45話 怪盗魔王、ドラゴンの意志を受けつぐ
白い太陽が照りつける、眩しい雪景色。
その中を、もくもくと歩いてゆく集団があった。
犬ぞりにわずかな荷物を引かせ、自分たちは杖をついて。
――氷精の一族だ。
人間であれば、寒さに凍えながらゆく道程だろう。
しかし氷精は、照りつける太陽に灼かれながら進んでいた。
旅の中で倒れる者は、後を絶たなかった。
ひとりの少女が、固い雪に足をとられて転びそうになった。
男が、とっさにその身体を抱き留める。
「もう少しだ、もう少しだけ頑張るんだ。じきに夜がくる」
「ありがとう……」
少女は立ち上がり、また一族とともに歩き出す。
しかし彼女が熱に侵され始めているのは、明らかだった――。
かつて氷精たちがその住処としていた場所は、今はラデン公国と呼ばれている地域にあった。
寒風が吹きすさぶ、氷精としてはとても居心地の良い場所だった。
しかしあるとき、地盤である火山が急に活動を始めた。
地熱が高まり、雪が溶け始め、とても氷精が棲める土地ではなくなってしまった。
氷精が棲める土地の条件は、極寒地であることと、もうひとつは――地下に大霊脈が通っていること。
彼らの宝である【冷徹の冠】をそこに安置することによって、ようやくそこは氷精の棲める土地となる。
「もはや新たな大霊脈を求めて旅立つしかあるまい」
長老は宣言し、占術師に大霊脈の場所を占わせた。
そこは、魔王領と呼ばれる土地にあった――。
「夜になれば少しは楽になる。お前はまだ旅を続けられる」
「ええ……もちろんです」
少女のこめかみから汗が流れ出る。
男には、それが命のしずくに見えた。
男も、少女自身も、その身体がもう長くは保たないということを悟りつつあった。
やがて夜が訪れ、氷精たちは天幕を張る。
夜は身体が楽になるのだが、夜闇の中、険しい土地を進むわけにはいかない。
凍った木の実で食事を済ませると、氷精たちは固く押し固めた雪を枕にして、眠りにつこうとしていた。
少女は、ほとんど食べなかった。
「ねえ……」
少女は男に話しかけた。
男と少女が天幕をともにするのは、もう一族から許されていることだった。
大霊脈に辿り着いたときはじめて、ふたりは美しい結婚をすると決めていた。
「旅は苦しいわ……」
「そうだな」
男は溶けかけた少女の髪を撫でた。
水に濡れた髪は、もう長くはないという兆候だ。
「でもね、悪くないと思うこともあるのよ……」
少女ははかない笑みを浮かべた。
「身体が苦しいとね、あなたの優しさが心の奥まで染み通ってくるのよ……寒さが岩の芯まで凍りつかせるみたいに」
少女は重たい腕を上げて、男の頬に触れた。
「あなたは私の雪枕、私の吹雪……」
男は、鼻の奥に湧き上がってくる痛みをこらえた。
彼女に涙は見せられない。
「私は……君がいなくなれば、溶けて水に還ってしまうだろう。だから……」
頬に触れる少女の手に、男はそっと触れて言った。
「私の前から、いつまでも、けして消えないでいてくれ」
少女は何も言わずに頷いた。
これが、少女の最後の夜だった。
それから数ヶ月が過ぎ、とうとう氷精たちは新たな大霊脈へと辿り着いた。
彼らは深い穴を掘り、大霊脈の中心まで辿り着いた。
そこに【冷徹の冠】を置くと、そこでようやく彼らはそこが安住の地であると知った。
――しかし、少女はもういない。
【冷徹の冠】を守るためのダンジョンの建設が進む中、男は長老に呼ばれた。
抜け殻のようになっていた男は、雪にむなしい足跡を残しながら、長老の家に向かった。
「【冷徹の冠】を安置するための像を、お前に作って欲しい」
男は、腕の良い彫刻師だった。
「我々の女神を彫ってもらいたい。彼女が【冷徹の冠】を守るのだ。永久に……」
男の頭の中に、美しい氷の彫像がかたちとなって現われた。
それが失われた恋人と、重ならないはずはない。
熱に淀んだような男の芯に、氷のような活力が湧いて出てきた。
さっそくその日から、男は作業を始めた。
男は地域一帯を歩き回って、理想的な氷を探し求めた。
ダンジョンから遠い場所にある一角で、男はまるでひとつの巨大なしずくのような氷をみつけた。
男はそれを誰にも知らせずに、ひとりで鋸を持って切り出した。
氷の塊を縄で縛ると、ひとりでダンジョンまで引きずって行った。
「ひとりで何をしている! なぜ手助けを呼ばない?」
「私の仕事だからだ……私の作る女神像だからだ……」
男の目には、氷の塊の中に、すでに完成された女神像が見えていた。
「像を彫る前に身体を壊してはなんにもならないぞ」
「けしてそうはならない……私にはもう女神が見えているからだ……」
男は仲間の言うことも聞かず、ひとりダンジョンの最奥部まで氷の塊を引きずっていった。
「………………」
ダンジョンの最後の部屋に氷を置くと、男はひと休みもせずに作業に取りかかった。
