避暑。または執念ーー駄犬(颯真) 3
まだ続くのかよ! な駄犬編です。
さあ皆さま、突っ込みの用意を!
名前なんていったっけ。
その発言は俺の膝を機能停止させるには十分だった。崩れ落ちた俺の心境は察してくれ。想いが通じていたと思っていた相手からの、まさかの他人ーーいや、幼馴染みは充分他人だーー発言。再起不能になるかと思った。寝込んだけど。言えないけど。
あれ以来、有栖への態度がおざなりな自覚はある。
俺自身、ショックが大きすぎてそれどころじゃなかったし、そもそもケガをしたのは真桜であって有栖じゃない。したがって俺の心配も真桜にであって、正直有栖はどうでもよかった。
真桜の足は捻挫と骨へのヒビだそうだ。……有栖、たまたまだと主張してたけど、それは無理があるだろう。
体育教師と生徒の目撃が多かったため、有栖は反省文を書かされて怒っていた。他の奴らの前では「なにもしてないのに」と泣き真似をしてたけど。
この一件があってから、有栖の信者が一気に減った。盲目的に信じていた奴らが、あの場面を目撃していたからだ。
自分はなにもしていない、されている側だと訴えていた有栖の嘘がバレた瞬間を見た奴らは、もう以前のように有栖を信じられなくなったみたいだ。当たり前だと思う。真桜はなにもしていない、誰が見ても完璧な被害者だ。その真桜を加害者に仕立てあげるのは無理がありすぎた。
残った信者達も、前のような盲信ではないようだった。なにが本当なのか、目の前が揺らいでいるみたいな、不安定な目をしていた。
俺は、ただそれを見ていた。……いや、違うな。奴らの信頼が揺らいで、有栖の足元が崩れ始めるのを、期待を込めた目で見ていた。
有栖の足元が崩れた時、それは俺が解放される時だからだ。
俺は、その時を待っていた。ただ、なにもしないで待っていた。
それが間違いだと気づいたのは……いや、気づかされたのは夏休みが始まってすぐだった。
「颯真君! お泊まりの準備して! 早く!」
朝早く訪ねてきたーーあれは訪問というより乱入が正しいんじゃないかと思うーー有栖は、説明もなしに俺の荷物をバッグにつめると、俺を車に押し込んだ。
ある意味誘拐された俺は、車が走り出してようやく、車内に俺と有栖以外の人がいることに気づいた。
「やあ、君が颯真君?」
穏やかに微笑んだその男性は、どことなく有栖に似ていた。ただ、目は笑ってなかったけど。
「はじめまして。私は有栖の叔父の倉吉。いつも有栖がお世話になっているそうだね?」
「佐伯颯真、です」
「まあ、おじ様! 私そんな迷惑かけるようなことしていないわ!」
ぷりぷりと怒る有栖を見る瞳には愛しさか溢れてるのに、それ以外に向ける視線は氷みたいだ。
後から思えば、リムジンの中で向かい合う俺に、この人が向けていたのは敵意だったんだろう。
どこかわからない目的地につくまで、俺は黙ったままだった。有栖が一人楽しそうにしゃべり、叔父さんが相づちを打つ。なにがそんなに楽しいのか、有栖はご機嫌で叔父さんにもたれかかっている。……はたから見たら年の差カップルにしか見えないんだが。
そうして着いたのは、プライベートビーチのあるホテル。目の前に波の穏やかな海が見渡せる絶好のスポットらしい。
はしゃぐ有栖をなだめると、叔父さんはチェックインに向かった。
「どういうことだ?」
ようやく聞くことができた俺に、有栖はきょとんと首をかしげた。素でやってるはずなんたが、あざといとしか思えないあたり、俺の洗脳は解けきってるのかもしれない。
「どういうことって、海水浴よ? おじ様が招待券もらったのだけど、行けないからかわりにって」
「なら、女友達を誘えばよかったじゃないか」
「あら、ボディーガードは必要でしょ? 颯真君は私のナイトだもの!」
一瞬、女友達いないからだろ、とか他の男じゃ本性見られたらまずいもんな、とか思ったけど口にはしない。
