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ローゼン・サーガ  作者: 秋月瑛
ローゼン・サーガ
12/26

サーガ12

 夜が明けても村は騒然としていた。元通りに戻れと言うのが無理な話である。

 火事は全て消火され、村のあちこちで発生してしまっていた〈混沌〉も多くの魔導士の犠牲により封じられた。

 ローゼンは元キースであった〈混沌〉が封じられた魔導壁に寄り掛かりながら一夜を過ごした。メルイルとシビウも同じようにして何も言わず、思い思いにいろいろなことを考えていた。

 三人はこれから何をすべきなのか迷っていた。シビウはキースの護衛として旅をして来た。ローゼンもキースがいなくてはどうしていいのかわからない。

 ヴァギュイールも消滅し、ローゼンに道を示してくれる者がいなくなってしまった。そして、尊敬していたサファイアの裏切り。ローゼンは何を頼っていいのかわからなかった。

 思いに耽っていたメルリルが急に立ち上がった。

「わたくし、行きますわ」

「待ちな、どこに行くっていうんだい?」

 手を伸ばしてシビウが止めてもメルリルは足を止めることなく、振り向くこともなく、こう言った。

「世界は崩壊を続けていますのよ、やがては〈混沌〉に世界が呑み込まれるかもしれない。わたくしは旅を続けますわ」

 メルリルは行ってしまった。もう、出逢えることはないかもしれない。

 深く息を吐いてシビウはローゼンを見つめた。魂の抜け殻のようになってしまったローゼンは虚ろな瞳で空を見ているだけだ。

 冷く乾いた風が吹いた。その風は人々の間を擦り抜けて、まるで生きているようだった。

 風はローゼンの前で止まった。シビウは異様な風の気配に気がついたが、ローゼンは虚ろな目で虚空を見上げているだけだった。

 風はローブを纏った人の形になった。頭巾を被り顔は陰になって見えない。

 シビウは剣を構えようとしたが、ダンシングソードはソーサイアに握られた時に刃が毀れ使い物にならなくなっていた。仕方なくシビウは近くに置いてあった〈紅獅子の君〉の魔剣を構えた。

 二対の魔剣を構えるシビウの姿は様になっていない。だが、それでも相手への敵意はひしひしと空気を伝わって感じられる。

 ローブを着た者はシビウに手を向けた。その手にはグローブが嵌められており、この者の素肌が見える場所はどこにもなかった。

「剣を収めよ、おまえたちに危害を加えるつもりはない」

 くぐもった声で少し聞き取りにくいが、それが女性の声だということは判断できた。

 シビウは剣を収める気はない。相手が信用できる人物であるとは限らないからだ。

 頭巾に隠された頭がシビウの方を振り向いた。その顔は白い仮面で隠されており、くぐもった声はこのためだと思われる。

「剣を収めぬのなら、それでもよい」

「あんた誰だい?」

「我が名は〈黒無相の君〉。ソーサイアを捕らえに来たのだが、遅かったようだ」

 四貴精霊の中でその存在が一切の謎に包まれた精霊。精霊の間では、その存在がいないのではないかと囁かれた精霊だ。

 〈黒無相の君〉が何故、そのような呼び名で呼ばれるのかは誰も知らない。そして、〈黒無相の君〉の素顔を見た者も誰一人としていないという。

「今ごろ現れても遅いんじゃないかい? ソーサイアは何処に行ったかわからなし、〈紅獅子の君〉も死んじまったよ」

「だが、キースはまだここにいる」

「キースはもう……」

 シビウは言葉を詰まらせたが、〈黒無相の君〉は『キースはまだここにいる』とはっきりと言った。それが意味することとは?

「例え〈混沌〉に『還ろう』とも、キースはキースだ」

「何言ってんだい、あんたは?」

「キースとローゼンには〈姫〉に逢って貰わねば困るのでな――」

 グローブの嵌められた手がローゼンの目を覆い隠すように乗せられ、ローゼンの身体が急に地面に倒れ込んだ。

「ローゼンに何をした!?」

 魔剣を〈黒無相の君〉の頭上まで振り下ろしたシビウであったが、それ以上は身体が動かなかった。

「慌てるでない。ローゼンが還って来るのを待とう」

 シビウの身体は金縛りから解放された。

 〈黒無相の君〉が何を言っているのかシビウには理解できなかったが、相手に殺気が感じられないことがわかった彼女は二対の剣を地面に突き刺して、地面に座り込みローゼンが還るのを待つことにした。


 辺りが暗闇に包まれていることにローゼンは気がついた。

 この暗闇はいつも見ていた〈夢〉のはじまりに似ていた。けれど、少し違う。この感じが何であるかはっきりとわかる――〈混沌〉だ。

 〈混沌〉に呑まれてしまったに違いない。でも、いつの間に?

