37話 マリィ、聖女になる
皇帝グリムトとその側近数名は、城近くの広場で斬首刑に処された。
台の上で死刑執行人により首が落とされ、それがタルに転がり落ちるたびに、民衆の歓声が上がる。
彼らの群がる広場の隅に、クーデターの首謀者たちとヴィクトルの姿があった。
「あいつらもトムラうのか……?」
ヴィクトルが尋ねると、今は議会の副議長となった、リーダーが答えた。
「もちろんだ。天国に行けるような連中ではないが……だからこそ弔うことに意義がある。新政府の姿勢を示すことになるからな。残酷な皇帝から、政権を取り戻した正義の軍……そういう印象を持ってもらわなくてはならない」
「………………」
将軍を議長に据えた新政権は、とどのつまり軍事政権にあたる。
イメージを損なえば、たちまち悪の軍団に成り下がってしまう危険があった。
これは国民に対しても、また他国に対しても敏感にならざるを得ないところだ。
そして軍事政権だからといって、戦争に積極的なわけではない。
戦争に疲れ果てているのは、軍も民衆も同じだった。
「議会は連合国とトリストラム王国との講和を結ぶことを決定した。君のおかげで戦争が終わったということだ、ヴィクトル……」
リーダーはヴィクトルの肩を叩いた。
「感謝してもしきれない。国が救われた」
「礼が言いたいなら魔王様にお伝えしよう……では、その対価を頂きに行こうか」
リーダーの顔が青ざめる。
ヴィクトルがクーデター成功の対価のひとつとして求めたのは、かつて餓死寸前で皇帝の前に送り届けられた、エラーダ・コレットの命だった。
力強い味方として、ともに行動してきたヴィクトル。
それでもやはり、目の前にいるこの男は魔族なのだと、つくづく思い知らされる。
「………………」
クーデターが起こったといっても、城の中のすべてが変わったわけではない。
エラーダ・コレットは以前より、城の離れに住まわされていた。
メイドたちの甲斐甲斐しい世話もあって、エラーダはすっかり回復していた。
「ほら、お前たち、朝ご飯だぞ」
エラーダがキャベツを持って部屋に入ると、アビゲイルが産んだ巨大な幼虫たちがぞろぞろと集まってくる。
「ケヴィン、相変わらずお前は食いしん坊だな。ダリィ、お前はいちばん小さいんだからもっと食べるんだ」
幼虫たちはエラーダの手から美味しそうに、もしゃもしゃとキャベツを食べる。
「あ、あびぃ、アヘヘヘヘ……うひゃ」
アビゲイルは、ひとりイスに座って笑っていた。
「アビゲイル様、もうすぐお食事のお時間です、少々のお待ちを」
「あびぃ……」
正気を失ったアビゲイルも、それなりに幸せそうにしている。
最近はひとりでトイレにも行けるようになった。
以前のように、第13軍団ナンバー2の刺客として活躍することはできなくなった。
けれども、こんな生活も、幸せのひとつに数えてもいいのかもしれない。
「お食事をお持ち致しました」
城のメイドたちも、もうすっかり謎の幼虫とアビゲイルには慣れていた。
「ちゃんとおイスに座って待ってるなんて、アビゲイル様は偉いですわね」
「ウヒヒ……あびぃ……」
「おチビちゃんたち、ちょっとまたぐわよ」
キャベツを食べる幼虫たちを踏まないように気をつけながら、メイドはテーブルに食事を並べた。
「今日はロールキャベツか。チビたちとおそろいだな」
「そうでございますわね、うふふ。では、失礼致します」
「あびぃ……」
アビゲイルも、スプーンとフォークの使い方は忘れていない。
前かけにすこしスープをこぼしながらも、それなりに上手にご飯を食べる。
「美味しいですね、アビゲイル様」
「ウヒヒヒヒヒ」
窓辺から、暖かな日差しがさしている。
今日も良い日になりそうだ。
――そこに、来客が現われた。
「お……お前は……っ!?」
エラーダは、思わず木のスプーンをテーブルに落とした。
「久しぶりだな、エラーダ……」
ボロボロの黒いコートに黒い帽子――忘れようもないこの姿。
かつて生きたまま棺に入れられ、飢えと渇きに満ちたあの恐ろしい時間が胸を去来する。
その悪夢の象徴――魔王麾下四天王のひとり銃士ヴィクトル。
エラーダは決死の覚悟で、イスを蹴って立ち上がった。
「何を……何をしに来た……ッ!?」
膝が震えるのを止めることができない。
それでも、エラーダはけなげにも一歩前に進み出た。
「……貴様に、アビゲイル様は渡さないぞッ!!」
「その、あびなんとかが誰かは知らんが、用があるのはお前だ、エラーダ……」
「私……だと……!?」
愕然とするエラーダに、ヴィクトルは告げた。
「お前を魔王様のもとへお連れする……」
「それは、生け贄か何かが必要になったということか……?」
死ぬ覚悟は何度もしてきた。
正気を失ったアビゲイルのことも受け容れられた。
それでも、魔王のもたらす恐怖は、底が知れない。
しかしヴィクトルは平然と答えた。
「魔王様は生け贄がお嫌いだ。安心しろ、お前に危険が及ぶことはない。必要なのはトムライ……それだけだ」
「?????」
魔王たちの中で“弔い”とは、何か特殊な物事を表わす言葉なのだろうか。
想像もつかないことだ。
しかし――目の前の男に逆らうことなど、できようはずもない。
