12 エレノアの攻防
蹂躙。そんな言葉が脳裏をよぎった。
それほどまでに圧倒的な力。理不尽な暴力。
まだ距離はかなり離れている。五キロほど先だろうか。そこに立っているのは本当に一人の男だった。周囲を見ても仲間など見当たらない。
広い草原のため隠れる所はないのでそれは確実だろう。
だから、一人。
そのたった一人の人間の、たった一人の力で王国軍第一大隊は壊滅したのだ。
今も第二大隊が隊列を組んで駆けている。
彼らも決して弱いわけではない。それどころか国が誇る精鋭達だ。
剣術、魔法力、体力。様々な試験を突破し、一定水準以上の力があると認められた者しか入れない上級職だ。騎士とも呼ばれる。
だが。
「撃て撃て撃て、どんどん放て!!」
隊長らしき人物の号令が飛ぶ。
後方を走っていた何人かが動きを一斉に止め、矢を番える。
そして一気に撃ち放った。
それを連続して何本も何本も。放物線を描き、雨の如く敵の男に降り注ぐ。
回避は不可能だ。それは面の攻撃、逃げ場はない。
それに対し敵がとった行動はニヤリと笑うだけだった。
すると、身体の周囲から淡い緑色の光が噴出した。そして驚くべき事が起こる。
光は突風の槍となり、矢を撃ち落とすように放たれたのだ。次々に、その全てを相殺するかの如く精密に。
狙いなど定めてもいないのに、一本の撃ち落とし漏れもなかった。あの雨のような量の矢を片手間で退けたのだ。
それを見た王国軍、そしてギルド冒険者の目が驚愕で見開かれる。
だがそれだけでは終わらない。
次は男の番だった。
手のひらを王国軍へと向ける。先程とは違い、照準を合わせるが如く指し示す。
次に輝いた色は赤。それが示す属性は、すなわち。
ゴアッッッッッッッという衝撃音。
赤い光は巨大な魔法陣を形成し、そこから炎が放出された。
火の玉を撃ち出すような魔法とはわけが違う。それは濁流だ。もはや波と化した膨大な炎が、王国軍の騎士達へとなだれ込む。
そして、呑まれた。
魔力を使った障壁を展開したようだったが、そんなモノは無意味とばかりに融解した。
鎧も肉も焼き尽くし塵すら残らない。
炎は、文字通り全てを焼却した。
それは、今まで出会ったどんな魔獣よりも恐ろしい化け物だった。
それほどまでの絶対的な力。他を寄せ付けない──強者。
エレノア側からすれば、あの男は死神でしかない。出会ってしまったが最後、死は免れない。
同時に確信した。あの隕石攻撃も奴の仕業だと。
そして、あの敵は────。
「奴は、勇者だ」
それがカナメの観察スキルが導いた答えだった。もっとも、あんな馬鹿げた力を扱えるのは異世界召喚者のチート以外にあり得ないのだが。
「え、マジ…………?」
「マジもマジ、大マジだ。どこの国の勇者かは知らないけど間違いない。奴は異世界から召喚された存在だ。その証拠があのスキル────矢を撃ち落としたアレ、風神の加護と呼ばれるものだ。自分に向けて放たれた投擲攻撃を全て自動で迎撃する。言うなれば自動迎撃術式ってとこか」
「な、何それ……それじゃあアイツに飛び道具は一切通じないってわけ!? ズルじゃない!!」
「まあ、実際ズルだから。とりあえず、このままじゃヤバイな。でも……」
敵の圧倒的な攻撃を目にしても、王国軍は再び攻撃を仕掛けようとしていた。
止めたいが、おそらくそれは不可能だ。
元々、王国軍の騎士達と冒険者には確執がある。ようは、所詮は街のゴロツキだと見下されているのだ。そんな相手からの忠告など聞くはずもない。