 ローゼンの意識が朦朧としてきた。〈混沌〉に呑まれようとしているに違いない。

 ここまま消えてしまってもいいとローゼンは思った。しかし、声が聞こえた。

 聞き覚えのある声。ローゼンはその声に意識を集中させた。

 この世界が〈夢〉に似ているのならば、全ての感覚を集中させることにより世界が広がるはず。

 暗闇の中で自分の存在を感じ、耳で音を感じる。

 聞こえてくる声が自分の声であることを感じたローゼンの目の前に世界が広がった。

 そこは見覚えのある部屋があり、見覚えのある者たちが会話をしていた。それは自分とキースだった。

 思わずローゼンは声をあげてしまった。

《キース様!》

 ローゼンの声は相手には伝わらなかった。キースはすぐ近くにいる自分にすら気が付いていないようだ。

 何が起きたのかわからず、ローゼンはキースの身体に触れようとしたが、ローゼンの身体はキースの身体を擦り抜けてしまった。

《幻の世界なの?》

 ローブを着たローゼンとキースが話す光景。この光景ははじめてふたりが出逢った光景であった。

 耳を澄ませ、ローゼンは会話の内容を感じた。

「ご心配なさらずに。貴方様は我が精霊の里ラルソウムの長様がお選びになった人間。必ずや世界崩壊の謎を解き明かしてくれるでしょう」

「わかった、私は君と旅に出よう。しかし、その前にいろいろと準備がある。君も私について来たまえ」

 キースは櫃の奥に閉まってあったローブを羽織ると部屋の外に出て行ってしまい、その後をあの時のローゼンも追いかけるようにして出て行ってしまった。

 全てあの時を同じだった。

 あの時はまだ緊張していて身体が強張ってしまっていたのをローゼンは思い出した。今思うと可笑しいくらいに緊張している自分が少し恥ずかしくなった。

 辺りの光景が一瞬にして変わった。

 メミスの都の神殿の地下にある歴代の巫女と神官長を祀った墓地。そこでひとりの少年が泣いていた。

「母上様……」

 新しくできた墓の前で泣く少年。ローゼンにはこれが誰なのかすぐにわかった。これはキースが小さかった頃に違いない。

「母上様、ぼくは神官長になんかなりたくないのです。みんなぼくに厳しくして、ぼくは外の世界の人たちのように自由な暮らしがしたいのです。どうして、ぼくにやさしかった母上様は死んでしまわれたのですか? どうしてなのですか?」

 誰かの足音が近づいて来た。この人物はローゼンにも見覚えがある。

「キース様、またここに居られたのですか。魔導の勉強をしている最中に部屋を抜け出されては困ります」

 アースバドはキースの腕を強引に引っ張り行ってしまった。

 露骨に嫌な顔をしていたキースだが、言いたいことを言えずにいるのがよくわかった。周りの流れに逆らいたくとも逆らえない、そんな印象をローゼンは受けた。

 階段を上っていってしまったキースをローゼンが追いかけようとした時、また辺りの光景が変わってしまった。

 青年になったキースが自分の部屋で読書をしている。

 ローゼンはキースの読んでいる本を覗き込んでみたが、人間の文字は理解できなくて、何が書いてあるのかわからなかった。ただ、わかるのは、小さな文字がびっしりと並んでいて、本の厚さが一〇ティート(約一二センチ)もあることだけだ。

 少し疲れたのかキースは本を閉じ、背もたれに寄り掛かると息を吐き、目をつぶった。「新しい本棚はまだ届かないのか?」

 目を開けたキースは机の上に置いてあった先ほどまで読んでいた本を手に取り、椅子から立ち上がって本棚の方に向かった。

 本棚には三〇〇冊以上の本が入れられており、そこに入りきらない分は床に乱雑に積み重ねられていた。

 部屋をノックする音が聞こえた。誰かが訪ねにき来たのだろう、キースは急いでドアに向かった。

「何のようだ?」

 キースがそう聞くと、ドア越しにアースバドの声が返って来た。

「新しい本棚が届きました」

 待ちかねていた本棚が届いたと聞き、キースは満面の笑みを浮かべたドアを開けた。

 本棚は二人の召使によって運ばれ、満足したキースは召使とアースバドを部屋の外にさっさと出してしまい、部屋の中でひとりになったキースはさっそく本の整理をはじめることにした。

