3話 盗賊、怪盗魔王になる
まず目に映ったのは、大きな2本のツノだった。
伝説の剣フラグナムが深く胸に突き刺さり、そのツノの持ち主、魔王の黒い血がごぼりとこぼれる。
一度見た光景だ。
――魔王の死。
しかしこの場に勇者はいなかった。
ゾットも、メラルダも、マリィもいない。
「盗賊よ」
魔王の声は、謁見の間にうわんうわんと響き渡った。
かつての戦いの場所だ。
「名も無き者よ」
「……魔王!」
キースは叫んだ。
あり得ない。
俺たちで殺したはずだ。
仲間で――いや、もはや仲間でもなんでもないが、それでも魔王は死んだはずだ。
キースは思わず後ずさる。
今、勇者パーティーはここにはいない。
キースひとり――とても勝ち目はない。
魔王は胸に剣を突き立て、口の端から血を流しながら、それでも力強い声で言った。
「魔王が死ぬことは決してない」
「それだけの血を流しておいて……よくそんなことが言えるな」
玉座の下には、黒い水たまりができていた。
あれだけのダメージを受けているのなら、まだチャンスはあるかもしれない。
倒すチャンスではない、逃げるチャンス――盗賊の十八番だ。
「余は先代の、先々代の、更に遙か昔の魔王の力を、脈々と受け継いでいる。死ぬことはない。これは呪いのようなものだ。決して尽きることのない業だ」
黒い水たまりが、広がっていく。
キースは再び後ずさろうとしたが、足が床にへばりついたように動かなくなっていた。
「名も無き者よ、お前はあらゆるものから逃げてきた。盗賊団を追う騎士団から逃げ、ひとりになれば冒険者ギルドに逃げ込み、自分を殺そうとする勇者どもから逃げ出した」
「悪いか、それが盗賊だ!」
キースが言うと、魔王は笑い声を上げた。
「今も果たして盗賊かな?」
その瞬間、キースの背後で雷が閃いた。
雷光は黒い水たまりに、キースの影を映す。
遅れて響く雷鳴が、心臓に響いた。
魔王の血に差すキースの影は――もはやキースの形をしていなかった。
「魔王は死なぬ。魔王は力となる。力となって、受け継がれる……」
ついに黒い水たまりは、キースの足もとまで流れてきた。
すると磨き上げられた石畳が溶け始め、キースの動かない足を、底なし沼のように捕らえた。
「魔王からはけして逃げられない。ましてや魔王自身が……逃げられる……はずが……」
頭の中に響く魔王の声にもうろうとしながら、キースの身体はズブズブと黒い沼に沈んでいく。
「……お前は……もう……決して……逃げられない」
………………。
…………。
……。
気がつくと、赤い絨毯の上に倒れていた。
ゆっくりと上体を起こす。
見上げるように高い天井、黒い壁と柱、どこまでも広い空間。
辺りを見渡しても、ここにいるのはキースひとりだけだ。
なんの物音もしない。
暗い広間の唯一の明かりは、台に並べられた4つの巨大な水晶だった。
その中に大小の人影が見える。
キースは水晶に近づいて、それを眺めた。
「これは……!」
青白く光る水晶の中に眠っていたのは、かつて倒したはずの“四天王”だった。
その四天王がいるということは――。
「俺は地獄に落ちたのか……ここが……?」
キースの声が、広い空間にむなしく反響する。
四天王は凍り付いたまま動かない。
ここには、他に誰もいない。
ただ静寂だけが、広間を支配していた。
「………………」
仲間の嫌がらせに耐えながら、長い旅を続け、とうとう魔王を倒した。
ひとえに、仲間を牢獄から救い出すために。
「我慢して、我慢して、我慢して……その結果がこれか!!」
ひとりきりの部屋で、キースは叫んだ。
「なんのための旅だ!? 魔王を倒して何になった!? 仲間が救えりゃそれで良かった……それで良かったのに……それすらできず、やることだけやって、プライドをズタズタにされても旅を続けて、そうして俺は殺されて、地獄行きか!? 悪徳貴族から財産を巻き上げるのがこれほどの罪なのか!?」
叫びが、広間に反響する。
「神でも悪魔でも、いるなら答えろ! 俺が何をやった!!」
キースの叫びは、どこにも届かない。
「クソッ! クソックソックソがぁっ!!」
踏みつけた絨毯は、音も立てない。
疲れ果てたキースは、ため息をついた。
ここが地獄なら、罰があるはずだ。
しかし何も起こる気配はない――。
ぼんやりと辺りを見渡すと、部屋の隅に一幅の鏡があるのを見つけた。
「………………」
足音のしない絨毯を踏んで、キースは鏡に近づいた。
鏡を囲う金縁には、ルーン文字が刻まれている。
――これは【識別の鏡】だ。
これを使えば、映された者の職業を判別することができる。
キースは何を思うでもなく【識別の鏡】の前に立った。
初めてのことではない。
昔は盗みに入った貴族の部屋で、自分の首の下に【盗賊】と表示されているのを見てびっくりしたものだったが。
「………………ん? んん?」
先にどちらを見て、驚いたのか。
今となっては思い出せない――。
まずひとつ。
頭の両側に、1本ずつツノが生えていた。
「………………」
おそるおそる頭に手を伸ばしてみる。
そこには、ごつごつして渦を巻いたツノが、間違いなく生えていた。
鏡には、唖然とした表情でツノを触る自分の顔が映っている。
そして、その下には。
「んんんんんんんんん???」
【怪盗魔王】……魔の眷属を支配し、目に映るものすべてを盗むことができる。
その下には、MPなどの数値やスキルなどがずらりと並んでいる。
文字は、赤く光っていた。
【怪盗】は【盗賊】の最上職と言われているが、未だお目にかかったことがない。
アルドベルグ盗賊団のみんなも、誰も見たことがないと言っていた。
「おめえはスジが良い! デカくなりゃあ【怪盗】にでもなるかもよ! そうなりゃお前が頭領だ!」
そんなことを言われて、育てられたものだった。
それが今、実現した。
「いやいやいやそれよりも、いや、それだってすごい話だけれど……」
【魔王】――世界でただひとりの、破壊と暴力の化身。
世界を混沌へと導く存在。
「それが……この俺!?」
【識別の鏡】は嘘をつかない。
それに、頭のツノが何よりの証拠だ。
「ふふ……ふふふふふふ……」
あまりにも馬鹿らしくて、思わず笑いが漏れた。
真っ暗な大広間で、魔王が生まれた。
元盗賊が、たったひとりで。
「ひとりきりの魔王か! ここがどこかもわからないのに!?」
両手を広げて、キースは叫んだ。
「魔王なら手下のひとりやふたりいるものだろう。いるなら出てこい!!」
ヤケクソでそう言い放った瞬間、巨大な4つの水晶が砕け散った。
4つの人影が、台座の上でゆっくりと目を開く。
――四天王の復活だ。
やばい、殺される。