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ローゼン・サーガ  作者: 秋月瑛
ローゼン・サーガ
11/26

サーガ11

 村に戻り、メルリルと分かれたローゼンとキースは自分たちの宿に戻った。

 シビウはまだ寝ている。このようすだと朝まで起きそうもない。

 部屋の中は静かだった。ローゼンもキースもしゃべろうとも寝ようともしなかった。あのような出来事があって、とても眠れるような状態ではなかったのだ。

 二人はテーブルを挟んで向かいに座っていた。だが、視線のを合わせることはない。ただ、うつむき、時間だけが過ぎていく。

 長く感じられる時間の流れに、ローゼンは押し潰されそうだった。何もせずこうしていると、フユのことを考えてしまう。

 星空を眺めたら少しは気分転換ができるかもしれないと思ったローゼンは窓辺に向かった。

 夜空には満天の星が輝いている。地上を見下ろすと夜も更けたというのに村は明るい。街灯が設置され急激に進んでからというものは、人々が眠るのも遅くなり、人は昔のようには夜を恐れなくなった。

 今でも人は夜を恐れる。だが、それでも村や都市の中にいれば安心だと思っている。人は恐れを消し去ろうと日々努力を続けているのだ。

 神々はこの世界にいる全ての者が畏怖する対象であった。でも、今はでは神がこの地上に姿を見せることはなくなった。人は神の存在を伝説のように思い、神への畏怖は薄れてきている。

 恐怖を消し去ろうとしているのは人間だけではないかもしれない。精霊もそうかもしれない。

 村並を眺めていたローゼンの目が、遠くに見える赤い光に向けられた。あれはいったい何だろう?

「キース様、あれは何でしょうか?」

 椅子から立ち上がったキースはローゼンの指差す方向を目を凝らして見た。揺らめく赤い光――あれは!?

「火事ではないのか!?」

 燃え上がる炎はひとつではなかった。次々と別々の場所から炎があがっていく。普通の火事とは違う印象を受ける。

 すぐ近くの民家からも突然炎が燃え上がり、あっという間に建物は炎に包まれた。異常な早さで燃え上がる炎を前にしてローゼンは言葉すらでなかった。これは、ただの放火ではない。

 慌ててローゼンはすぐさま寝ているシビウを叩き起こそうとした。

「シビウさん、起きてください!」

 身体を激しく揺さぶられたシビウは頭を押さえながら、ゆっくりと這い起きた。

「何だか、頭が痛いねえ……」

「シビウさん、外のようすが変なのです!」

「外?」

 二日酔いなのか、気持ち悪そうな顔をしてシビウは窓辺に行くと、キースを押し退けて窓の外を見た。

 炎の勢いは増しており、泣き叫び逃げ惑う人々を見たシビウの酔いは完全に覚めた。

「あんたたち、何ぼさっとしてんのさ、さっさと外に出るよ!」

 壁に立て掛けてあった剣を取り、シビウは急いで部屋を出て行った。ローゼンもすぐに後を追ったが、キースはまだ窓の外を見ていた。

 キースの視線の先には上空を舞う人影が映っていた。

「あれは?」

 上空を飛んでいるのは魔導士なのか? それを確かめるためにキースは急いで建物の外へ出ることにした。

 部屋を出て階段を駆け下りたキースはすぐにローゼンたちに追いつくことができた。

「皆さん、外が火事なのです!」

 酒場のうるささにローゼンの言葉はかき消されてしまった。誰もローゼンの言葉に耳を傾ける者はいない。

 大きく息を吸い込んだをしたシビウがローゼンを押しのけ前に出た。

「外が火事だって言ってんだろうが!」

 鼓膜が破れそうな怒鳴り声に酒場が一瞬静まり返った。空かさず、ローゼンが話をする。

「あの、村中で火事が起きてるのです。ですから――」

 ローゼンの言葉を遮るように酒場の中に酷く慌てた男が飛び込んで来た。

「火事だ! 村中が火事だ!」

 酒を飲んでいた男たちが一斉に立ち上がり酒場の外に駆け出した。キースたちもそれに呑まれるようにして外に出た。

 深夜だったが、火事が起きたことによって村中の人々が起きてきて、村中は騒然とした雰囲気に包まれていた。

 駆け回る村人の中にローゼンはメルリルを見つけて声をかけた。

「メルリルさん!」

 声をかけられたメルリルはひどく慌てたようすでローゼンのもとへ近づいて来た。

「あんたたちもすぐに来なさい、〈混沌〉が発生したのよ!」

 火事に加えて〈混沌〉までも起こるとは、偶然とは思えない。では、偶然でないとしたら、何故?