 何も入っていない新しい本棚に次々と本を入れていく。キースは几帳面なのか、同じ種類の本をひとまとめに置き、尚且つその種類ごとにこの世界の公用語であるノース語順に並べて置いている。

 最後にキースの手元に一冊の本が残ってしまった。今まで並べたどのジャンルの本にも当てはまらない本。それは『絵本』であった。

「……懐かしいな。昔は母上によく読んでもらったものだ」

 開かれたページには蒼い色で塗りつぶされたローブを着た精霊が描かれていた。

「小さい頃はこの精霊に憧れたものだが、このような精霊がいるはずがないな……」

 絵本の内容は、蒼い法衣を着た精霊が姫を守るために悪い精霊と戦うというもの。その蒼い法衣を着た精霊は誰にも負けない魔導を使い、圧倒的な強さを誇り、まさにキースの憧れの英雄像であった。

 絵本を本棚の端に入れるとキースは一息ついた。そして、微笑んだ。

「外の世界に出れば逢えるかもな……いや、そんなことはないか」

 この先、キースに起こることを知っているローゼンはとても哀しくなった。

《憧れていた者に裏切られるのは哀しいことです》

 突然キースはローゼンのいる方向を振り向いた。自分に気が付いたのかローゼンははっとしたが、どうも違ったらしい。

 ノックもせずにアースバドが部屋の中に飛び込んで来た。

「キース様、大変でございます! お父上様が倒られました!」

「何だと!」

 キースはアースバドと共に部屋を駆け出して行ってしまった。

 追いかけようとしたローゼンの身体が突如闇に包まれてしまった。


 渦巻く闇が光に吸い込まれていくのか、渦巻く光が闇に吸い込まれているのか。キースにはどちらでもいいことだった。

《ここは何処だ?》

 記憶を手繰り寄せる。ソーサイアに触れられ、それから?

《そうだ、〈混沌〉になったのだった。では、ここは〈混沌〉の内ということか?》

 ここが〈混沌〉の内だとしたら、もうすぐ自分も〈混沌〉に呑まれてしまうのだろう。キースがそう思った瞬間、それは現実となった。

 キースの身体が指先や足先から闇色に変わっていく。〈混沌〉に侵食されているのだ。ここままでは本当に〈混沌〉になってしまう。

《だが、まだ私にはやるべきことがる。〈混沌〉の内で意識が保てるのならば、ここから抜け出す方法もあるのかもしれない》

 〈混沌〉に侵食されようとしていたキースの身体が、少しずつだが元通りに戻り始めた。〈混沌〉侵食された手は元通り手の形に戻り、足も元通りに戻った。

《なるほど、自己の存在を強く想うことで〈混沌〉に呑まれずに済むのか》

 何もない空間でいかに自己保ってられるか――これは我慢比べだった。

 無音の闇。五感を支配し精神を破壊する。時間の感覚さえも壊される。

 キースは知っていた。〈混沌〉が〈はじまり〉の物質と呼ばれていることを――それが宇宙の〈はじまり〉であることを――キースは悟った。

《なるほど、こういう意味だったのか》

 誰が〈混沌〉を〈はじまり〉の物質と呼び、宇宙の〈はじまり〉などという戯けたことを言ったのかわからない。だが、それが真実だとしたら?

 〈混沌〉がもし本当に〈はじまり〉の物質であるのならば、それが〈無〉であるはずがない。現にソーサイアは魔導の源が〈混沌〉だと言っていた。それがキースの答えだった。

「即ち、ここには全ての要素があるはず。五感で全てのものを感じられるはず」

 声が発せられ、それは自らに耳に届いた。そして、世界が創造された。

 活気溢れるメミスの都。都市の端を流れる大きな川。その川の流れる音に紛れて小さな男の子の泣き声が聴こえて来た。

 男の子は独りぼっちで寂しいのか、激しく泣いている。しかし、小さな子供が何故このようなところに独りでいるのだろうか?

