32話 マリィ、戦場へ
時はすでに夕方を過ぎている。
火矢で燃え上がるカレブの町で、盾と盾とが音を立ててぶつかり合い、その隙間に鋭い槍の応酬が繰り広げられていた。
住民たちは町の南側に避難させているが、そこがいつまで安全かは保証できない。
「退くな! 退くな! 弾き返せ!」
少しずつ退却を強いられる、軍のいちばん最後――しんがりの部隊を率いる隊長が叫ぶ。
「生きて帰した味方は! 必ず態勢を整えて戻ってくる! ここで俺たちが食い止めればだ! 気合入れろ!!」
「「「おう!!」」」
若い新兵たちの声が返ってくる。
家々の燃え上がる炎が両軍を照らすが、日が沈めば戦闘続行は不可能になる。
それまでにいかに敵の侵入を阻めるか――それがこの部隊の勝負だった。
槍に突かれた仲間の死体を押しのけて、革の盾を構え、槍を突き出す。
もう声は枯れ、足にも力が入らない。
それでも隊長の檄に吠え返し、盾を叩き返し、槍を突く――。
そしてとうとう、夜が来た。
ガンガンガンガンガン
戦の終わりを告げる鐘の音が鳴り響く。
兵たちは足をもつれさせながら、前線から退いていく。
両軍は協定通りに一定の距離をとり、その日の戦は終わりを告げた。
1度の戦で、町の3分の1が占拠された。
負け戦だが、よく耐えたほうだとも言えた。
しかし戦況は絶望的だ。
新兵のひとりは、兜を脱ぎ、地面に座り込んで、桶に汲まれた水が回ってくるのをじっと待っている。
あの凄まじい戦をくぐり抜けて、自分がいま生きているという事実が不思議でならない――そういう目をして、燃え上がる家々を眺めていた。
水が回ってくると、我に返ったようにガブガブと飲んだ。
生きている実感が痛いのどにしみ込んでくる。
死んだ仲間のことが思われた。
「お前、怖いか?」
「いや、怖くない」
「だよな」
戦の直前、そんな会話を交わした初対面の相手だった。
彼は隣にいたが、胸を槍に突かれて死んだ。
先に後退して体力を少しでも回復させた部隊は、消火活動に駆り出されている。
消火といっても、水をかけるようなことはしない。
丸太をぶつけて家を破壊し、延焼を防ぐのだ。
大きな宿屋が倒れると、夜空に火の粉が舞い上がった。
水を飲み終え、ぼんやりとその光景を眺めていた新兵は、隊長に声をかけられた。
「調子はどうだ?」
「は、問題ありません」
新兵が答えると、隊長はぽんとその頭を叩いた。
「肩を切ってる。今は麻痺してるかもしれんが、そのうち痛んでくる。化膿する前に教会へ行け」
「了解しました!」
「ゆっくりしてこい」
………………。
…………。
……。
街の中心にある教会は、野戦病院となっていた。
普段はオルガンの音が響き渡る礼拝堂に、負傷兵のうめきがこだまする。
「いてえ……いてえよお……」
「ぐうっ……うううっ……」
「気を確かに持ってください……必ず良くなりますからね!」
神官がファストヒールをかけると、ほのかに傷口が緑色に光る。
通常のヒールで完全回復させないのは、あまりに多い負傷兵を相手に、魔力を温存させるためだ。
ファストヒールで化膿を防ぎ、あとは包帯を巻いて自然治癒に任せるしかない。
「うぐぅぅ……」
脇腹を槍でえぐられた兵が、血に濡れた手で神官の裾にしがみついた。
「あんた、聖女様なんだろう!? だったらヒールを使ってくれよ! この痛みどうにかしてくれよ!!」
「………」
聖女と呼ばれた神官は、うつむいて言った。
「みなさんの怪我を治す魔力には限界があります……今はファストヒールが精いっぱいです……」
勇者パーティーの中で、ただひとり無事に王都へ辿り着いた神官。
力を盗むという奇怪な能力を持った魔王から、無事に聖なる力を守り切った彼女――マリィ。
彼女は今や聖女として祭り上げられていた。
ひとりだけ無事だったということは、下手をすれば裏切り者扱いをされてもおかしくはない。
マリィの名を聖女にまで高めたのは、彼女を擁する教会の巧みなイメージ戦略だ。
――ではなぜ聖女が必要とされているのか。
それはこの戦争の発端ともなった、トリストラム王国の魔王国独立保証に関係がある。
「王は魔王に魂を売ったのか!?」
「魔王と手を組むなんて許せるわけがない!」
当然、こうした声はいくらでも出てきた。
その中で最大の勢力を持っているのが、神官マリィを擁する教会だった。
「力を守りきった聖女こそが、魔王に対抗する最後の力である」
この宣言は、国民に熱狂的に受け容れられた。
今、こうして最前線の野戦病院で働いているのも、そのイメージ戦略の一環だ。
「………………」
しかしマリィは最前線にあって、つくづく自分の力不足を実感していた。
神官ひとりができることには、どうしたって限界がある。
「何が聖女さまだ……クソッ……こんな俺ひとりの……痛みも……どうにもできねえんじゃねえか……!」
ひとりがうめくと、今度は別の男が言った。
「勇者パーティーでひとり無事だったってのもよお! 魔王にチチのひとつも揉ませたんじゃねえのか!?」
「そんな……っ!!」
キースに“お目こぼし”をもらって、無事に帰ったのは事実だ。
それを思い起こすたびに、マリィは悔しさと、キースの優しさを思う心がないまぜになって、自分の感情がよくわからなくなる。
しかし今は、そんな想いに浸っている状況ではない。
「マリィ!」
婦長に呼ばれて、マリィは顔を上げた。
「天幕に続々負傷者が来てる。魔力のあるヒーラーが足りてないわ、早く出てちょうだい」
「わかりましたっ!」
去り際に、婦長はマリィに囁いた。
「あんな馬鹿を気にしちゃいけないわよ。あんたは神に仕える立派な“神官”なんだから」
聖女、と言われなかったことに、マリィは心から感謝した。
教会を出ると、カンテラに照らされた天幕に負傷者の山だ。
魔術看護師が行き交う中、マリィはひたいに汗を流しながら必死で治療を続けた。
そうして夜が明ける頃――。
ズゥン――ズゥン――
最初は、働き過ぎで足もとがふらついたのかと思った。
しかし揺れるカンテラを見て、そして音を耳で聞いて――それが錯覚でないとわかった。
負傷兵たちがざわめく。
地響きは徐々に大きくなっていく。
「お、おいなんだ……?」
「こりゃあ、地震じゃねえぜ!」
「………………!」
マリィも、彼らも、まだ知らない。
この地響きが、絶望的な戦況をひっくり返す救世主になるということを――。





