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ローゼン・サーガ  作者: 秋月瑛
ローゼン・サーガ
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サーガ03

 馬車は夕焼けの照らす静かな道を疾走している。馬車を引いて走る馬への負担は相当なものだが、現に世界各地でいろいろな現象が起きている以上は悠長なことは言っていられなかった。

 今、キースたちが目指しているのはローゼンの生まれ育った精霊の里ラルソウムである。その里の長にキースを連れて来るようにローゼンは仰せつかっていたのだ。

 精霊であるローゼンは人間の想像もできぬような速さで移動する術を心得ているが、キースを連れてとなるとそれもできない。だが、馬車を引いた馬では、まだまだ里は遥か遠い。

 馬車の中には共通通貨と宝石類、それに大量の食料を詰め込んでいた。宝石類も積んであるのは、共通通貨が使えない場合のためだ。

 日が沈み、真っ暗な夜道では馬を走らすことはできないので、適用な場所を探して馬車を止めた。

 夕食はパンと干肉にワインが付く。旅の途中ということもあるが、この地方の一般階級の夕食は、パンとスープにソーセージの三品目が食卓に並ぶのが主流なのでさほど大差はない。

 各々に食事を始めるがローゼンは何も食べようとしなかった。それに疑問を持ったマーカスは聞いた。

「精霊ってのは、もしかして食いもんなしで生きられるのかい?」

「水さえあれば生きていくことが可能です。そのために果物などから水を摂取することもありますが、今はまだ平気ですから」

「よく水だけで生きていけるな。俺は最低でも酒と女がないと生きていけねえけどな」

 そう言いながらマーカスはシビウの腰に手を回そうとしたのだが、マーカスの腕はシビウによってすごい力で捻られた。

「痛たたたたっ、すまん俺が悪かったよ」

「もう、あたしはあんたの女じゃないんだからね。変なマネしたら容赦しないよ!」

「放してくれ、お願いだ、もう変なマネはしないって誓うからよ」

「ふん、情けない男だねえ」

 鼻で笑ったシビウはマーカスの腕を放り投げるようにして放した。そんな二人を見てローゼンは目を丸くしていた。

「あの、お二人って……?」

 ローゼンに聞かれ、シビウはワインを飲み干しうんざりした顔をした。

「この男はあたしの元旦那でね。あの頃のあたしは若かったから年上に男なんかに憧れちまってねえ。今思うと、あたしの人生で最大の失敗はこいつと夫婦になったことだね」

「はあ、そうなのですか」

 精霊にはまず性別というものが存在しておらず、結婚という概念が理解できなかったが、ローゼンはとりあえず話に合わせてうなずいて見せた。

 ローゼンは見た目は美しい女性だが、性別的には実際は女性でも男性でもない。ただ、容姿と性格は女性に近い。

 馬車の中は明かりは、ランプに似た魔道具にあらかじめ魔動力を溜めておくことによって、夜でも一晩中の間馬車の中を照らしておくことができる。だが、食事を終えるとすぐにその明かりを消して、早朝からの出発に備えた。

 就寝の間、馬車の外をマーカスとシビウが交代で見張りをすることになった。最初に見張りをするのはマーカスだった。

 マーカスは馬車の外で火を焚き見張りを始めた。するとすぐにローゼンが馬車の中から降りて来た。

「ご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」

「眠れないのか?」

「いいえ、そうではありません。精霊の『眠り』は人間が眠るのとは理由が異なるので、特別なことがない限りは眠らなくても平気なのです」

「俺は精霊のことなんて全くって言っていいほど何にも知らねえし、実物の精霊に会ったのもあんたがはじめてだ。でもよ、見た目は人間に似てるのに、こんな人間とは違うとはなあ」

