56話 謎の美女、ローズと出会う
「ウィジカ……!!」
修道院長は60を過ぎた老婦人だ。
今までいろいろなものを見てきたが、それでもウィジカの姿を見たときは驚いた。
彼女の葬儀は、先日済んだばかりなのだ。
「………………」
それでも、何が起こったのかはわかったつもりでいた。
ウィジカの雰囲気は、まるで別人のようだ。
以前の柔らかい表情は、今は失われていた。
「………………」
深く深呼吸をして、修道院長は気を落ち着けた。
「冒険者のみなさんと一緒に、旅をしたのは心細かったのでしょうね……」
修道院長は言った。
「だから、住み慣れたここに帰ってきたのね……」
ウィジカはこくりと頷いた。
「これが良いことなのかどうかはわからないけれど……できればローズに会ってあげてちょうだい」
修道院長は悲しげに微笑んだ。
「あなた、彼女をずいぶん可愛がってあげていたでしょう。彼女は今熱を出して寝込んでいるの」
「……わかりました」
ウィジカは一礼するときびすを返して、廊下を歩いて行こうとする。
「ローズの部屋はそっちじゃないわよ」
「………………」
それを聞いて、ウィジカは足を止めた。
「部屋を……忘れてしまって……ずいぶん記憶が曖昧なんです」
「そう、案内するわ……」
今日の修道院は静かだった。
廊下にふたりの足音が響く。
やがて、ローズの部屋に辿りついた。
「いい? 挨拶を済ませたら、必ず神様のもとへ行くのよ……」
修道院長は、ウィジカを抱いて言った。
「あなたは良い人間だから、必ず祝福されるはず……」
「ありがとうございます」
修道院長はぽんぽんとウィジカの背中を叩いて、身体を離した。
ウィジカが一礼すると、修道院長は微笑みを浮かべて、廊下を去って行った。
「………………」
ウィジカがドアを開けると、ベッドでひとり少女が熱にうなされていた。
ローズだ。
ウィジカには、彼女が魔力欠乏症であることがすぐにわかる。
手のひらをローズの額に当てて、魔力を与えた。
――純粋な魔力を操作することは、誰にでもできることではない。
大神官でさえ【アブソープション】で魔力を吸い上げることはできるが、その逆は不可能だ。
「…………ん」
ローズは、ゆっくりと目を開いた。
目のかすみが晴れてくると、印象的な緑色の瞳が自分を見つめているのに気がついた。
「ウィジカさん!」
思わずローズは跳ね起きた。
ひたいから濡れ布巾がぺたりと落ちる。
「生きてたの……? 生きてたのね……!!」
ローズはパジャマ姿のまま、汚れたローブに抱きついた。
「絶対……絶対……死んだって思ってたのよ……!!」
胸の中ではらはらと涙を流すローズを見て、ウィジカは悲しげに微笑む。
「いろんなことが……あるものよ」
「うん……」
ローズは、ウィジカに抱きついたまま、しばらく泣いていた。
ひとしきり泣いて、ローズは涙で濡れたローブから顔を上げた。
そこには変わらず、微笑を浮かべる緑色の瞳がある。
「ウィジカさん……なんだか少し変わったね……」
ローズは言った。
「なんだか、ずっとお姉さんになったみたい。旅で何かあったの?」
「いろいろあったわ……ありすぎたくらい。だから、覚えていないことも多いの。旅のことも、昔のことも……自分がどんな人間だったのかも」
ウィジカの横顔に、窓辺の光が差す。
頬は眩しいほど白く、赤いくちびるに浮かぶ微笑みは悲しげで――。
この神秘的な雰囲気は、昔のウィジカにはなかったものだ。
「じゃあ、私が昔のウィジカを教えてあげるわ!」
ローズはそう言って、ウィジカの肩を抱き寄せ、ベッドに座らせた。
「ちょっとした冗談ですぐに笑って、でも真面目なときは真面目で、けれどもやっぱりどこか抜けてるところがあって……そうだ、あれは覚えてるかな?」
ウィジカの首のあたりを見つめながら、ローズはちょっとした思い出を語った。
「修道院長様は洗濯物を干すときに、洗濯ばさみを頭巾に挟むでしょう? それで修道院長様、それをすっかりお忘れになって、洗濯ばさみをつけたまま歩いていらしたの。みんな笑うのを必死にこらえてたんだけれど、ウィジカはひとり修道院長様に向かってずんずん歩いて行ったのね」