 上空を飛ぶ人影をキースは目で追っていた。それはやがて自分たちの方へと近づいて来て、それが誰であるかをキースは知った。

「まさか、あれはサファイアか!?」

 その名を聞いて三人はキースの視線の先を見た。ローゼンとメルリルは安堵の表情を浮かべ、シビウは何であいつが、と思った。

 上空から降下して来たサファイアはローゼンたちの前に降り立った。

 歓喜の声をあげてローゼンは涙を流した。

「サファイア様、生きていらっしゃったのですね!」

「全くだ、おまえたちが生き残るとは予想外であったな」

 いつもと違うサファイアの雰囲気と口調に、ローゼンは前に出していた足を一歩後ろへ下げた。

 不適な笑みを浮かべて近づいて来るサファイア。その全てが以前のサファイアとは違っていた。圧倒的な威圧感を身体から放っている。

「違います、サファイア様ではありません!」

「私がサファイアではない? 私はサファイアだよ」

 口調がサファイアのものとは明らかに違う。サファイアは自分にことを『俺』と呼んでいた。

 不穏な空気を読み取って、シビウは剣をすでに鞘から抜いていた。キースとメルイルも身構えている。

 サファイアは尚もゆっくりと近づいて来る。

「何だいみんな? 恐い顔をして? 私がサファイアではないと疑っているのかい?」

 メルリルは光の剣を魔導で作り出し、サファイアに対して敵対心を露にしていた。

「このサファイアがサファイアでないとすると、サファイアは〈混沌〉に……」

 言葉を詰まらせた。メルリルはサファイアが〈混沌〉に呑まれたのだと思ったのだ。

 失笑したサファイアは足を止めた。

「私が〈混沌〉に喰われたとでも思ったのか? それは違う、逆に喰らってやったのだ。私は〈混沌〉を自由に操れる。この村で起きていた魔導士が〈混沌〉になる奇病が誰の仕業によるものかわかるか?」

 誰もがその問いに気が付いた時、サファイアの腕が六メティート(約七・二メートル)の長さに伸び、近くを走っていた村人の身体に蔓のように巻きつき、高く上空へと持ち上げた。

 異常事態に気が付いた村人たちは狂ったように逃げ出した。この場に残った村人たちも次に起こったことを見て急いで逃げ出した。

 巻きついた腕の中で暴れる村人の身体が膨れ上がり、やがてぶよぶよの物体になったかと思うと、それは〈混沌〉へと変化したのだ。

 〈混沌〉が創り出された。それはあまりに衝撃的なことであり、誰も成し得ぬはずのことであった。

 〈混沌〉は触れることもできないはず。それをサファイアは手で掴み、握りつぶすようにして消滅させた。いや、吸収したのだ。

 サファイアの身体から発せられる魔導の気が、脈打つように鼓動し波動を作り出した。まさか、〈混沌〉の力を我がものとしたとでもいうのか!?

 あまりの出来事で頭が真っ白になってしまったキースであったが、彼はある重大なことに気が付いた。

「今の村人は魔導士ではなかったはず!?」

 これを言われてメルリルも気が付いた。

「〈混沌〉に変わるのは魔導士だけではなかったの!?」

 にやりと邪悪な笑みをサファイアは浮かべた。

「〈混沌〉の力を操るまでにはだいぶ苦労した。この村の者たちにもだいぶ犠牲になってもらった。私がわざわざ魔導士ばかりを〈混沌〉に変えたのは、その方が簡単であり、喰らってやった時に私の力になるからに過ぎない。たたが村人では魔導力は少な過ぎて、何の足しにもならないからな」

 魔導士たちを〈混沌〉に変えていたのは全てサファイアの仕業であった。そして、そのことを利用して世界中から〈混沌〉を封じるために集まって来た良質な魔導士をも〈混沌〉に変える。全ては自らの力とするために。

