箱入り娘(物理)と狼王 【後】
ついに完結です
しどろもどろになりそうなのを抑えるとつい不愛想に素っ気無くなってしまう。
果たして今まで私がこれほど緊張したことがあっただろうか。なんとかリーファを部屋の中に促す。
しかしそこで無骨一辺倒な部屋であることを初めて後悔した。実用性しか備わっていないソファにローテーブルをはさんで座る。数日前から彼女がこの部屋を訪れることはわかっていたのに感情にばかり気を取られてまともにもてなす準備などできていなかった。後悔するがもうすでに遅く歯噛みする。
逸らし続けていた目を、前方に向ける。
この殺風景な部屋に可憐な彼女がいるというのはなかなか妙で、自分の部屋だというのにひどく座りが悪い。陳腐な表現であり我ながら砂でも吐きそうだが、荒野に咲く一輪の花さながらであった。
一瞬目が合うがほぼ反射的に目を逸らすどころか顔ごとそっぽを向いてしまった。
「っ、」
少しだけ息を飲む音を耳が拾いハッとする。
恥ずかしかっただの顔を合わせる勇気がないだのそんな情けない理由で今私は彼女を傷つけてしまったのではないだろうか。
彼女は私が恐ろしいのを我慢してこうしてこの部屋に来てくれている。いや、この国に身を置いてくれている。それなのに私はそれに対し相応しい礼も取らず顔を背けてしまった。王として、男としてこれほど情けないことがあるだろうか。
ノート越しであれば饒舌になれたというのに、実際に会えばこの体たらくだ。
どうにも居たたまれなく、せめて心を落ち着かせるために茶を入れることにする。
「待っていろ、茶を入れる。」
「わ、私がやります!陛下は座っていてください!」
「私がやると言っている。座っていろ。」
ぴしゃりと言うと背後で気配がしぼむのを感じ罪悪感で息苦しくなる。
意識などしていないがついつい言い方が高圧的になってしまう。おまけに何のせいかいつも以上に言葉足らずだ。
本当は、お前はどこに食器があるかもわからないだろう。私がもてなす側だ、ゆっくり座っていてくれ、と言いたかったのだ。
それなのに何をどうしてここまで不愛想で不機嫌そうな言葉になるというのだろうか。我ながら理解ができない。
これがアルドラやアレンであればここまで言わずともなんとなくで感じ取ってくれる上に不愛想なのを茶化す勢いなのだ。どうにもこの吹けば飛んでしまいそうな彼女の取り扱いがわからない。まったく女性と関わろうとしなかったツケがここで返ってきたように感じられる。
持っている中でもっとも小さいカップをリーファ用に手に取り、紅茶を注いでいると本当に小さく、微かに空気を揺らす程度に彼女がほう、と息を吐いた。びくりと身体が硬くなる。
彼女のあのため息の理由は何だろうか。
意気地のない私に対する呆れのため息だろうか。いやノートで話をした限り彼女はそう言ったタイプではない、おそらく。
では私のあんまりな物言いに憂いのため息を吐いたのだろうか。
それとも恐ろし気な私が目の前からいなくなったことに対する安堵のため息か。
なんにせよ、いい意味のため息など、存在しない。
何も変わっていないはずなのに、ズシリと肩に重みが加わった気がした。
「…………、」
「ありがとうございます……。」
カップを置くと恐る恐ると言った風に口を付けた。それをじ、と見る。彼女は居心地悪そうに視線を落とした。
リーファは、私のことを恐れていないと書いた。きっとそれは嘘ではない。そうでなければアレンのことがってもあれほど早くノートを書いたりはしないだろう。
だが本能は違う。
カップを置いた彼女の右手は強く左手を握り、震えを抑えるように身を固くしていた。す、と伸びた背筋は皇族の矜持だろう。
私と顔を合わせても、震えを押し殺し、むやみやたらに視線を泳がせることもない。失神した初対面と比べれば目まぐるしい成長だ。
それでも、恐ろしいと言わずとも身を守るように強く握られた手は怯えを如実に表していた。
「リーファ、」
「はい、ガオラン様。」
「私が、恐ろしいか?」
再びかち合った視線を今度はそらしはしない。千種色はしっかりとこちらを見ていた。
「いいえ、恐ろしく等、ありません。」
「……そうか、」
諦めはついた。ついてしまった。
「リーファ、」
「はい。」
「今回の件、白紙に戻そう。」
消え入るような声で、え……、と彼女は呟いた。
気を落ち着けるように深く息を吐いた。
「安心しろ。白紙に戻すと言ってもカルカナ王国の庇護は、約束しよう。カルカナ王国の領土を守るくらい造作もない。」
「っしかし、」
「もとはと言えばカルカナ王国を庇護することはアレンの思いつき。リーファ、お前を娶ろうとしていたのももっともらしい条件とアルドラの私への当てつけのようなものだ。そこに大した意味はなかった。……カルカナ王国を庇護することでギルヴァーン王国に不利益はない。端から人質としてお前を要求する必要もなかったのだ。」
そう、最初から戯れでしかなかったのだ。
大層な意味などそこには一切なかった。
別に誰かを娶る必要はなかった。それがリーファである必要もなかった。
ただ丁度良かっただけなのだ。
