29話 ヴィクトル、間違いに気づく
あの惨劇から数日後、アシュトラン帝国城では、諸侯を招いた会議が開かれた。
トリストラム王国城の会議室とは違い、皇帝の席は一段高いところにある。
「魔王どもをあのままにはしておけまい! いつ余の命を取りに来るやもしれんのだぞ!」
護衛を一瞬にして壊滅させたあの男は、その全員を気絶させるという離れ業をやってのけた。
そして皇帝ひとりを残した。
その気になれば、いつでも殺せるという宣告だ。
ではなぜあのとき自分の命を取らなかったのか――その理由に、皇帝は確信を持っていた。
「きゃつらは、トリストラム王国と同じく、我が国をも傀儡として取り込もうとしておる! 速やかに滅ぼさねばならぬ相手だ!」
「しかし皇帝陛下、50年前の“戦役”のことがあります。軍を差し向けるのは、いたずらに相手を刺激するだけかと……」
将軍にたしなめられて、皇帝は低く唸った。
「軍も暗殺者も効果はなしか……しかし手は打たねばならぬ」
形だけの箝口令は敷いたが、やはり人の口に戸は立てられない。
魔王の使者が行なった恐ろしい所業については、もはや民草の間にまで広がっていた。
このままでは政府の威信に関わる問題だ。
「ひとつ提案が」
貴族のひとりが、指を組んで言った。
「……聞こう」
「いま魔王どもの独立を保証しているのはトリストラム王国です。連中は謂わば人間の敵に魂を売った国家。正義を掲げる国としては、戦端を開くには充分な理由かと」
「それはならん!」
声を上げたのは将軍だ。
「連合国との戦争中だ、軍に余裕はない。2正面作戦は断じて認められん!」
「しかし将軍閣下」
貴族は立ち上がって、テーブルに広げられた戦略地図を杖で指した。
「新都の南に後詰めの部隊が待機しておるではありませんか。それを国境に展開すればよろしい」
「なんのための後詰めだと思っておる! 今は前線が維持されているが、それもいつか限界が来る! ロフテンコウスの会戦が良い例ではないか!」
「あれこそまさに魔王の所業によるものではないか!」
皇帝は王杖で床を突いた。
「いずれ相手にせねばならぬ相手だ」
「仰る通りかと」
貴族はニヤリと笑った。
彼は領地に鉱山を持っている。
戦争が激化すればするほど、鉱石の価値は高騰し、利潤も増えるという算段だ。
「ぬぅ……!」
このドブネズミめ!――と、口に出さないのが、将軍の精一杯だった。
貴族は続けた。
「皇帝陛下、あの3つの棺には明確な見立てが込められております。おぞましき魔獣を宿し、狂人と化したるはトリストラム王国。飢えさらばえたるは連合国。さればもうひとつの棺こそ……」
「最も悲惨に蹂躙されるべくは我が帝国ということか!!」
皇帝の脳裏に、肉塊と化した暗殺者の姿が思い浮かぶ。
魔王の悪趣味極まる所業に、皇帝は思わず身震いした。
「もはや一刻の猶予もない!」
皇帝は汗ばんだ手で王杖を握りしめた。
「それに、トリストラム王国と事を構えるのは早いほうが良いのです。私の調べによりますと、魔王どもと王国は、大規模な交易を交わしています。魔王どもへは豊富な食糧を、王国へは大量の鉱石を」
これは、将軍には知らされていない情報だった。
貴族は私兵をスパイとして扱い、その情報を政治の道具にしている。
「この段階での鉱石の使い道といえばひとつしかありません――槍、剣、盾、ヨロイ……王国は軍備の増強に励んでいるわけです。そして魔王どもとてそれは同じこと」
貴族は杖で、魔王領を指した。
「突然食糧の確保に乗り出したのも、おそらくは常備軍の設立に関わっていることでございましょう。魔物という鉄壁を誇る魔王どもが、今度は攻めの糸口を掴んだとなれば、もはや手がつけられぬかと」
「うむ……」
皇帝は深く頷いた。
その脳裏に浮かぶのは、おぞましい3つの棺だ。
「どちらにせよ叩くのは早い方が良いかと存じます」
「しかし……連合国との戦争が片付いてからでも遅くはないのではないか?」
将軍は、どうしても2正面作戦を避けたい。
しかし――皇帝が尋ねる。
「では将軍。連合国との戦争はいつ片付く?」
「それは……」
長きに亘る戦争だ――いつ終わるかなど知れたものではない。