 伸ばされていたサファイアの腕が戻された。

「私がサファイアではないと、まだ思っているようだが、私はサファイアだ。正確にはサファイアを演じていた者だ。そう、この世界にはサファイアなどと言う者は最初から存在していない。私は――」

 サファイアの身体が蒼白い光に包まれ、その光はサファイアの身体を包む蒼い法衣へと変わり、顔も女性に近い顔から妖艶な中性的な顔へと変わり、髪の毛も足元まで伸びて蒼色に染まった。

「お初にお目にかかる。私の名は〈蒼魔の君〉」

 四貴精霊のひとりソーサイア。魔導の真理に最も近いと言われる彼は〈蒼魔の君〉と呼ばれていた。

 キースは何重もの衝撃を受けた。まさか、サファイアが自分が憧れていた〈蒼魔の君〉であったとは――。まさか、〈蒼魔の君〉が人々を〈混沌〉に変えていたとは、想像すらできなかった。

「何故〈蒼魔の君〉がこのようなことを!?」

 キースにはまだ、目の前にいる者が〈蒼魔の君〉とは信じられない。〈蒼魔の君〉がこんなことをするはずがない。

「全ては魔導を極めんとするためにしたことだ。魔導士たちを〈混沌〉に変え、吸収したのもそのため」

 だが、何故人々を混沌に変える必要があったのか? ソーサイアの話は先ほどから理解できないことが多すぎるのだ。

 ここまで何も言わずに話を聞いてきたシビウであったが、ついに彼女は耐え切れなくなり大声で怒鳴り散らした。

「あ〜もう、話がややこしくてわからないんだよ。とにかく、この〈蒼魔の君〉って野郎が悪い奴なんだろ!」

「私が悪い奴? それはおもしろい。では、私をその剣で斬ってみるかね?」

「斬ってやろうじゃないかい!」

 相手の挑発に乗り地面を強く蹴ったシビウと同時にダンシングソードがしなやかにうねり、ソーサイアに襲い掛かった。

 蛇のような動きを見せるダンシングソードは簡単に避けられるものではない。その刃をソーサイアは素手で簡単に掴んだのだ。

 蛇の首を絞めるようにして刃を握り絞めるソーサイアの手は全く傷ついていなかった。それどころか、ダンシングソードを紐のように手繰り寄せてシビウの身体を引きずると、近づいて来たシビウに火炎の魔導を放った。

「――なっ!?」

 不意を突かれたシビウの身体は炎の勢いのよって遠く飛ばされてしまい、地面の上に激しく叩きつけられた。

 素早さを武器にしているシビウは軽装の鎧しか身に着けておらず、露出していた肌に重症の火傷を負ってしまった。

 すぐさま、ローゼンが地面に倒れたシビウに駈け寄る。

「すぐに治療します」

 治癒魔導で火傷を治そうとするが、なかなか治りが遅い。命には別状はないが、治療にはだいぶ時間がかかりそうだ。

 傷ついたシビウを横目で見て、メルリルは情勢が自分たちに不利だということが身にしみてわかった。魔導を極めたと言われる〈蒼魔の君〉に、たかが人間の魔導士が歯向かえるはずがない。だが、彼女は動いた。

 光輝く剣を構えてメルリルはソーサイアに斬りかかった。と思いきや、メルリルは剣を振るふりをして、相手に剣を投げつけた。

 自分に投げられた剣を軽々と避けると、ソーサイアは後ろを素早く振り向き片手を突き出した。

「それでも不意打ちのつもりか?」

 ソーサイアの背後から魔導を放つべく立っていたメルイルの身体が急に動かなくなってしまった。

「どういうことよ!?」

 ソーサイアの手がメルイルに向けられた瞬間、彼女の身体は金縛りに架けられてしまったのだ。

「少し、そこでじっとしていてもらおう。私はキースと話があるのだ」

 自分の名前を呼ばれて、ソーサイアに攻撃を仕掛けようとしていたキースの身体が止まった。

「私に話があるだと?」

 腕を地面に下ろしてしまったキースのもとへソーサイアが歩み寄って来る。だが、キースは蛇に睨まれた蛙のように動くことができなかった。金縛りではなく、相手の圧倒的な威圧感に押されて動くことができないのだ。

 微かな笑みを浮かべるソーサイアの妖艶な顔が、キースの顔の目の前まで来た。もう少し近づいたらくっついてしまいそうな距離だ。

「人間界では魔導を使えるようになる最低限の条件を"血』だと教えられているようだが、では何故、精霊は魔導を使えるのかね?」

 言われてみればそうだった。キースはこの時はじめてその疑問にぶち当たった。何故、精霊は魔導を使えるのか?

