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ローゼン・サーガ  作者: 秋月瑛
外伝
20/26

外伝「英雄の証(4)」

 アレクが出て行った後、人払いをしたこの部屋に残ったのはキルスと巫女だけであった。

 静かな眼差しでキルスは巫女の瞳を見据えた。巫女のことを全く動じず見据えられる者はキルスを措いて他にはいないのではないだろうか。

「巫女はなぜあの者をお選びになられた?」

 あの者とはアレクのことだった。

 巫女は無邪気な笑みを浮かべ答えた。

「わからぬ。ラーザァーの選定は自動的じゃて、真意を知っておるのはムーミスト様だけじゃろう」

「変革の時ということになるのか、はたまた神の気まぐれか」

「気まぐれとは口が過ぎるぞ、神官長の言葉とは思えぬ」

「なりたくてなったのではありませんゆえ」

 キルスは笑って見せた。

 巫女にとってこの男だけは計り知れない。双子でありながら、キルスのことだけは視えないのだ。巫女にとって怖ろしいものがあるとすれば、このキルス以外に他ならないのだ。

 肩に寄り添い甘える精霊の頭をそっとキルスは撫でて天を仰いだ。

「あの者が女であることは黙さねばならない。女が魔道士になっただけでも問題であるのに、ラーザァーに選定されたとなれば暴動となるだろう」

「この秘密はわらわ3人の心に留めなくてはならぬ」

「心配ない、ローゼンは口が堅いからな」

 そう言ってキルスは肩に寄り添う精霊ローゼンを愛でた。

 ローゼンは悪霊ではないが、キルスは完全に憑かれている。少なくとも巫女はそう思っている。

 日に日にキルスの生命力を含める魔導力はローゼンを生かすために費やされ、キルスの身体は内面から蝕まれている。キルスが天寿を全うすることは到底ありえないのだ。

 神殿内に蔓延るキルスとローゼンに関する噂。その中でも誰もが口にするのは『キルス様はお変わりになられた』である。

 キルスは静かに部屋を出て行こうとする。その背中を見つめる巫女の瞳は物悲しい。生前のローゼンとキルスの仲が、今でも目を瞑ると思い出される。あの時のキルスはあんなにも輝いていたのに……。

 巫女のもとを去ったキルスは一直線に自室に向かう。昔から部屋に引きこもる傾向のあったキルスだが、ローゼンを身体に取り憑かせてからは、それがひどくなった。今では公式の行事でもない限り、部屋にこもりっきりだ。

 自室に戻ってきたキルスは椅子に腰掛け、机の上に置いてあった手紙の封を切る。

 手紙の内容は、他国で戦争や内乱が頻発していること、神々のようすが可笑しいこと、土地が荒れ、天変地異が頻発していること。その他、メミスの都外で起きている事象について記されていた。

 風の噂では近々隣国がメミスに攻め入って来るとの情報もあり、キルスの憂鬱は晴れることがない。いっそのこと世界全てが滅んでしまえばいいと感じることもある。誰もが報われるわけではない、ならば全てが滅んでしまえば喜びも悲しみもなくなり、全ては平等になるのではないかと考えるほどだ。キルスの心は卑屈になっていた。

 巫女とキルスはアレクが女であることをひと目見てすでに見抜いている。キルスはそこに淡い期待を覚える。女が魔導士となり、正式なラーザァーになろうとしている。このまま隠し通せれば、アレクはおそらく神官となるだろう。

 変革の時。全てはムーミストの導きと考えるのがメミスの民としての道理だろう。世界は常に変わり移ろうもの、だからメミスも変わらなければならない。キルスは変革を心から楽しんでいるのだ。

 キルスの肩に寄り添うローゼンの口から微かな声が零れる。

「キルス……様」

「わかっている、ローゼンの気持ちはわかっているよ」

 胸が締め付けられる思いだった。ローゼンが何を言おうとしているにか、本当はわからない。わかりたいと思うだけなのだ。それがキルスにとって酷く哀しいものとして圧し掛かる。

 霊となってキルスの身体に封じ込められた当初のローゼンには人間としての感情があった。それも時が経つにつれて失われ、崩壊し、今では名前を呼んでくれるだけだ。このままではローゼンは再びキルスのもとから消えてしまう。それだけはなんとしても防ぎたかった。

 全てが己のエゴであり、ローゼンの魂をこの世に縛り付けることは本当の幸せではないかもしれない。全ては過ちであったかもしれない。しかし、ローゼンがいなくなることは、キルスには到底耐えられない。いつか消えてしまうのがわかっているからこそ、怖ろしい、怖ろしくて堪らないのだ。

 キルスは愛しいひとを強く強く抱きしめた。

 それなのに、ローゼンの表情は無表情なままだった。


 メミスが大きな国となっていくにつれて人口が増え、いろいろな考えを持つ者たちが現れた。その中にはこの国の守護神であるムーミストを外面だけで信仰する者もいた。

 魔導士である中年男のザッハークは、まだ日が沈み切っていないうちから、女を囲って酒を飲んでいた。

「酒が切れたぞ、早く酒持って来い!」

 このザッハークは兄を神官に持ち、彼自身も地位の高い魔導士のひとりであり、その中でも魔導具つくりの名手としての名もあった。そして、この男はアレクの伯父でもあったのだ。

