16話 怪盗魔王、エルフを従える
ドワーフ、ゴブリン、オーク、コボルド――このひと月で、キースは多くの種族たちの住処を回ってきた。
そして再び訪れたエルフの里。
エルフの解放にはキースと、【ゲート】を使うためのアレイラ、そして功労者であるギンロウが立ち会った。
テーレムが馬車の扉を開くと、囚われていたエルフが次々と降りてきた。
エルフたちは、みな清潔な服を着せられている。
けれども、その瞳に宿った絶望や、緩慢な動き、重苦しい佇まいを隠すことはできない。
美しい種族なだけに、なんとも痛々しかった。
エルフの家族たちが、走り寄って彼女らを抱きしめる。
その腕の中で、囚われのエルフたちは、ようやく涙を流すことができた。
彼女たちの泣きむせぶ声が、静かな森に響く。
「これが、私の財産のエルフどもすべてです! どうか、命だけは……」
馬車から降りたテーレムは額を地面にこすりつけた。
「……俺たちの徒を財産、エルフ“ども”だと?」
キースは、かつて夜を共にしたフィオーレのことを思い出していた。
からい涙を流すエルフたちと、彼女を重ねると怒りが湧いてくる。
「魔王様、いかが致しましょう。始末しましょうか」
「ひいっ、それだけは……っ!!」
ギンロウの言葉に、テーレムは震え上がった。
「黙れゲス野郎。いま考え中だ」
殺すだけの理由は充分にあるし、そうしたい気持ちもある。
しかし、スキル【統治】がそれを押しとどめた。
「……君たちはどうしたい。この男を殺すか、生かすか」
キースがエルフたちに尋ねると、彼らは互いに顔を見合わせた。
しばらくすると、エルフの長である女が前に進み出た。
「穢れた血は、もう充分に流されました。これ以上、森での殺生は無用かと存じます」
ギンロウの戦闘は、アレイラの【スカウト】と、その光景を映し出す【プロジェクション】によって、キースも目にしていた。
エルフたちは、これ以上の流血をもう見たくないのだろう。
「じゃあ森を出たところで殺すのはどうですか!? 私、人間を苦しめて殺す方法いっぱい知ってるんですよ!」
アレイラは赤い瞳を輝かせて言った。
テーレムはひざまずいて下を向いたまま、真っ青な顔に脂汗を流している。
(おそらく……それもエルフたちの望むところじゃないんだよな)
キースは考えた。
復讐心を血であがなうには、エルフはあまりにも高貴で、純真すぎる。
「ギンロウ、この男に飲ませた“身体”だが、このままにしておくことはできるか?」
キースが尋ねると、ギンロウはうやうやしく答えた。
「は、可能でございます。また、それによる支障はいささかもございません」
「わかった。顔を上げろゴミムシ」
「は、はいぃぃ!」
テーレムは額に泥をつけた顔を上げた。
「お前の身体に埋め込んだ刃は、そのままにしておく。死ぬまでだ」
キースは冷たい目で言い放った。
「少しでも俺の気が変われば、どこにいようとお前は死ぬ。2度とエルフには手を出すな」
「はい……それは……もちろんでございます……」
片手で重い腹を探りながら、テーレムは答えた。
この男は、もう一生ギンロウから逃れられない。
「それと、命令だ」
キースはマントから、血を抜いた傭兵の生首を取り出した。
ギンロウに命じて回収させたものだ。
「これを掲げて、街中を練り歩け。噂を広めろ。エルフに手を出すとどうなるかを」
キースが生首を差し出すと、テーレムは震える手でそれを受け取った。
「魔王の目を甘く見るなよ。常に見張られていると思え」
「はいっ、それはもう! もちろんでございます!」
「では服を脱げ」
「……は?」
テーレムはあんぐりと口を開ける。
「難しいことは言ってないぞ、服を脱げと言ったんだ。それとも皮ごとひん向いてやろうか」
「ひいっ、わかりましたっ! 今すぐにっ!」
生首を傍らに置いて、テーレムは大急ぎでフロックコートを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、シャツ、ズボンを脱いで素っ裸になった。
「後ろを向け……そうだ。じゃあ、アレイラ。例の通りに」
「はい、お任せを! 燃えよ蛇の舌――【ブランド】」
アレイラの杖の目玉から、赤い光が細くほとばしった。
光は蛇のようにうねりながら、テーレムの背を焼いた。