 精霊は人間とは身体をつくっている構造が違う。精霊は人間のような血を持ってない。では、何故魔導を使えるのか?

 ソーサイアはキースが答えられないと見て、満足そうな笑みを浮かべた。

「やはり、答えられないようだな。人間は魔導を知らずして魔導を使っている証拠だ。魔導の真の恐ろしさを知らない。魔導が諸刃の剣であることを知らない。キースよ、おまえは魔導を何の力を借りて使っている?」

「神々の力……ではないのか?」

 自信を持って言うことができなかった。今までは神々の力を借りて使っているものだと思い込んでいた。だが、今は違うものの力を借りているのではないかと思えた。

「愚かな神々は遠い地で戦争をしていてな、神々の数は激減している」

「では、やはり神々が減ったことによって魔導士の数が減ったのか?」

 不敵な笑みを浮かべているソーサイアは首を横に振った。それを見たメルイルが大声で怒鳴った。

「あなたねえ、回りくどい言い方ばっかりしてないで結論を言ったらどうなのよ!」

「少し〈混沌〉に近くなり過ぎたのか、私の思考も『混沌』としてしまっているようで、回りくどい言い方が好きになってしまったようだ」

 これは彼の冗談だった。だが、今の言葉を聞き、その意味に気が付いたキースたちは、まさかと思った。

 人の驚いた顔を見るのがさぞかし好きなのだろう。ソーサイアは薄気味悪い笑みを浮かべた。

「魔導とは〈混沌〉の力を借りて使っているのだよ」

 予想していた答えではあったが、やはり衝撃は大きかった。

 まさか、今まで使っていた魔導が〈混沌〉の力を借りていたとは、まだ信じられない。いや、信じたくない。

 ソーサイアは自分の瞳を指差した。

「サファイアであった私の瞳は紅い色をしていた。それは精霊であれば誰しもがそうだ。だが、今の私の色がわかるか? キース、おまえと同じ色をしている。これは〈混沌〉に近い者である証拠だ」

 キースの瞳の色は黒かった。吸い込まれそうな闇色。

 代々メミスの都の神官長と巫女の双子は黒い瞳で生まれてくると決まっていた。この世界で黒い瞳を持って生まれるのこの双子しかいないと言われるほどの珍しい瞳の色。

 動けなくなっているキースの周りを散歩でもするように歩きながら、ソーサイアは話を続けた。

「この世の全てのモノは少なからずとも〈混沌〉の要素を持っている。人間はその要素を多く持って生まれてくるかどうかで、魔導を使えるようになり易い性質かどうかが決まる。つまり、本来は誰しもが〈混沌〉の要素を持っている訳なのだから、内に秘める〈混沌〉を増幅させれば誰しもが魔導を使うことができるようになる。人間の中に魔導士が存在するのはまさにそれと言えるだろう。人間はいろいろなものに使役されて魔導を使える性質を持って生まれてくるのだが、その中でも最も使役されるものは神々だ。そのため神々のいなくなってしまったこの地上では魔導士の数が激減したのだ」

「私に何故そのような話をする?」

 これがキースの出せる精一杯の言葉だった。

 蒼白いソーサイアの手がキースの顔にやさしく触れた。

「おまえは特別だからだ。おまえとローゼンは、どうもあいつらのお気に入りらしいからな」

「あいつらとは誰のことだ?」

「それは私に身体に取り込まれればわかることだ」

 ソーサイアの手がキースの顔から離れた途端、キースの身体に異変が起きた。

 誰もが目を覆いたくなるような光景だった。キースの身体が突然ぶよぶよと膨れ上がり、見るも無残な姿へと変貌し始めた。

 誰もがすぐに悟った。キースが〈混沌〉に変わる。

 肉塊となったキースの身体は収縮し黒い塊になった。それを見ていたローゼンは気を失いそうになってしまった。まさかキースまでもが〈混沌〉になってしまうとは、恐ろしい悪夢を見ているようだ。

