70話 エラーダ、アシュトラン共和国政府と会談する
「魔王は一線を越えた」
静まり返った会議室に、アルツファイト将軍の声はよく響いた。
眉間に皺を刻み、エラーダの目を見つめる。
「………………」
エラーダは魔王国側の人間としてそれを否定しなければならないのだが、コールデン共和国侵攻は彼女にとっても寝耳に水だ。
うつむいてなんとか言葉を探ろうとしていると、議員のひとりが先に口を挟んだ。
「……かつてアシュトランが、コールデン共和国とラデン公国の2か国を相手取って戦争を続けていられたのには、いくつか理由がある。そのひとつが、アシュトランは魔王国と国境を接していないという点だ」
ヴィクトルはわずかに顔を上げて、議員を視界に収めた。
発言した議員は、かつてのクーデターで共に戦った軍人のひとりだ。
「魔王領と隣接している各国は、魔物の侵入を防ぐために軍事力をある程度防備に割く必要があった。アシュトランにはそれがない。だから全兵力を戦争に投入できたし、また民の安心もそこにある。しかしコールデン共和国が魔王国に併呑されるとなると話は変わってくる」
それを聞いて、エラーダは顔を上げた。
「……我々は同盟国だ。国境を接することで問題などはないはずだ」
エラーダ自身もわかっていることだが、この言葉には欺瞞が隠れている。
いくら同盟を結んだ相手とはいえ、国同士が領土を接するというのは、実にセンシティブなことだ。
起こり得る問題はいくらでも思いつく。
特に、魔王国が相変わらず民の恐怖の対象である以上は――。
しかしエラーダは続けた。
「むしろ貿易上の利益や軍事的連帯などを考えれば、これ以上のことはないはずだ。まだ世界情勢は安定しているとは言い難い。その状況において、これはむしろチャンスと考えるべきでは? コールデン侵攻に貴国も協力してもらえるなら、挟撃が可能だ。コールデンを占領すれば、潜在的脅威であるラデン公国も孤立する」
戦争が始まってしまった以上、エラーダとしてはその利点を挙げるしかない。
しかし議員は首を振った。
「アシュトランはあなた方ほど好戦的ではないのだよ、コレット特使。先の戦争で民は疲れ果てている」
「………………」
「疲れ果てているにしては、元気な声だ……」
ヴィクトルはそう呟くと、その端正な顔を窓に向けた。
城の外では、集まった民衆たちが声高く反魔王を叫んでいる。
「これは……魔王の特使に対してではなく、かつての部下とクーデターを共にした仲間への言葉だと思ってくれ」
アルツファイト将軍は、エラーダとヴィクトルを交互に見つめた。
「我々新政府に、これ以上民を抑える力はない」
「貴国は軍事政権だ、いくらでもやりようは……」
エラーダの言葉に、アルツファイト将軍は小さく首を振る。
「戦争が終わり、帰郷した兵士は多い。我々が民に槍を向ければ、彼らは反政府を掲げて団結するだろう。そうなれば内戦だ。現にそういった動きを見せている大貴族も存在する。我が国の強兵故の弱みといったところか……つまり私が言いたいのはだ」
アルツファイト将軍はテーブルの上に指を組んだ。
「共和国政府は風前の灯火なのだよ。外の声が聞こえるだろう。あれがアシュトランの民だ」
「あれがうるさいなら黙らせて来よう……」
立ち上がろうとしたヴィクトルのコートを、エラーダが掴んだ。
「バカ! 同盟国の国民をどう黙らせる気だ!」
「こいつらにとっては邪魔だろう……ひいては魔王様にとっても邪魔だということだ……」
「あーもう! そんな単純な問題じゃないんだッ!!」
「………………」
ヴィクトルは素直にイスに座り直した。
そしてアルツファイト将軍に目を向け、口を開いた。
「魔王様は貴様ら新政府が潰れることを望んではおられない……だから俺とエラーダが送り込まれた……」
帽子を指先で突いて、ヴィクトルは議員たちを睥睨する。
「コールデンを潰すことも、必ずお考えあってのことだ……盟友ならそれを信用しろ……」
特使としては、乱暴極まりない言葉だ。
エラーダはひたいを押さえてため息をついた。
(しかし実際に、どういう考えで魔王はコールデンに侵攻したのだ……さっぱり考えが読めん)
アシュトラン帝国が瓦解したことで、やっと平和が訪れた大陸に、再び戦火を巻き起こそうというのだ。
(待てよ……)
エラーダは考える。
かつての戦争で、アシュトランはコールデン共和国とラデン公国を相手取っていた。
戦争が終わったからといって、はい仲直りとはいかないのが国際政治というものだ。
それは民心とて変わらない。
そして大神官殺害及び聖女の誘拐は確かに大事件だ。
しかしそれはコールデン共和国にとってのこと。
つまり、今の仮想敵国の問題だ。
もちろん、各国にネットワークを持つ教会の存在は無視できない。