「わたくしもそう思います。人間はわたくしの理解できない部分が多いようです」

 ローゼンは少しうつむき加減になった。もっと人間のことを理解したいと思うが、自分の育ってきた環境に全くなかった考えを理解するのは困難なことだった。

 ラルソウムの里をローゼンが出たのはほんの二日ほど前のことであった。その時まで人間の世界のことなど話でしか聞いたことがなかったローゼンは、突然里の長に呼ばれてキースを連れてくるように命じられたのだ。

 大役を仰せつかってしまったローゼンは困り果ててしまったが、長の命とあっては行かないわけにはいかなかった。しかし、里を旅立ってからというもの、ローゼンの心から不安が消えることはない。今でも何故自分がこんな大役を仰せつかってしまったのかわからないでいた。

 マーカスはシビウに捻られた腕の調子がまだ悪いらしく、関節を伸ばしたり折り曲げたりを何度も繰り返していた。

「あの女のせいでまだ腕の調子がおかしいぜ」

「大丈夫ですか?」

「まあな、俺だからこの程度ですんだが、普通の奴だったら骨が折れちまってただろうよ」

「そんな力で捻られたのですか!?」

「あいつはいつも手加減なしだからな。昔はもっと可愛げのある娘だったんだが、今じゃあそこいらの男より腕が立つ凶暴女だ」

「でも、以前は夫婦だったのですよね?」

「まぁな」

 マーカスは少し照れくさそうに笑った。まだ、彼はシビウのことを愛しているのだ。

「でもよ、ふられちまったんだよな」

「どうしてですか?」

「少し女遊びし過ぎてよ、愛想尽かされちまった」

「わたくしにはまだ仲がよろしいように見えますが?」

「仲がよくたって、男と女の関係じゃねえからな。戦友ってやつさ」

「はあ、そうなのですか」

 男と女の関係と言われても性別の存在しない精霊であるローゼンには理解しがたいものだった。

 夜は更け、マーカスとシビウの交代時間になった。

「俺はシビウを起こしてくるから、ちっとの間見張りをしててくれ」

「はい、わかりました」

 マーカスがシビウを呼びに行ってしばらくしてから、眠そうな顔をしたシビウが現れた。

「よお、ローゼン。あの男に変なマネされなかったかい?」

 まだ、目がちゃんと覚めていないせいか、シビウの言葉は口の中に何かを入れてしゃべっているようだった。

「変なこととはどのようなことでしょうか? わたくしはマーカスさんとお話をしていただけですが?」

「ならいいさ。でも、あの男は女には見境なく手を出すからあんたも気をつけな」

「見境なく手を出す……?」

 言葉の意味が理解できずローゼンは首を傾げてしまった。

「精霊ってのはそんなことも知らないのかい?」

「はい、見境なく手を出すとはどのようなことでしょうか?」

「女の尻や胸をいやらしい手つきで触ったりすることさ」

「はあ、そうなのですか」

 シビウの簡単な説明を聞いてもローゼンにはまだ理解できなかった。それでもうなずいて見せた。

 ローゼンのすぐ横に座ったシビウは長い腕をローゼンの肩に回してきた。

「あの、何でしょうか?」

「女のあたしでもあんたの美しさには惚れるよ」

 シビウは色っぽい顔つきをして自分の顔をローゼンに近づけるが、ローゼンはきょとんとしているだけだ。

「どうしたのですか?」

「……つまらないねえ。何にも反応がないんじゃ、からかいようがないじゃないか」

「わたくしをからかっていらっしゃったのですか?」

「あんたには効果がなかったみたいだけどね」

 ばつの悪い顔をしてシビウはローゼンの肩から腕をすっと退けた。シビウにとってこんな無反応な相手は男も女も含めてはじめてだったのだ。それだけ彼女は自分の魅力に自信を持っていた。

