯爵は、目前に広がる大軍団と、自分自身の声に陶酔しながら叫んだ。
「我々には星導教会の加護がある! 悪しき革命は、清き革命によって塗り替えられねばならない! 我々は国の簒奪者を排し、再び強きアシュトランを取り戻す! 我々のアシュトランを、我々の手によって!!」
その言葉に、私兵たちが一斉に沸き立った。
彼らはクーデターについて詳しいことを知っているわけではない。
ただどうやら自分たちに正義があるらしく、向かう先に敵がいることを喜んでいるに過ぎなかった。
兵長の合図によって、反乱軍が動き始める。
一糸乱れぬ行軍は、共和国軍と比べても見劣りがしない。
――血なまぐさい内乱が始まろうとしていた。
………………。
…………。
……。
共和国軍は、この戦いに完全に出遅れてしまった。
押っ取り刀で駆けつけた騎兵たちは矢の雨に晒され、再び城へと駆け込んだ。
アシュトラン共和国の中心、エルドスターク城は、瞬く間に反乱軍によって包囲された。
その司令室――。
そこにはアルツファイト将軍と将校たち、そしてヴィクトルとエラーダが詰めていた。
「籠城戦となれば、我々が有利だが……兵の多くは帰郷している。数の上では正直心許ないといったところだ」
アルツファイト将軍は、テーブルの上で指を組んだ。
「心許ないのは、兵の数だけではないでしょう。最も多きな問題は、彼らが何を抱えているか……」
エラーダはおとがいに拳を当てて、小さな窓に目をやった。
アルツファイト将軍が頷く。
「エラーダ、君の言う通りだ。君の話が正しければ、コールデンの手は、我が軍の中枢にも伸びている可能性が高い。はっきり言って……厳しい状況だ。我々は戦わずして追い詰められている。彼の手を借りれば、戦いそのものには勝てるかもしれないが……」
アルツファイト将軍は、ヴィクトルを見て言った。
「しかし反乱軍には星導教会の強い後ろ盾がある。魔王の力を借りて神の使者を滅ぼしたとなれば、こんどは民衆が立ち上がる可能性がある。そうなれば、我が国すべてが戦地と化すだろう。それだけは、どうしても避けねばならんことだ……」
当のヴィクトルはというと、司令室に漂う緊張感とは無縁な様子で、深々とイスに背を預けている。
首の後ろで指を組み、呟くように言った。
「どんな状況であれ、すべては魔王様の手の内にあることだ……」
「お前はまた、そんな悠長な……」
そのとき、エラーダの言葉を遮るように、司令室の扉が開かれた。
入ってきたのは、チェーンメイルを被り、腰に剣を差した兵だ。
非常時となれば、伝令とて武装する。
「至急お伝えしたいことが!!」
アルツファイト将軍が顔を上げると、伝令は続けた。
「コールデン共和国と魔王国が停戦、和議を結んだとのことです!!」
「なんだと!!」
アルツファイト将軍は、イスを蹴って立ち上がった。
「まさかあのコールデンが……魔王に屈したということか……!!」
コールデン共和国はラデン公国と並んで、反魔王の急先鋒と言ってもいい国家だ。
それが魔王と手を結んだということは、コールデンが擁する星導教会中枢が、魔王を公認したということに他ならない。
となれば――。
「待て……ヴィクトルはどこだ?」
エラーダは司令室を見渡したが、ヴィクトルの姿はもうどこにもなかった。
………………。
…………。
……。
エルドスターク城前に築かれた、反乱軍の陣地。
「何! コールデン共和国が魔王と!?」
先ほどアルツファイト将軍たちにもたらされた報は、反乱軍を指揮するルイシュタール侯爵の元にも届いていた。
ルイシュタール侯爵からすれば、まるで後ろから刺されたようなものだった。
コールデン共和国――星導教会の加護あってこそ、反乱軍は正義の御旗を立てることができていたのだ。
「話が違うではないか……! 我々は星導教会に導かれし正義の……!」
ルイシュタール侯爵は、金色の兜を両手で掴んでうめいた。
「こんなことになれば我々は……我々は……」
「魔王様が認めた軍でもなければ、守るべきアシュトランの民でもないな……」
突如、反乱軍の陣地に現われた影。
兵たちがざわめいた。
「貴様、何者だ!?」
「俺が何者かより……自分たちが何者なのか、よく考えた方がいい……」
一陣の風に、ボロボロのコートがはためく。
「お前らは……ただの賊だ」
その姿を目にして、陣地の警護兵のひとりが声を上げた。
「もしやお前は……!!」
闇のようなコートを纏い、帽子を目深に被った、死神のようなその姿。
