2話 盗賊、勇者パーティーに裏切られる
荒れ地を抜け、険しい山脈を越え、広い草原を抜けると、エレムの町に辿り着く。
勇者パーティーは、町の人々の歓声に迎え入れられた。
広場に天幕が張られ、料理や酒がテーブルにめいっぱい用意され、魔王討伐記念のパーティーが開かれた。
みんな大いに食べ、大いに飲んだ。
キースはというと、少しばかりのぶどう酒で喉をうるおし、ひとり宿屋に戻った。
宿屋に着くと2階に上がり、自分の部屋に入って、ベッドに座った。
遠くから、パーティーのどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。
(最悪の旅だった……)
キースは思った。
(俺が盗賊だからって、ゴミのように扱われて、なじられて。マリィの存在だけが唯一の救いだった。でも、それももう少しで終わりだ。王国に帰れば、やっと連中と別れられる……)
キースが勇者パーティーに参加したのには理由がある。
孤児だった自分を育ててくれた、家族とも言えるアルドベルグ盗賊団の釈放だ。
魔王を討伐すれば、必ず彼らを牢獄から解放すると王は約束してくれた。
キースは拭いきれない悔しさを、仲間を助けるという喜びで塗りつぶそうとした。
それでも、ふつふつと湧き上がる怒りや情けなさは、どうしようもない。
(ダメだな……何も考えたくない……俺はもう疲れた……)
キースはベッドに身を任せ、目を閉じた。
それからしばらく経って、ゲルム、ゾット、メラルダは、へべれけに酔って宿に戻ってきた。
「久しぶりよー、こんなに飲んだのも食べたのも!」
「酔うと色っぽいぜ、メラルダ」
「クソッ! マリィはどこへ行ったんだマリィはよ!」
騒ぎながら入ってきた3人を、宿屋の店主が呼び止めた。
「勇者さま、実は王様からの手紙を預かっておりまして」
「祝いの手紙か何かか? なぜ早く渡さない」
「それがですね……」
店主が口の横に手のひらを当てたので、勇者は耳を近づけた。
「キース様のおられないところでお渡しするよう、使者の方がお命じになったもので……」
「はぁん?」
ゲルムは手紙を手に取った。
堅い封蝋で閉じられた封筒は、それがまだ誰にも読まれたことがないことを示している。
国の紋章を象ったその封蝋を剥がすと、ゲルムはその場で手紙を開いて読み始めた。
――酔いが冷めていくのが、傍から見ていてもわかった。
「何が書いてあったの?」
「……読めよ、なかなか面白いぜ」
勇者は冷たく笑った。
残りのふたりが読み終えると、やはり同じような笑みを見せる。
思わぬところで弱い魔物を発見した、そういうときに見せる表情と、それはとてもよく似ていた。
「じゃあ早速王様の“お達し”を済ませるとするか」
ゲルム、ゾット、メラルダは2階に上がると、キースの部屋のドアを開けた。
「……なんだ、起きてやがったのか」
「君たちが騒いでたからな」
キースは起き上がってベッドに座っていた。
3人が騒いでいたから、というのは嘘だ。
目を覚ましたのは――ドアの向こうに殺気を感じたからだった。
この3人に悪意を向けられることは、珍しいことではない。
しかしキースが知覚した殺気は、ただごとでは済まないことを感じさせた。
「俺に用があるなんて、珍しいな……」
キースがそう言うと、ゲルムはニヤニヤ笑いながら、勇者の剣を抜き払った。
ゾットは斧を持っている。
メラルダの手にも杖があった。
信じられない、信じたくない状況だが、目の前の現実を受け容れるしかない。
どういうわけか、キースは殺されようとしている。
相手は勇者、戦士、魔術士、とても勝てる相手ではない。
「王様は、勇者パーティーに盗賊がいると都合が悪いんだとよ」
ざっと血の気が引いた。
アルドベルグ盗賊団が解放されるのは、キースの働きに対する恩赦あってのことだ。
その王がゲルムたちに“命令”を下したのだとしたら――。
(クソッ! 裏切られた……っ!)