「よいか、鉄は熱いうちに打つものだ! 我が精強なる兵をもってすれば、所詮は農業国のトリストラム、恐るるに足らず! 将軍、早速王国侵攻の作戦を立てよ!!」
魔王への恐怖を煽り、皇帝の信を得たのは、貴族の方だった。
将軍は眉間をつまみ、密かにため息をついた。
………………。
…………。
……。
「魔王様、スコーンにはもっとクロテッドクリームをたっぷり乗せた方が美味しゅうございますわ」
今や習慣になった、野外でのティータイムだ。
ディアナは陶器に入ったクロテッドクリームを、スコーンで大胆にすくい上げた。
キースもそれを真似してみる。
「ん、これはなかなかだな! でもこの食べ方、太らないか?」
「うっ……」
ティーカップを持つディアナの手が止まる。
「ま、まあ……魔王様ったら野暮なこと仰らないでくださいまし。食後に軽くフェンリルで野駆けでもすれば問題ありませんわ」
「なるほどな」
(やっぱり魔族でも食べ過ぎれば太るし、それを気にするのか……)
そんなことを思いながら紅茶を飲んでいると、砦から盗賊団の仲間がやってきた。
「おいキース! 馬に乗った野郎が来やがるぜ!」
「1騎か?」
「ああ、旗を掲げてる。トリストラム王国の遣いだ!」
キースはティーカップを置いて、使者を迎える準備をした。
「トリストラム王国の使者として参りました! 至急申し上げたいことが!」
使者は馬から降りると、キースに書状を渡した。
「アシュトラン帝国が、我が国に宣戦を布告致しました!」
「なっ……!?」
先日、平和の使者としてヴィクトルを送り込んだばかりだ。
このタイミングでの宣戦布告は、明らかに魔王国の存在を意識したものに他ならない。
「どういうことだ……?」
「まことに失礼ながら、私にはわかりかねます。詳しくはゴルドリューフ辺境伯の書状をご覧になっていただければ!」
「わかった……確かに受け取ったと伝えてくれ」
使者が立ち去ると、キースは早速四天王を集めさせた。
「ヴィクトル、きちんと弔った遺体を相手方に見せたんだよな?」
「はい……」
ヴィクトルは答えた。
「棺は3つとも確かに届けました……」
「3つ!?」
殺したのはゼルキンひとりのはずだ。
「生きてる奴も棺に入れちゃったの!?」
「はい……皇帝の前でフタを開けました……」
非常に嫌な予感がする。
「殺した奴はともかく、他のふたりはどんな状況だった?」
「ディアナが卵を産み付けた女は、幼虫を抱いて幸福そうにしていました……もうひとりは世話を失念していたので、糞尿にまみれ、水を欲していました……」
「それで、どうなった……?」
聞くのが怖いが、聞かないわけにもいかない。
「周りの者どもが襲いかかってきたので、撃退しました……お言いつけ通り、ひとりも殺してはいません……」
キースは頭のツノを抱えた。
(事実上の宣戦布告じゃねえか!……ヴィクトルの非常識も計算外だったが、これは完全に俺の説明不足だ……)
「あのな、ヴィクトル……」
ふらつきそうになりながらも、キースは言った。
「魔王国はアシュトラン帝国に手を出しませんよ、ということをアピールするためにお前を遣わしたんだ。だから相手を怒らせちゃだめなんだよ……」
「怒らせたから襲ってきた……つまり私は大きな間違いを犯した……」
ヴィクトルの表情からは、その想いは読み取れない。
しかし握りしめられた拳を見れば、自分のミスにショックを受けていることはわかる。
「お前も、ギンロウとアレイラが箱に入れられて送られてきたら、腹が立つだろう?」
「………………!」
ヴィクトルは目を見開いた。
「考えが足りず……私がこのような事態を……」
アシュトラン帝国の宣戦布告と、自分の行動の因果関係が、ようやくヴィクトルの中で繋がったらしかった。
「まあ、これは詳しく説明しなかった俺の落ち度だよ……あまり気に病まないでくれ」
その言葉を聞いて、ヴィクトルは膝をついた。
「魔王様……この度のこと、命を以って償えと仰ればその通りに致します……ですが魔王様がまだこの私を手足として考えてくださるのであれば……どうか……私に汚名返上の機会をお与えください……」
その声色は、いつものヴィクトルと変わらない。
しかしそこに込められた感情は、キースにも伝わった。
「………………」
キースのスキル【戦略】が、頭を巡り始めた。