 シビウは調子の狂わされた気分を元に戻そうと適当な話をはじめた。

「それで、マーカスとはどんな話をしたんだい?」

「そんなに大した話はしてませんが、シビウさんことを『昔はもっと可愛げのある娘だったんだが、今じゃあそこいらの男より腕が立つ凶暴女だ』と言っていましたよ」

 別に告げ口をしようとしたわけではなく、ローゼンにとっては何の悪気もない普通の話だったのだが、それを聞いたシビウは顔を真っ赤にして怒った。

「なんだって! あの男がそんなこと言ったのかい!?」

「……ええ。あの、何か悪いこと言いましたか、わたくし?」

「ちょっとあの男を叩き起こしてくる」

「え、あの、どうしたのですか急に?」

 急に立ち上がり馬車へ向かおうとしたシビウの腕をローゼンは慌てて掴んだ。

「待ってください」

「……そうだね、ここであたしが行ったらあの男の言った通りの女になっちまうね」

 気を静めてシビウはゆっくりと地面に腰を下ろした。しかし、その顔はまだ少し引きつっている。

「あの、何故急にお怒りになられたのですか?」

「あたしも女だからねえ、強暴だなんて言われたら怒りもするさ」

「女性の方は凶暴と言われると怒るのですか?」

「あんたも女だろ? そのくらいのこと考えなくてもわかるだろ」

 この質問は精霊であるローゼンには愚問であった。

「わたくしの容姿は人間の女性に似ているかもしれませんが、精霊には性別というものがないので、女性の気持ちはわかりかねます」

「あんた女じゃないのかい?」

 相手のことを女だと思い込んできたシビウは心底驚いた。だが、ローゼンにとっては当たり前のことなので、まさかここまで驚かれるとは思ってもみなかった。

「そんなにも驚かれることなのでしょうか? 精霊は容姿は人間の男女に酷似していますが、生殖機能などは持ち合わせていませんし、人間で言う男女の容姿とそれに伴う性格は必ずしも一致するものではありません。人間の女性のような容姿を持った精霊がいたとしても、その性格は人間の男性ものということもあります」

「じゃあ、どうやって子供を生むのさ?」

「精霊は人間のようには子供を生みません。年老いた精霊は自らで自らを生むのです」

「はあ? どういうことだいそれは?」

「年老いた精霊は一晩の間に胎内に子をやどし、自分の命と引き換えに自分と同じ存在を生みます。生まれた子供は親と全く同じ存在ですが、以前の記憶は全て封じられた状態で生まれるます」

「なるほどねえ。わかったような、わからないような……?」

「申し訳ありません。精霊には当たり前のことなので、人間の方にどのように説明したらいいのかわからなくて……」

 この時のローゼンは暗い面持ちで本当に心から済まなそうな顔をしている。彼女は少し自虐傾向があり、何でも自分が悪いのだとすぐに落ち込んでしまうのだ。

「ひとつ質問してもいいかい?」

「はい、何でしょうか?」

 下を向いていたローゼンは背筋を伸ばしてシビウの言葉に耳を傾けた。

「もし、子供を生む前に死んじまったら精霊はどうなるんだい? 精霊の数がどんどん減ってくんじゃないのかい?」

「あの、それは、わたくしもよくわからないのです。確かに子供を生まずに消滅してしまった精霊は数多くいます。そして、精霊の絶対数は長い年月の間に減っています。ですから、もしかしたら精霊というのは、いつかこの世界から消えてしまう存在なのかもしれません」

 自分で今の言葉を言ってローゼンははっとした。自分たち精霊がこの世界から消えるかもしれない。そう考えた途端、ローゼンはぞっとして気分が悪くなった。

 突然ローゼンは立ち上がった。

「ごめんなさい、少し疲れたので寝かせてもらいます」

「あいよ、おやすみなローゼン」

 シビウに軽く手を振られ、ローゼンは馬車の中に入って行った。

 残されたシビウはふと頭に疑問が浮かんだ。

「……あれ? 精霊って寝ないんじゃなかったっけ?」

 先ほどマーカスと見張りを交代する時、シビウはローゼンがいることを伝えられ、その時の会話で『精霊は特別なことがないと寝ない』と聞かされたような気がした。では、ローゼンは何故『寝る』と言ったのか、シビウは疑問を感じたが彼女はすぐに考えるのを止めた。物事を深く考えるのが苦手なのだ。

