69話 マリィ、アレイラの話を聞く
広い食堂には、マリィとアレイラの他には誰もいない。
アレイラは、マリィの器のスープにパンを浸して、ひとくち食べた。
マリィとしては、もう食事どころではない。
キースにいちばん近いところにいるはずの、四天王のひとりが目の前にいるのだ。
聞きたいことは、山ほどあった。
「あの……キースさんは、今どうして……」
「魔王様は、この国を潰すつもりだよ!」
アレイラは口をへの字に曲げて言った。
「それにもう、誰も魔王様の領地には入れないよ! 魔王様が川岸に砦を作ったから!」
アレイラはパンをマリィのスープに浸して食べながら、今の戦況を教えてくれた。
前回の遠征でコールデン共和国軍は致命的なダメージを受けた。
しかし再び集った義勇軍が今回、決死の覚悟で急流のカーソン川を渡ろうと試みた。
「それで……どうなったんですか?」
マリィは、乾いた喉を牛乳で潤した。
アレイラは、千切ったパンを再びスープに浸す。
「人間どもが魔王様にかなうわけないじゃない!」
義勇軍を阻んだのは、ドワーフが鋳造した臼砲と、エルフの放つ矢の嵐。
ラデン公国からも軍が出されているが、義勇軍の轍は踏むまいと攻撃には慎重になっている。
結果、ラデン公国、コールデン共和国義勇軍の混成軍と、魔王軍は睨み合いを続けていた。
魔王軍は戦意旺盛で、この状況もいつ決壊するかわからない。
どんな小さな行動でも、一線を越えるきっかけになり得る。
両軍は、危ういバランスの中にいた。
「で、私が来たのはね。この聖都をボッコボコにして灰にするためなわけよ!」
マリィは、危うく牛乳の入ったマグカップを取り落とすところだった。
「それ……キースさんの命令なんですか……?」
「もちろん魔王様がそう言ったの。だから私は、はいって言った!」
マリィは震える手で、マグカップをテーブルに置いた。
キースがそんな暴挙に出るなんて、とても信じられないことだ。
しかし、アレイラが嘘をついているようには見えなかった。
「あのキースさんが、そんな……」
アレイラは燃えるような赤い瞳で、マリィの目を見つめる。
「何か深いお考えがあるのよ! でも正直言っちゃうと私は優しい魔王様が好き! あなたもそうでしょ?」
「それは……」
マリィの知っているキースは、優しいキースだ。
けれども、出会ったばかりの頃はそうではなかった。
まったく心を開こうとしなかった、当時のキースをマリィは思い出す。
鋭い目は、いつも目的だけを見定めていた。
自分の家族である盗賊団を解放すること。
それ以外は、どうでも良いというふうだった。
(キースさんは今、あんな目をしているのかしら……)
そんなふうに変わってしまったというのなら、なんとか優しいキースに戻って欲しい。
そのためならなんでもできると、マリィは思う。
「……仰る通りです。私は、優しいキースさんが好きです」
「マリィは戦争好き?」
「そんなわけ!」
「やっぱりそうだ! だから私は考えました! 発表します! んぐむぐ」
アレイラはパンを食べ終えて、紫のドレスに付いたパンくずを払った。
そしてマリィの両手を、ぎゅっと握った。
「じゃーん! マリィはね、魔王様と結婚するの!」
「へ……!?」
マリィの頭は真っ白になった。
結婚――結婚!?
キースと自分が結婚――考えたこともなかったことだ。
嫌とか嬉しいとか以前に、気持ちの整理というものがある。
「そ、そそそんな! どうして……そんな話に?」
「それはさー、それはさー、ねー……」
アレイラはぷいとマリィの手を離すと、テーブルに頬杖をついた。
髪の毛を指でくりんくりんと巻きながら、らしくない憂い顔。
「やっぱりさー、ちょっとシャクだけどさー、でもね、マリィあっての優しい魔王様ってことなのよー」
変わってしまったキースと自分とがどんな関係にあるのか、マリィにはわからない。
けれども、アレイラが冗談を言っていないことははっきりしている。
「マリィがいたから、魔王様は人間に価値があると思ってた。だから結婚したらいいの!」
ちょっと投げやりで、口を尖らせて――でも、ふざけてはいない。
「私はさ、人間殺すの好きだよ。でもね、魔王様がそうなっちゃうのは違う。この気持ち、わかるでしょ?」
わりと恐ろしいことを言っているけれど、言いたいことは伝わる。
「後半だけなら、わかります……」
マリィが引き気味に答えると、アレイラはうんうんと頷いた。
「マリィは聖女様って言われてて、この国でいちばん偉いんでしょ? で、魔王様は当然世界でいちばん偉い! だからふたりが結婚したら、みんなハッピーで喧嘩しなくて済むってこと! どうよこの完璧な計画!」
「そんな安直な!」
マリィは戦争に詳しいわけではないけれど、さすがにそんなに単純に物事が運ばないことはわかる。
けれどもアレイラは一歩も引かない。
「だってさー! 考えてみてよー!」
アレイラはマリィの肩を掴んで、ガクガク揺すぶった。
「聖女様のマリィが魔王様のところに来たら、聖都なんか消えてなくなったみたいなもんでちゃんと任務完了だしさー! これで戦争もおしまいだしさー! 優しい魔王様も戻ってくるしさー! もう完璧じゃないところがわからなくない!? 私ったら天才だった! 天才で本当に良かった!!」
身体を揺さぶられながらも、アレイラの顔を見ると、ちょっと涙ぐんでいた。
