39話 怪盗魔王、北へ
キースたちは魔王城の前に円テーブルを広げて、朝のティータイムを楽しんでいた。
アルドベルグ盗賊団のみんなも一緒だ。
エラーダはヴィクトルの横にちょこんと座って紅茶を飲んでいる。
少しずつだが、ここの空気にも慣れてきているらしい。
「ディアナお姉ちゃん! これ美味しい!」
妹分のリュカは、お茶請けのお菓子を食べて頬に手を当てた。
「レーズンバターサンドですわ」
無邪気なリュカに、ディアナは微笑を浮かべて答える。
「美味しいね! でも太りそう!」
「………………」
ディアナは笑顔を凍り付かせたまま、紅茶に砂糖を入れる手を止めた。
「リュカはまだ太るなんてこと気にしなくていいんだぞ。もちろん昼ご飯が入らなくなるほど食べちゃダメだけどな」
牢獄で痩せこけていたリュカを思うと、いろんなものを楽しんで食べてくれる、その姿を見るだけでもキースは嬉しい。
「でも私はレディだから、スタイルには気をつけないといけないの」
リュカはそんなませたことを言う。
「そんなの気にせず、どんどん食べちゃえ! スタイルなんて勝手にどうとでもなるから!」
アレイラの脳天気な言葉に、ディアナのこめかみがピクリと動いた。
「リュカ、胸ばかりに栄養が行って、頭はカラッポなんてことにならないように気をつけますのよ」
「そうだよリュカ、気をつけないとダメだぞー」
アレイラに皮肉は通じない。
ディアナはため息をついた。
そこに――。
「あら、おかえりなさい」
3頭のオオカミが、ディアナのもとへと走り寄ってきた。
「なるほど、そう、そうなのね。お疲れさま」
ディアナはイスに座ったまま、オオカミたちの頭を撫でる。
それから指をパチリと鳴らすと、オオカミは煙のようにかき消えた。
「今のは?」
キースが尋ねると、ディアナは答える。
「領内に異常がないか、定期的に偵察をしているのですわ」
「そんなマメなことしてたんだな」
「四天王筆頭としての義務ですわ」
ディアナはすまして紅茶を飲んだ。
「ちなみに、今回は何か異常はなかったのか?」
「そうですわね、強いて言えば北方の永久凍土が溶けかかっているくらいのことですわ」
その言葉に反応したのは、大きな指で小さなカップをつまんでいるギンロウだった。
「氷精の土地が熱に侵されているというのか……」
「その氷精ってのは?」
キースの言葉に、ギンロウが答える。
「北方に棲まう種族でございます。先代魔王様の時代から不服従の姿勢を見せていますが、不毛の土地ゆえ捨て置いている次第です」
魔王領の中でも、まだ知らない場所はいろいろとあるらしい。
「魔王様、具申をお許しください」
ソーサーにそっとティーカップを置いて、ギンロウが言った。
「北方の偵察を提案致します。交流がないとはいえ、魔王領に棲まう者はすべからく魔王様の徒たるべきかと存じます」
「ギンロウ」
ディアナは釘を刺すように言った。
「個人的な事情で魔王様のお手を煩わすなど、あってはならないことですわよ」
その言葉に、ギンロウは低く唸った。
テーブルに目を落とすその様子には、確かに今の言葉に何らかの想いが宿っていることを思わせた。
「その氷精って連中と、何かあったらしいな……」
キースが言うと、ギンロウは目をつぶり、深く頭を下げる。
ギンロウの表情は読みにくいが、何かを案じている様子は伝わってきた。
「……仰る通り、私と氷精とは浅からぬ因縁がございます。しかしながら、先ほど申し上げたことも、また事実かと」
ギンロウが、ここまで粘るのも珍しい。
それだけ、北方の温暖化は氷精という種族にとって重要なできごとなのだろう。
「わかった、なら早速出かけてみるとするか……」
行ったことのない北方という土地も気になるし、魔王を恐れず不服従を貫く氷精という種族にも興味があった。
それに何より、ギンロウたっての願いだ。
「具申を受け容れて下さり、恐悦至極、感謝の言葉もありませぬ」
ギンロウは再び、テーブルにひたいが付かんばかりに頭を下げた。
「顔を上げてくれ。俺が必要だと思ったからやることだからさ」
顔を上げろと言われた以上、また下げるわけにはいかない。
ギンロウは、ただ「ありがとう存じます」とだけ答えた。
「では早速着替えて参りますわ。北方は極寒地ですので」
ディアナは紅茶を飲んでしまうと、立ち上がってひとり魔王城に向かおうとする。
「待ってくれディアナ、俺も暖かい格好して行きたいんだが」
「心配には及びませんわ。魔王様のお召しになっているマントは、温度を快適に保つ力がございますので」
キースは呪いの装備、魔王のマントの裾をつまんだ。
これには、まだ知らないことがいろいろとありそうだ。
しばらく待っていると、ディアナは分厚い黒の毛皮のコートを羽織り、ボンボンのついた大きなブーツを履いて現われた。
良いところのお嬢さんの、旅姿といった風情だ。
ギンロウは相変わらず腰ヨロイをつけただけの格好。
この状態でも、寒さに耐えられるらしい。
キースとディアナはふたりでフェンリルに乗り、ギンロウは銀色の腕から車輪を出した。
「じゃあ、少し出かけてくる」
「お気をつけてー!」
アレイラが手を振る。
「風邪引くなよォ!」
アルドベルグ盗賊団のみんなも、声をかけてくれる。
3人の旅が始まった。
深い渓谷を抜け、崖を登り、森を抜け、草原を進むと、やがてオオカミの足音が変わってくる。
凍った草をサクサクと踏む音――ツンドラ地帯だ。
魔王のマントに保温機能があるとはいえ、風の様子が変わってきたことはわかる。
氷のような風が、行く先から吹き付けてくる。
「……この辺りは、本来なら永久凍土でございました。雪も降っていたはずです」
巨大な車輪で草原を踏みしめながら、ギンロウが言った。
ディアナの出した巨大な天幕で一夜を過ごし、再び北へ向かって進む。
そうしてとうとう、地面が固い雪で覆われ始めた。
3人は、高い丘を登る。
てっぺんまで来ると、急に叩きつけるような吹雪が襲ってきた。
「さっぶい!!」
魔王のマントの保温力にも限界があるらしい。
皮膚を貫くような寒気に、キースは身を震わせた。
ディアナも苦い顔をしている。
ただギンロウだけが、まっすぐ前を見つめていた。
「おそらくあれが氷精の町でしょう。私もここまで辿り着いたのは初めてです」
ギンロウの言うとおり、吹雪の向こうにほんのりと灯りが見える。
「この吹雪は天候ではなく、氷精の力によるものかと」
「これで侵入者を阻んでいるわけだ」
これ以上は近づけそうにない。
キースたちは叩きつけられる雪の中、すっかり立ち往生してしまった。
 





