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桜ん坊と百合の花  作者: 畑々 端子
9/12

都市伝説の実話とリングワンダリング

 厭世の際、私はさながら精神が死んだしまった抜け殻でありゾンビであると言いたい。葉山さんに振られたかと思えば、その彼女は真梨子先輩が私の事を好きだと言う。


 よりにもよってどうして真梨子先輩なのだろうか……先輩に想いを馳せる男子は私の知る限りで6人はいる。部長を省いた後の5人に関してはサッカー部のキャプテンであったり、バスケ部のエースだったり、野球部の背番号1番だったりするのだ。私のような取り柄もなければぱっとしない男が入り込む余地などどこにあると言うのだろうか。


「今日は真梨子先輩のお供はしてないんですか」

 

 串焼きをしゃぶりながら、古平が私の隣に腰を降ろした。いつ見ても気色の悪い顔である。


「帰宅部のお前がどうして文化祭に居るんだ」


「何言ってるんですか、帰宅部でも金さえもってれば来ても良いんですよ」


 「こうしてお金を落としてますからね」と串焼きを見せた。


「真梨子先輩も考えましたね。あんな商売があるなんて。さすがは狡兎と名高いだけはある。いいや女狐と言った方がいいかもしれない」 


 古平は自分で言っておきながら、キシシッと汚らしい笑い声をこぼした。


「狡兎はお前だ。そして先輩は女狐ではない」


 もっと言うなればお前こそ悪名高きぬらりひょんだ。


 祭りの楽しみ方は人それぞれだ。その証拠に、私のすぐ後ろに座っているカップルなど、鍵に仲良く名前書き並べて楽しそうな声を出しているではないか。なんと憎たらしい楽しみ方だろうか。


「狡兎は酷い言い方ですね。これでも私は真梨子先輩の身を案じて身を呈してまで忠告をした男なんですよ」


「嘘つけ」


「嘘じゃありませんよ。あなたも真梨子先輩に信用されてませんね。あんにいつも飲み会に呼ばれてるくせに。聞いてませんか?家に帰ったら、テーブルの上に覚えのないメモが置いてあっ……」


 私は古平が言い終わる前にその胸ぐらを搾りあげた、その衝撃で古代は持っていた、串焼きが地面に落ち、地面で一度跳ねて転がった。


「いきなり何をするんですか。せっかくの串焼きが台無しだ」


 さらに締め上げたが古平は物怖じせずに落ちた串焼きを惜しそうに見ていた。


「正しくは、侵入したんだろ。どうして家の中に入ったりした。忠告なら口で言えばいいだろ!先輩に何の恨みがある言ってみろ!」


 ファッションショーのBGMのお陰でさほど目立たずにすんだが、それでも私と古平の周りの席から人の姿が消えた。


「生憎、真梨子先輩には大恩はあっても、恨みなんてありはしませんよ」


 小春日さんとの仲を取り持ってもらった大恩もあれば、私同様に偏屈者な古平を先輩は嫌うことなく、みんなの輪の中に溶け込ませてくれた。その恩を仇で返しておいてその物言いはなんだ。


 「離して下さい」古代も声を荒げずとも冷淡な視線で私をにらみつけた。


 私が手を離すと「あなたは知らないだろうけど、先輩を抱きたい男なんて幾らでもいるんですよ。あんな服装でしかも、いつもヘラヘラしてるもんだから、尻軽女で二言返事で部屋にあげてもらえるってね。そんな阿呆なやつらならまだ良い。本当に恐いのは、自分の口でそれを言えない奴らですよ。陰険で意気地のない奴らもいましてね。つい先日、真梨子先輩が相談室に入って行ったんで、本意ではなかったんですが、聞き耳を立てたんです。そしたら、なんでも男が大学の帰り、家までついてくるらしくてね。それだけでも耳を疑ったんですけど、相談員の一言にももっと耳を疑いましたよ。なんて言ったと思います?」


「知るか、もったいぶるな」


「助けを求めに来たって言うのに、一言めに『そんな服装をしてるあなたも悪い』ですよ。僕も思わず笑っちゃいましたね。こんな阿呆に相談するだけ無駄だと思ったんですよ。僕だって先輩の服装が悪いなんて微塵も思わない。そんな湾曲した妄想を抱く奴が悪なんだ」