「……わかった、お前の言葉に従おう」
エラーダは決意した。
「……ただ、少し時間をくれないか?」
「カゾクにアイサツをするのか?」
家族の概念は、ディアナに叩き込まれた知識のひとつだ。
「……いや、私に家族はいない。天涯孤独の身だ。しかしアビゲイル様とチビたちの世話を誰かに頼まねばならん」
ふたりの世話は、メイドたちが快く引き受けてくれた。
謎の幼虫を怖がる者もいたが、慣れれば平気だという者も少なからずいた。
「行ってらっしゃいませ、コレット様」
「ああ……アビゲイル様とチビたちをくれぐれも頼んだ……」
明朝、ヴィクトルはエラーダを、巨大オオカミの引く荷車に乗せた。
エラーダの顔は、ひと晩かけて心に刻んだ覚悟によって、晴れ渡っていた。
「今回は……棺に入れないのか?」
「ああ、あれは間違いだった……」
ヴィクトルは言った。
「ヒツギには生きた者を入れてはいけないのだ。それにエサを与えるのを忘れてしまうのもよくない。食事は俺と一緒にとるんだ……」
「………………」
前回の旅と今回の旅には、ずいぶん違う。
しかしどんなことが待ち受けようと、今度こそは第13軍団としての矜持を失うようなことは決してしまい、そうエラーダは心に誓った。
オオカミは、荷車を心地よく揺らしながら街道を走る。
山道に入り、やがて陽が傾き始めた。
ヴィクトルは、手綱を引いてオオカミを止めた。
「……あのキジを獲れるか?」
ヴィクトルは空高く舞うキジを指さして、エラーダに尋ねた。
「ああ……」
エラーダは常人の目には留まらぬスピードで、ナイフを空へと投擲した。
「ギッ!」
短い鳴き声を上げて、キジは森の中に落下した。
「……見事だ」
「これでも、もと第13軍団ナンバー2だ」
夕食はキジ鍋ということになった。
野菜はいくらか荷車に積んできている。
ヴィクトルがキジの羽をむしっている間に、エラーダは手際よく他の用意を済ませた。
調理はエラーダだ。
鳥肉の旨味が野菜に染み渡った、美味しいキジ鍋ができた。
「うまい……」
スープをひとくち飲んで、ヴィクトルは言った。
「俺の料理はいい加減だからな……これからはエラーダにやってもらおう。お前の料理は美味い……」
「そ……そうか!? それなら、まあ、引き受けよう!」
相手が魔族でも、手料理を褒められて悪い気はしない。
「お前が何を考えているかはわからんが……」
鳥肉をふうふうと冷ましながら、ヴィクトルは言った。
「魔王様は非常にお優しい方だ……何も心配することはない……俺が保証しよう……」
「………………」
陽が沈みつつあるなか、エラーダは焚き火に照らされたヴィクトルの横顔を見た。
鼻筋の通った端正な顔には、何の表情も浮かべずに、淡々とキジ鍋をつついている。
(こうして見ると……人間と何も変わりないな。妙な感覚だ……)
エラーダは大きな鳥肉をひとつ、口に放り込んだ。
「はふっ、はふっ」
「ヤケドするなよ……」
次第に、夜は更けていった。
………………。
…………。
……。
戦争が終わっても、補給部隊が到着するまでは、野戦病院の慌ただしさは変わらない。
マリィは朝早く目を覚まして、簡単な食事を済ませると、すぐに患者の処置に入る。
包帯を解き、【ファストヒール】を施して、また新しい包帯を巻く。
いつもの作業だ。
――しかし。
「どうした、聖女様? 俺の具合、そんなに悪いのか?」
負傷兵の言葉が耳に入らないほど、マリィは奇妙な違和感にとらわれていた。
――魔力の減少が、ほとんど感じられない。
(どういうこと……?)
マリィは、本当はいけないのだが、試しに負傷兵の傷に【ヒール】を施してみた。
肩口に痛々しく開いていた傷口が、瞬く間に塞がっていく。
「おい、聖女様、【ヒール】をかける余裕はないって、あんたこの前に……」
「………………」
ほんのわずかに、魔力が減った感覚がある。
しかしそれは、この野戦病院に集まった負傷者すべてにヒールをかけても、まだ有り余る力を感じさせた。
「………………!」
「お、おい、聖女様!」
マリィは、負傷者に片っ端からヒールをかけていった。
教会にいるすべての負傷者の傷を癒やして、それでもまだまだ魔力の余裕がある。
「ちょっとマリィ! 【ヒール】は禁止ってルールはちゃんと守って……どういうこと? まさかこの教会にいる患者ぜんぶにヒールを……そんな馬鹿なこと!」
婦長は思わず声を上げた。
いくら勇者パーティーとして選ばれた神官とはいえ、これだけの負傷者を癒やすことは、とても人間の手に収まる所業ではない。
「………………」
マリィは教会の外へ飛び出して、天幕にいる負傷者たちにも、次々とヒールを施していった。
まだまだ――まだまだ魔力が有り余っている!
(あのときだわ……)
マリィはあの夜、ンボーンの砦でキースに渡された“何か”に思い至った。
(キースさんがくれたのは……最大魔力量!)
その日マリィは、太陽がてっぺんに昇るまでに、野戦病院にいるすべての負傷者の傷を癒やした。
「足が……足が動く……!!」
「すげえ……ただの噂じゃないんだ……本当の聖女だ!!」
この日を境に、本当の意味での“聖女”という伝説が始まった。





