7話 怪盗魔王、盗賊団を脱獄させる
食堂に戻ると、キースは皆に言った。
「これから救い出すのは、俺の家族であるアルドベルグ盗賊団だ。盗賊団にはルールがある。ひとつ、人を殺さないこと。ふたつ、可能な限り人を傷つけないこと。今回は、このルールを守って行動してもらう」
これはキースの悲願だ。
王に裏切られた、キースの唯一の望み。
それを聞いて、ギンロウは深く頷いた。
「ということは、潜入行動になりましょう。発砲音を聞かれてはことなので、まず銃士ヴィクトルは不向き」
名指しで追従を否定されたヴィクトルは、なんということもない様子で、何もないテーブルを眺めている。
ギンロウは続けた。
「そしてまた、姿が目立つ私も不向きということになります」
「そうね、ギンロウ」
ディアナが言葉を継ぐ。
「状況次第でさまざまな補助が期待できる黒魔導士アレイラクォリエータ、それに移動手段としての“足”を提供できる、わたくし召喚士ディアナをお連れするのが適当かと」
「私、魔王様と一緒に出撃できるの!?」
アレイラは椅子を蹴って立ち上がった。
「やった! 魔王様! 私人間どもなんてあっという間に皆殺しにしてご覧に入れます!」
「話を聞いていなかったのアレイラ……」
ディアナは眉間をつまんでため息をついた。
「今回お助けするのは魔王様のご家族であらせられる人間の皆さまよ。そして敵対する人間を殺すのも傷つけるのも今回は御法度! その足りない頭にしっかり叩き込んでおきなさい!」
「はーいわかったわ!」
アレイラのらんらんと輝く赤い瞳は、本当に命令を理解しているのかいまいち不安にさせるところがある。
しかしディアナが選んだ以上、間違いのない人選なのだろう。
それにアレイラと一度戦ったキースは、その実力をよく知っている。
「わかった、君たちふたりを連れて行こう。では早速外に出て……」
「その必要はありませんわ、魔王様!」
アレイラはキースのもとに走り寄ってきた。
そうして、いきなり手を両手でぎゅっと握った。
「ちょっとアレイラ! 不敬ですわよ!」
「だって必要なことなんだもーん。魔王様、ご家族が閉じ込められている場所から、いちばん近いところを頭に思い描いて下さい! できるだけ詳しく! そこにゲートが開きます!」
「わ……わかった……!」
キースは自分の手を握る温かい手を感じながら、目をつぶった。
あの牢獄からいちばん近い場所――それは魔王討伐の度に出発する前、王に頼み込んで面会させてもらったあの部屋だろう。
鉄格子で仕切りがしてあって、それに沿うようにテーブルがあり、椅子がふたつ。
背後には外に出るための木の扉。
そして鉄格子の横には、錆びついた厚い鉄の扉――。
目をつぶるキースの横で、アレイラも目をつぶり、杖を床に突き立てた。
「闇を纏いし連綿の、継ぎに継ぎたる時の業、我が一足の渡れるに、隼の見る昼が夢……」
高いトーンの明るい声が一転――。
低く冷たく、呟くようなアレイラの呪文と共に、どこからともなく吹く風が、テーブルクロスを巻き上げる。
「烟れる霧の奥が奥、人魔獣虫群れを為す、三千三百三十三里の、沃野、巌も夜が夢……」
風は一層強くなり、観葉植物が葉を撒き散らして倒れる。
ディアナ、ギンロウ、ヴィクトルは、すましてそれを見守っている。
やがて風は渦となり、黒い塊を中に描き出す。
「時は路、路は時、寸暇一切闇に帰し、闇映すもの無き故に、さらば時すら無き故に……常世を繋げ、【ゲート】!!」
黒い塊に雷光が走る。
塊は光を闇に変え、肥大化し、ついに人を飲み込むだけの大きさに成長した。
「……できましたっ!」
目をぱちりと開いたアレイラは、キースに抱きついた。
「ね、すごいでしょ魔王様! でも30秒しかもたないから早く行きましょ! ディアナも! 置いてくよ!」
「わかっているわよ。では魔王様」
「ああ……」
この先にトリストラム王国城の、牢屋の面会室がある。
怪盗がどれだけのスキルを持っているかは、もうディアナから聞いた。
あとは実行するだけだ。
――キースは闇の塊に足を踏み入れた。
ほんの少しめまいがして、気がつくと牢屋の面会室にいた。
狭い部屋だ。
錆の臭いに、淀んだ冷気。
ここで、最後に親分に会ったのだった。
(トリストラム王国に帰ってきた!)