カルカナ王国という小国を守るくらい何ら問題ないのと同じように、本当に娶っても娶らなくてもどちらでも良かったのだ。
彼女は私たちの建前に巻き込まれただけの人間だった。
最初から成立しないことはわかっていた。
それなのに、うっかり未だかつて抱いたことのなかった感情を、彼女に抱いてしまった私が悪かったのだ。
「……カルカナに戻ると良い。車は用意させよう。明日にでも出られるように手配する。」
怖がらせるくらいなら、怯えられるくらいなら、手放してしまおうと思えてしまうほどに。
「ガオラン様っ……私は何かしてしまいましたでしょうか?」
「いや、お前は何も悪くない。……ただ私が悪かったのだ。ここまで付き合わせてすまなかった。」
これでよかったのだ、そう言い聞かせるように心の中で呟き、持っていたカップを飲み干し立ち上がろうとした。
「お待ちくださいガオラン様っ!」
「なっ……!」
無造作に後ろから手を引かれ、思わずギョッとする。
不用意に私の手に触れれば、彼女に爪で傷をつけてしまうかもしれない。慌てて手を引き抜こうとするが、力任せに振り払えば彼女は吹き飛ばされるかもしれない、爪が引っかかりその柔肌を引き裂いてしまうかもしれない。そう思うとその手を動かすことができず、私よりもはるかに小さな手はしっかりと私の手を握っていた。
「……手を離せっ、」
「離しません、せめて理由をお聞きできるまで。」
キッとこちらを見据える目は涙を湛え、顔は紅潮している。つい身を引くが、宣言通り彼女が私の手を離すことはない。華奢な手を振り払うことは赤子の手をひねるように容易いというのに、それが彼女だと言うだけでひどく難しくさせた。
「……なぜだ、お前は望まぬ結婚をせずに済む。私たちのような恐ろしい獣人の住む国から出ることができれば、魔族の手から守る確約までもお前は手に入れた。」
「だから、私は貴方様のことを恐れたことはありません!それはノートでも申し上げたことでございます、ガオラン様は私のことをお疑いになられるのですか!?」
「恐ろしくないはずがないだろうっ!」
気づけば握られていた手を握り返しソファに引き倒していた。小さな悲鳴を上げて倒れる彼女を抑えつけ、その鼻先で牙をむいた。目が零れ落ちてしまいそうなほどに見開かれたその顔に嗚呼、と思うも膨れ上がるこの身にあるはずのなかった肥大した劣等感に後押しされて、ろくでもない言葉を吐くその口を閉じることもできない。
「恐ろしくないはずが、ないっ!今私がその喉を噛めばあっさりと死ぬだろう、今私がその胸に爪を突き立てれば心の臓は止まるだろう、今私がその首を持てば簡単に折れるだろう。生与奪権を持つ私を、恐れないはずがない、違うかっ、」
頭に血が上り身体は火照っているのに芯はひどく冷たくなっている気がした。どこか冷静なその部分がもう終わったのだと呟いた。
獣人が人間に懸想するなど、なんと浅ましいことだろうか。恋とは罪悪であるとはよく言ったものだ。
彼女はどうするだろうか。
初めて会った時のように気を失うか、それとも怯え命乞いをするか、悲鳴を上げるか、怒りを露わにするか。
もうなにかも終わった、いや終わらせたというのに、いまだ彼女に怯えられたくないという一抹の思いがこの胸のどこかにあることに反吐が出そうになる。
「……ガオラン様。」
「っなんだ、」
だが彼女は私の予想を悉く覆し、穏やかな笑みを浮かべてみせた。
怒りにも似た激情が一気にしぼみ拒絶される恐ろしさが突如として訪れた。それでも、その恐ろしさもぼやけてしまうほど、その微笑みに心を奪われた。
リーファの笑みを想像したことはあれど、実際に見たのは初めてであった。はたと場違いな感想を抱く。
す、と伸ばされた手に反応することができず、その掌が私の頬に触れたときびくりと身体を震わせた。
「確かに、貴方様はきっと私の命を簡単に奪うことができるでしょう。その気になれば、私は抵抗すらできません。」
「……ああ、」
「でも、ガオラン様はそうなさらないでしょう?」
まるで信じて疑わないように、彼女は言った。貴方様はお優しい方ですから、と続く言葉に残り滓程度にあった激情は完全に姿を消した。
まともに言葉を交わしたことは一度もない。会話と言えばノート越しの文字だけだ。
私は彼女の綴った言葉を疑ったというのに、彼女は私の言葉をすべて真実として受け入れ一切の疑いすらも抱いていない。
とてつもない恥ずかしさに襲われる私など知らぬように、彼女はいつの間にか自由になっていた両腕を私の首に回した。
「私は、ガオラン様をお慕い申し上げております。」
「っ、」
「国のため、体裁のためではございません。私は一人の男性として貴方様をお慕いしています。……文字でしか言葉を交わしたことのない分際で、と信じていただけないかもしれません。しかしこれは私の嘘偽りのない気持ちなのです。」
信じていただけるまで、この腕はほどきません、そう勝手に宣言するリーファに数秒遅れで情報が追いつく。
引いていた熱が再び蘇る。冷静な部分はパニックになりまともに機能しない。
ギュウ、と抱き付く細腕は触れれば折れてしまいそうだが、力が込められていた。
彼女が、私を好いている?
