41話 怪盗魔王、氷精に出会う
一方、魔王領の北方に、キース、ディアナ、ギンロウの3人はいた。
ディアナは吹雪の舞う丘の上に、あの別荘ともいえる天幕を召喚した。
「寒いったらないな、早く中に入ろう」
天幕の中に入り、分厚い毛皮のスリッパを履く。
暖炉を囲むように置かれた揺り椅子に座り、スリッパの先を焦がしながら足を温めた。
「このまま身動き取れないんじゃどうしようもないな」
キースは窓の外、吹雪の向こうにぼんやりと光る集落を見て言った。
「しかし、こうして天幕を立てた以上、向こうもわたくしたちの存在に気づいていることでしょう。2階の灯りもつけさせてあります。そこで何の反応もなければ、そこまでのお話かと存じますわ」
そう言ってディアナは、マグカップから温かいミルクを飲む。
ギンロウの鏡のような身体は、暖炉の炎を映してギラギラと輝いていた。
「申し訳ございません、魔王様。このような僻地にまでご足労いただいた上、なんの収穫もないとなれば……」
「気に病むなギンロウ、領内に異常があるというのなら知っておきたいからな。永久凍土が溶けていることがわかっただけでも、のちのち何らかの判断材料になることもあるだろう」
「お心遣い、痛み入る次第」
(気遣っていると悟られてしまった……)
キースはまたぼんやりと窓を眺める。
「ギンロウ、お前が氷精を気にかけているのには理由があるのか?」
「古い話です……先代の魔王様の時代のことでございます」
火に当たりながら、ギンロウは語り始めた。
「先代の魔王様は、領内の全種族から生け贄を求めることを計画しておいででした……」
………………。
…………。
……。
ギンロウは身体中につららを突き刺したまま、雪が降りしきる森の中で、足を引きずっていた。
氷精という種族は、吹雪の中に奇妙に身を隠す。
生け贄の話を持ち出したギンロウは、数人の氷精から不意打ちを受けたのだった。
左肩と、右のふとももを、太いつららが貫いている。
このために、走ることも、得意の車輪を出すこともできない状況だった。
氷精たちは、もはや気配を隠すことなく、森を取り巻いている。
ギンロウはひときわ大きな木陰に身を隠し、座り込んだ。
肩のつららを掴み、力を込める。
「…………ぐぬぅっ」
ギンロウの握力をもってしても、つららにはヒビひとつ入らない。
さらに体内に凍り付いて、抜くこともできなかった。
――そのときだ。
「………………!」
死角から、氷精の少女が現われた。
――万事休す。
ギンロウはつららの刺さった腕から刃を発生させる。
しかし身体は思うように動かない状態だ。
少女相手とはいえ、氷精に勝てる見込みは限りなく低かった。
「見つかったかーッ!?」
遠くから男の声がする。
少女は叫んだ。
「こちら側にはいません!」
「………………!」
ギンロウは目を見開いた。
「貴様は……!」
「しっ!」
少女はギンロウを黙らせると、身体に突き刺さったつららに触れた。
つららは粉雪のように崩れ、風に散っていった。
「足は動きますか?」
「……なぜ助けた?」
「種族の利益のためです」
少女は言い放つ。
「……貴様の名を聞かせてくれ」
ギンロウが言うと、少女は答えた。
「名乗るような者じゃありません」
「この借り、必ず返す」
………………。
…………。
……。
「以上のこと、すべて我が恥でございます。しかし私には、氷精に対してそのような恩義があるのです」
「ギンロウをそこまで追い込むなんてのは、氷精ってのもなかなかな連中だな」
「油断ならぬ相手ではあるかと」
そのとき、サロンの扉がノックされた。
「入れ」
ディアナが召還した執事のジョセフだ。
「夕食かな?」
「それもそろそろでございますが……お客様がいらしております」
とうとう来た。
3人は立ち上がってソファーに移動した。
「こんなところに現われる客なんて、フロストベアーか氷精くらいのものだろう。ここへ通してやってくれ」
「畏まりました」
しばらく待つと、ひとりの美しい少女が現われた。
純白のシルクを幾重にも纏ったような、見たこともない装束。
透き通るような白い肌に、印象的なアクアマリンの瞳。
しかしそれよりも目を引くのが、氷のような長い髪だ。
房のひとつひとつがガラスの破片のように、キラキラと輝いていた。
少女は何があったのか、身体をふらつかせている。
色の失われたくちびるは、生まれつきのものではなさそうだ。
ジョセフが手を貸そうとしたが、少女はやんわりとそれを拒否した。
「貴様は!」
ギンロウが立ち上がった。
「あら……お久しいですね……」
少女は、弱々しく返事をした。
「貴様、病んでいるのか……」
ギンロウが問うと、少女は少しだけ笑った。
「ご心配ありがとうございます。少し弱っているだけです……」
「とりあえず、座ってくれ」
キースは少女を眺めながら言った。
【確信の片眼鏡】が、彼女の情報を伝えてくる。
やはり種族は氷精。
そしてステータスの下には【衰弱】とあった。
「………………」
少女は身を投げ出すようにして、ソファーに腰かけた。
「君が弱っているのは、病気か何かなのか?」
「ご安心下さい、人にうつすようなものではございませんから……我々氷精は、長期間熱に晒されると、体力を失うのです。村の者も、みなこの有様です」
肘置きにもたれながら話す少女の様子は、痛々しい。