ローズは今にも笑い出しそうになりながら言った。
「で、こう言ったの“今から私が笑ってしまったら、厳しく罰してください”って。それで、そう言いながらもう笑っちゃってるのよ! で、大笑いしながら“洗濯ばさみがお頭巾に並んでいらっしゃいます”って、もうそんなの、我慢出来るわけないじゃない? みんなで大笑いよ。で、修道院長様も“神様はきっとお許しになります”って。そりゃそうよ、神様も笑ってたに違いないわ!」
それを聞いて、ウィジカは優しく笑った。
「私は……愛されていたのね……」
「今でも愛されているわよ、私ウィジカさんのこと好き!」
抱きついてきたローズの黒髪を、ウィジカは優しく撫でた。
しばらくそうしていると、ローズは顔を上げた。
「ねえ、ウィジカさん。いま私、あの聖女様のお世話をしているのよ? それだけじゃなく、友達になったんだから!」
「あの聖女様?」
ウィジカが問い返すと、ローズは喜色満面で頷いた。
「そう! 聖女様は私のことローズって呼んで、私はマリィって呼ぶの! マリィってばすごいのよ! 貧民街の人たちみんなに【ヒール】を施して回ったりして! あんなの、大神官様でもできないんじゃないかしら!」
「聖女様は、お優しい方なのね……それに、あなたのような友達もいて……」
微笑みながらも、どこか悲しみを湛えていた、ウィジカの顔がほころんだ。
「……やっと、心から笑えた?」
ローズは言った。
「ウィジカさん、なんだか無理してるみたいだったから……」
「よく見ているのね……」
ウィジカはローズを胸に抱き寄せた。
今ウィジカがどんな表情をしているのかは、ローズにはわからなかった。
汚れたローブは、土の匂いがした。
「ローズ、大神官様が今どこにいらっしゃるかはわかるかしら?」
ウィジカはローズを胸に抱いたまま言った。
表情は見えないが、声のトーンが冷たく下がったのをローズは感じた。
そこで、ドアがノックされた。
「どうぞ」
ローズが答えると、入ってきたのは水桶を持った修道院長だった。
ウィジカはローズの身体から手を離す。
「あら、ローズ! もうよくなったの?」
「はい、すっかりもう大丈夫です!」
ローズは頬の横で拳を作って見せた。
「それは良かったわ。けれども記念礼拝に出るのは少し早いかもしれないわね」
「記念礼拝? それって来週末の予定でしょう?」
「あらあなた、気づいてなかったの!」
修道院長は驚いて言った。
「あなた、1週間も寝込んでたのよ」
「そんな……」
ローズの脳裏に、熱に浮かされた状態で耳にした言葉が浮かぶ。
夢ともうつつともつかない、マリィの言葉。
『少し待っていてねローズ、必ず戻ってくるわ……!』
熱のせいで、マリィが戻ってきたことに気づかなかったのだろうか。
眠ってしまっているときに、顔だけでも見せに来たとか。
でも――もしそうでないとしたら。
ローズは大神官が自分にしたことを頭に浮かべ、不安になった。
「マリィは、聖女様は私の部屋に来てた……?」
「それが、ここ最近はずっと大神官様と一緒に外に出ていらして。何かご用事があるのでしょうね」
嫌な予感がした。
「マリィは……聖女様が今どこにいるかはわかりますか!?」
「どうしたのローズ。聖女様なら、大神官様と一緒に記念礼拝に出ていらっしゃるわ」
ローズはほっとした表情を見せる。
人前に――記念礼拝に出られるくらいなら、その身体は無事だということだ。
「………………」
しかしそれとは裏腹に、鋭く目を細めたのはウィジカだった。
聖女として祭り上げられているマリィと、【冷徹の冠】を持つ大神官。
膨大な魔力を持つマリィと、霊脈に添えるだけで周囲を極寒の世界にするほどの力を秘めた【冷徹の冠】。
このふたつがどう繋がるのかはわからない。
――しかし、ろくな事にならないのは間違いない。
「記念礼拝というのはどこで?」
ウィジカは尋ねた。
緑色の瞳は、怜悧な光に透き通っている。
優しい表情は、もうすっかり消えていた。





