01 何処でもない何処か
その運命の日。
気づいた時、カナメは真っ白な空間にいた。
見渡す限りの白。地平線まで白一色の異様な空間だった。
そこにポツンと座りこむ少年一人。
「おかしい、俺は家で昼寝をしていたはずだ……」
まず疑った可能性はここが夢の中だという事。しかしその場合ならいずれは覚めるし、何かをしても無意味だろう。
だから、考えるのなら別の可能性だ。
これが夢でないのなら、自分は拉致でもされたか?
誰が、何処に、何のために────?
「いややっぱありえねーわ。こんな白だけの空間地球上にないって」
こんな、距離も方角も上下さえも分からない世界は現実のはずがない。
一歩、また一歩と足を踏み出してはみるものの、景色が変わらないため進んでいるのかさえ分からない。歩いているという感覚さえ希薄だ。
いっそ目をつぶった方が現実を感じられた。
「ふむ、これはあれだな……開始数秒で詰んだな。なんてクソゲーだ」
何ともどうしようもない状況だ。
こんな時の解決方法など学校では教えてもらってない。
もっとも、その学校にすらカナメはろくに行っていないのだが。
望月要の現在を分かりやすく言うのなら、本来高校二年生のはずの引きこもり……と言ったところか。
劇的な事など何もない。ただ平凡な生活を送ってきて、ただ理由もなく堕落したどうしようもない男だった。
得意な事はネット掲示板でのレスバトルと人間観察。運動神経は並みだが体力はないと、こういう非常時には何とも役に立たないステータスを誇っている。
強いて言う強みは頭の回転が早いところか。それも思考のリソースが全て自分に向いているがゆえの性質なので悲しみしかないが。
「ったく、他に反応示すものがないから自己分析とかしちゃったじゃないか……」
文句を漏らすカナメ。
と、そんな時だった。突如上──と思われる方向から声が降りてきた。
まるで自分の骨でも振動しているのではないかと錯覚するほど違和感のある声が。
「汝、何故この聖域に足を踏み入れた」
男なのか女なのか。子供なのか大人なのか。悪人なのか善人なのか。
判断が不可能な抽象的な声──というより音。
「悪意を持ってこの地に降りたのであれば消す。興味本位で来たのであれば、ぶっとばす」
「急に口悪くなったなおい。……でも、それで帰れるなら好都合だ。早く俺をあのあったかいベッドの上に戻してくれ」
カナメはそう、人生を諦めている。だから今の引きこもり生活を否定しない。
だから現実こそ彼の家。そこに戻る事になんの躊躇もないし、それは望む事だ。
「うわお、久しぶりに会ったな……ここまでのダメ人間は」
「おい、喧嘩売ってんのか? なら面見せろやこら」
「はっ、はっ、はっ。ポーズだけの威嚇には何の力もないよ。ああでも、喧嘩は売ってないよ。むしろ君を歓迎しよう……渋々だけど」
「誰だか知らねえけど一言多いんじゃないの? なに、人を煽る事に愉しみを感じるタイプの人?」
「ぐちぐちうるさい人だなもお。さては君友達とかいないな?」
「い、いるし。友達百人いるし、全然ぼっちじゃねーし!!」
「あっ…………」
何かを察したような声の後、気まずい沈黙が流れる。
強がってはみたが、実際カナメに友人と呼べる存在はいない。そもそも引きこもりで学校には行っていないのだから、いないのが当然なのだが。
もちろん、昔──小さい頃はいた。けれど成長し、進学するにつれ……。
「いいんだよ、俺は一人が好きなんだ。それで、ここはどこでお前は誰なんだよ」
そんな当たり前の疑問をぶつける。
こんな異常な空間が現実のはずはない。それを客観的に分析できている自分にも驚いたが、常日頃から妄想を繰り広げているのが功をそうしたのかもしれない。
現実での生活も虚ろに過ごしているカナメにとって、空想との境目などあってないに等しい。……それは言い過ぎか。
「いやいや、君の思う事に間違いはないよ。ここは現実と空想の狭間。そして私は……まあ神みたいなものだよ」
「神様にしては随分フランクだな……で、こんな所に俺を連れ込んで何のつもりだ? もしかして乱暴するつもりか、薄い本みたいに!!」
「冗談を言う余裕があるなら平気だね。でもそこは私も分からない……こちらから君を呼んだ記録はない。だとすると……まあ原因は色々考えられるけど、結論は一つだ」
どこからか降り注ぐ声は、一つの事実を告げた。
「君は元の世界に戻る事は出来ない」
一瞬の、間。
声の言っている事がいまいち理解できない。
帰れない? 自分は何もしていないのに、唐突に謎の空間に閉じ込められて終わり?
「ふ、ふざけんな。こんな所にずっといたら餓死する前に発狂する!!」
カナメは現実に未練はない。
いつも劇的な変化が起きる事を妄想していたくらいだ。けど、いざそうなると困惑と焦りの方が大きい。
「そうは言われてももう元の世界との接続は切れてるし……けどそうね、こちらとしてもここにいられるのは迷惑。だからまあ、違う世界に行ってくださいな」
「…………えーっと、それはつまり」
二人の言葉が重なる。
「つまり────異世界召喚ってこと」
「そそ、安心してもらっていいよ。チートはあげるし服もちゃんとしたのに変えてあげるから。流石にパジャマで放り出すのは可哀想だし」
「いや待て待て、そんな急に異世界行き決められても────」
「うるさいなあ、そうやって文句ばっか言ってるからこんな事になったんだよ。黙って行く行く」
瞬間、足元の感覚が消失した。
同時に感じるのは、浮遊感。景色は白一色のまま変わらないが、どうやらカナメは落下しているらしい。
「お、おわあああああああああああああああああああ!! 強制転移かよおおおおおおおおおおお」
明確な落下地点が視認できないおかげで恐怖感がないのは有り難いが。
身体の自由もきかない。意識もどんどん薄れていく。なんだか存在自体が希薄になっていくような、現実感がなくなっていくような不思議な感覚。
落ちる。
落ちる。
落ちる。
どこまでも落ちていく。
先の見えない底へ。先の見えない世界へ。
胸に飛来したのは期待か、不安か。それを判断する間もなく、カナメの意識は白から闇へと染まっていった。
最後に一瞬、星が見えた気がした。
何処でもない何処かで。
誰でもない誰かが。
世界を超えていくカナメを見て呟いた。
「行ってらしゃい……最後の召喚者。願わくば、君が世界を続けられますように」