07 田舎街エレノア
この街、エレノアはヴァーミリア王国の中でも辺境に位置する。
片側を海、もう片側を草原に囲まれた小規模の街だ。田舎と言ってもいい。
一応、王国規則に則って街は外壁に囲まれてはいる。
肝心の街の中だが、これはもう田舎特有の長閑な雰囲気が流れている。
規則、ルールは基盤となる王国のもの以外はそれぞれの街に任されているが、ここエレノアはこれも緩い。
人種に縛りはなく、商売も自由に行える。
海が近いので漁を行えるのは大きく、魚の輸出が街の経済を支えている。
また、野菜や果物の収穫量も多い。自然環境には恵まれていると言っていいだろう。
だがその分、軍事力はほぼ無いに等しい。
王国軍の駐屯兵がいるにはいるが、それも僅かである。
何人かがローテーションで王都からやってくるらしいが、このエレノアへの派遣は彼らの中で休暇と呼ばれているらしい。
この長閑さでは仕方のない事ではあるが。
また、一応冒険者ギルドは設置されていて、少なくない人数が集まってはいるが個々の能力は大型都市の冒険者とは比べるべくもない。
そもそも、周囲に凶暴な魔物が現れる事も滅多になく経験も重ねられないので当然だ。
稀に現れる実力者も、成り上がりを目指して王都に旅立ってしまうので街に定着しないのだ。
「そんなわけでさ、なーんにもないよこの街には。田舎ライフをエンジョイしたいってんならオススメするけどさ」
「ふふ、良いではないですか、何もないのも。この穏やかさは王都には無いものです。なんだか落ち着きます」
「そう言ってくれると嬉しいよ。メリアは王都の生まれ?」
「はい。生まれも育ちもずっと王都です。だからでしょうか、外の街に行く時はこうして歩いてその雰囲気を感じたいのです」
「そっか……」
異世界に来てからその王都とエレノアが世界の全てであるカナメとは真逆の人生を送っているらしい。
もっともこの世界に召喚される前は大都会で暮らしていたのでその窮屈さは理解出来る。
確かに現代と比べてネットも娯楽もない。けど、それも慣れだった。この文化に慣れてしまえば大した問題ではなく、むしろ居心地は良くなった。
なんだか自由を手にしたような、そんな気持ちになれたのだった。
「何もない日常を皆が笑顔で過ごしている。それは素晴らしい事だと私は思います」
「心の余裕だけはあるからな。あまり諍いが起きないのもそれが理由かも。基本スローペースだからなあ」
慣れた頃は異世界田舎ライフ万歳、と喜んだものだ。
「でもたまに大きいイベントも起きるんだぜ。例えば五日後には王国のお姫様が視察にくるんだよ。確か第五王女だったかなー」
「……………………」
「ギルドのアホ共はいい所見せるぞー、なんて張り切ってたけどさ。そんなの見せようがないよな、せいぜい宴会芸程度だろうに」
「…………そんな事すら、一大イベントなのですね」
「そんな事って……だってお姫様だぜ? それもこんな辺境の街に来てくれるんだ、そりゃ盛り上がるだろうよ。メリアはそういうの興味ないの?」
「そういうわけではありませんが。……それで、カナメさんはそのお姫様の事どう思います?」
やや俯き気味で、メリアはそんな事を聞いてくる。
「どう、と言われてもな。正直どんな人なのかすら俺は正直知らないし、とりあえず物好きな人だとしか言えないな」
「物好き……確かにそうかもしれません。こんな事をしているのは…………第五王女くらい、らしいですし」
「そうなのか? まあ、何にせよ雲の上の人だからな。お近づきになれない人の事を考えても仕方ない。まずは目の前の事だ。次は海が綺麗に見えるスポットに連れてくよ」
王国側に召喚されていれば関わる機会もあっただろうが、全く違う立場で転移させられたカナメには関係のない話だった。
言うなればカナメは野良の召喚者だ。おまけに逃げ出した身。身分も能力も低いのは仕方ないといえば仕方ない。
「ふふふ、最初は頼りないと思ってしまいましたが、こうして一緒に歩いているとそんな事はないですね。何もないと言っていた街の魅力的な場所を案内してくれる。素敵な方です」
「や、やめてくれ。褒められるのには慣れてないんだ……。そういう君は随分慣れてそうだけど」
「ええまあ、そういう環境で育ったものですから」
「そうか……いや、何となく予想はしてたけどいいとこの人? 大丈夫か、俺なんか失礼してない?」
「大丈夫ですよ。むしろ、変に意識されない方が私は嬉しいので」
そう言って、相手を安心させるような優しい笑みを浮かべる。
だが、特異な観察スキルを持つカナメには分かっていた。