信徒にとっては、たとえコールデン共和国での出来事とはいえ、魔王への反感は強いだろう。
しかし――。
エラーダは柱時計を見て言った。
「……今は、礼拝の時間だ」
「それがどうかしたかね」
この曜日のこの時間は、礼拝が行なわれている。
信徒たちは、みな教会にいるはずだ。
「では、外に集まっている連中は?」
エラーダはアルツファイト将軍に目を向ける。
将軍は窓を眺めた。
「信徒ではない、ということだな」
はっ、と将軍は何かに気づいたように、エラーダを見た。
エラーダは頷く。
「そういうことか!」
「おわかりいただけたようで、何より」
教会の信徒がデモを行なうなら話はわかる。
しかし外で反魔王の叫びを上げている連中は、教会の信徒ではない。
これは筋が通らないことだ。
「これで話は単純になったな……」
ヴィクトルは相変わらずの無表情で言った。
「この国が崩壊して、得をするのは誰かってことだ……」
議員たちにどよめきが走る。
彼らを見渡して、アルツファイト将軍は言った。
「起因のあやふやなデモには、必ずそれを煽るアジテーターが存在する。そしてそのアジテーターの背後には、必ずと言って良いほど政治力を持った何者かが隠れている……我々のやるべきことが決まったわけだ」
アルツファイト将軍は立ち上がった。
「その何者かを炙り出す……!」
………………。
…………。
……。
両替商の記録を辿れば、国を跨いだ大きな金の動きを辿ることができる。
特に教会への献金は、神殿貨幣への両替が必要となるので、状況はより明白になる。
コールデン共和国といえば、聖地を擁する教会の中心地だ。
アシュトラン共和国の調査団は、貴族による教会への献金を主に調べ上げた。
その間、ヴィクトルとエラーダは特使として迎賓館に迎えられ、手厚い待遇を受けていた。
といってもエラーダは、魔王城での贅沢にすっかり慣れてしまっていて、あまり感動することはできなかった。
(いかんいかん……こうぬるま湯に浸かっていては……)
迎賓館のサロンで、トリストラム王国産の紅茶を飲みながら、エラーダはもう癖になりつつあるため息をつく。
同じテーブルで紅茶を飲みながら、ヴィクトルが尋ねた。
「状況はどうなってる……?」
「逐一報告は受けている。金の動きを見て、怪しいのはコールデン共和国国境に領土を持つ貴族どもだ」
エラーダはカップをソーサーに置いた。
「こいつらは基本的に共和国政府には協力的なはずだ。終戦のおかげで、自分の領土の心配をせずに済むようになったんだからな。だが連中が星導教会に、ただの信心では説明のつかない額の献金をしていた」
「………………」
ヴィクトルの沈黙には慣れたものだ。
エラーダは続ける。
「終戦直後、この国は国交正常化のために大神官を招いた。大神官は首都の教会で説教をしたあと、その貴族連中の屋敷を訪問している。これが献金の動きとピッタリ一致してる。まあそこは不自然じゃない。ありがたい話でも聞いたのだろう。問題はその後……」
「……彼らが民衆を扇動しているとは信じたくなかったんだがね」
ふたりしかいないサロンに現われたのは、アルツファイト将軍だった。
「しかし民衆が叫んでいる理屈は、星導教会の教えに沿った反魔王思想だ。信徒でないにも関わらず」
アルツファイト将軍は傍らの席に腰かけた。
「終戦直後、彼ら辺境貴族は非常に協力的だった。だが大神官訪問の後、コールデン共和国政府に関わると思われる人間が多数彼らの邸に出入りしていたことがわかった。彼らは明らかに派閥を築いている」
やがて紅茶が運ばれてくる。
アルツファイト将軍は、ミルクも砂糖も入れずに、それを一気に飲んだ。
「星導教会と結託した、反魔王、反共和国政府、親コールデンを掲げる派閥だ。連中が首都にアジテーターを送り込み、民衆を扇動している。煽られた民衆は反魔王を叫んでいる。しかしこれは実質、魔王と手を結んだ我々共和国政府への批判だ……それを背後でコールデンが糸を引いている」
カップとソーサーが、高い音を立てた。
「これは内政干渉どころの話ではない、大神官、教会を利用した新政府の破壊工作だ! 結局のところ、戦争を終わらせたと思っていたのは、我々だけだったのだ! コールデンは、依然敵だった!」
アルツファイト将軍の激昂に対し、静かに答えたのはヴィクトルだった。
「その大神官は、魔王様が始末された……そして今、コールデンへの戦端を開いている……」
ヴィクトルは、溶けきっていない砂糖が沈む紅茶を、ゆったりと飲んだ。
「魔王様のなさることに間違いはない……」
「………………」
アルツファイト将軍は、揺れる紅茶の水面を見つめて言った。
「少なくとも、もはや風前の灯火……などと弱音を吐いていられる状況ではなくなった……!」
将軍の瞳には、かつてのクーデターで見せた炎が揺らめいていた。





