53話 マリィ、大神官と対決する①
マリィが部屋に入ると、ローズはベッドで荒い息をついていた。
汗で濡れたひたいに、乱れた髪が貼り付いている。
「……ローズ」
思わず声をかけると、ローズは目を開いてマリィの目を見た。
「マリィ……来てくれたんですね」
マリィはひたいにそっと触れてみた。
ひどい熱だ。
しかし咳や鼻水が出たりといった様子はない。
「これは……」
同じ症状をみせる病気はたくさんある。
それでもマリィは、野戦病院で働いたことのあるマリィは、ひとつの病気を想起せずにはいられない。
――魔力欠乏症。
再び目を閉じて、熱に苦しむローズに、マリィは尋ねた。
「ローズ、喉の痛みはある? 吐き気は?」
「大丈夫よマリィ……ただ……寒いの……すごく寒い……」
トリストラム王国の野戦病院で、【ヒール】を使いすぎた魔術看護師が倒れたのを見たことがある。
彼女が同じ事を言っていた。
「………………」
魔力欠乏症は、自分の限界以上の魔力を大きく消費したとき、身体にかかる負荷によって発症する。
野戦病院の魔術看護師は助かったが――これは命に関わる危険な病気だ。
(でもローズがいったいなぜ……どこでそんな魔力を……)
【ヒール】は、魔力欠乏症に効果がない。
今のマリィにできることは、何もなかった。
(そうだわ、大神官様なら彼女を救えるかも……!)
大神官は【リジェネレーション】が使えるほどの、高い技量と魔力を持っている。
「マリィ……私……大丈夫だから……ねえ……マリィ……」
ローズはうわごとのようにそう繰り返している。
「少し待っていてねローズ、必ず戻ってくるわ……!」
きっとみんな、ローズの病気を風邪か何かだと思っているのだろう。
このまま放っておいては、彼女の命が危ない。
マリィは大神官の私室へと、足早に向かった。
そして大きなドアをノックしようとしたとき――マリィは手を止めた。
「……シスター・ローズ」
ドアの向こうで、大神官の声で、確かにその言葉が聞こえた。
「………………」
マリィは思わず、耳を澄ませる。
大神官は、誰かと話し合っていた。
「おかしい、私の【アブソープション】は完璧だったはずです……」
「………………!!」
マリィは声を上げそうになった。
【アブソープション】とは、人から魔力を吸い上げる魔法だ。
(どうして大神官様がそんな魔法を……)
【アブソープション】と、ローズの魔力欠乏症とが無関係なはずはない。
戸惑いながらも、マリィは続く言葉を聞き逃さなかった。
「……シスター・ローズの最大魔力量にぴったり合わせていた。重ねて確認しますが、彼女に魔力を使わせるような仕事は与えていなかったでしょうね? ……そうですか、ではなぜ? どこで魔力を使ったのか……」
ローズが使った魔力――マリィは昨日、修道院からふたりで抜け出したときのことを思い出す。
『これくらいのことはできるんですよ……』
そう言って、ローズは【アクア】を使ってマリィを楽しませてくれたのだ。
(ということは……)
大神官の【アブソープション】が、ローズの最大魔力量に合わせて行使されたのなら、魔力欠乏症を引き起こすのは明白だ。
「まあ、起こってしまった事故は仕方がありません。大きな目的には、犠牲はつきものです。彼女が息を引き取ったとしても、その魂は天に召されることでしょう……」
自分の耳が信じられない。
自分のために見せてくれた、あのたわむれの魔法が、結果いまローズの命を蝕んでいる。
(私のせいだ……私のせいでこんなことに……)
ローズが自分を喜ばせようと思ってしてくれたことが――マリィの胸はきゅうっと痛んだ。
「そんなことよりも、今は重要な話をしましょう。トリストラム王国とアシュトラン共和国のことです。“工作”はうまく行っているのでしょうね……」
もうひとりが何か言ったが、それはうまく聞き取れなかった。
「それは重畳。その調子で計画を進めてください。彼らには再び剣を取ってもらわないと……」
大神官は言った。
「彼らに平和はふさわしくない」
マリィの肩が震えた。
今日、確かに聞いたはずの、大神官の言葉がよみがえる。
『本当に必要なのは、世界に広く安寧をもたらすこと。これこそ真の信仰、真の救済と呼べるのではないでしょうか』
マリィはそれを信じた。
それを信じて、人々を癒やすことについて考えた。
それが――。
(許せない……こんなこと……)
マリィはノックもせずに、勢いよくドアを開いた。
「………………!」
ソファーに座った大神官と、その傍らに立つ副官は、目を見開いてマリィを見つめる。
マリィは震えるくちびるを開いた。
「いったい……どういうことなのです……大神官様……!!」
マリィの背後で、ドアはひとりでに閉まった。
「………………」
大神官の顔が、いつもの穏やかな表情に戻る。
「盗み聞きは良い趣味とは言えませんよ、聖女様。他の誰にでもなく、あなたのために良くない。どこまでそのお耳に入ったのか、知りたいものです」
マリィは耳に入った言葉を、残らず大神官に叩きつけた。
それを聞いて大神官は、ほう、とひとつ悲しげなため息をつく。
「聖女様。あなたには、清くいて欲しかった。あなたには影を見て欲しくなかった。神の傍に立つ者として、いて欲しかった。これが、私のささやかな願いでした……」
大神官は、膝元で指を組んだ。
「神は光を放ちます。その周囲に影はない。我々はその神に倣うべき存在です。しかしどうしても神にはなれない。光を受ければ、影ができます。それが人間というものです。我々は、人間であることから逃れられない……」
「それと、先ほどの大神官様のお言葉と、どのような関係があるのです!?」
「お話ししましょう……」
大神官はマリィにソファーをすすめたが、マリィはそれを断った。
またひとつ、大神官は悲しげなため息をついた。