 私は目を大きく見開いて髪の毛を逆立てた。悔しいが古平の言うとおりである。そんなバカ者に相談をしたところで何も解決などするはずがない。きっとそれは真梨子先輩も感じたに違いない。


「だから、先輩の家に入った理由にはならないぞ」 


 古平が冗談半分にあんな犯罪行為に及んだのではないことはわかった。だが免罪符にはならない。やり方なら他にいくらであったはずだ。


 私がそう言うと、古平は砂まみれになった串焼きを広いあげると、静かに立ち上がり、不機嫌と言いたげな表情で「あなたも、真梨子先輩と冗談半分で付き合ってるなら、そろそろ潮時にした方がいい。怪我をしてからじゃ遅い」と捨て台詞のように言った。


「どういう意味だ」


 私も立ち上がり古平に歩み寄り、そして古平の肩を掴もうとした頃合いで、

「先輩のアパートの合い鍵、一本三万円で売れると知って、悠長に構えてられますか」と横目で私を制したのであった……


 私は少しの間、戦慄して動けなくなっていた。


 古平が座っていた椅子に静かに腰掛けると、事態は私の知らない所でそんな深刻なところまで進んでいたのか……真梨子先輩のことは古平よりも ずっと知り置いていると思っていたのだが……それがどうした……それはただの井の中の蛙。胸に縋られていい気になって居ただけではないか……


 悔しいが合い鍵の一件は、先手を打つことができたから古平の功績であると言える。今にして思えば先輩は合い鍵の一件をしでかした犯人に見当をつけていたのかもしれない。だから、恐怖に怯えながらも通報するという手段には手を出さなかった。


 乱れた呼吸が浅くなる頃、握っていた林檎飴がなくなっていることに気が付いた。顔を上げるとソーイング同好会の面々が壇上に勢揃いをしてカウントダウンをしている。メンバー全員と会場の観客が声を揃えて「ゼロ」とカウントしたと同時に、部室棟から数発の打ち上げ花火が夜空を焦がした。


 一斉にわき起こる拍手喝采。壇上では感極まった同好会面々が涙をもってそれぞれの健闘をたたえ合っている。


【これを持ちまして、甘美祭を終了いたします。各部・同好会は速やかに後片付けを開始して下さい。尚、ゴミの分別や粗大ゴミは甘美祭執行部の指示に従ってください】


 学内にアナウンスが何度か流れ、その後はスピーカーと言うスピーカーから蛍の光が流れはじめた。


 神無月を締めくくる宴が終わった。同時に私の灯火も完全に消えた。





 私は早々に観客席を片付けに現れた、運動部員にパイプ椅子と居場所を奪われ、泣くに泣かれず中庭へと移動した。

 

「あっ、恭君!探したんだよ」


 さすがに最終日ともなれば見慣れたものでる。朱と白色の巫女服を纏った真梨子先輩が簡易金庫を持って草履をぺたぺたと鳴らしながらやってきた。


「見て見て、鍵全部売れたんだよ。と言うか売った!」と嬉しそうに胸を張って言う。


 はいっ。と言いながら先輩はその金庫を私に差し出した。 


「初めは500円で売ってたんだけど、食い付きが悪いから400円に値下げしちゃった。もし足りなかったらごめんね」


 金庫を受け取り蓋を開けてみると、小銭と紙幣が何枚か納められてあった。大きな紙幣が一枚見当たるかぎり、私の支払額よりも多い事は歴然としている。


 私は大きな溜息を吐いた。こんなことのために、真梨子先輩は美術室にこもって小道具を作り、全日を通して巫女姿で中庭に立っていたのか……そう思うと、ただ静観していた自分がどこまでも情けない。加えて古平の話しを思い出すと胸に迫るものがあった。


 感謝こそしたくない。それでは、鍵の代金を先輩への善意に見返りを求めていたことを認めてしまうようで……感謝の言葉も思うことすら憚った。けれど、その愛情に深きにどうにかしてその行いに思いに、私の気持ちを伝えたい。そう強く思うのである。