「ぐがああああああああああああ!!」
倒れ伏したテーレムの肌に、赤い光は執拗にまとわりつく。
脂汗を流して苦しむテーレムの背中に、文字が焼きつけられた。
『 この者 愚かにもエルフの怒りを買い すべてを失えり 』
「上出来だ。アレイラ、次を」
キースはアレイラの手を握った。
思い浮かべるのは――王都中央広場の噴水。
アレイラはキースのイメージを受け取って、呪文を詠唱する。
「闇を纏いし連綿の、継ぎに継ぎたる時の業……」
強い風が吹き、黒い塊が現われ、雷光が走る。
そして王都への【ゲート】が開いた。
「早く起き上がって、この中に飛び込め」
テーレムは背中の痛みに耐えながら、よたよたと立ち上がった。
「と、飛び込んだら……私は……どうなるんで……?」
「いいから首を拾って飛び込め」
怯えながら生首を拾い、じりじりと【ゲート】に向かうテーレムの尻を、キースは強く蹴り上げた。
「あひいっ!」
叫び声ひとつ残して、テーレムは【ゲート】に吸い込まれていった。
今頃、広場の噴水に頭から突っ込んでいることだろう。
「……よくやった、ギンロウ」
キースが声を掛けると、ギンロウはひざまずいた。
「誘拐に来た一団を撃退するだけなら、他の四天王にもできたことだろう。しかし囚われたエルフたちを連れ戻せたのは、お前の力あってのことだ。本当によくやった」
「お褒めの言葉、恐悦至極に存じます」
ギンロウは頭を垂れた。
「魔王様……」
エルフの長が言った。
恭順を示す表情は、最初にこの里に訪れたときよりも、少し晴れやかに見える。
「このたびはまことに、まことにありがとうございました。同胞を取り戻してくださったこと。奴隷商人が2度と現われないようにして下さったこと……感謝してもしきれません」
「その感謝はきちんと返してもらう」
キースの中で閃く【統治】、そして【戦術】……。
「定期的に“生け贄”というかたちで、恭順の意をかたちにしてもらっていたわけだが……」
エルフの長の顔が、さっと曇る。
生け贄を献げなければならない魔王と、仲間を連れ去る奴隷商人。
エルフにとって恐怖の度合いは違えど、本質的にその両者は変わらなかったことだろう。
しかし――。
「もう生け贄は必要ない」
このタイミングだ、とキースは思った。
エルフの心の底から感謝と恭順が湧いて出た、その瞬間にこそ、この言葉は意味を持つ。
長はそれを聞いて、目を丸くした。
「その代わりに、兵を供与してもらう。エルフの弓兵は優秀だ」
キースは、事の成り行きを固唾を呑んで見守る、エルフ達を見渡した。
「俺の意に従っていつでも出撃できるよう、常備軍を組織し、より訓練を積ませろ。そうすれば、俺はエルフの庇護を約束する」
「………………」
エルフの長は、それを聞いて、ぽろりとひとつ涙をこぼした。
長だけではない。
ひとり残らず、エルフは泣いていた。
人間から狙われ、魔王に生け贄を取られ――人魔両方に搾取されながら、エルフはじっと耐えてきたのだ。
高貴で純真な心を、どうにか折らずに、じっと今まで耐えてきた。
それが今日、ようやく認められたのだ。
――自分たちは物ではなく、民であると。
「………………」
エルフたちの様子を眺めていると、キースの目頭も思わず熱くなってきた。
彼らほど切実でないにせよ、キースにも物として扱われた過去がある。
しかしここで同情の涙を流すようでは、とても魔王の威厳は保てない。
一方、エルフの長は素直に涙を流し、深く頭を垂れた。
「我々エルフはこの先、たとえいかなることがあろうと、魔王様のお力のひとつとなることをお約束致します……」
その言葉と共に、その場に集まったエルフは、みな一斉にキースにひざまずいた。
(これでひとつ、問題解決だ……)
キースはエルフたちに頭を上げさせ、長を含む数人と食事を取ることを持ちかけた。
この提案は、快く受け容れられた。
今夜の食事は、以前のように息苦しいものではないだろう。
(アレイラにジョークのひとつでも披露させるか)
そう思ったのだが――。
「……で、その男は言ったんですよ! 『やめてくれ、そいつは俺のオフクロだ!』ってね!」
結果は微妙な愛想笑いで終わった。
ドワーフにはバカウケだったジョークなのだが――やはり種族によって笑いのツボは違うらしい。