 〈混沌〉に変わってしまったキースを吸収すべくソーサイアが腕を伸ばした瞬間、彼の腕は肘から地面に落ちた。

 鋭い目つきでソーサイアが見たそこには、二対の魔剣を構えた年老いた〈紅獅子の君〉が立っていた。年老いた姿とはいえ、その勇ましさは他を圧倒する勢いだった。

 落ちた腕を拾い上げたソーサイアは腕を元の位置に無理やり戻すと、くっ付けた腕の調子を確かめるように屈伸させ、にやりと笑った。

「久しぶりの対面だと言うのに、私の腕を切り落とすとは、昔と変わらず勇ましいことだ」

《久しいなソーサイアよ》

 ヴァギュイールの『声』を聞き、ソーサイアはあざけ笑った。

「年老いて『声』も出せなくなってしまったのか、可哀想なことだ」

《年老いようとも、剣の腕は落ちておらぬつもりだ!》

 二対の剣が風を斬り裂き、うねりをあげてソーサイアに襲い掛かった。

 魔導壁でヴァギュイールの魔剣を防ごうとしたのだが、この二対に魔剣は全てを切り裂く魔剣。ソーサイアの身体は十字に斬られ地面に崩れ落ちた。

 油断するのはまだ早い、地面に落ちたソーサイアの身体は霧と化して消えた。

 ヴァギュイールは自分の後ろと真上を二対の剣で同時に突き刺した。そこには二人のソーサイアがいたが、どちらも虚偽であった。

「どちらも外れだ。ヴァギュイールよ、おまえは年老いたのだ」

 遥かヴァギュイールの頭上から、巨大な光り輝く玉が彗星のように降って来た。その先には勝ち誇った表情をしたソーサイアがいた。

 地面を砕くほどに強く蹴り上げ飛翔したヴァギュイールは巨大な魔導の塊を真っ二つに切り裂き、そのままソーサイアに向かって行った。

 断ち切られた魔導の中から現れたヴァギュイールを見てもなお、ソーサイアは余裕の表情であった。

「年老いたおまえでは私には勝てぬ」

《それはおまえとて同じこと》

「否だ!」

 ソーサイアの身体から放たれた強い波動によってヴァギュイールが刹那だがたじろいでしまったその時、その瞬間を見逃さなかったソーサイアはヴァギュイールの懐に潜り込み、そのままヴァギュイールの身体を地面に叩きつけるべく急降下をはじめた。

 五〇メティート(約六〇メートル)の高さからヴァギュイールの身体は地面に激しく叩きつけられた。地面が砕け四方に弾け飛ぶ。

 苦痛に表情を歪めながらも、ヴァギュイールの手はしっかりと柄を握り締め、その切っ先はソーサイアの身体を貫いていた。ヴァギュイールは自分が地面に叩きつけられる反動を利用して相手に剣を突き刺したのだ。

 剣で身体を突き刺されたソーサイアはそれでもなお、余裕の表情を浮かべている。ここまで来ると異常としか思えない、その表情だった。

「ヴァギュイールよ、おまえは長い年月の間に衰えてしまった。だが、私は違う」

《何を言う、おまえとて自然の摂理には反せぬはず!》

 魔剣がソーサイアの身体を切り裂いた。今度は本物であった。だが、ソーサイアが消滅することはなかった。

 魔剣によって斬られた、ソーサイアの身体の切り口は黒かった。それは吸い込まれそうな闇色をしており、まるでそれは〈混沌〉のようだった。

 斬られた傷口から黒い触手が伸び、別の傷口から出た触手と絡み合い、別々にされたソーサイアの身体を繋ぎ合わせ元通りにした。

「私の身体は〈混沌〉を取り込み力を得た。だが、さすがは〈紅獅子の君〉の操る魔剣は素晴らしい、〈混沌〉をも切り裂くとは私にも予想外だった。だが――」

 ソーサイアがヴァギュイールに止めを刺そうとした瞬間、彼は背中に大きな魔導を受けてよろめいた。

 魔導を放ったのはメルリルであった。ソーサイアの意識がヴァギュイールに集中されたことによって、彼女の金縛りは解かれたのだ。

「あんた好き勝手やってるんじゃないわよ!」

「莫迦な人間だ。『魔導』である私に魔導で攻撃するなど」

「目には目を歯には歯を、魔導には魔導よ!」

「単純な人間……なっ!?」

 何かを言おうとしていたソーサイアの身体を突如異変が襲った。衣服を持ち上げ彼の身体の中で何かが動いたのだ。これはいったい!?