「どうして来なかったの?」


 脳天気な声色で先輩は私に聞いた。この人はこの数時間の間に私が経験した絶望と戦慄と感謝の出来事を全然知らないのだから責めようがない。


「振られました」


「誰に?」


「葉山さんにです」


「それって恭君が思い込んでるだけでしょ?なっちゃんに確認したら、振ってもないし告白もされてないって言ってたよ」やはり、葉山さんに何度も確認をしていたらしい。先輩らしいと言えば先輩らしい……

 

「そんな後ろ向きじゃ駄目だよ」私の方を小突きながら言う先輩に私は、


「いえ、さっき、体育感裏で公式に振られました」と先輩をまっぐに見つめて告げた。


「えっ…うそ……」


「本当です。振られた気でいただけ傷は浅いですよ」


「そんなのって……」


 真梨子先輩は見る見る間に表情を曇らせると、急いで携帯を取り出して操作をはじめたが「先輩」と私がそれを制した。


「真梨子先輩には折り入ってお願いがあります」


 携帯を触る手を止めて先輩は私に向き直った。どこか不安げな表情をしたまま……


「なに……?」


「明日から、派手な服装はやめてもらえませんか」


「えっ、どうして……急にどうしたの?」


 困惑の色を隠せない先輩だった。悔しいが私も古代と同意見である。真梨子先輩がどのような格好をしようとも、それは先輩の自由であり、それにとやかく言う権利は誰にもありはしない。単純に邪な思いを抱く悪辣漢がこそ悪なのである。


「お願いします!明日から、派手な服装をやめてください!」


 私は、頭を下げた。


 そして、「お願いします!このとおりです‼」私は膝を折り、手をついてお願いした。恥も外分も打ち捨てた私はさらにアスファルトに額を擦りつけて先輩に懇願したのである。



 ◇



 思えば場所を考えれば良かった。


 いきなり土下座をした私に片付けに奔走していた学生全ての視線が集まり、その後に続いて、どうしていいのか困った表情の真梨子先輩に視線は移る。視線に耐えかねてか、先輩は何も言わずに走り去ってしまった……


「今時、土下座で交際を迫るやり方はどうかと思うよ」


 1人取り残された私に、通りかかった部長がくれたお言葉である。先輩の反応からすれライバルが1人減ったと思ったのだろう。とてもにこやかな顔だった。


 再び喧騒に包まれる中庭にあって真梨子先輩にはとても悪いことをしてしまったと反省した。


 流々荘に帰ってから、とりあえずメールでもう一度先輩に謝っておこうと思ってみたものの。葉山さんの言葉が蘇り古平の言葉が蘇ると、どうやっても指が動かなくなった。


 先輩からメールが来ない現状を鑑みれば、先輩だって怒っているだろうし、中途半端な謝罪を繰り返したところで火に油である。事情を説明することができない以上は時薬にて関係の回復を試みた方が無難であると言いたい。


 そう言うことなので明日の夕方から開催される『合同甘美祭お疲れ様会』には欠席することにした。


 私が行かなかったからと言って誰も気にする人間などいやしないのだから。 





「頼まれた通り、先輩にも夏目にも仕込んだ。こんな胸くそ悪いことはもうごめんだ」

 

 次の日の夕暮れ時、私は甘美祭お疲れ様会が催される近鉄新大宮駅前にあります一条と言うお店の近くで古平さんと会って話しをしていました。もちろん、呼び出したのは私です。


「はい。感謝しています。でも、もう一度だけお願いしたい事があるんです」


「真梨子先輩か?それとも夏目か?協力するとはいったけどな……」


「小春日さんにです」私は、嫌気がさしたと言わんばかりに話す古平君の言葉を遮って言いました。


「どうしてそうなる」


「小春日さんの彼氏である古平君にしか出来ないと思うからです」


 目を細めてあからさまに猜疑心をむき出す古平君に私は、あるお願いをしました。それは恋人である古平君であれば難しいことではありません。ただ極々自然にお疲れ様会を楽しんだ延長線上にあるのですから。


「これきりだ。どんな幼稚なことであっても、今後僕は一切協力しないからな」


「はい」


 踵を返す古平君を見ながら私はほっと胸をなで下ろしました。今まで古平君には小春日さんからお願いしてもらってばかりでしたから、私からお願いして引き受けてもらえなかったらどうしましょう。そんな一抹の不安があったのです。


