50話 怪盗魔王、ダンジョンから帰還する
ディアナとギンロウは、ダンジョンの入り口で焚き火にあたっていた。
氷精のレネーは熱が苦手なので、少し離れたところで木にもたれ、揺れる炎を眺めていた。
「やはり使い魔を出して様子を見た方が、よろしいのじゃありませんこと?」
洞穴を覗き込み、白い息を吐きながら、ディアナは言った。
「もし魔王様に何かあれば……」
「落ち着けディアナ」
ギンロウは、鏡のような身体に焚き火を映している。
「魔王様はおひとりでダンジョンを攻略すると仰ったのだ。そこに使い魔などを寄越すのは、魔王様への裏切りも同然」
「ギンロウ。あなた、ひとり冷静でいるつもりなのかしら。そもそもここへ来ることを提案したのはあなたなのよ」
「それをお認めくださったのは魔王様だ、ディアナ。貴様は魔王様のことになると、途端に頭の回転が悪くなる。悪癖だ」
「よくもそんなこと……!」
レネーはふたりのやり取りを聞きながら、正しいのはギンロウだと密かに思った。
いま氷精は、温暖化のためにすっかり弱り切っている。
そのタイミングにつけこんで支配を目論むのは、おそらく魔王としては間違っていない。
『困ってるやつがいて、それを救える力があるなら、俺は必ず手を差し伸べる』
レネーの脳裏に、魔王の言葉が浮かぶ。
あの優しげな表情には、きっとこちらの心を溶かそうとする裏の顔がある。
騙されてはいけない。
役目が終われば、いつ殺されてもおかしくはないのだ。
「………………」
もちろん、いまさら命が惜しいというわけではない。
そもそも魔王の屋敷を訪れたときには、もう死ぬ覚悟はできていた。
すべては氷精一族のため。
温暖化でゆるやかに全滅するぐらいなら、魔王の奴隷になって、生け贄を差し出してでも生き抜くべきだとレネーは思う。
「あ……帰って来られましたわ!」
洞穴の奥からの足音を聞きつけて、ディアナは飛び跳ねんばかりに喜んだ。
暗闇の中から、マントをひらめかせて魔王が現われた。
「魔王様っ! お怪我などなされてはいらっしゃいませんか!?」
「ありがとうディアナ。平気だよ」
魔王はディアナの雪のような髪を撫でながら言った。
「しかし……やるべきことができた」
魔王は金色のペンダントをマントから取り出した。
「これは本で見たことがありますわ。星導教会のエンブレム。それも地方ではなく大聖堂に関わる者が所持する物……抹香臭い連中がこんなところで何を?」
「説明する。レネー、君も聞いてくれ」
魔王はダンジョンの中で体験したことを話した。
教会の冒険者のおびただしい遺体。
ドラゴンの存在。
そしてそこから導き出されるもっとも重要な事実――【冷徹の冠】がここ一帯の冷気を司っていて、それが教会に奪われたこと。
「【冷徹の冠】……話には聞いたことがありますが、私はてっきりおとぎ話だと……」
「どうやらそうでもないらしい。一刻も早く奪還しないと」
魔王は言った。
「見る限り、レネーたち氷精はもう限界に来ている。それに……個人的な約束もある」
確かに魔王からすれば、支配すべき対象が全滅するのは喜ばしくないことはわかる。
しかし、個人的な約束とはなんだろうか。
「いちど魔王城へ帰り、情報収集するべきかと存じますわ。教会の連中の目的もわからないことですし」
ディアナの言葉に、ギンロウが答える。
「魔王様の仰るように、今は時間がない。如何なる理由があるにせよ、今すぐ大聖堂に乗り込むべきであろう」
魔王は遠く南方を見つめた。
「確実を期すなら、ディアナの言うとおり情報が必要だ。しかし俺はギンロウの案を採用したい。少しでも早く事態を収束させるべきだ」
そう言って、魔王は振り返り、洞穴を見つめる。
魔王はダンジョンの中で、何を見てきたのだろう――今話したことがすべてでないことは確かだ。