 キースは男の子に近づき、さやしく言葉を投げかけた。

「どうしたのだ? 迷子にでもなったか?」

 小さな男の子は目頭を両手で押さえながらキースの顔を見上げた。

「あなたは誰ですか?」

 五歳か六歳くらいにしか見えないのに、その子供の言葉使いや態度はしっかりしていた。それもそうである――この法衣を着た子供はキースなのだから。

 過去の記憶でつくられた自分の小さい頃を見て、キースはすぐにあることを思い出した。

「家出をして来たのかい?」

「……はい」

 男の子は小さくうなずいた。

 キースは過去に一度だけ神殿を抜け出したことがあった。神殿を出たのはあれがはじめての経験だった。

 あの頃は神官長になるのが嫌で嫌で、何時か外の世界に出ることを夢見ていた。それで、家出をしたのだった。

 この世に生まれた時から運命は定められていたように思える。神官長になることを義務付けられ、自分の意志は何もなかった。でも、ローゼンが自分の前に現れた時、何かが変わるのではないかと思った。

「だが、結局は家出した時と同じだ」

 家出した時も、結局何もできずに泣いていただけ。あれほど自分が無力だったとは思いもしなかった。だから、流されるままに神官長になることにした。その生き方が自分を守ってくれる。

 大勢の人影が子供のキースのもとへ駈け寄って来る。

 キースが子供の頃のキースの背中を軽く押してあげると、子供のキースは元気よく人影に向かって走って行った。

「ああやって自分は守られて生きていくしかないのだな」

「あなたも守って欲しいのなら、こちらに来てもいいのよ」

 キースが声のした方向を振り向くと、そこには二人の赤子を連れた男女が立っていた。男の方が女の子の赤子を抱きかかえ、女の方は男の子の赤子に授乳している最中だった。キースに声をかけたのはこの女性の方だ。

「あなた方は……?」

 目の前にいる人物はキースの両親と自分と双子の兄弟であった。

 赤子を抱きかかえたままキースの母はキースのもとへゆっくりと歩み寄って来た。

「キースがここにずっといてくれれば、わたしたちが永遠に守ってあげられるわ」

「ここは〈混沌〉の内のはずでは? 何故母上がいるのです?」

「ここはあなたの内でもあるのよ。さあ、わたしの手を取って一緒に暮らしましょう」

 母がやさしく伸ばした手をキースが掴むことはなかった。

「どうしたの? わたしの手を掴めば、あなたは幸せに守られ永遠に生きられるのよ」

「私は守るべきものを残してここに来てしまいました。今の私にも守らなくてはいけないものがあるのです」

 ゆっくりと手を下げたキースの母はうれしそうに微笑んだ。

「それでいいのよ。さようなら愛しいキース」

 夢のような幻影は闇に浸食され溶けるようにして消えてしまった。世界はまた闇に包まれてしまったのだ。

 また〈混沌〉がキースを呑み込もうとしている。だが、キースに恐れることは何もない。この〈混沌〉は自分なのだから、自分をしっかりと見つめてあげればいい。

 自分から目を背けずに自分と向き合う。

 キースの前にもうひとりのキースが現れた。

「私は何かに守られていなくて生きていけない人間なのだ」

「そう私は何かに守られてなくては生きていけない。人は皆、ひとりでは生きていけないと思う。だから、私は守るべきもののもとへ還らねばならない」

「本当に私の力を必要としているものがいるのか?」

「実を言うと、必要とされているかは関係ないのだ。ただ、私が守りたいと思うだけのこと」

「私はローゼンを守りたい」

「はじめて出逢った時から、彼女に惹かれるものがあった。何故そのようなことを思ったのか、今でも漠然としていてはっきりとした答えが出せないでいる」

「でも、私はローゼンを守りたい」

「それだけのだ」

 突如もうひとりのキースが淡い光に包まれ、やがてそれはローゼンへと変わった。

「キース様、お迎えに参りました」

「私も君を迎えに行こうとしていたところだよ」

 二人はどちらともなく互いの身体を抱き寄せ、唇と唇を重ね合わせた。そして、世界は薔薇色に染まった。

 青空を小鳥たちが歌いながら飛び交い、草の香をそよ風が運んで来てくれる。地上に咲く美しい花々に囲まれ二人の男女は互いを確認し合った。

「わたくし全部思い出しました」

「私も君のことを思い出した」

 封じられていた記憶が紐解かれ、二人は恋に落ちた。

「わたくしは精霊ではありませんでした。わたくしはあなたの恋人でした」

「私は前世で君のことを愛していたようだ。死んだ君をどうにかして生き返らせようとしたらしい」

「あなたが死んでしまった後、わたくしは長い時を精霊として過ごし、再びあなたと出逢える日を待っておりました」

 時を越えた赤い糸が二人を再び結びつけたのだ。

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