 私が引き受けた役回りはこれで盤石です。


 思った通り夏目君は会場に姿を現しませんでした。私は終始先輩の隣にいて代わる代わる先輩に話し掛けてくる男子学生の多さに驚きつつ、これだけの男子学生に愛されていながら、その誰ともお付き合いをしない先輩はとても一途なのだと思うばかりです。


 先輩はいつも通りでしたけれど、携帯を一度も触りませんでしたし夏目君の事を一度として話題に上げることもしませんでした。


 小春日さんは古平君がしっかりと抱え込んで放さず、しきりに乾杯を繰り返して居る様子で、私として事は万事滞りなく……でした。中でも先輩がとても落ち着いた装いで現れたのでこれは小春日さんの勘が当ったのかも。逸る気持ちを押し殺して「今日は家庭教師のバイトから直接きたんですね」と聞いてみると「明日までバイトは全部お休みいれてるよ。だから、今夜はなっちゃん家においでよね」と言うので、ますます風は今私に吹いている。と追い風を感じいずにはいられない私だったのでした。


 午後8時を過ぎた辺りで、合同お疲れ様会はお開きになりました。まだまだ宵の口あたりでお開きにするのは、この後各部同士、気の合う者同士で引き続き『打ち上げ』を行えるようにとの執行部の心遣いなのだそうです。音無さんからそのように聞きましたので間違いはありません。


「彼女は酔ったみたいだから。僕が連れて帰る。後は頼んだ」


 真梨子先輩が各方面からの2次会への誘いを断っている間に、古平君が眠ってしまっている小春日さんを背負って私の所までやってくると小声でそう言い、周りからからかわれながら踏切の先へと消えて行きました。


 程なくして、先輩が「ごめん、お待たせ」と言私の隣に現れました。そして、2人して先輩のアパートへと歩き出したのでした。途中、コンビニへ寄ってお菓子とデロリンを買いました。先輩が小春日さんも呼ぼう!と言うので、事情を説明すると「小春ちゃんはいいよねぇ。頼りになる彼氏がいてさぁ」と唇をとがらせるのでした。


 風に靡く薄水色のスカートに黒いニーソックス、気まぐれな風に見え隠れする肌色の太腿。夜空と同じ色の髪にはシリウスのように際だつ白いヘアバンド。冬を前にした季節にしては少し薄着に見える白いシャツにスカートと同じ色のベスト。今夜の先輩はとても清楚可憐で素敵な女の子です。一体誰に見せるためにこんなお洒落をしてきたのでしょうね……「今日は飲んだー」とスナック菓子の入った袋を大きく振りながら少し前を歩く先輩。ふくらはぎの所に刺繍の黒猫がいることに気が付いて嬉しくなりました。


 アパートの階段を上りながら、私は今一度、臍を固めていました。小春日さんには申し訳ないですが、ここは私が1人で嫌われます。もしも、私と小春日さんを同時に嫌いに成らざる得なくなったなら、寂しがり屋の先輩の事ですから、きっと困ってしまうはずです。今日を限りに小春日さんに先輩をお願いするつもりです。今夜、夏目君は先輩のアパートには来ないでしょう。小春日さんも明日の朝まで眠り続けるでしょうし、古平君はもう私の前にすら現れないかもしれません。先輩は私と対峙せざる得ないのです。




 役者は揃いました。ここからが総仕上げです。



 

「たっだいまー」先輩は上機嫌で部屋に入って行きました。


 私は、何があっても何を言われても怯まず泣かず妥協せず。先輩を想う真心のままにとオリオン座の端で輝くシリウスに誓ってから、


「咲く時を 知りてこそ先輩の 恋も恋なれ 藍も愛なれ」そう呟いたのでした。

 

 



「さぁて、まず何から聞こうかしらね」


 私がデロリンを炬燵の上に置くと、ニーソックスとベストを脱いだ先輩が徐にそう言いました。 


「甘美祭のことですか?」私は先輩に向かい合うように腰を降ろしました。


「恭君から聞いた。正式に振られたって。本当なの?」


「はい。私にはその気持ちがありませんでしたからはっきりとさせました……」

 

