48話 マリィ、修道院を飛び出す
修道院は、大聖堂の近くに建てられている。
ここはシスターの生活の場だ。
その一室で、マリィはひとりイスに座り、テーブルに肘を置いていた。
「………………」
貧しいなりをした男の子に【ヒール】を施したあと、次から次へと現われる人たちを、マリィはひとり残らず癒やした。
それでも自分の中には、未だ有り余るほどの魔力を感じている。
キースに与えられた最大魔力量は、それだけ膨大なものだった。
しかし他の神官たちはいい顔をしない。
大神官にも、そういうことはしないようにと諫められた。
「………………」
深いため息をひとつ。
マリィは自分の腕に顔をうずめた。
(人々を癒やして、救いに導くのが神官のすべきことのはずなのに……)
困っている人がいて、自分にそれを救う力があれば、手を差し伸べるのは当たり前のことだ。
それが、この国に来てからは通じない――。
何をするにも許されないままに、聖女という重圧だけがのしかかってくる。
マリィが2度目のため息をついたとき、コンコン、とドアがノックされた。
「聖女様、ローズです」
「どうぞ、お入りになって」
立ち上がって、シスター・ローズを部屋に迎え入れた。
彼女はマリィと同い年くらいの少女だ。
「服が乾いたので、お届けに上がりました」
「こんな早い時間に。そうね……今日は良い天気ですものね」
ローズは洗濯カゴから取り出した修道着を、手際よく畳んで引き出しにしまった。
「聞きましたよ、貧民街の人たちに【ヒール】をかけて回ったって!」
快活な笑顔を見せてそう言った。
「やっぱり聖女様なんだなって思いました!」
「その件で先ほど、お小言をいただいたところです」
マリィは悲しげに、笑みを返した。
「そうなんですか……」
ローズはカゴを置いて、マリィの耳元に口を寄せる。
外に聞こえないような小さな声で言った。
「神官のみなさんはホント頭が固いんです。おととい焼いたパンみたい。だから気にしちゃいけませんよ」
「……ありがとう」
こんな言葉をくれるのは、この国ではローズだけだ。
「………………」
マリィの浮かない表情を見て、ローズは優しくマリィの背中を叩いた。
「こんな良い天気の日に、部屋に閉じこもってちゃいけませんよ」
「そうは言っても、行くところもありませんし……」
神官たちと一緒でなければ、マリィの行動範囲はとても限られている。
修道院の中庭で陽を浴びるくらいがせいぜいだ。
「なるほどなるほど、わかりますよ。私もシスターですから」
ローズは、ポンと手を叩いた。
「ちょっと一緒に来ていただけますか?」
「え……ええ、それはかまいませんが……」
マリィはローズに手を引かれて自室を出た。
廊下を曲がって、向かった先はローズの部屋だ。
「こういうときのために、用意してるものがあるんですよ……」
ローズはタンスから引き出しを取り出して、その奥に手を伸ばした。
「よいしょっと」
取り出したのは、なんということのない女の子の普段着だ。
つまり――修道院ではけして手に入るはずのないもの。
「聖女様、これに着替えて下さい。私も着替えますから」
外部の人間が首にかける入館証まである。
「あの、いったいこれで何を……」
マリィが問いかけると、ローズは頭巾を脱いで、いたずらっぽくウィンクした。
ショートカットの髪がさらりと揺れる。
「ちょっと……お出かけしません?」
そう言ってローズは可愛く首を傾げてみせた。
この子は不良シスターだ。
きっと修道院を飛び出すのも初めてではないはずだ。
「不良だって思ってらっしゃるでしょう?」
図星を指された。
ローズは、ずいとマリィに顔を近づけて、光差す窓に手のひらを広げてみせる。
「神様がお恵みになった美しい今日です。それを部屋に閉じこもって浪費することが、神様の御心に適うと思いますか?」
「それは……」
「シスターは修道院から出ちゃいけないなんて、聖典には書かれてません! さあ、早く着替えて!」
ローズに促されるままに、マリィは修道着を脱いで、白いブラウスと茶色のスカートに着替えた。
こんな服を着るのは、生まれて初めてだ。
少しドキドキする。
「でもこの服少し……」
マリィの大きな胸を収めるには、ブラウスは少しばかり小さかった。
ローズはため息をついて、別のブラウスをタンスから取り出す。
「スタイルが良すぎるのも考えものですね。私なんかなんでも着られちゃいますよっ」
そう言って、ローズは薄い胸を張った。
マリィは愛想笑いで返すしかない。
淡い紫色の髪も、町娘ふうに結ってもらった。
「いいですか? 堂々と歩きながらも、人とは目を合わせないのがコツです」
「わ、わかりました……!」
こうなれば、行くところまでいってしまえ、とマリィも覚悟を決める。
ふたりの冒険が始まった。
「ごきげんよう」
廊下で知らないシスターに声をかけられて、心臓が飛び出しそうになる。
「ごきげんよう、シスター」
「ご、ごきげんよう……」
ぎこちない挨拶を交わして、出口に向かって進んでいく。
「この先は、しゃがんで進んでください。物音を立てちゃいけませんよ」
ローズは慣れた様子で辺りを見回した。
来館者のための窓口の下を、ふたり膝をついて通り過ぎる。
低い姿勢でするすると音もなく移動するローズは、まるでネコのようだ。
とうとう外に出ると、入館証を首から外してポケットにしまった。
「ざっとこんなもんです!」
「………………」
とうとう、許可もなく修道院を抜け出してしまった。
ローズに手を引かれて、マリィは広場を抜け、街の中へと入っていった。
神官たちと回った道と違って、ずっと騒がしい市場だ。
「なんて顔してるんですか! せっかく町娘になったんです、たっぷり遊びましょう!」
ローズに手を引かれながら、マリィは人混みの中を進む。
「そう……ですね」
こんな場所に来るのは、魔王を倒す冒険の旅以来だった。