途端にぶわりと顔に熱が集まり心が浮き足立つ。それこそ、怯えを隠す嘘かもしれないと思うも顔の横に見える耳や首筋は真っ赤に染まっていてそんな考えは打ち消される。
「……私は、獣人だぞ?」
「知っています。」
「人間と違って、身体も大きく尻尾もある、毛むくじゃらな上に牙や爪まであり、好戦的だ。」
「大きな身体も逞しくて素敵です。尻尾も牙も爪も、毛も私には魅力的に見えています。人間だから、獣人だから、ではございません。私は他でもない貴方様を好いているのです。」
人間の美的感覚を、私は知らない。だが少なくとも私たちの見た目は多くの人間から忌避されることは知っている。それなのに彼女は私のすべてを肯定する。
まるで許されたような気分になってしまう。
「……お前はまだ若い。」
「それでももう分別もつかない子供ではございません。」
「……無理して怯えを隠さなくとも、」
「信じていただけないのなら、私をそばに置いて少しずつでも良いので本心であることを感じてくださいませ。」
ああ言えばこう言う、完敗だった。
最初彼女が部屋来た時とは違う意味での諦めがついた。いや、諦めというより覚悟という言葉の方が相応しいかもしれない。
「……本当に良いのか。」
「良いも何も、貴方様の色よい返事以外には何も望んではいません。」
少し腕が緩み、肩口から微かに首を上げてリーファはちらりと見上げた。
「逃げる機会はこれで最後だ。今なら逃げても咎めはしない。」
「逃げたりなどはしません。私はただ貴方様の御側に居たいのです。」
行き場を失っていた両手を、そっと壊れ物でも扱うように彼女の肩にかける。
圧倒的弱者であり脆弱な彼女は、勇気ある人間ではないのだと、やっと理解した。それはきっとアレンが勇気ある者ではないのと同じだ。
そこにあるのは勇気などではない。
そして今私に必要なのも勇気ではないのだろう。
「リーファ……、」
「何です、ガオラン様。」
「私に男女の機微というものはわからん。器用な性質でもない。口もそう達者でもない。もしかしたらお前の理想とはかけ離れているかもしれない。だがお前が望むならどんなものでも贈ろう、どんな努力でもしよう。」
じっと黙りこちらを見返す彼女の額にちょんと鼻先を寄せた。
「だからどうか不甲斐ないに私が、お前を愛することを許してはくれないだろうか。」
どうあがいても恰好のつくような気の利いた言葉は出てこない、それでも私の精一杯の言葉に、リーファは大きな笑顔を咲かせてくれた。
リーファがこの国に来て数年、ある日彼女は人の国のおとぎ話を語った。それは醜い野獣の姿に魔法で変えられた傲慢な王子が、とある美しい村娘により冷たく凍り付いた心を溶かされ、その愛によって魔法が解け結ばれたという話だった。語り聞かせるのを横で聞いていたが、きっと彼女はその物語の結末に納得してはいないだろうな、と一人思った。
少なくとも私の愛すべき妻の理想の結末は今彼女自身が持っているのだから。
ノリと勢い、それから悪ふざけで始まった『箱入り娘(物理)シリーズ』はこれにて終了になります!予想をはるかに上回る方々に読んでいただき、本当にありがたいです。
最初の一話で続きを書くつもりはあまりなかったのですが、皆さまのおかげで最後まで書ききることができました!ありがとうございます。
今話は全てガオランさん視点になりましたが、リーファの心境はそれとなく察していただけると嬉しいです。どさくさ紛れてモフモフプニプニしまくってます。鼻息荒くならなかったこと、鼻血を噴出しなかったことを褒めてあげてください。