彼女は彼女で、何か背負っているものがあるらしい。
でも、だからといってアレイラの作戦が簡単に通用するという話でもない。
「ちょ……ちょっと、話を戻しましょう!」
マリィは、自分の肩からアレイラの手をそっと離した。
――そもそもの疑問がある。
「あの、どうしてキースさんは突然優しい心を失ってしまったんですか?」
「そ、それは、さ……」
急にアレイラは口ごもる。
それは、キースがマリィの記憶を失う前のことだ。
………………。
…………。
……。
「ディアナ、アレイラ、いいか」
いばらの3姉妹の家に行く前、宿屋でキースは言った。
その表情に、もう迷いはない。
「マリィが目を覚ましても、俺の記憶が失われたことは決して伝えるな。これは絶対だ」
そこにどんな意図があるのかはわからないが、アレイラは素直に頷いた。
ディアナも当然、畏まりましたと答える。
「俺は変わる。必ず、変わってしまう。だから今言ったことは、どうか忘れないでくれ」
そしてその言葉通り、キースは変わった。
………………。
…………。
……。
「なんで優しくなくなっちゃったかって……それは……」
アレイラは、長い艶やかな黒髪をくしゃくしゃと掻いた。
「それは……魔王様には何かお考えがあって……ていうかマリィがずっと魔王様のところにいなかったからで! だから結婚! 結婚!」
「ちょっと待ってください、それだけで解決できる問題じゃないです!」
腕をぶんぶん振り回すアレイラをなだめながら、マリィは考える。
「………………」
大神官なき今、教会、ひいてはコールデン共和国の旗印は、聖女と呼ばれているマリィだ。
自分の行動ひとつで、多くの人間の命が左右される。
それを思うと、マリィはぞっとした。
けれども、恐怖を理由に責任を放棄することは、けしてありえない。
それが、神官マリィ・コンラッドだ。
「結婚はその、とりあえず置いておきましょう、でも……」
「置いとけないよ!」
アレイラはマリィを睨んだ。
「もしマリィが協力してくれないなら、私、魔王様の命令を実行するよ! それはもうボンバカ行くよ!」
聖都を灰燼に帰すために、アレイラはやってきたのだ。
四天王のひとりであるアレイラには、その力がある。
アレイラがその気になれば、マリィひとりではとても止められない。
「だから魔王様と結婚して!」
ずずい、っと人間離れした美しい顔がマリィに迫る。
しかし、ここで押し切られてはいけない。
「その前に、しなければならないことがあります」
マリィはその黒目がちな瞳を、アレイラの赤い瞳に向けた。
「話し合いです。私、キースさんと会って話がしたいです」
………………。
…………。
……。
アシュトラン共和国、エルドスターク城の会議室。
そこではアルツファイト将軍ら共和国政府と、魔王国側で熱い議論が交わされていた。
魔王国側として気炎を揚げるのは、四天王がひとりヴィクトル――ではなく、主にエラーダだった。
「だから申し上げているように! 一時の状勢に飲まれて紐帯を断つのは、賢い選択とはとても思えません!」
アシュトラン帝国の軍人だったエラーダにとって、アルツファイト将軍はかつての上官。
対等な話し合いをするには、かなり気を遣わなくてはいけない相手だ。
しかし、ヴィクトルはこんなときにも無口だから、自分が声を上げるしかない。
「あくまで貴国には同盟国として、泰然とした態度を取っていただきたい。それがひいては国家の安定にも繋がるはずです!」
「貴国、ときたか。偉くなったな、エラーダ」
アルツファイト将軍は、ヒゲをいじりながら言った。
エラーダは眉をひそめる。
「そういう皮肉はやめていただきたい。私も立場が変わったのです」
「わかっている。純粋に、偉くなったのだと感心したのだ。魔王城にひとり連れて行かれて、それだけの立場を得るとは大したものだ」
それを聞いて、エラーダは咳払いをした。
「………………」
ヴィクトルは何の反応も示さず、黙って窓の外を眺めている。
(なんで私が…………)
エラーダはひっそりとため息をついた。
「ともかく、話に戻りましょう。確かに魔王廃絶の動きは各国に広まりつつありますが……」
話に戻りかけたとき、突然会議室の扉が開かれた。
入ってきたのは、将軍の部下のひとりだ。
「会談中に失礼致します、ご報告が!」
部下は、将軍に耳打ちをする。
どんな情報であれ、それを他国の者に伝えるかどうかを判断するのは将軍だからだ。
「何!?」
将軍は大きく目を見開いた。
部下の頬にも、汗が流れている。
そこでヴィクトルがようやく口を開いた。
「……何があったか聞きたいものだな」
「君らはご存じのはずだ」
アルツファイト将軍は、イスから立ち上がって言った。
「魔王軍が、コールデン共和国との戦端を開いた。とうとう始めたな。戦争を」
「そんな……!!」
エラーダは、驚きの声を上げた。
聞かされていないことだ。
魔王は攻め入る敵を撃退こそすれ、自ら戦争を巻き起こすような好戦的なタイプではない。
少なくともエラーダはそう見ていた。
(魔王は……私が思っているような男ではなかったのか……?)
エラーダは振り返って、ヴィクトルの顔を見た。
「………………」
ヴィクトルはおとがいに手を当てて、何かをじっと考え込んでいるようだった。