「俺たちの仲間で、大聖堂があるコールデン共和国に行った者はいないはずだ……となれば、アレイラの【ゲート】は使えない。いちばん速く大聖堂に到達する手段は、おそらくギンロウの“車輪”を使うことだ」
「お任せください」
ギンロウは早速腕から車輪を発生させる。
「悪いがディアナ、君はひとりで魔王城に戻って欲しい」
「……かしこまりました」
「待ってください!」
そこでレネーが口を開いた。
「私も行かせてください! 私たち氷精の生死に関わる問題です。何もかもお任せするわけには……!」
【冷徹の冠】がどんなものかはわからない。
けれども、魔王がそれを自分の宝にしてしまうことも、けっしてあり得ない話ではないはずだ。
そのときには命を賭しても、自分が【冷徹の冠】をここに持ち帰らなくてはならない。
「……ここは俺たちに任せてはくれないか」
魔王はふと、悲しげな表情を見せた。
「その身体で温暖なコールデン共和国へ行けば、仮にここに戻って来られたとしても、その命は保証できない……」
「それでも……!」
「俺は……氷精の死がどんなものかを知っている……」
魔王は、まっすぐにレネーの目を見つめて、話し始めた。
ダンジョンの最奥部で垣間見たドラゴンの記憶――古代の氷精の長い旅と、そこで失われた少女の命。
その像をいつまでも見守り続け、ドラゴンと化したひとりの男の話だ。
レネーは、魔王の“個人的な約束”が何であるかを知った。
「もう、君たちが死ぬところを見たくはないんだ」
「………………」
これも、【冷徹の冠】を我が物とするための嘘だろうか。
しかし――と、レネーは考える。
ここまで情報が揃っているなら、自分など捨て置いて帰ればいいのではないか。
なんなら、口封じに自分を殺してもいい。
いや、弱った氷精を相手にするなら、口封じすら必要ない。
しかし目の前の男は、こう言った。
「君は里に帰って、俺の話をみんなに伝えて欲しい。【冷徹の冠】は必ず俺たちが取り戻す」
魔王はギンロウの巨大な背中に飛び乗った。
「行くぞギンロウ!」
「御意」
「魔王様……どうかお気をつけて」
ディアナは深々と頭を下げる。
「ああ、任せてくれ」
ギンロウの腕から生えた車輪は、雪を蹴立てて、遠く南へと消えていった。
ダンジョンの入り口には、レネーとディアナのふたりが残された。
「……レネー、今あなたが何を考えているかはわかりませんけれど」
ディアナは、長い銀髪を吹雪になびかせながら微笑んだ。
「魔王様は、あなたが見たとおりのお方ですわ」
「………………」
自分は魔王の何を見たのだろう。
先ほどの魔王の言葉が思い出される。
『もう、君たちが死ぬところは見たくはないんだ』
その言葉をそのまま信じるのだとしたら、魔王の目的は一気にわからなくなる。
生け贄を要求する支配。【冷徹の冠】の簒奪。
どれもあてはまらない。
「あなたはあなたが為すべきことをなさい」
「………………」
レネーは病んだ自分の身体を呪った。
しかしディアナの言うとおり、レネーの取るべき道は他にはない。
「わかりました……あなたも、お気を付けて」
「ゆっくり散歩でもするつもりで帰りますわ」
ディアナはそう言って、背を向けて歩き始めた。
レネーはその小さな後ろ姿が見えなくなるまで、じっと見送った。
これから自分は、頭の固い長老たちに全てを話さねばならない。
魔王の力を借りたことをしれば、彼らは激怒するだろう。
下手をすれば、里を追放されることもあり得る。
「………………」
すべては――すべては氷精一族のためだ。
そのために自分は命を賭けるのだ。
レネーは重たい身体で少しずつ、少しずつ歩み、氷精の里へと向かった。
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