 静かな夜。シビウは燃え上がる炎を見ながら時間を潰した。

 実を言うとシビウは独りで見張りをするのは嫌だった。退屈だという理由もあるが、それが大きな理由ではない。孤独が嫌なのだ。

 夜の闇はシビウにとって恐怖だった。この闇に包まれると小さい頃の嫌な思い出が思い出される。

 魔導士だった父が死に、シビウは一旦は親戚の家に引き取られた。その家には子供が居らずシビウはたいそう可愛がってもらっていたのだが、やがてその家に子供が生まれるとシビウへの待遇は日に日に悪くなっていった。

 まだ十歳にも満たなかったシビウは召使いのようにこき使われ、シビウの態度が悪いとすぐに監禁され、食事も抜かれ、裸にされて何度も鞭で叩かれた。その酷い仕打ちの中、シビウは魔導士の素質を持つ『特別な血』を自分が持って生まれなかったことを何度も怨んだ。

 そして、ついにシビウは逃げ出した。その時に唯一持って逃げたのがあの鞭のような剣だった。

 幼いシビウは剣を片手に夜の闇の中を逃げ回った。そして、見るからに汚らしい浮浪者たちが集まる吹き溜まりで苦しいながらも生き抜いた。

 その時のシビウが信じるものは己と父の形見である魔導具ダンシングソードだけだった。マーカスと出会うまでは――。

 過去を思い出し、シビウは深く息を吐いて夜空を見上げた。

「どうしてあたしら別れちまったんだろうねえ?」

 シビウが物思いに耽っていると、静かな大地に可笑しな物音が響いた。すぐに視線を下げて地面を見ると、大地を大きく盛り上げながら、何かが地中を進みながらこちらに向かって来るではないか!?

「ロックスネイクかい?」

 ロックスネイクとは、岩肌のような皮膚を持つ地中に棲む蛇に似た化物のことだ。

 案の定シビウの予想は的中した。

 地中を掘り進みシビウの前まで来たロックスネイクは、頭を大きく振りながら地面を砕き地上に姿を現した。

 頭の大きさだけでも一メティート(約一・二メートル)はあり、地面にまだ隠れているしっぽまでの全長は六メティート(約七・二メートル)ある。

 ロックスネイクには目がなく、音と熱に反応を示す。そして、肌は岩そのもので、並みの剣では到底歯が立たない。

「焚き火につられてやって来たのかねえ」

 シビウは愛用のダンシングソードを鞘から抜くと口元を緩ませた。夜の闇の中にいたシビウにとって、この怪物が現れてくれたことはいい気晴らしになったのだ。

 ロックスネイクが巨大な口を開くと剣のような鋭い歯が並んでいた。もし、この歯で噛みつかれたら人間など一溜まりもない。

 巨大な口がシビウに噛みつこうとした。だが、大きな口は空に噛みついただけだ。

 月光を背中に浴びて、上空からシビウが剣を振るいながら舞い降りて来た。

 シビウは踊るように軽やかなステップでロックスネイクの身体を切り刻んでいった。美しく舞うシビウの前ではロックスネイクなど相手にもならない。

 圧巻のうちにロックスネイクは細かく切り刻まれ、破片となって地面に大きな音を立てながら落ちた。もう、誰が見てもそこにあるのは岩にしか見えない。まさかロックスネイクの屍骸などとは誰も思うまい。そして、シビウは剣を踊らせながら鞘に収めた。

 気分の晴れたシビウは満足そうな笑みを浮かべる。ダンシングソードの持ち主は彼女しかいない。そんな華麗な戦いであった。

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