と、そこへヴルムが合流した。
彼も敵の攻撃を見ていたらしい、流石に苦い表情をしている。
「見たか、奴の力を」
「ああ、圧倒的だな。正直、俺は白旗を上げる事を推奨する。まあそれで見逃してくれるかは分からないけど」
「普通に考えればそうだな。これ以上犠牲を出す事もねえ、だがあの領主様が聞き入れてくれるかどうか…………」
そうだ、ここで戦う事には何の意味もない。
勇気と無謀は違うのだと、そう知ったところだ。そして今回は明らかに無謀だ。死にに行くようなものだ。
一度彼女に救われた命、粗末にしちゃいけない。せっかくの第二の人生をこんな所で終わりにするわけにはいかないのだ。
チートの相手など、バカバカしい。
「勇者か、まさかここまでとは。こんなの見せられたら確かに俺たち冒険者なんて戦場の主力にはならねえな」
「仕方ないさ、始まりからして別格なんだ。諦めるしかない」
「悔しいが、その通りみてえだな。王国軍の連中には悪いが、白旗準備のための時間稼ぎになってもらうぜ。頼むから少しでも長引かせてくれよ!!」
そう言うとヴルムは領主のいる屋敷の方へと走り出す。
取り残される他のギルドメンバー達。
やりきれない思いを抱えたまま、ただ立ち尽くすしかなかった。
そんな中で複雑そうな顔を浮かべるカナメに、横のポーラだけが気づいていた。
「うおおおおおおおおおお!!」
大地が轟くほどの怒号。
仲間の騎士を殺された怒りか、誇りか。どちらにせよ彼らを戦場に走らせるには十分なものらしい。
未だに弓を構える者、剣を握る者、馬に乗って駆ける者、様々だ。
まとめてやられる事だけは避けようと、間を開けた陣形を取っている辺りは少しだけ学習能力を感じさせた。
もっとも、そんなものは弱者の浅知恵に過ぎない。
真の強者たる異世界召喚者────勇者たるユーゴには些事でしかない。
どんな陣形を組もうが、どんな武器を携えようが、どんな策を練ろうが、チートスキルはその全てを薙ぎ払う。
チートとはすなわち神の権能。人間に破れる道理などない。
(せっかく異世界来て無双出来るかと思ったのに、意外と融通効かなくて退屈してたんだ。もっとかかってこいよ…………!!)
ユーゴが現実で死んだ理由はただの交通事故だった。
よそ見をしていたわけでも、信号を無視したわけでもない。ただ、居眠り運転を引き当ててしまっただけの不運だ。
本来なら無に帰るはずだった彼の魂は、神に見定められた。
そして、第二の生をこの世界で掴んだのだ。
この世界においてユーゴが決めたことはただ一つ。自分の好きなようにやる事。
不運なんてもののせいで好きな事も出来ずに終わるなら、その時が来るまでは好きに生きるべきだ。
だから────。
「俺は好きに暴れるぜ!! 最強の力を、気ままに振るう。ほら、もっと楽しませろよやられ役ども!!」
矢が飛来する。
だが、それはユーゴに視認された瞬間自動で発動した風神の加護によって迎撃される。
それは無敵の守りだ。いかなる飛び道具も、どんな数であろうとも、神による加護はそれを無効化する。
そしてそれを見越して突撃する相手に対しては、もう一つのスキル。
「撃て、炎神の加護」
赤い魔力の光が魔法陣を形作る。
炎の砲撃が、迫り来る王国軍騎士を纏めて吹き飛ばした。
直撃させて焼き尽くすのではなく、あえて目の前に撃ち込み着弾の衝撃で弾き飛ばしたのだ。
その理由はただ一つ。
簡単に終わっちゃつまらない。それだけだ。
(せっかくの実戦だ。もっといたぶらせてもらうぜ……!!)