 先輩がそのように話す限り、夏目君は先輩に余計なことを一切話していないようです。こればっかりは夏目君に感謝しなければいけません。


「まだ結論を出すのは早いと思うんだよね。もっと、時間をかけてから結論を出しても遅くないと思うの。恭君って不器用なだけで、見かけによらず優しいし、一生懸命になってくれるんだよ。だからね」


 夏目君の良いところを思い起こすでもなくすらすらと並べる真梨子先輩……それは、それだけ先輩が夏目君のことを見ている証拠。聞けば聞くほどに、先輩は夏目君の事が好きなのだと伝わってきます。


 なのに、まだ無理をして私の為と言い訳をして……必死に考え直すように諭す先輩を見ていると私はやるせない気持ちと同様にお腹の辺りが熱くなるのを感じました。

 

「だからね?」先輩は、それでも私を説得し続けました。とっくに私の腹は決まっていると言うのに……


 夏目君でさえもその真実を知っていて、全てを知らないままでいるのは先輩ただ1人だけなのです。言い方は悪いですが、裸の王様です。


「私のことはいいんです。先輩はどうなんですか」


 私はついに口火を切りました。もう、何度も決意を固めましたし、この期に及んで怖じ気づいていては女が廃ります。


「へ?私……?なっちゃん、何言って……」


「先輩こそ、夏目君の事が好きなくせにどうして、無理をしてるんですか。私には時間はあります。けれど、先輩には時間がないじゃないですか、もうすぐ就職活動で忙しくなって今までみたいに、夏目君と会う機会もなくなります。先輩は今のままで本当に良いのですか。絶対に後悔をしないんですか」


 私は先輩の言葉を遮って強く言いました。冗談ではないことを示すために、眼孔を鋭くして先輩を見据えます。


「私が夏目君を、なっちゃんわけわかんないよ……」


 目に見えて狼狽する真梨子先輩は、私から視線を合わすことができないまま、天井を見たり、台所を見たりしていましたが、最後は自分の手元に視線を落ち着かせました。


「先輩を見てればそれくらいわかりますよ。それに、私が夏目君を振ったのは先輩の為です」


「そんなっ‼」先輩は声を細めながらも咄嗟に身を乗り出しました。


「もう、何真剣になってるの。私が夏目君の事を好きなわけないじゃない」


「先輩。好きでもない相手にノートPCを貸しっぱなしになんてしませんよ……パソコンだって夏目君との接点の一つなんですよね」


「違うよ。それは違う」


「服装だって、夏目君が派手なのが嫌いだって知ってわざとですよね。古平君も小春日さんも言ってました。先輩が急に髪の色や服装を変えたのは夏目君と親しくなってからだと」


「違う……私の趣味だから……夏目君は関係ないよ」


「趣味なのにどうしてクローゼットの中には一着もなかったんですか」


「それは、それは……とにかく違うのっ!」先輩は声を荒げると、急いで立ち上がると玄関の方へ体を向けます「違いません!」私も炬燵に手を突いて立ち上がると先輩を上回る声量でこれを制し、行く手を阻みました。二人の間に衝撃で炬燵から落ちたデロリンが転がり、やがて、キッチンへと続くフローリングの端で止まりました。


 「私も小春日さんも古平君も先輩に幸せになって欲しいんです。今度は先輩が幸せになる番なんです。お願いします。私達に先輩の恋愛を応援させてください」


 私は言いました。


 先輩は今にも無言のまま、小刻みに首を左右にさせているだけで、何も言いません。


 私は考えました。このまま先輩が私を押しのけてでも部屋を飛び出して行ったなら、どうすればいいでしょうかと。きっと、この場から先輩を逃がしてしまったなら、次の機会は絶望的でしょう。、これ以上の会話を全身で拒絶している先輩は二度と私達の前に姿を見せることすら避けるかもしれないからです。


 1分1秒がとても長く感じられました。足の指先から凍り付くように冷たくなって来る初めての感覚が私の不安を一層かき立てます。

 

 どれくらい時間が経ったでしょうか。お互いに黙したまま、、膠着したまま微動だにできず。呼吸の一つが唾を飲む喉の動きさえも鮮明に目立つ張りつめた時間が……


 次の瞬間。


 突然、容赦ない呼び鈴の連呼が始まりました。その次はドアを何度も叩く音が部屋の中に響きます。先輩は、はっとして視線を玄関の方へ移すと早歩きで玄関へと行ってしまいました。駆けて行かなかったのは、私に逃げる意志がないことを示していたのでしょうか。一方の私はと言うと、先輩を避けようとしてはじめて足が動かないことを知り、無様にも尻餅をついてしまっていたのでした。