それは先刻「ありがとう」の言葉とともに繰り出された完璧な笑顔と同じ。計算し尽くされた、慣れた挙動だった。
おそらく反射的に行ってしまう程度には身体に染み付いている。
もっとも、スキルなどなくとも人間観察が趣味だったカナメは見破れただろうが。
そして、だからこそ彼女の言葉が嘘でない事もわかる。
ここは変に意識しない事が正解だ。……まあ、カナメは元々そんな器用な事ができるタイプではないのだが。
と、その時。
「おうカナメ、何だよ今日は女連れか。珍しいな」
そんな声がかけられた。
その声の主は八百屋のおっちゃんだった。ただ、ヒトではない。いわゆる獣人というやつだった。
茶色い毛が特徴で、ガタイもいい。
「珍しくは余計だ。あと今日は買い物をする予定もないぞ」
「おうおう悲しいねえ。お前の好きなアービの実が入荷したってのによ。だがまあ、それなら仕方ねえ。ちょうどギルドから発注受けたしなあ」
「前言撤回だ。とりあえず今すぐ二つくれ。もちろん一番鮮度がいいものをな」
「へへ、そう言うと思ったぜ。まいどー」
銀貨を数枚投げて渡すカナメ。
それを受け取った店主の獣人も黄色い果実を二つカナメに投げてよこす。
「サンキュー」
「ったく、そんな美人と知り合いとはお前も隅に置けないねえ。今度俺にも紹介してくれよな」
「ジル……仕事は真面目にやった方がいいぞ。ほら、お客さん来てるし」
「え、あっとすみません。いらっしゃいませー!!」
実際に人は店に来ていて、ジルと呼ばれた獣人は接客に戻っていった。
カナメは買ったアービの実を一つメリアに渡す。
だが、それを受け取ったメリアは不思議そうな表情を浮かべるだけだ。
「えっと、これはどうすればいいのでしょうか?」
「どうって、そのままかぶりつけばいいんだよ」
手本を見せるように、アービの実にかぶりつくカナメ。
甘さとすっぱさが共存した絶妙な味が口の中に広がる。店主の言う通り、カナメはこの味が好みなのだった。現代でいうところの林檎のような味だ。
しかし、メリアはポカーンとしているだけだった。それを見て、カナメもなんとなく察する。
「ゴメン、こういう買い食い的なのとかした事ない層か。すまん」
「い、いえ!! 大丈夫です、こうかぶりつけばいいのでしょう。何も問題はありません」
カナメの観察スキルは緊張有りと示している。
おそらく彼女の普通では果実も切り分けられて出されていたのだろう。直接齧るというのは初めてに違いない。なら無理をさせる事もない。
そう、カナメは思っていたのだが。
メリアは、両手で掴んだアービの実に恐る恐る口をつけた。
シャクリという咀嚼音。
遠慮気味な食べ方だったが、その反応は────。
「お、おいしい!!」
そんな風に目を輝かせて言った。
すぐさま二口目。
次々に口をつける。
「な、なぜでしょう。アービの実は食べ慣れているはずなのに……いつもより美味しく感じるのは」
「いつもは取れてから数日後の物を、さらに切り分けてるんだろう? アービの実は取れてすぐかつ加工をしない程美味しいんだ。そりゃ、別物だろう」
そのカナメの言葉に、驚きかつ嬉しそうな表情を浮かべるメリア。
「そ、そうだったのですね。勇気を出してみたかいがありました……それにしても美味しい」
一口。また一口と口が進む。
そんな様子がなんだか微笑ましかった。
「そんなに急がなくても逃げたりしないよ。それにほら、食べたいなら俺のもあげるし」
そう言って自分のアービの身を差し出すカナメ。
確かに好きな果物ではあるが、入荷すればいつでも食べられる。それなら機会の少ないメリアにあげた方がいい。
そんな考えだったのだが。
「い、いえ……そこまでは。それはカナメさんのですし。それにその…………いえ本当に大丈夫ですから!!」
と、なぜか顔を赤くしながら断られてしまった。
いいところの生まれらしいし、がっつき過ぎるのも……という事かな。と自分の中で納得するカナメ。
少しずつ食べながら、カナメの数歩後を歩いているメリア。
そんな中で、ふと表情が変わる。
「私はこんな事も知らなかった……うん、やっぱり外を知る事には意味があるのです。果物一つでもこんなに違いがあるのだから」
噛みしめるように、納得するように彼女はそう言った。
その真意をカナメは知らない。けど、そこにマイナスのイメージは持たなかった。
きっと、彼女の笑顔が尊いものに感じたからで。
今までにない世界を知る。それをポジティブに受け取れた事が眩しかったのかもしれない。
さあ、歩みを進めよう。