キースが亡き者にされれば、恩赦もなくなる。
王には最初から盗賊団を解放する気など、これっぽっちもなかったのだ。
「だから悪いがお前は追放……だと甘いって話だ。要するにきったねえ盗賊は殺しとけってお達しだ。恨むなよ」
そう言って、ゲルムは剣を振り下ろした。
「…………っ!」
間一髪で剣をかわすと、キースは床に置いたバッグを拾い上げた。
――しかしドアにはゾットとメラルダが待ち構えている。
出口を塞がれた密室では、スキル【逃走】も役には立たない。
キースは迷いなく、ゾットに短剣を投擲した。
ゾットは短剣を斧で弾く――そこまで計算済みだ。
「大人しく殺されるつもりはねえらしいな!」
ゾットが斧を振り上げたことで、出口の脇に隙ができた。
キースは床を蹴ってそこをすり抜けようと疾走する。
しかし計算外だったのは――メラルダが室内であるにもかかわらず、ファイアを放ったことだった。
「……なっ!?」
ここまで非常識な奴だとは思わなかった。
ファイアは壁を貫いて燃え上がる。
キースは横っ跳びにそれを避けたのだが、それが致命的だった。
――背後からの斬撃。
「ぐうっ!」
ゲルムの剣に背中を斬りつけられて、キースはうめき声を上げた。
「あんま無茶すんなよメラルダ」
「ごっめーん」
体勢を立て直そうとしたキースに、続けて部屋に入ってきたゾットの、斧の一撃が襲いかかる。
素早く屈んで直撃は避けたが、それでも深く肩を抉られた。
「俺様から逃げられると思うなよ、ネズミ野郎」
背中から、肩から流れる鮮血が、床に広がっていく。
しかしキースは、全員が部屋に入ってきたことで、出入り口までの逃走経路を見極めた。
――【逃走】。
キースは身を低くして、ゾットの脇をすり抜けた。
「なっ、てめえっ!」
興奮状態で強い痛みは感じないが、確実に力が抜けていくのを感じる。
一刻も早く宿から脱出し、できるだけ遠くまで――。
――その背中を、メラルダの炎が焼いた。
「ぐあああああっ!!」
キースは勢い余って前の壁に激突し、転がるように廊下を這い出て、階段に身を躍らせた。
「まずいぞ、あいつ逃げ切る気だ!」
ゾットが叫んだが、ゲルムはその背後で剣を収めた。
「致命傷は充分に与えた。あとはどこかで野垂れ死ぬだろうよ」
………………。
…………。
……。
外は雨が降り始めていた。
キースは体力の続く限り必死で走ったが、それももう限界だ。
ついに路地裏で、キースは地面に倒れ込んだ。
焼けただれた背中が、雨に冷やされる。
背中と肩から流れる血が、流されて泥水に混じる。
(俺はここで死ぬのか……盗賊団の仲間はどうなる……クソッ……ここまで来て……)
悔しくて、悔しくて仕方がない。
しかしそんな気持ちも、血とともに流れ出していく。
キースが意識を手放そうとしたそのとき――。
「キース……さん……?」
現われたのはマリィだった。
「マ……マリィ……」
キースが顔を上げると、マリィは説明は後だとばかりに素早くヒールをかけた。
緑色の温かい光に照らされて、焼けただれた皮膚はよみがえり、切り傷が塞がる。
よく訓練された神官のヒールは、痕も残さずにキースの怪我を癒やした。
「ありが……とう……マリィ……」
息も絶え絶えに、キースは言った。
「どうして……こんなところに……」
「パーティーのお片付けを手伝っていたんです。それより、いったい何が!?」
マリィはキースの背中を抱き起こす。
「今仲間を呼んできますから……!」
「それは駄目だ!」
キースは掠れた声で言った。
「いいかマリィ……俺を見つけたことも……ヒールをかけたことも……絶対に誰にも言わないでくれ……事情は聞かないでほしい……」
これはマリィのためでもある。
「さあ、宿に戻るんだ……君のおかげで……少し休めば動けるようになる……」
「そんなはずはありません、傷は癒えても失った血液や体力はまだ!」
「戻るんだ……いいか、何があっても奴らに話を合わせろ……何があってもだ……」
「わかり……ました」
何があったのかはわからないが、キースの真剣な表情にただならぬものを感じたマリィは、素直に頷いた。
「戻ります。くれぐれもお気をつけて」
「ありがとう。君はずっと、俺の支えだったよ……」
マリィは名残惜しげに路地裏を去っていき、キースは雨の中ひとり取り残された。
「寒い……」
あまりにも血を流しすぎた。
雨の中で、どんどん体温が下がっていく。
「……そうだ、こいつがあったな」
バッグの中から、魔王のマントを取り出した。
あまり暖かそうではないけれど、雨をしのぐくらいのことはできそうだ。
「こんなところで、役に立つなんてな」
緩慢な動作で魔王のマントを羽織ると――首元で、留め具が勝手にカチャリと嵌った。
思わず外そうとしたが、びくともしない。
「な……!」
次の瞬間、渦を巻くようなめまいに襲われ、キースは気を失った。