 なんて情けない私なのでしょうか……


「なっちゃん来て」先輩の声に、途中まで四つん這いになりながらも玄関まで行くと、顔色の悪い小春日さんが先輩に寄り掛かっていました。

  

「もう卑怯者は嫌なのに 何でよぉ」私の姿を見つけると小春日さんはそう良いながら泣き出してしまいます。


 私と先輩は小春日さんを両方から支えて、なんとか炬燵の前まで運んできました。


「小春ちゃん、どうしたの。古平君は?」


 水の入ったコップを差し出しながら先輩が小春日さんに言うと、小春日さんはコップを両手で持ったまま「先輩、私が悪いんです。私を夏目君に話してって……」嗚咽混じりにそんな意味不明なことを言うのです。ますます混迷を極める先輩でしたけれど、小春日さんが持っていたコップを炬燵布団の上に落とすと同時にその手を口へやったのを見て、即座に小春日さんを台所へ連れて行きました。


「なっちゃんごめん。窓開けてくれる」


 小春日さんの落としたコップの処理にあたっていた私は、水が半分残ったコップを炬燵の上に置くと、窓と言う窓を開け広げ、最後に換気扇を回しました。


 小春日さんもとても辛そうでしたけれど、シンクの惨状を見るに後片づけも相当辛いものになりそうです。


「こんなに飲むなんて小春ちゃんらしくない……」


 その後、譫言のように「こうちゃんのばかぁ」と繰り返す小春日さんを2人でベットまで運び、それから、諸々の後片づけをしました。


 シンクを洗い終えた後も臭いはなかなか消えませんでしたので、しばらく窓は開けておきました。冬の足音が聞こえる昨今ではやはり、日が落ちれば足下から冷えて来ます。


 私は何度か鼻を啜ってから、そろそろ窓を、と思い部屋の窓を閉めてから最後にベランダの窓を閉めに行きました。部屋の灯かりを背に受け、幾らから明るく感じられる夜空にはくっきりとオリオン座が見て取れます。不意に吹き込むそよ風が耳をくすぐると、私の頭の中はまるで透明になっていくようで、ようやく私は私を客観的に見ることができました。


 使命感からか思い詰め過ぎていたのでしょうね。先輩の気持ちを踏みにじって私の考えを驕慢にも押し付けようとしていました。戸惑う気持ちも困惑も驚嘆も……あったでしょうに……人の心とはそんな簡単に整理できるものではないのですよね……そんな単純なものではありませんから……


 洗面所から帰って来た先輩は換気扇を止めに台所へ寄ってから、先ほどと同じ位置に腰を降ろしました。


 私もそれに続いて、同じ場所に腰を落ち着けました。今度は先輩の行く手を阻むことはしません。もし、先輩が飛び出して行ったなら、帰ってくるまで待つつもりです。 


「私が古平君に頼んだんです。本当は今夜小春日さんと2人で先輩に話すはずだったんですけど」


 確かにお願いはしましたけれど……ここまで泥酔させるまで飲ませるなんて思いもしませんでした。

 

「なるほど。なっちゃんは友達想いね」寝室の方へ視線をやってから先輩は呟くように言いました。

寝室からはまだ小春日さんの聞きとれませんが譫言が微かに聞こえてきます。きっと「こうちゃんのばか」をまだ繰り返しているのだと思います。


「先輩……さっきは言い過ぎました……ごめんなさい」


「謝らないで。私も悪いの……胸の中を見透かされたみたいで、つい頭に血が上っちゃって……笑えないよね。自分ではうまく隠してたつもりが、実はバレバレの図星で慌てて誤魔化そうとして大きな声出して……」


「それじゃあ、やっぱり……」


「うん。私は恭一君の事が好き。第一印象は何考えてるのわからなくて不思議な子。だったけどね。だって、「女の子の1人も助けられないなんて男子の名折れです」なんて平気で言ってたくらいだもん」