可愛らしく言ってはいるものの、男と二人で泊まるわりに危機感がないというか、そもそも俺をそういう目で見てないというか。
俺はロビーのソファーに座って外を見た。海に太陽の光が反射して青空がやけに眩しい。
夏なんだよなぁ。こんなとこに有栖とじゃなく真桜とこれたら。なんて考えてしまう辺り、俺は未だに失恋から立ち直ってはいないようだ。
そうして俺がぼーっとしてるうちに、叔父さんは帰ったらしく、有栖は俺の隣でロビーを見張り始めた。部屋に行かないのか? せっかくのプライベートビーチなのに泳がないのか? とか聞くなんて野暮なことはしない。なんか変なこと考えてるんだろ、きっと。
時間を潰すためにスマホとにらめっこをしていたら、いつの間にか有栖が消えていた。
ロビー付近を見ると、有栖が誰かに近づいていくところが見えた。なにやってるんだ、あいつ。
あ、すれ違い様によろけた。ぶつかってもいないぞ、あれ。よろけて転んだ。フリだな。
……仕方ない。回収に行くか。
「……あ」
真桜が驚いた顔でフリーズしている。そうだよな、夏休みで会うはずのない有栖が突然目の前にいたら、そりゃ固まりもするよな。
そのフリーズした真桜は間中に抱えられてエレベーターに消えた。それを見送ってようやく気づいた。
有栖は真桜がここに来ることを知っていた、だから先回りして待つことができた。そして、なにかを仕掛けるつもりだろう。
……勘弁してくれよ。また俺を巻き込むつもりかよ。正直もうこんな茶番につき合うつもりはないんだ。
俺は、ホテルのコンシェルジュに有栖が変なことをするかもしれないことを伝え、そのターゲットが真桜であることも教えた。俺が関わるつもりがないことも。
「どうして? 颯真君は私のナイトでしょう?」
「……有栖。俺は、有栖の幼馴染みだけどナイトじゃない。有栖の尻拭いをする役じゃないんだよ」
あざとく真桜との接触を狙う有栖にも、関わるつもりがないことを伝えると、有栖は当たり前のようにそれを口にした。私のナイト、と。
それを喜んでたのは小学生まで、てか真桜が転校してしまうまでだ。気づかないのは有栖だけだ。夢の中、いや花畑で都合のいい夢を見てるんだから。
「尻拭いって、なにを言ってるの? 私はなにもしてないわ。されてる方なのよ? 颯真君だって知ってるでしょう、間中君があの人に騙されてるって。私は彼を救いたいの」
そして自分の下僕にするって? 間中はそんな簡単には堕ちないよ、有栖。俺みたいにヤワじゃない。あいつは間違えないし、真桜から離れることはしない。俺とは違うんだよ。
「颯真君? わかってくれるでしょ? 私のナーー」
「有栖」
「え、あ、なに?」
「悪いけど、俺具合良くないんだ。部屋で寝るから」
「そんなっ、それじゃあわ」
「それがダメなら帰るけど」
「っ!?」
次の日の夜、とうとう有栖はやらかしたらしい。連絡をもらってレストランに向かいながら、今日の有栖の様子をコンシェルジュから聞く。
……どうやら、ストーカーよろしく行く先々になにかを仕掛けたらしい。そしてことごとく不発に終わったと。
「今、レストランに向かう北川さまを説得してはおりますが、彼を助けに行くの、と聞いては下さいません。このままでは他のお客さまのご迷惑になるかと」
申し訳ありません、と謝られるけど、コンシェルジュさんのせいじゃない。尻拭いを俺がしなくなってボロがでただけだ。多分、有栖の叔父さんはそのために俺の同行を許したんだと思う。じゃなきゃ、可愛い姪に男を近づけるか?
自分は悪くないと思い込んでる電波なんて、迷惑以外の何者でもないだろう。
泣きそうなコンシェルジュと一緒にレストランに入った俺が見たのは、間中に話しかける有栖の姿だった。
「……遅かったか」
どうやら、穏便には終わらなさそうである。
突っ込んでいただけましたか。次回ようやくしぃちゃんとのタイマン(違うし)です。長いぞしゃべりすぎだぞ駄犬のくせに。