09 ああ素晴らしき日本文化
陽も沈み始め、街がオレンジ色に移り変わる時間。
燃えるような、夕焼け。
この景色だけは異世界に来ても変わらない。
召喚されてすぐの頃は、そんな事で安堵したものだ。慣れた今となっては「一日はえー」としか思わないのがカナメの人間性だが。
とはいえその一日の流れも現実と異世界でさして違いはない。
夕方には子供達は家に帰り、お母さんは夕飯の準備に取り掛かる。おかげさまで生活リズムが壊れる事だけはなかった。
五時の鐘がならないのは少し寂しかったが。
そしてそんな夕暮れに街を、カナメとメリアは歩いていた。
大通りからは少し外れた脇道を、二人でゆっくりと歩く。
メリアが帰る事になり、送る事になった。彼女はギルド辺りまででいい、と言うのでそこまで一緒しているというわけだ。
カナメの申し出は、アッサリと断られた。
「ありがとう。でもごめんなさい。気持ちは嬉しいのですが、私は少し事情が特殊でして。お手伝いとかそういうのはいなくて問題ないお仕事なの。だから、ごめんなさい」
そう、本当に申し訳なさそうに頭を下げられた。
そんな対応をされてしまえば、それ以上は何も言えなくなってしまう。
「そっか、そりゃ残念だ」
と適当な冗談を言ってその場を終わらせたのだった。
そして今に至る。
おかげさまで若干の気まずさはあるが、ダメ元で言ったところもあるおかげで精神的ダメージは少なめだった。
メリアの方もそういう事には慣れっこなのか、特に気にしている様子もない。
だから話も続く。
カナメが冗談を言ってみて、メリアがおかしそうに笑う。
彼女の世間知らずな発言に、彼がツッコむ。
不思議と二人の会話のテンポはあっていた。
居心地がいいとさえ感じる程に。それは、カナメにとっては異世界に来て初めての感覚だった。
(────いや、もしかしたらその前から)
思わず蘇りそうになるかつての記憶。
カナメのこれまでの人生。別に思い出したくない程最悪なわけではないが、縋る程の栄光もなかった。
どちらかと言えば苦い思い出の方が多いけれど、それも今となってはお笑い草だ。
山も無ければ谷もない。
未練なんて微塵もない。
特に帰りたいとさえ思わないのがその証拠だろう。
────と、いけないいけない。
具体的な記憶が巡る前に蓋をしよう。
なにせ、今カナメの横には異世界でも指折り(カナメ調べ)の美少女がいるのだから。
考え事など失礼だ。
「そういえば、あまり見慣れない格好だけれど、カナメさんはこの街の生まれなのですか?」
「え、あー実は俺も旅の者でさ。今はこの街に根を下ろしてるけど、元は遠い東の国の生まれだよ」
その質問は散々受けた。
テンプレな答えではあるが、何となく流されやすい文言なので有効活用している。
そもそもこの国自体がだいぶ東よりに位置しているはずなのだが、深くツッコまれた事はない。まあ、世間話なんてそんなものだろうが。
ちなみに服装も召喚直後と変わらずブレザータイプの学生服だ。
この世界にも学校はもちろん存在しているし、制服もある。けれどそこは流石異世界。服からしてもっと派手なのだった。
街で手に入れた服も着たりはしているが、やはり制服は落ち着く。
そんなわけで着る頻度は高いのだ。
「そうなのですか。ちなみに生まれ故郷はどんな国で?」
「そうだなあ。やっぱり世界に誇れるのはジャパニーズ萌え文化だな!! なんか死語な気もするけど、娯楽のクオリティはめちゃくちゃ高いんだ。漫画とか最高よ? あ、でも忍者とかはいないので気をつけるべし」
「モエ? にんじゃ? よく分かりませんがこの国とは全く違う文化を形成しているのですね。それで、カナメさんのオススメのマンガとはどのような文化なのでしょう?」
「絵で物語を表現したものって言うのかな。ストーリー……連続性のある絵画、みたいな」
「ふむ…………?」
いまいちピンときていないようだ。
それはそうだろう、あんな説明では理解出来る方が凄い。
カナメとしても漫画とはなんぞや、という説明などした事がない。なぜなら今まではそれがある事が当たり前の世界だったから、漫画は漫画としか言えない。
(うーん、どう説明したものか。しかし首傾げている姿も可愛いな……あ、そうだ)
説明するよりよっぽど早い方法を思いついた。