 先輩は観念したように表情を緩めると、苦笑をしながら話してくれました。


「だけど、真面目で不器用だから損ばっかしして、貧乏クジばっかし引いて……でも、誰かの為に一生懸命で……私のパソコン直すのに夢中になって講義遅刻して単位落としたこともあるくらい……最初はほっとけない弟みたいに接してたんだけど、段々、男らしい一面を見ることが多くなってきて……」


 口元をすぼめて、炬燵の上のコップを持て遊ぶ先輩は、やっぱりどこにでもいる恋する女の子でした。


「気が付いたら好きになってた。でも、その時私は、恭君のお姉さんみたいな立場が居心地が良くて、想いを伝えてその関係が壊れるのが恐かったの。だから、恭君の嫌いな派手な格好もしたし髪の染めた。外見だけでも別人になりたかった」


「そこにどうして私だったんですか」


「理由はなっちゃんが恭君好みの女の子だったから……恭君がなっちゃんとうまく行けば、私の中の恭君への想いを断ち切れると思った。本当に自分勝手で酷い話しよね。謝ったって駄目だと思うけど、ごめんね」


 私はつまり……当て馬だったと言うことですか……


「いいえ。謝らないでください。そのお陰で私は真梨子先輩とも仲良くなれましたし、小春日さんとも友達になれました。それに、先輩と知り合ってから毎日が忙しなくって、とても充実していたと思えるんです」


 それは事実です。当て馬の事実には多少なりとも落ち込みましたけれど、それが切っ掛けで今年は毎日が充実していて、朝が来るのが楽しみで仕方がありませんでした。


「忙しないって、何それぇ」


「本当のことですよ。先輩と知り合っていなければ、ちんどん屋をすることもなく、ふんどしを作ることもありませんでしたから。とても楽しかったです」


「ありがとう」


「お礼を言うのはこちらの方ですから」私はビニール袋に入れたまま、転がり落ちたままになっていたデロリンを拾うとビニール袋から出したのですが……


「先輩!」私は興奮して大きな声を出しました。これは出さずにはいられません。


「それ虹色!」ゆっくりと振り向いて先輩に見せると先輩も即座に興奮の大きな声を出すと、急いで携帯電話を取りに走りました。


 私は慎重の上に慎重を重ねて、そっと七つに色が分離したデロリンを炬燵の上に置きました。キャップ辺りの赤をはじめに、オレンジ、黄、緑、水、青、の順にそれぞれが独立した層をなし、底の方にうっすらとした紫色で終わっていました。


「こんなことってあるんですね」


「うん。デロリンの7色分離って都市伝説だと思ってた……」


「ここに実在するんですから、伝説じゃなくなっちゃいました」


「うん!」


 しばらく2人して伝説の7色を見つめていました。2人して呼吸にすら気を使って、物音一つ立てずにそれはそれは穴が開くほどその神秘に酔っていたのです


 ひとしきり堪能した後「あっ、写真、写真!」と真梨子先輩が写真を撮り始めたので、私も慌てて携帯で写真を何枚も撮りました。先輩はデジカメを持ち出して、色々な角度から撮影をしていて、あまりの必死な姿に私は思わず笑ってしまいました。


 そして、2人して満足がいくほど写真を撮り終わってから数分後に、7色はそれぞれの色が浸食しあうかのように混ざりあい、1分も経たないうち気色の悪い駁色になってしまったのでした。


「あぁ、無茶苦茶な色になってしまいましたね」


「そうだね。でも、こうして振れば」そう言うと先輩は混沌色のデロリンを振りました。すると、不思議なことに真っ白に変わって行くので「わぁ」と思わず私は声を出してしまったのです。


「光ってさ全色混ぜたら白色になるんだって。まるで今の私みたい……色々な気持ちが混ざり合ってぐちゃぐちゃになって、でも最後はなっちゃんが混ぜてくれてスッキリ真っ白」


「そんな……もっとやり方があったはずだと反省しています」


「もう一度言わせて。ありがとう」


 先輩のはにかんだ顔を見ていると、ここ数日の間に起こった目まぐるしい出来事がまるで夢のように思えます。




 夏目君。


 夏目君は言いましたよね。円満解決は難しい方の三竦みだと。後は夏目君次第です。夏目君がどんな答えを出すにしてもきっと、丸く収まると私は思いますよ。


 だって、友情とはどんな時でも衰えず、順境と逆境を経験して、いよいよ堅固なものになっていくものなのですから。 

 





