prologue
『人を助けるのは人として当然』
『同じ人間なのだから助け合うのは当たり前』
これは俺が小学生の時に言われたある教師の言葉。
その教師は人懐っこくて人望があって大勢の人からも信頼されてる。
皆の頼れる人気者って奴。
俺とは正反対の人だ。
体育の終わりに片付け担当の生徒が人手が足りないという理由で俺に手伝って欲しいと頼まれた事があった。
俺はこの頼みを断った。
深い理由は無い。
この一連のやり取りを見たその教師は先程のセリフを俺に言った。
周りの馬鹿生徒は教師に賛同してそうだそうだっと言う。
仕舞いには謝れだの懺悔しろだの宣う。
馬鹿かこいつら。
そもそも人手が足りないのはその教師の人選ミスが原因だろうが。
自分の失敗を棚に上げて人に説教するだけで終わりか?
確かに素直に手伝えばこんな騒ぎにはならないでしょうけれども相手がイジメを楽しむクソガキでなければ普通に手伝ったよ。
あ、断った理由あったわ。
まぁそれはいいか、問題は教師の言葉だった。
『人として当然』
俺はこの言葉が大嫌いだ。
人として当然?
何故それが当たり前の様になってるんだ?
日本人だから?
確かに最近外国人とかにネットで称賛されるが…いや、いいさ。
家族とか友人とかが困ったら嫌でも思わず助けてしまう事があるだろ…だからいい。
問題は教師の言葉だ。
教師の言葉はおおらか過ぎる。
例え見知らぬ赤の他人でも困っていれば平然と手を差し伸べる。
それは人として当然だから。
それが悪いとは言わない。
嫌いだけど。
だがその思いは出来れば人に押し付けないで欲しい。
自分で助けるならともかく嫌がる人に押し付けたらそれは洗脳と大して変わらない。
俺は人は助けても他人は助けない。
好きな人には手を差し伸べても嫌いな人には手を差し伸べない。
自分の手で守れる者を守ればいいんだ。
『人を助けるのは人として当然』
『同じ人間なのだから助け合うのは当たり前』
俺は明日高校卒業する予定の古田荊慈と言う者だ。
ふと昔世話になったムカつく教師のセリフを思い出したところ。
何故思い出したかと言うと…。
「は、早く助けろ!」
今、俺の目の前には命の危機に晒された男子生徒がいる。
「早くしてくれ!このままじゃ食われちまう!」
食われる。
男子生徒は形容しがたい謎の生き物の口らしき物を必死に抑えてる。
直ぐに食われる訳じゃないが時間の問題だろう。
この状況。
普通なら人として助けるべきなんだろう。
だが俺は迷ってる。
この状況では男子生徒を助けない方が俺が生き延びる確率が上がる。
『…正気か?』
正気だよ。
『相手は自分と同じ人間だぞ?』
だから?
『人間なんだから助けるべきだろう?』
昔の教師の声が脳内再生される。
腹立たしい事に俺の頭が、体が、心が男子生徒を助けろと叫んでいる。
俺は…。