アシュトランの兵であれば、知らぬ者はいない。
かつて先代皇帝に、おぞましき3つの棺桶を届け、近衛騎士たちを粉砕したという魔王の使者――。
銃士ヴィクトル。
「………………!」
警護兵たちは震えながら目を見開き、死神の姿を見つめていた。
「お前たち、どうした! 剣を取れ! 侵入者だぞ!!」
ルイシュタール侯爵はわめいたが、動こうとする者は誰ひとりいない。
「ぬ、ぬううううううっ……ならば見ておれ! これがアシュトラン貴族だ!! 死など恐れはしない!!」
言い放つと、ルイシュタール侯爵はイスから立ち上がる。
そして美しい装飾がなされた剣を、鞘から抜き払った。
「魔の眷属よ!! いざ、尋常に勝負だ!!」
「そうか……」
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ルイシュタール侯爵が剣を振り上げようとしたその瞬間――ヴィクトルの両袖から拳銃が飛び出し、連続して火を吹いた。
豪奢な剣は銃弾で粉々に粉砕され、金色のヨロイは火花を散らし、無数の穴が穿たれる。
「ごごふぅッ!!」
ルイシュタール侯爵はもんどり打って昏倒した。
穿たれた穴から煙を上げつつ、びくんびくんと痙攣している。
――戦闘は一瞬で終わった。
「安心しろ……急所は外してある……」
「痛い……いだぁ……うう……」
一応のところ、死んではいない。
目の前で起こった惨事に、警護兵たちは震え上がった。
「頼む……殺じでぐれ……」
「魔王様は、無益な殺生を好まれない……」
ヴィクトルはルイシュタール侯爵の襟首を掴む。
「貴様には……魔王様の慈悲をみなに伝える名誉をくれてやろう……」
陣地が築かれているのは、城前の広場だ。
そこには国旗を掲げるための高いポールがあった。
半死半生のルイシュタール侯爵を引きずって歩くヴィクトルに、兵たちは思わず道を空ける。
「………………」
ヴィクトルはポールの綱でルイシュタール侯爵の身体を縛ると、ポールのてっぺんまでズリズリと引き上げた。
銀色のポールに血が滴る。
「ごろじで……ごろ……じで……」
ルイシュタール侯爵のかすれた声は、もはや誰にも届かない。
「これで……わかったはずだ……」
ヴィクトルは、広場にいる兵たちを睥睨した。
これで、敵の命すら奪うことを好まない魔王の優しさを伝えたつもりだ。
「なんて見せしめだ……おぞましい……」
「魔王に逆らうというのは……こういう事か……」
兵たちは口々に囁き合う。
全身を穴だらけにされ、宙吊りにされている男を見て、優しさを感じられる者などこの世に存在しない。
そして、コールデン共和国と魔王との和睦。
魔王と聖女との結婚の報は、瞬く間に反乱軍全体に広がっていた。
「俺たちも……ああなるぞ……」
「ああ……」
兵たちはまるで示し合わせたかのように、一斉に武器を捨てた。
それを見て、ヴィクトルは軽く頷く。
「では……祝福しろ……」
ヴィクトルの言葉で、兵たちは一斉に手を挙げる。
「「魔王様バンザイ! 聖女様バンザイ! ご結婚オメデトウゴザイマス!」」
喉が張り裂けんばかりの声が、広場に響き渡った。
………………。
…………。
……。
魔王城。
ディアナとアレイラは、アシュトラン共和国とトリストラム王国の使者を見送った。
「なになに、どんな手紙ー!?」
アレイラはディアナの周囲をぐるぐる回りながら、手紙の開封を待っている。
キースがいない間の伝書の開封は、許可されていた。
急報が届くこともあるからだ。
「待ちなさい、今読み上げるから」
まずアシュトラン共和国の封を開けた。
内容は、共和国の危機を救ってくれた感謝。
そしてキースとマリィの結婚を祝福する言葉だ。
ディアナは小さくため息をついた。
「………………」
しかし敬愛する魔王様が決めたことだ。
それに不服を覚えるのは、不敬というもの。
ディアナは続いてトリストラム王国からの封を開けた。
内容はアシュトラン共和国と同じ祝福の言葉――らしいのだが。
「……何かしらこれは?」
ディアナは眉をひそめた。
手紙にはこうあった。
『まおおさまと、せえじょさまが、けこんするのは、とてもよいことだとおもいます。
よわ、それをきいて、とてもよろこんだとおもいます。
びくりして、みんなびくりしています。よろこんでおます。
いぱいしあわせ、いぱいなてくだちい。』
――トリストラム国王、みずから筆を執った親書だった。





