21話 怪盗魔王、国を作る
突発的な話し合いにあたって、主導権を握るのは良いことだが、やりすぎてもいけない。
そういう会議は、必ず禍根を残すからだ。
あくまで平等に対話をした――そういう印象を持たせなければならない。
「最初に断っておくが、俺たちは別に喧嘩を売りに来たわけじゃない」
キースは言った。
「もちろん脅迫でもない。冷静に話し合うためにちょっとした“手続き”は踏ませてもらったが、交渉が成功しようと決裂しようと、あんた方をどうこうするつもりはない」
すると、貴族のひとりが立ち上がった。
「そんなことを言って、我々が無事でいられるという根拠はどこにあるのだ!?」
「根拠ならあるさ。あんた方はまだ生きてる。それが最大の根拠だ」
キースの片眼鏡が光った。
「やろうと思えば、この場であんた方を皆殺しにして国を乗っ取ることもできる。それをしないのは俺の誠実さの表われだと思ってくれ」
貴族は、居心地悪そうに再びイスに座った。
「話し合いに際して、反論があれば遠慮なく言ってほしい」
そう言うとキースは、ディアナが用意したグラスの水を飲んだ。
「俺たちは、トリストラム王国と国交を結ぶためにここに来た」
会議室がざわめいた。
「まずそれに先立ち、魔王国を正式な国と認めてもらいたい」
「そんな、それは不可能だ! 魔王は人間の不倶戴天の敵! それを一国と認めるようなことをすれば、諸国に対する王国の立場がない!」
別の貴族が声を上げた。
「果たしてそうかな」
キースが答える。
「アシュトラン帝国と、コールデン共和国、ラデン公国の連合軍は、現在戦争状態にある。その勃発前、おたくらはアシュトラン帝国とコールデン共和国、このふたつの隣国と軍事同盟を結んでいたな。しかし戦争勃発直後にそれを破棄した」
スキル【統治】が、キースの脳裏に歴史を描く。
副将軍が声を上げた。
「当然のことだ! どちらに肩入れしようと、片方の条約に反することになる!」
「おたくらにとってはそうだろう、だが向こうさんにとってはどうかな?」
キースがそう言うと、副将軍は顔を歪めた。
「それは……」
「そうだ。あんた方の立場なんてものは、もうないのさ。つかの間の平和のために、あんた方はそれを棄てたわけだ」
キースの隣で、ディアナは微笑みを浮かべる。
「圧力がないわけじゃないだろうが、戦争中はまだいい。問題なのは戦争が終わったときだ。帝国と連合軍、どちらが勝とうと、勝った方は突然の同盟破棄を理由に、トリストラム王国に宣戦を布告するだろう、それはわかってるよな。現状を考えれば」
そう言って、キースは笑う。
「勝ち戦のあとの軍は怖いものだぞ。いちど血を浴びた者はますます血に飢える」
これは親分からよく聞かされた言葉だった。
「だからおたくらは今、それに備えているわけだ。さいわいトリストラム王国は豊かな農業国。軍備を拡大するのは容易だろう。だが、肝心の鉱物が不足している。隣国から輸入しようにも、戦争状態の国にとって鉱物は命綱だ、いくら積まれようが渡せるわけがない。そこでだ、そもそもなぜ魔王が人間の不倶戴天の敵なのか。そこに話は戻ってくる」
「……端的に話したまえ」
ゴルドリューフ辺境伯は、せめてもの存在感を示そうとして言った。
「何が言いたいのかね」
「魔王国領は、豊富な鉱物に恵まれている。しかし魔物がその採掘を阻んでいる。その魔物の長が魔王だ。要するにおたくらは昔から鉱物が欲しくて欲しくてたまらなかったんだよ。しかし軍を送り込めば全滅する。その場の人間が多いほど、集まる魔物は幾何級数的に増えるからだ」
先ほど軍の出動を起案したゴルドリューフ辺境伯は、それを聞いて歯噛みした。
キースは両手を広げる。
「だからおたくらは勇者なんてものを“発明”した。それが俺たちの血塗られた歴史だ。今日はそれを変えるためにきた」
キースは広げた手をパンと叩いた。
「ご希望通り、端的に言おう。俺たちも腹が減るってことさ。腹を空かして農業国に来た。大量の鉱物を背中に置いて。国交を結ぶには充分な理由じゃないか。立場がどうこう言ってたが、はっきり言って王国にはもうそんな猶予はないはずだ。戦争終結のタイムリミットはすぐそこだぞ……ディアナ」
「はい」
ディアナは虚空から羊皮紙を取り出した。
アレイラの杖がわずかに光ると、羊皮紙はひらりと宙を泳いで、ゴルドリューフ辺境伯の手元に落ちた。
「国交を結ぶにあたってのこちらの提案だ。
ひとつ、魔王国を国と認めること。
ひとつ、魔王国の公認を、他国と人民に向けて布告すること。
ひとつ、食糧と鉱物との交易を開始すること。
交易レートは羊皮紙にある通りだ」
ゴルドリューフ辺境伯は眉根を寄せて、舐めるように羊皮紙に目をとおす。
「………………」
羊皮紙は、手から手へ、大臣から大臣へと手渡される。
トリストラム王国にとって喉から手が出るほど欲しい鉱物が、そこには羅列されていた。
「………………」
大臣たちの間で密談が交わされ、とうとうすべてが決まった。
「魔王怖い」としか言わない王からも、一応の了承を得た。
「わかった……君たちの要求を受け容れよう。合議により、トリストラム王国は魔王国を国家として承認することを決定した!」
副王ゴルドリューフ辺境伯がそう宣言したとき、キースは表情には出さないが、心の底からホッとした。
「……ただ交易レートに関しては、もう少し話を詰めさせてもらいたい」