 物事には最初があって終わりがある。甘美祭実行員会に出席をして、クリエイターとして昼夜と製作に励み、甘美祭当日を迎えそれが一定の評価をされ、そして、思いもよらない告白で幕を閉じた。締めくくりの打ち上げにだけ参加しないと言うのは、まるでエンディングのない映画のようなものである。


 けれど、悪いことばかりではなかった。


「作りすぎたので、良かったどうぞ」


 時計を見ながら「今頃は……」と畳の上に寝転がっていると皐月さんが、肉じゃがを持って来てくれた。大きく切ったジャガイモがゴロゴロと入っていて、それでいて芯まで良く味が染みこんでいたし、少し甘い味付けが実家の肉じゃがを思い出させてくれた。


 今年は実家に帰ろうか……


 眠りすぎて迎えた翌昼、顔を洗ってから1日を損したような面持ちでいると、携帯が光っていることに気が付いた。


 先輩からだろうかと携帯を手に取るとメールは2通。1通目は葉山さんからだった。


 昨日の夜、先輩にも話しをしました。今日の正午。先輩が文芸部室で待ってますから、必ず行ってあげてください。このメールを最後にキューピット役は終わりです

                                       」

 もう1通も開いてみると、またしても葉山さんからだった。


「夏目君は円満解決が難しいと言いました。けど、丸く収まると私は信じています」

 

「私は信じています……か……」これは脅し文句ではない脅迫ではないだろうか。


 恋のキューピットは聖純天使の印象だが、本当は、天使半分悪魔半分、堕天使こそ似つかわしいのではないだろうか。


 畳の上に寝転がって、掛け時計を見やるともう午後の1時を回っている。大学はすでに平常稼働していて中期・後期に向けたレポート提出や試験で文化祭とは違った忙しない時期を迎える。けれど、甘美祭を締めくくれなかった私はどこかまだ、祭りの余韻が消化しきれていないのだ。


「って!」


 私は時計をもう一度確認すると半笑いで、今一度葉山さんからのメールを読んで冷や汗をたらふく流した。その後、嵐の如く着替えをしてペガサス号に跨って部室棟へ駆けたのである。


 昼まで寝ていた私が言うのもなんだが、葉山さんを恨みたいと思う。なんで今日の今日なんですかっ!


「あっ、何してるのよ!早く、まだ先輩待ってるから!」部室棟の入り口には小春日さんが携帯を持って立っていた。


「ちょ、寝癖つけてくるとか意味わかんないよ!」


「えっ」


 しっかりスタンドが立たず横倒しになったペガサス号を無視して私が入り口への入り際、小春日さんはそう私の背中に叫んだ。廊下の窓に映る私は小春日さんの言う通り寝癖もそこそこに未だ目の充血さえも抜けきっていない。文芸部室を目と鼻の先に見ていながら、私は踵を返すとトイレへと廊下を駆け抜けた。


 待ち合わせに遅れていくならまだ可愛い。だが、1時間以上はすでに遅刻とは言えず、明確な意思表示とも取られかねない……私なら……泣きたい気持ちを我慢して家路を歩いている頃だ……すでに先輩が部室に居る確率さえ奇跡の領域だ……その奇跡を可能にしてくれたのは、私が堕天使と呼んだ彼女たちだ。


 彼女達は紛れも無く私にとっての聖純天使であった。


 完全に寝癖を網羅することはできなかったが、事は1分1秒を争う!私はダッフルコートの袖で髪の毛の水気を拭いながら今度こそ部室の前まで駆けたのである。

 

 部室前の廊下には葉山さんが居て、小春日さんとは違い彼女は憤怒の色ではなく安堵だけを頬のところに浮かべていた。


「すみません。遅れてしまって」私は荒い呼吸を気にしないで膝に手をやりながら葉山さんにそう言った。


「よかったあ……もう来ないのかと思ってました」胸のところに手をやって安堵の表情でそう言ってから、


 

「先輩は、必ず来るって信じてましたよ」すれ違い様に笑顔を向けて言ったのであった。

 


 

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