それは、絶対強者がゆえのゲーム感覚だった。
生死がかかった戦いでさえも、彼らからすれば遊び同然。なにせ、自分が雑兵程度に負ける事などあり得ないのだから。
流石に矢が届かない事は理解したのか、全員が近接寄りの装備に切り替えていた。
タイミング、方向を変えながら迫ってくる。
それでもユーゴの余裕は、有利は揺るがない。
(さあて、どいつから焼いて────)
魔力を回し、魔法陣を生み出し、手のひらで照準を合わせ────その瞬間。
タタン、という音と共に高速で矢が飛来した。三発。速度はこれまで以上。
「────ちっ」
咄嗟に顔を上げてしまう。
しかし風神の加護に例外はない。
自動迎撃は適切に機能し、矢は全て落とされる。
(だが、今のタイミングは……)
矢が飛んできた方向を視認する。
軌道から逆算すれば分かる、その場所は。
────外壁上の……バリスタか。
そして、それを操作していたのは。
「ちょ、カナメ何やってんの!?」
「みりゃ分かるだろ。騎士様達の援護だよ!! どうにもアイツなぶり癖があるらしい、白旗まで時間を稼げば屍の数が減る。どうせ負けるなら少しでも多くだ!!」
そして、向こうの対応が多い程カナメの観察スキルの精度も上がっていく。
今は少しでも情報が欲しい。
「分かったらポーラも攻撃してくれ。攻撃魔法、使えるだろ」
「魔法!? 絶対効かないでしょ、てか私が出来るの基本の術式だけよ。大した威力にもならない!!」
「大丈夫、攻撃するってアクションが大事なんだ。それに、意味のない事なんてないよ」
「ああ、もうアンタを追いかけてきた私が馬鹿だったわ。やればいいんでしょやれば!!」
「そうそう、さっきも言ったろ。諦めが肝心だって」
設置型の投槍機──バリスタを撃ちまくるカナメ。敵と比べると雲泥の差がある小規模魔法を繰り出すポーラ。
何回やっても結果は同じ。
矢は落とされ、魔法は障壁でかき消える。
ただの一撃も、あの敵には届かない。
だが牽制にはなっていた。事実、炎神の加護による攻撃が騎士達を襲う数は減っている。
残念な事にそれくらいで覆る戦力差ではないのだが。
しかし隙を見て撃ち込まれる攻撃にイライラしたのか、ついに敵──ユーゴが吠えた。
「あぁ、うぜえ!! いい加減に無駄だって気づけよ!!」
殺気が、視線が、カナメ達を捉える。
瞬間カナメは身を翻した。
「ポーラ、これ以上は無理だ。急いで離脱するぞ!!」
「は、何言って……ちょっと!?」
困惑するポーラの手をとって、走る勢いのまま外壁から飛び降りた。
浮遊感が身を苛む。
「あい、きゃんふらぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」
「どういうことぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
直後に。
ゴァァァァァァッッッッ。
という何かが蒸発したような音がした。
ポーラがチラッと上を見てみれば、オレンジ色の熱線がバリスタのあった所に直撃し、外壁ごと融解させたところだった。
少しでもカナメが気づくのが遅れていれば、今頃あれをくらっていたわけだ。
────背筋が、ゾッとした。
「ところでどうやって着地すんのよ!?」
「ポーラ……任せた!!」
「いや無理だけど!? そこまで考慮して飛び降りたんじゃ!?」
「まさか、アレを避けるのに必死だっただけだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉ、死ぬぅぅぅぅぅ」
重力は無情にも二人を引き寄せる。
落ちる。
どんどん速度をあげて落ちていく。
こんな辺境の街でも外壁は相当な高さがある。だからこそポーラが文句を言う時間が出来たわけだが、それだけ落ちた時の衝撃も高いという事だ。
このまま地面に打ち付けられれば二人ともお陀仏だろう。
一か八か、カナメは減速のために壁に剣を突き出そうとし、ポーラは衝撃緩和のために魔法を使おうとし。
そして────。
「────フラウーロ」
そんな言葉と共に、二人の真下で風の渦が巻いた。
緑色の魔力粒子と共に風のクッションが出来上がる。
それに触れた瞬間、落下速度は急激に減速しまるでスローモーションのようになる。
ふわっと、舞い降りるようにカナメとポーラは着地した。
何が起こったか分からずお互いに顔を見合わせる二人。
「無事ですか!? いったい何を────え」
そう、女の子が声をかけてきた。
けれどその姿を見た瞬間。カナメは思わず涙を流しそうになった。
見慣れたフード。こんな時でも美しい銀髪。心からこちらを心配している表情。
それは。
それは。
それは。
「────メリア」
探し求めた。無事を確認したかった少女本人だった。