男には、氷の塊の中にある女神像が見えている。
一刻も早く、氷に埋もれた女神像を助け出してやりたかった。
とうとう腕が動かなくなると、木の実をかじって、その場で眠った。
誰が差し入れをしてくれているのかなど、気づきもしない。
「………………」
ダンジョンの奥には、朝も昼もない。
目覚めると、すぐさまノミとカナヅチを握って、女神像を彫っていく。
『身体が苦しいとね、あなたの優しさが心の奥まで染み通ってくるのよ……寒さが岩の芯まで凍りつかせるみたいに』
「待っていてくれよ……いま君を楽にしてやるから……」
男の心の中で、少女の声と氷の塊はひとつのものとなっていた。
ただの氷の塊は、いつしか見る人の胸を打つ、慈しみと安楽とを備え始めた。
彼女は心から、今あるすべてに満足していた。
――数週間が経ち、とうとう女神像は完成した。
そのときになると男はさらに痩せこけて、ミイラのようになっていた。
長老は、女神像の手に【冷徹の冠】をそっと置いて、嘆息した。
「素晴らしい……今までお前が彫ってきた仕事の中で、これが最も素晴らしい……」
その言葉を聞いて、男はこけた頬に空虚な笑みを浮かべた。
「お願いがあります……」
男は言った。
「私は、私の仕事がうまくいったかどうかを、自分の目で時間をかけて確かめたいのです。しばらくここに留まることをお許し願えませんか」
長老の許可が下りると、男はカゴに木の実を盛って、再びダンジョンの奥に潜っていった。
ダンジョンの建設はどんどん進んでいたが、男はそんなことには気づかない。
女神像が置かれた部屋は、もう完成していた。
もう誰が入ってくることもない。
閉めきられた部屋の中、男はいつまでもそこにいて、女神像を眺めていた。
いつまでも、いつまでも――。
「私の前から、いつまでも、けして消えないでいてくれ」
男はひとり呟いた。
大霊脈の中心で、男はいつまでも女神像を眺めていた。
食糧はやがて尽き、それでも男はそこから動かなかった。
旅の中ですべての家族と、恋人を失った男のことを、みなほとんど忘れていた。
長老さえも、男はとうに家に帰っていつもの暮らしを取り戻していると思い込んでいた。
『あなたの優しさが心の奥まで染み通ってくるのよ……寒さが岩の芯まで凍りつかせるみたいに』
男の命は、尽きようとしていた。
そのときだ。
地の底が淡く光った。
大霊脈が生んだ光の渦が、痩せ細って死にかけた男を取り巻いた。
「………………」
気がつけば、男は1匹のドラゴンになっていた。
男は大きな身体を寝そべらせて、いつまでも、いつまでも女神像を眺めていた。
『私は、いつまでもお前を守るよ』
………………。
…………。
……。
「っ!」
気がつくと、キースは死につつあるドラゴンの前に、ひとり立っていることに気がついた。
「今のは……お前が見せた幻覚か……」
ドラゴンは何も答えない。
もはや壊れたはずの身体を必死に動かして、氷の像に歩み寄っていく。
幻覚の中で――古代とも言えるその昔、何があったのかをキースは悟った。
「わかった……」
キースは床に手のひらを当てた。
「………………!」
泥水が広がっていた部屋が、キースを中心に白く凍り始めた。
天井からはつららが垂れ、石畳に霜柱が立った。
吐く息が、煙のように白くなった。
「この部屋から“熱”を盗んだ……一時しのぎにはなるだろう」
キース自身も、凍えそうだ。
部屋の寒気は、【魔王のマント】の保温能力を大きく超えていた。
こぶしを握りしめ、寒さに耐えながらキースは言った。
「約束しよう、【冷徹の冠】は必ず取り返す。だからお前は……もう休んでいいんだ」
ドラゴンは、骨の抜かれた首を、キースに向けた。
キースの頭の中に、低い声が響く。
『私の力も……盗めるならば……』
倒れたドラゴンの頭に、キースはそっと触れた。
指の骨まで凍えるような、冷たいうろこ。
――力を盗むことを頼まれたのは初めてのことだ。
力を差し出すということ、託すということ。
最後の力を振り絞ったその願い。
すべては氷の像のため――遥か古代の恋のためだ。
(これほどの想いで、誰かを恋することが俺にもあるんだろうか……)
永遠ともいえる時間、彼女を見守り続けた男の心を、キースは想像することしかできない。
「………………」
ドラゴンの願いどおり、キースはそのすべてのスキルとステータスを盗んだ。
キースの身体に、氷精とドラゴンの力が託された。
『やっと……私は……君と……』
どれだけの時間を、この男は待ち続けて来たのだろう。
ドラゴンは氷の女神像を抱くようにして、ついに息絶えた。
『あなたは私の雪枕、私の吹雪……』
キースにも、少女の声が聞こえた気がした。
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