10 地獄変生
結局、ギルドの近くまでやってきたのは陽が落ちて辺りが暗くなってきた頃だった。
約二時間ほどはあの広場で盛り上がっていた事になる。
少し先を歩いていたメリアが振り返る。
「ここまでで大丈夫です。改めて、今日はありがとうございました」
そう言って、優雅な仕草で頭を下げる。
「いいよ、そんな。頭をあげてくれ。むしろ助けられたのは俺なんだ、感謝してるのはこっちなんだよ」
そう、無謀な事をしたカナメの命を救ってくれたのだ。
感謝しても仕切れない。街を案内して、日本の文化を教えたくらいじゃ釣り合うとは思えない。
「それこそ気にする事じゃありませんよ。困っている人を助ける、それは当然の事です。貴方だってその思いがあったから来てくれたのではないですか」
「…………だけど、君の言う通り俺のは無謀だったよ」
「ええ、全くその通り。けれどそれは行動に対してのもの。助けたいという思いは間違いではありませんよ。だから自信を持ってください。貴方は、あんなにも多くの素敵なものを知っているのですから」
そう、しっかりとカナメの眼を見てメリアは言った。
その言葉に嘘はない。
本当に、心から、カナメを思ってくれていた。
────尊いものに、触れた気がした。
「ま、まあ先程は私も少しハメを外し過ぎましたし、それでおあいことしましょう。これでお互い気に病む必要はありませんね」
「────────」
全く、笑えてくる。
命とその場のテンション、その二つでおあいこだって? お人好し──優しいにも程がある。
けれど、彼女がそう言ってくれるのならこれ以上言うのは失礼だろう。
だからカナメは一回だけ俯いて、その意味を咀嚼して、そして前を向く。
「少しってレベルじゃないくらいにはテンション高かったけどな!!」
「うう……カナメさんは意地悪です。思い返したらまた顔が熱く……」
ひゃー、と本当に顔を赤くしながら手で押さえるメリア。
最初は敬語というのもあって落ち着いている人だと思ったが、どうにもお茶目な部分もあるらしい。
いわゆるギャップ。そしてそれは、破壊力の高さに定評がある。
「カナメさんも顔が赤いですよ?」
「そ、そんな事ないって。ほら、俺って暑がりだから、そういう事だ」
「ふふ、可笑しい人」
顔を合わせ、笑い合う。
それでまた嬉しくなって、体温が上がる。心地よい無限ループ。
「カナメさん。明日以降も、街であったら良くしてくださいますか?」
そう言って、差し出される手。
それを────。
「もちろん。まだ案内したい所が山ほどあるんだ、またそれを……見に行こう」
しっかりと、握り返した。
その手は小さく、儚げで、けれど優しく──温かかった。
「では、また」
お辞儀を一つ。
そのままメリアは歩いていく。
遠ざかる背中を、見えなくなるまでカナメはずっと眺めていた。
♢♢
翌日。
特に理由もなく、朝から目が覚めた。
今日は店の手伝いやギルドでの依頼もない、完全な休日のはずだった。
昼前まで寝てゆっくりして、昨日の約束のために街でも散策しようかと思っていた。だから不思議だ。もしかしたら柄にもなく浮かれているのかもしれない。
(ったく、遠足前の小学生じゃないんだぞ)
まあ、それはそれで良い事なのかもしれない。彼女との思い出はカナメにとっても美しいものだった。
ようやく始まったか俺の異世界生活、なんて調子めいたことを考えて、そして。
ふと、いつも使っていたマグカップがひび割れている事に気付いた。
「あれ、昨日まで何ともなかった気がしたけど。うーん、替え時か?」
気にしても仕方ない。
カナメはベッドから降りると、着替えを済ませて部屋を出る。
そのまま大広間を通り外へ向かう。
そこに飾られていた観葉植物が萎れていたのが少し気になったが、まあ使用人の手入れ忘れだろう。
実際、ちょいちょいサボっているのをカナメは知っている。
さて、外に出る目的は朝食と特訓だ。
カナメが持っているのは特異な観察スキルのみ。
実戦闘での役に立たなさは自覚するところだった。もっとも、それをハッキリとさせられたのは皮肉にも昨日の経験なのだが。
とそんな事もあって、ギルドにいるメンバーに武器を使った戦いの指導を受けているのだ。
現状は狩りにおける主要武器である剣と弓。その二つだ。
あとは獣達の動きの勉強。それに対する動きを教えてもらっている。
ちなみに魔法に関してはどうも才能が無いらしい。基本となる属性魔法すらろくに扱えなかったのだ。かろうじて使用が出来るのは精度の低い支援魔法のみ。
