47話 エラーダ、お母さんになる
ンボーンの山のような巨体を洗うには、アルドベルグ盗賊団だけではとても足りない。
エルフ、コボルド、ドワーフ、ゴブリン、オークまで呼び寄せて、みんなにブラシを握らせた。
親分は恋バナによるアルコール摂取過多で、ひとり砦で眠り込んでいるので、指揮を執るのは誰かということになった。
「エラーダの姉ちゃん!」
盗賊団のひとりに声をかけられた。
「あんた、軍隊にいたんだろう? しかも割と偉かったらしいじゃねえか」
「確かに私はアシュトラン帝国第13軍団副団長だったが……しかしここでは新入りで……」
「そんなこと構うもんか。頼んだぜ!」
そんなこんなで、エラーダはンボーン大掃除の指揮を任されてしまった。
「んむ……頼まれてしまったのでは仕方がない……よし……では皆、ブラシは持ったか!?」
「「「おう!!」」」
ンボオオオオオオオオオオン……
頼もしい返事が返ってくる。
アレイラの魔法でいちど全身を濡らして、みんながその背中を上っていく。
「足を滑らせないように気をつけろ! これより種族別に清掃部位を指定する! まずエルフ部隊!」
エラーダも軍隊時代の調子を取り戻して、あれやこれやと命令を飛ばす。
もちろん自分もブラシを握って、太い首をゴシゴシとこすった。
岩のようなうろこから、泥が浮いてくる。
「良い調子だ! ゴブリン部隊、ペースが早いぞ! もう少し丁寧にだ!」
「「「アイアイサー!!」」」
ンボーンは気持ちよさそうに目を閉じている。
エラーダはその顔に優しくブラシをかけた。
ヴィクトルはもちろんその隣にいて、黙ってブラシを動かしている。
アレイラは魔法で10本のブラシを操って、しっぽを洗っていた。
「ようしもう充分だ! 各部隊、ンボーンから下山せよ! 重ねて言うが、足を滑らせないように!」
次々とみながンボーンから降りてくる。
「ではアレイラクォリエータ、頼んだ!」
「はーいお任せー!」
アレイラはンボーンに向けて杖をかざした。
「驟雨よ集え……【レイン】!」
そう唱えた瞬間、滝のような雨がンボーンの背中を叩いた。
ンボオオオオオオオオオオン……
ンボーンは目をパチパチさせて、ぶるりと身体を震わせた。
巨大な身体から、泥水が流れ落ちる。
「ようし! では各自清掃道具片付け! その後自由にしてよし!」
「「「ヨホーイ!!」」」
エラーダは最後の命令を飛ばすと、ひたいの汗を袖で拭った。
「こういうことは慣れているのか……」
ヴィクトルはブラシを束ねて運びながら、エラーダに尋ねた。
「まあ、軍隊というところは訓練と清掃の繰り返しだからな。こういうことは自ずと身につく」
「そうか……」
みんなでブラシを魔王城裏にある道具置き場に片付けてから、エラーダは再びンボーンのところへ戻った。
「ンボーンは、昔からここにいるのか?」
「そういうわけじゃない……魔王様がドワーフの鉱山から連れて来られた……」
「そうか……」
エラーダはンボーンの巨大な頭を見上げた。
「お前と私は、似た境遇だな……私も気づけばここにいたようなものだ……」
ンボオオオオオオオオオオン……
目の前でンボーンが鳴き声を上げると、すごい迫力だ。
肩まで切ったエラーダの金髪が、嵐のような息になびいた。
ヴィクトルは黙って帽子を押さえる。
「ハハハ、すごいなお前は」
エラーダは乱れた髪を直すと、しばらくンボーンを眺めていた。
ヴィクトルは相変わらず、その背後に立っている。
「そろそろ魔王城に戻ろうか」
「その前に……親分を運ばねばならん……」
「どうしてだ? みんな砦にいるんだろう?」
エラーダが問うと、ヴィクトルは答えた。
「よくわからんが、アレイラが全員を魔王城へ連れて行った……親分もそうせねばならんだろう……」
非常に嫌な予感がする。
エラーダは早足で魔王城に向かった。
ヴィクトルは親分の大きな身体をかついでいる。
魔王城の広いエントランスに入って、エラーダは唖然とした。
「これは……!」
あらゆる種族が地べたやら階段やらに座り込み、おのおの好きな食べ物を取って、酒を飲んでいる。
エルフは物珍しそうに砂糖菓子を口に運び、コボルドは柔らかい牛肉に舌つづみを打ち、ゴブリンはひと握りもありそうなぶどうの房を膝元に抱えてつまみ、ドワーフとオークは珍しい酒を盗賊団と酌み交わしている。
「この食べ物はどこから湧いて出たんだ……!?」
すっかり酔っ払ったアレイラに尋ねると、ヘラヘラ笑いながら答えが返ってきた。
「いやね、トリストラム王国から食糧が届いたでしょ? そのとき一緒にお酒やら珍味やらが贈られて来たのよ!」
国を挙げた交易に、贈答品はつきものだ。
「……それで?」
「よくわかんないけど美味しそうだし、魔王様のお口に入るまでに、毒味? みたいなの必要じゃない?」
わからなくもない話だ。
他国から来たものをそのまま、魔王の口に運ぶのは危険かもしれない。
魔王に毒が効くのかどうかはわからないところだが。
「……それで?」
「でさー。ちょっと口をつけたらもう止まらないの! あんまり南の方に食べ物取りに行くことないから、どれも新鮮な感じ!」
そう言ってアレイラは、生ハムの原木をナイフで削いで、ぱくっと食べた。
「私だけ食べてたら、なんか私がひとりで悪いことしてるみたいじゃない? それはヤだから、みんなを呼んだの! ほらヴィクトル、砂糖菓子もあるわよ! 好きでしょ? エラーダもほら食べて食べて! いっしょにキョーハンになろ?」
エラーダの顔は真っ青になった。
『あなたが指揮を執っていたんですって? こんなことをよくも許したものですわね……これは卵を産み付ける必要があるのかしら……』
ディアナの声が幻聴となって、エラーダの耳に響いた。
最近は収まり気味だったトラウマがよみがえる。
「お、お前たち、今すぐこれを片付けるんだッ!」
エラーダが叫ぶと、全種族からブーイングが上がる。
「いいのか!? ディアナに殺されるぞ!」
こういうことに関しては、たぶん魔王よりディアナの方がずっと怖い。
「残った食べ物はできる限りきれいな状態にして戻しておくように! 私も手伝うから! ヴィクトル! 菓子をつまむんじゃない!」
「駄目なのか……」
「駄目だ! これは魔王のものだぞ!」
また全種族を率いての大掃除が始まった。
「俺たちゃ酔ってんだよ……ちいと休ませてくれよう……」
「そうよそうよ! もうちょっとお酒も飲みたいし、おつまみも食べたい!」
「ならん! 今ディアナが帰ってきたらどうするつもりだ! そこ、酒がこぼれているぞ! 乾くとべたつくからきれいに拭き取るんだ!」
気づけばエラーダは、魔王城のお母さんと化していた。