不思議と、最初に浮かんだ気持ちがそれだった。
もちろんそんな感傷に浸っている余裕はない。
キースは錆びた鉄の扉に触れた。
――【解錠】。
キースが念じると、カチャリと音がして鍵はひとりでに開いた。
「ディアナはここで待機だ。アレイラはついてきてくれ」
「畏まりました」
「はい」
アレイラも状況がわかっているらしく、さすがに元気な声は出さない。
鉄の扉を抜けると、細長い廊下が続いている。
キースは屈んで、床に手をつき、目をつぶった。
――【走査】。
親分の豪気な顔を思い浮かべる。
すると脳裏に、盗賊団がまとめて閉じ込められている部屋への道が描かれた。
アレイラは【忍び足】が使えないから、彼女の靴音だけが廊下に響く。
鉄格子を【解錠】して進み、角を曲がれば、とうとう牢の並ぶ廊下だ。
しかしそこに寝ずの番をしている看守がいることを、先ほどの【走査】は告げていた。
(仕方ない、手刀で気絶させるか……)
相手の意識を奪う技は、盗賊時代から身につけているものだ。
しかし、完全に物音を立てないというわけにはいかない。
すると。
「私に任せて下さい」
アレイラが囁いた。
彼女も、看守の気配に気づいているらしい。
ここは素直に任せてみるのも手だろうとキースは思った。
自分の力を確かめるのも目的だが、四天王のひとりとしてのアレイラの力を試すにも良い機会だ。
「わかった、頼む」
キースが囁くと、アレイラは杖を前にかざした。
「【麻痺の霧】……」
杖の目玉から、ふわりと黄色い霧が吹き出した。
「【風】……」
黄色い霧は、渦を巻く風にのって、鉄格子を抜け、廊下を曲がる。
何の音もしなかった。
「これで、大丈夫です」
キースはアレイラを信じて、鉄格子を【解錠】、廊下を進んで突き当たりを曲がった。
そこには槍を持ったまま痙攣している看守が、目を見開いてこちらを見ていた。
声を出そうとしているらしいが、かはっ、かはっとむなしい息が出るだけで、音にはならない。
「よくやったアレイラ」
「えへ」
アレイラは小さく笑う。
「ごくろうさん」
看守に声をかけると、睨み付けてきた。
もちろん動くことはできない。
牢の中の囚人たちは、みな寝静まっていた。
彼らを眺めながら、牢の奥に進んでいく。
アルドベルグ盗賊団は、いちばん奥のふたつの牢に閉じ込められていた。
床にぎっしりと寝そべって、いびきを掻いている。
そんなみんなを、キースはひとりひとり抱きしめたくなった。
世界にたったひとつの、愛おしい家族だ。
王に裏切られて、助け出すことのできなかった、その家族が目の前にいる。
「今出してやるからな……」
キースは牢の鍵を【解錠】した。
「アレイラはそこで待っててくれ」
牢の中に入り、眠る仲間たちをまたいで、親分のもとまで辿り着く。
ヒゲを生やしているのは、牢に入る前からだ。
大きかった身体は、ずいぶん痩せていた。
「………………」
キースは親分の頬をぺちぺちと叩く。
親分はかっと目を開いた。
「なんだぁぃ!?」
「シーッ!」
キースが人差し指を立てると、親分は油断なく辺りを見渡した。
親分は耳元で鋭く囁く。
「キースじゃねえか! どうしてここに? 魔王退治はどうした? なんだぁそのツノと片眼鏡は?」
「後から説明するよ、まずはここを出ないと」
「……恩赦ってのはデタラメだったってことか」
キースと親分は、できるだけ静かに仲間を起こして回った。
26人、ひとりも欠けてはいない。
「キース兄ちゃん!」
妹分のリュカが、抱きついてきた。
「髪がずいぶん伸びたな。こんなところだけど……元気にしてたか?」
みんなもだが、リュカもやはり痩せている。
キースの胸がきゅうっと痛んだ。
今の今まで助けに来られなかった自分が、情けなくて仕方が無い。
「やっぱりキース兄ちゃんが助けに来てくれた!」
キースの思いとは裏腹に、リュカは明るい声で答えた。
「私信じてたよ! やっぱり魔王倒したの!? そのツノどうしたの!?」
「話すと長いんだ、とりあえずここを出よう」
背中を優しく叩いてやると、リュカは頷いて逃げる準備を始めた。
盗賊団の娘だ、やるべきことはちゃんとわかっている。
「キース、そこの美人はなんだよ?」
起こした仲間から聞かれるのは、魔王退治とツノの次にそれだった。
「アレイラだ。俺の……部下みたいなもんだよ」
「偉くなりやがったんだなキース!」
ぽんと肩を叩かれる。
そんな軽口に、キースは心が救われるような気がした。
みんな起きたら、あとは26人揃っての【忍び足】だ。
全員がスキルを使える状態にあるのが分かって、少しホッとした。
そんなアルドベルグ盗賊団を、看守が睨みつける。
「こいつ、どうなってんだ」
「アレイラの魔法だよ」
「てえしたもんだ」
キースは先に面会室に戻り外への扉を【解錠】した。
外に続く道を【走査】すると、裏門の近くの詰所に4人の衛兵がいる。
しかし、アレイラの麻痺の霧と風があれば何の問題もないだろう。
「ディアナ、この人数を運べる魔獣は出せるか?」
「もちろんですわ。“足”として参ったのですから。この10倍でも問題ありません。ただ、少しばかり大きいので、外に出てからの方がよろしいかと」
【麻痺の霧】と【風】で衛兵を固まらせると、門扉を【解錠】、アルドベルグ盗賊団全員を外に出した。
「久しぶりのシャバの空気だぜ」
「みんな痩せたな」
「食事は2回、具のないスープと堅いパンを半分だけだからな。こうもなるさ」
アルドベルグ盗賊団は、あくまで静かに、自由の喜びを分かち合っていた。
「ディアナ」
「はい、魔王様」
「何かあったら、みんなを連れて逃げてくれ」
「あの、魔王様は?」
キースはきびすを返して、マントをはためかせた。
「俺はちょいとばかし、“城”に用がある」