 余裕の表情をしていたソーサイアの表情が焦りの色へと変わった。

「まさか、そんなはずは……!?」

 ソーサイアは息を飲み込んだ。自分自身の身体に起こった異変を信じられずにいるのだ。

「このようなことが、あってなるものか!」

 叫び声をあげたソーサイアの皮膚や衣服を突き破り、黒い触手が幾本も突き出し、ソーサイアの身体に巻きついた。

 触手はソーサイアの顔半分を残して絡みつき、彼は地面に手を付き呻き声をあげて地面を転がり回った。

「おのれー! 〈混沌〉が私を喰らうつもりか。そうはさせぬぞ……くそっ、今は一旦引くが、私は再びおまえたちの前に姿を現す――」

 〈混沌〉に呑まれかけているソーサイアはそういい残すと、闇に溶けるようにして姿を消してしまった。

 ソーサイアは消え去り一難去ったが、キースは〈混沌〉にされてしまった。その〈混沌〉は少し目を離していた間に直径二メティート(約二・四メートル)もの大きさに膨れ上がっていた。

 メルリルは〈混沌〉を封じようとしたが、ひとりの力ではどうにならなかった。こんなにも大きくなってしまった〈混沌〉は、三〇人の魔導士が全力を尽くしても封じられるかわからない。

 シビウの治療がだいぶ済んだローゼンは〈混沌〉のことも気になったが、それよりもヴァギュイールのことが心配で急いで駈け寄った。

「長様、しっかりしてください!」

 息はか細いがまだ生きている。ローゼンは治療を開始しようとした。

「今すぐに治療して差し上げますから、どうか、どうか……」

《わしはもう助からん。それよりもあの〈混沌〉をどうにかせねばならない》

「助からないなんて言わないでください!」

《肩を貸してくれ、あの〈混沌〉の近くまで……》

 ローゼンはヴァギュイールに肩を貸して〈混沌〉の近くまで連れて行った。その間もローゼンは諦めずに治療を試みたが、ヴァギュイールの様態は良くはならなかった。

 〈混沌〉は脈打ち、その波動でメルリルの身体は後ろに押されそうになる。だが、ここで引くわけにはいかない。〈混沌〉は封じなければ広がり続けるのだから。

 傷ついてもなお気高い表情をしたヴァギュイールが、ローゼンの肩を借りてメルリルの後ろから歩いて来た。

《メルリルよ、ご苦労であった。あとはわしに任せなさい》

 ヴァギュイールの身体に凄まじい魔導力が集まり、彼はその全てを命諸共〈混沌〉に放った。

 〈混沌〉から触手が伸びるが、それを押し込める魔導壁ができ、〈混沌〉は完全に封じられた。それと同時にローゼンの腕の中でヴァギュイールは息を引き取った。

「長様ーっ!」

 魂を消滅させたヴァギュイールの身体は霧のようになり、ローゼンの腕をすり抜けて消えた。

 気高い〈紅獅子の君〉の死を前にして、ローゼンとメルイルは自分の無力さを痛感した。

 メルリルは魂が抜けたように地面にへたり込み、ローゼンは地面に手を付き泣き叫んだ。

 涙が止め処なく零れ落ち地面に吸い込まれていく。

 どうして短い間に、こんなにも多くの仲間を失わなければならなかったのか。ローゼンは自分を呪った。自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかった。

 マーカスが死んだ時も見ていることしかできなかった。フユが死んだのも自分のせいだ。長様も自分がもっとしっかりしていれば助けられたかもしれない。そして、キースまでもいなくなってしまった。

 悲しみのどん底に叩きつけられ、涙も流れなくなってしまった。もう、何をしていいのかわからない。

 ローゼンはその場を動くことができなかった。

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