「では交渉開始だ」
魔王国が国の公認が決定してからは、話し合いはスムーズに進んだ。
人間の敵ではなく、一国の長を相手取った会談として、体裁が整ったからだろう。
貴族や大臣たちは、やはり政治家だということだ。
「さて、調印式を行なうには、この会議室は不適でしょう。別の場所を準備致しますので少々お待ちを。何せ突然のことでございますから」
大臣の言葉に、キースは頷いた。
「アレイラ」
「了解でーす!」
アレイラが杖を掲げると、会議室を覆っていた銀色の光が消えた。
貴族や大臣たちから、ほうっとため息が漏れる。
議員や貴族の何人かは退席した。
その中には勇者パーティーもいる。
――マリィと、目が合った。
「………………」
その表情から読み取れるのは、もはや遠くなってしまった仲間を想う哀切だろうか。
しかし、それもつかの間のことで、マリィはゲルムたちを連れて会議室を出ていった。
待ち時間、キースたちを含む皆にコーヒーがふるまわれた。
「コーヒーもたまにはよろしいですわね、魔王様」
「……そうか、ディアナはまるきり紅茶党かと思ってたよ」
「魔王様! わたし苦いのダメですー!」
アレイラが舌を出すと、ギンロウがたしなめた。
「騒ぐものではない。私のクリームが残っているから使え」
「ありがとーギンロウ!」
その隣で、ヴィクトルはカップに角砂糖をポンポン放り込んでいる。
「準備が終わりました。ご案内いたします」
ちょうどコーヒーを飲み終わった頃、大臣のひとりが近衛兵を伴ってやってきた。
「どうぞこちらへ」
大臣貴族、王に将軍、魔王、四天王。
ぞろぞろと廊下を歩く。
そこでちょうど、美しい貴婦人が現われた。
すれ違う前に、優雅に一礼する。
キースが城に忍び込んだときに、会話を交わした女だった。
「これはお久しぶりです」
キースが言うと、貴婦人は扇子を口元に当てて首を傾げた。
慌てて大臣が耳打ちする。
「こちらは魔王……魔王陛下ですエメリア様」
それを聞くと、貴婦人は柔らかい笑みを浮かべた。
「まあ、そうでございましたの。ですが、お会いするのは初めてかと。その立派なツノを拝見して、忘れるはずがありませんもの。わたくしはエメリアと申します」
さすが王族だけあって、豪胆だ。
肝心の王は抜け殻と化しているが。
「俺は魔王キース。確かにこの姿で会うのは初めてだが……こっちだとどうかな」
――【変装】。
「お久しぶりです、エメリア様」
突然衛兵に姿を変えたキースを見て、エメリアはさすがに驚いた様子だった。
周囲の貴族大臣たちも、思わず後ずさる。
「確か、そうよ、キース・アルドベルグ……陛下とお呼びすればよろしいでしょうか」
【変装】を解いて、キースは笑った。
「覚えていただけていたとは光栄だ」
エメリアも笑みを返す。
「確かにあの夜の月は、美しゅうございましたわね。何やら騒がしい夜でしたけれど」
「下界がどれほど騒いでも、夜空は静かなものだ」
「仰る通りですわ」
大臣たちは、話しが終わるのを直立不動で待っていた。
相手は魔王だ。
そろそろ行きましょうなどと言えるはずもない。
エメリアも、その様子に気づいたらしかった。
「あら、これ以上はお邪魔のようですわね」
「ではまたお会いしよう」
「ええ、必ず」
ふたりは互いに会釈を返した。
一団は再び歩き出す。
「さっきの彼女……エメリアさんはどういう?」
キースは大臣のひとりに尋ねた。
「エメリア様は王陛下の妹君であらせられます」
「歳が離れてるんだな。顔が似ていないのは幸運だ」
調印式の行なわれる場所は、城の中庭だった。
立派な天幕が張られ、重たそうながっしりしたテーブルがその中央に置かれていた。
そのテーブルに乗せられた2枚の羊皮紙が、両国の運命を決める。
「では、議定書にサインを」
キースはサラサラと、王は「魔王怖い」と震えながらサインをし、調印が為された。
大臣が耳打ちすると、王はうんうんと頷いて、口を開いた。
「では……えーと……ここに? トリストラム王国と、魔王国の、えーと……こ、こっこ、こっこうじゅりつを、せんげんする!」
まばらな拍手が起こる。
(これで、俺は一国の主か。俺が国を動かしていくのか)
キースは思った。
(一国が動けば他の国も動く。俺のひとことで、大陸が動くわけだ……)
奇妙な実感。
少し怖いようでいて、けれども心の底ではわくわくが渦巻いている。
「………………」
気づけば、王が目を閉じて手を突き出していた。
それをキースは、ぎゅうっと強めに握ってやった。
「い、痛いよ……怖いよ……」
「失敬!」
こうして、トリストラム王国によって魔王国は国家として認定され、さらに国交の樹立が決まった。
「では、このあたりでお開きとしようか。有意義な会談が持ててよかった。これからもよろしく、国王陛下」
「魔王怖い……」
「交易路の整備や費用については、後の議題とさせてもらおう。アレイラ」
「はいはーい!」
アレイラが呪文を詠唱する。
激しい風が吹き、天幕がバタバタとはためいて、庭木がしなった。
そうして雷光とともに現われる黒い塊――【ゲート】。
「では失礼」
【ゲート】の中に5人が消えていくと、そこにいたすべての人間が、ほうと深く息をついた。
まるで夢でも見ていたかのようだ。
しかし国王の手にある1枚の羊皮紙が、まざまざとその現実を突きつけていた。
 