右のポケットに無造作に突っ込まれているソレ。この世界ではあまり役に立っていないかつての生活必需品。
すなわちスマートフォンを取り出した。
もちろん異世界に基地局を立てているキャリアなど存在しないため、電波は入らない。
出来るのは写真を撮る事、そして中に入っているデータの閲覧だ。
都合のいい事に、カナメは好きな作品を電子書籍でも購入するタイプだった。
ほぼ使ってこなかったおかげで充電は十分ある。
「何ですか、その道具は?」
「スマホって言ってな。いわゆるアーティファクトだよ。詳しい話は省くけどとある筋から手に入れてね」
とある筋というか会社なのだが、どうせこの世界では関係ない。
カナメは電源を入れるとアプリを立ち上げる。そして国民的冒険漫画を表示した。
「ほら、これが漫画だ。指を右に動かすと次のページに行くから少し見てみるといい。まあ言葉は読めないだろうけど、雰囲気だけでも掴んでくれたら嬉しい」
「こ、これがマンガ? というものなのですね」
メリアは恐る恐るといった風にスマホを受け取る。
未知との遭遇だ。まだ警戒心もあるようで、そーっと指で画面に触れた。
きゃっ、と上がる声。
「う、動きました動きましたよコレ!!」
「そりゃねえ、スマホだからねえ。スクロールしないと読めないからねえ」
「そ、そういうものなのですか?」
「うん、だから気にせず中身を見てみな。結構迫力あるはずだよ」
「はあ…………」
両手でちょこんと持っているのが何とも可愛らしい。
最初は慎重に、途中からは慣れた手つきで、メリアはページをスクロールしていく。細めていた目も、次第に食い入るように変わっていく。
気づけば彼女は漫画に夢中になっていた。
しばらくして。
ガバッと顔を上げる。
「カナメさん」
「お、おう。どうだった?」
「確かに文字は読めませんでした。けれど、これが素晴らしい作品だというのは理解しました。なんでしょうか、この高鳴る気持ちは。この絵に込められた作者の熱量が、文字が読めなくとも伝わる物語性が、見る者を引き込む表現方法が、こんなにもワクワクさせてくれるなんて!!」
「そ、そうか」
「少なくともこの国にはない芸術作品です。分かりやすく描かれた人の絵、会話や音の表現方法、どれをとっても最高です!! 他には、他にはないのですか!?」
「あ、あるよー。えっとその画面をだな…………」
急なテンションの変わりように圧倒されながらも、スマホを操作し作品を切り替える。
次に表示したのはラブコメだ。
「な、なんて大胆な……!! 私自身は恋の経験はありませんが、これは何というか胸が締め付けられます。それに、先程の作品とはまた表現方法が異なっている。こちらはキラキラしていますね……!!」
次は四コマに切り替える。
「これは……分かりやすくまとまっています。これなら文字が読めなくとも理解できます。四つの段階に分けられた構成。そしてそれが全体に意味を持たせる作りになっている。作者は天才です!!」
次はギャグだ。
「あははは、何ですかこの顔の表現は。なんだか勢いだけで笑いが溢れてしまいます。可笑しさで人を笑顔にさせる、これもまた不思議な魅力があります」
気づけば、二人は広場の長椅子に座り込んでスマホを覗き込み話し合っていた。
この世界に馴染みのない表現をカナメが解説し、何となくのストーリーラインを教え、時として台詞を訳す。
その一つ一つに、メリアは目を輝かせていた。
海を見た時とは違う。
まるで初めてオモチャを買ってもらった子供のような、無邪気な笑み。
今にして思えば、日本のアニメで盛り上がる外国人はこういう気分だったのだろう。
(なんか、沈めちゃいけない人を沈めちゃいけない沼に沈めた気がするけど、大丈夫か?)
異文化交流に対し、言い得ぬ不安を抱いたカナメだが。
────ま、いいか。
そう思ってしまう程度には、彼女は楽しげだった。
そして、それを見ているカナメ自身も楽しくなっている事に気付いてしまった。こんな気分になったのは、異世界に来て初めてだ。
それは自分が好きなものを好きになってくれる事への嬉しさか、それとも────。
「カナメさん、次をお願いします!!」
「分かった分かった。じゃあ次は────」
帰らなければとはなんだったのか。二人はしばらくそこで漫画談義を繰り広げた。
一世一代の告白を断られた気まずさなど、もはや二人の頭から吹き飛んでいた。