 ザッハークはメミスの周りに広がる農園で取れるブドウで作った上質なワインを片手に、残った手は女の腰に回して上機嫌に酔っていた。そんなザッハークに対して女は嫌な顔をしつつも抱かれる。貴族であるだけで平民は逆らえないというのに、魔導士であればなおさらだ。

「酒はまだかって言ってるんだ。俺様を誰だと思っているのだ!」

 魔導士であるザッハークは自分の持つ権力と金を使い、人々から忌み嫌われる貴族の一人でもあった。だが、このザッハークは金使いが荒く、常に借金ばかりで家財道具を売り払ってまで見栄を張るような奴で、アレクの父が継いだ――つまり神官の家系である本家の財産を欲しがっていた。そして、機会があれば神官にもなりたいと考えていた。

 何時しか神官の欠員が出た時、ザッハークも神官候補として名前が上がったのだが、酒に溺れ借金ばかりしている男は神官としては相応しくないとされて、神官に成り損ねた男なのだ。だが、この国の魔導士は数が少ないため、魔導士であればまた神官になるチャンスが巡って来ることもある。

 魔導具つくりの腕は名手と言われようが、仕事がもらえなければいい酒も飲めない。そのことがよけいにザッハークを酒へと走らせる。

 酔ったザッハークの手が女の腰から尻へと伸ばされる。だが、その手は丁重に振り払われる。

「ザッハーク様、私は娼婦ではございませんの。そういうことは他所のお店でなさってください」

「いいじゃねえか、尻ぐらい触っても減りはしないだろう」

「ザッハーク様が神官様におなりになられたら考えますわ」

 誰もがザッハークは神官になれやしないと思っている。思っていても誰も口では言わない。しかし、ザッハークにもそれはわかっていた。だから、そのことを言われると酔いも醒めてしまう。

 ザッハークは酒を飲むのを突然止めた。まだまだ飲み足りないが、今日は金の工面が付かず持ち合わせがほとんどなかった。兄に借金を頼みに行って断られたばかりなのだ。

 金を持っていないのなら、ザッハークの地位で酒代を踏み倒すということもできないこともないが、彼にもプライドがある。

 覚束ない足取りで立ち上がったザッハークはテーブルの上に銀貨を二枚置いて店の外に出た。この瞬間、店員たちはほっとした表情を浮かべた。

 酒場を出たザッハークは定まらぬ視界で辺りを見回した。

 日は沈み、夜の蒼い風が吹いている。

 魔導灯と呼ばれる魔導力をあらかじめ入れて置くことによって輝く街灯のお陰で、都市からは夜の闇の恐怖は消え、夜遅くまで人々が外出をしている。だが、今日に限っては人がひとりもいなかった。

 酔いが醒めたせいか、ザッハークは身体を震わせて背筋を通る寒さを感じた。だが、どうやらまだ酔いは醒めていないらしい。

 視界がぼやけ、霧に霞む光景。歪む地面。灰色の空。

 どこか不思議な場所に迷い込んでしまったかの光景がザッハークの眼前に広がっていた。

 ザッハークは頬を両手で叩いて首を振った。酔いを醒まそうとしたのだ。だが、酔ってはいるが幻覚を見るほどではない。

 強い風に吹かれ、ザッハークは腕で顔を押さえた。――魔導力を帯びた風。魔導士であるザッハークは身体全身を振るわせた。それは恐怖だった。

 黒い霧がザッハークの目の前で渦巻き、ローブを纏った人型を作り出す。頭巾を被った者の顔は見て取れない。

 ローブが風に揺れた。

「金と権力、世界の全てが欲しくはないか?」

 突然のことにザッハークは何も言えずにたじろいだ。

 風が巻き起こり、ローブが激しく揺れた。

 次の瞬間にはローブを纏った人物はザッハークの目と鼻の先に立っており、ローブから伸びた手によってザッハークの口は鷲掴みにされていた。

「うぐっ……うう……おまえは……!?」

 ザッハークは頭巾に隠されていた顔を見た。その顔とは!?

 鷲掴みにした手から蟲が放たれた。それは細長く、ザッハークの口の中に入って食道を通り、身体の中に進入した。

 この蟲は人の悪の心を喰って成長し、人間を思いのままに操る蟲なのだが、ザッハークはそんなことなど知る由もなかった。

 一度気を失ったザッハークが目を覚ますと、そこは歓楽街の裏路地だった。

「夢か?」

 いつものように女遊びをした挙げ句に酒によって泥酔していまい、そのまま倒れるように寝てしまったのか?

 ザッハークは腹を擦りながら嗚咽を漏らした。これは酒のせいか、それとも……?

 全ては夢だったとザッハークは自分に言い聞かせ、暗い夜道を歩きはじめた。

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