しかし憧れが捨てられないのも事実。実は隠れて攻撃魔法の特訓もしていた。今のところ結果は伴っていないが。
「まあ、自分で魔法とか使わなくても魔法道具とかあるけどさ。ていうかこの世界はその技術で発展してるわけだし。でもなんか悔しいぜちくしょー」
突然投げ出された異世界とはいえ、来てしまったなら剣と魔法と冒険のファンタジーに憧れるというもの。
幸い時間だけはあるので、その三要素を追い求めたところなのだった。
さてどこへ向かうかだが、ギルドには食堂もあるため行けば朝食は手に入る。
そのまま稽古をつけて貰えばいいので、目的地はギルドでいい。
けれど足は自然と回り道を選択していた。
自分の行動に、笑いしか込み上げて来ない。
────どうやら自分は、相当あの娘に入れ込んでいるらしい。
「全く、ちょろ過ぎるぜ俺は」
思えば初めてだ。誰かのために、何かを──助けてあげたいと思ったのは。
何も一生懸命やってこなかった自分だから。逃げてばかりの自分だったから。
二度目の人生では後悔なく生きよう。それがこの異世界に来た決意だった。
けど、同時に忘れてもいた。
現実はどうしようもなく厳しくて残酷だという事を。
自分の思いなど呆気なく崩れてしまうのだという事を。
理不尽は己など関係なく唐突に降り注いでくるのだと。そして、今のカナメの現実は、この異世界なのだという事を────。
歩く。
歩く。
歩く。
けど彼女は見つからない。
それはそうだ。具体的な約束をしたわけじゃない。これが元の現実ならメールなり電話なりで連絡が取れたのだろうが、今はそうはいかない。
(まあ、現実でもメールとかほとんど使わなかったけどね)
この世界で遠距離の連絡手段はない。手紙でのやり取りになる。だからどうしてもラグが出来る。ただ、街の中くらいなら通話礼装を使えば連絡は取れる。
魔力は時間を置けば置くほど薄らいでいく。その限界距離が街中だという話だ。
とはいえその通話礼装も貴重なもので一家に一つともいかない。
だから携帯のような持ち運びの連絡手段はない。
つまり約束もない相手を見つけるのは困難を極める。
それでも────。
「見つかる、今日も会える気がしちゃうのはもう末期だな」
そうやって探している時間も貴重に感じてしまうのは、確かに末期だ。
と、その時。
視界の端にキラキラと光る銀の髪が目に入った──気がした。
咄嗟に急ブレーキ。その方向に向き直る。
フードを被った、僅かに覗く銀髪。その立ち姿。街に慣れずキョロキョロと見回す仕草。
それは、まさしく。
「メリ────」
彼女だと確信し、呼びかけようとしたその時。
脈絡もなく、予兆もなく────影がさした。
それは比喩ではない。照りつけていた陽の光が、急に遮断されたのだ。視界が、周囲が薄暗くなる。
踏み出そうとした足が止まり、上を見上げた。
そこにあったのは影の正体。
あまりに現実離れした光景に、思考が止まった。
それは。
周囲が影に覆われる程巨大な物体。
どこからか飛来した────あり得ない程大きい岩石、土の塊だった。
どういうわけかその巨石は所々から炎を噴出している。
もはやそれは隕石。破壊をもたらす凶星に他ならない。
悲鳴を上げる暇も、逃げる猶予もなかった。
ソレは。巨大な土の塊は。
高高度から重力に引かれ、速度を増し、そして────。
ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッ────!!
隕石とでも言うべき巨石が街へ堕ちた。
吹き荒れる破壊の嵐。
衝撃波が街を崩壊させ、その全てを吹き飛ばす。それに巻き込まれた人々はまるでゴミのように潰れていく。
木っ端微塵。その言葉が相応しい。
あまりに巨大な質量の落下はそれだけで想像を絶する破壊を引き起こす。
飛び散る飛礫が人々を潰す。風圧で飛ばされた者が引きちぎられる。何も分からないまま死んでいく。
建物は崩壊し、ただの瓦礫へと変わる。さらに噴出していた炎によって火の手が上がる。
それらが伝播し火が回る。広がっていく。
破壊が、次の破壊を引き起こす。
カナメもまたその衝撃をダイレクトに受けた。
過ぎた風圧はもはや鈍器と変わらない。それを全身に受け、激しい痛みが襲ってくる。
叫ぶ間も余裕もない。
足が地面を離れ、身体が宙に浮く。
そのまま吹き飛ばされ────。
この日。エレノアの街は長閑な田舎から、地獄へと変貌した。