「なら、こんな温かい部屋にいたらマズいんじゃないのか」
「それはご心配に及びません。2、3日程度なら、身体には何の影響もありません。問題は期間なのです」
「ということはやはり、この一帯の温度が上がったことが原因だな」
少女は深く頷いた。
「それで助けを求めに来たわけか」
「はい……この建物をお見かけして。このようなことができるのは、きっとそこの彼のような……」
少女はギンロウに目をやりながら言った。
「彼のような、魔王様に近しい方だろうと思い、訪問した次第です」
「俺がその魔王だよ」
キースが言うと、少女は目を丸くした。
「魔王様がじきじきにいらっしゃるとは、何か特別なご用があったのでしょうか?」
特別な用、と言って少女が思い浮かべたのは、きっと生け贄のことだろう。
生け贄を取る習慣をやめさせたことは、こんな僻地までは伝わっていないはずだ。
キースは答えた。
「永久凍土が溶けているのを知って、ギンロウが様子を見たいと言ったのさ」
それを聞いて、ギンロウはガンと自分の膝を叩いた。
「魔王様にご足労いただき、こんなことを言うのはおかしいかもしれないが、かけた情けは必ず返ってくるものだ。かつて我を助けたこと、けして後悔はさせん」
「そんなことを、覚えていたんですね……」
ギンロウは目をつぶってうなずく。
「恩はけして忘れん……」
少女はうなずくと、キースに向き直った。
「私たちは、長らく魔王様との繋がりを絶って生きてきました。しかし勝手ながら、今頼れるのは魔王様しかいないのです」
少女は色の薄いくちびるを、きゅっと引き結んだ。
「何度も使者をお出ししようと長老たちに意見しました。しかし彼らは頑固で、意地っ張りで……魔王様のお力を借りることは考えられないと。彼らは今がどういう状況にあるのかわかっていないのです。いつか勝手にすべてがもとに戻ると信じています。そんなはずはないのに……」
そう言って少女は、ジョセフが用意した氷の浮いているミルクを飲んだ。
キースはおとがいに人さし指を当てた。
「ということは、君には原因がわかっているんだな?」
「わかっている、というほどのことではありませんが……」
少女は奇妙な話を始めた。
集落の外れにあるダンジョンに数ヶ月ほど、白い服を着た冒険者たちが頻繁に出入りしていたらしい。
その冒険者たちがいなくなると、途端に永久凍土が溶け出したとのことだった。
今わかっているのは、それだけだと。
「ディアナ、そんな連中が魔王領に入った形跡はなかったのか?」
「申し訳ございません、魔王様。おそらく西の急峻な山岳地帯を抜けたものと思われます。そちらには偵察を回しておりませんでした」
ディアナはうつむいて、いつも涼しげな眉根に皺を寄せた。
「まさか人間どもがこんなところに出入りしていようとは……」
「責めるつもりはない、これだけ広い魔王領だ。抜け道はいくらでもあるだろうさ」
キースはディアナの頭をぽんと叩いた。
ディアナは少し嬉しそうに身じろぎする。
しかし姿勢を正すと、今度は少女の目をまっすぐに見た。
「あなた、お名前は?」
「レネーと申します」
レネーはディアナの目を見返して言った。
「ではレネー。今まで魔王様の支配をはねつけてきたのが、あなた方氷精ですわ。ギンロウを追い返しさえして。それを今になって協力して欲しいなどと、あまりに虫の良い話じゃありませんこと?」
「それは……」
レネーは口ごもる。
「魔王様にとって、あなた方を助けることに、少しでもメリットがあるのかしら」
「そう言うなよ」
キースは言った。
「困ってるやつがいて、それを救える力があるなら、俺は必ず手を差し伸べる」
それを聞いて、レネーはうつむいて、くちびるを噛んだ。
頑固な長老たちへの反発か、魔王に従うことへの逡巡か、その表情からは読み取れない。
「それが、魔王様の支配というものなのですね……」
レネーはひとこと、そう言った。
キースの脳裏に、先代魔王の姿が浮かぶ。
「……そういうわけでもないさ」
キースは少しはにかんで言った。
「魔王というか……これはキース・アルドベルグのやり方なんだ」
翌日。
軽い朝食をとると、3人はレネーに案内されてダンジョンへと向かった。
レネーは相変わらず具合が悪そうだ。
指先が痛むほどの寒気は相変わらずだが、氷精の集落から吹雪いてくるほどのものではない。
雪の中をしばらく歩くと、いくつもの氷の柱が見えてきた。
倒れている柱の雪を払うと、キースには読めない文字が刻まれていた。
かなり古い時代の遺跡だ。
しばらく柱の間を進むと、壊れた門扉の開いている洞窟に辿り着いた。
「怪盗魔王の面目躍如ってところかな」
洞窟に一歩入ると、キースは地面に手をついてスキルを発動させる。
――【走査】。
無数の罠が、いっぺんにキースの脳裏に閃いた。
毒矢、落とし穴、槍の刺さった吊り天井――恐ろしい数だ。
曲がり角の奥で、罠の犠牲者が凍り付いているのもわかった。
「ただのホラアナってわけじゃなさそうだな……罠にかかるとマズいから、君らは待っていてくれ。俺ひとりで様子を見てくる」
「そんな、魔王様をおひとりで行かせるなど……!」
そう言うディアナに、キースは笑いかけた。
「俺も、たまには怪盗らしいことをしたいのさ」
温暖化の原因がこのダンジョンにあるのは間違いない。
キースはマントを翻して、ひとりその奥へと入っていった。





