32.魔王復活の儀 其の肆
マインドコントロール――いや、洗脳と言った方が適当だろうか。
洗脳とは相手を暴力的に服従させることだ。俺の生まれる前に、元の世界ではどこぞの宗教団体が洗脳で信者を傀儡にさせた揚句、テロ行為を行わせていたそうだが。
あのイージスはすべての記憶が『サバト様』によって書き換えられていた。洗脳、『人為的記憶破壊』――脳内には記憶を長期的に保持するところがあるが、それを『暴力的』に消すことはできるようだ。
薬物を投与させ、食事、睡眠を制限し、狭い部屋に長時間閉じ込めて時間と空間の認識を破壊したりと……このような意識不明、感覚麻痺で極限状態が延々と続くと脳のニューロン回路の破壊が進み、精神分裂による人間性崩壊が起きる。このような状態の人間はもちろん記憶と思考、判断力が喪失している――いわば、感情の無い『ロボット』のようなものに成り下がっているため、そこに『新しい記憶』を擦りこんでやるのは容易なのである。
たとえば『私は神だ!』と言われたなら、その洗脳された人間はその言葉を鵜呑みにする。そして、その偽りの神を疑うこと無く信じるだろう。
イージスも、それと似たような状態になっている。
しかし――とそこで思う。
イージスははたして『洗脳』されているのか。いま、目の前にいるイージスはたしかにサバトの傀儡となっている。
しかし、前に出会ったイージスは、どこか雰囲気が違っていた。どこか自由な感じであったが。あのときのイージスもたしかにサバトの手足となっていたようだが……
すべてがイージスの自由意志ではなかったのか。そういう“ふり”をしておかなければならなかったのか。
それではどうしてそんな“ふり”が必要だったのか。それは言うまでもなくサバトによる『強迫観念』によるものだろうけど。
もしかして……あのときのイージスは“監視”されていたのか。
魔女ならば、“魔法”を使って人を監視するのは容易だろう。それこそ、蝙蝠やカラスなどの使い魔でも使ってやればたやすいものだ。
イージスはあのウルスラグナの街では“監視”されていたから、『魔王復活』を起こす、サバトの手足となっている“ふり”をしていたのか。あくまで“ふり”なので、心まではサバトに傾倒していなかったのだろう。
その証拠に、あのときのイージスにはちゃんと己の“意思”というものがあったのだ。イージスはあのウルスラグナの街で、クマの人形を欲しがっていた。そんな感情は、頭までどっぷりと洗脳されている人間には起こらないものだ。
でも、目の前のイージスには起こっている。この違いは何なんだ? サバトという『強迫観念』が近づくにつれて『洗脳』の力が強くなる魔法でもかけられているんだろうか。いや、そんな面倒な魔法をサバトがかけるわけがない。かけるならそんな制約のない洗脳魔法をかけるだろう――が、もしかして、洗脳魔法というのは何かしらの『制限』があるんではなかろうか。
「サバト、お前に最後に一つ、聞いておきたいことがある」
考えをまとめた俺はサバトに問うた。
「お前はイージスにどんな洗脳魔法を施したんだ」
単刀直入に――恐れることなく俺は切りこむ。
「ハハハッ! 私が最後のはなむけに、お前に手の内を明かすと思ったのか? イージスのいる前で、そんな話をするわけないだろうが!」
「まぁ、そりゃそうだなぁ。でも、俺は一つだけお前の洗脳魔法の欠点を知っているぜ。お前の洗脳魔法は、洗脳させる相手、つまりイージスを近くに呼び寄せておかないと発動しない……という欠点を持っているんだろう?」
「なっ……。なにを言っているんだ! イージスは、私を心から敬っているんだぞ!」
「人間、言葉でウソを付けても、顔ではウソがつけないようだな。表情筋がひきつっているぜサバト、どうやら図星のようだな」
「な、なにを訳の分からないことを言っているんだ下等生物!」
どうやら俺の考えていたとおりのようだ。
イージスにかかる洗脳、それは距離が離れると効果がない、もしくは効果が薄れるものなんだろう。
ウルスラグナの街にいたイージスには洗脳魔法の効果がなかった。だけど、イージスは何かしらの方法で監視されていたんだ。
サバトがどんな手を使って監視を行っていたが分からないが、監視は所詮監視だ。洗脳ほどの縛りはない。洗脳さえ解いてやればイージスはサバトを慕うことを辞めるはずだ。
その洗脳の効果を解くためには、サバトから距離を離れればいい――のだが。
そんなことできているならとっくにそうしている。イージスをサバトから離すのは、巨石を動かすよりも困難なことだ。
「せ、先輩……」
後ろユーカはいつもの0.001パーセントほどの力ない声でつぶやいた。
今は……俺がなんとかしなければならない。
「ユーカ、もう少しだ。もう少しでなにか分かるはずだ……」
どうにかしてサバトの攻撃を引き延ばさなければならない。どうにかしなければ……
考えろ。考えるんだ兎毬木トマル。
「さぁてと、くだらないおしゃべりはおしまいにして――下等生物! お前を消し炭にしてやる!」
サバトが正面に手を突きだす。
それは攻撃の合図。砲撃の合図だ。
「…………」
イージスは押し黙っている。それはまさしく機械人形、ロボットのごとくだ。
プログラムで動くロボット、いやリモコンでサバトの意のままに動かされるロボット……といったところだろうか。
リモコンで動くロボット……?
待てよ。サバトのイージスへの『命令』というのはどのようになされているんだろうか。まさか、ほんとうに“リモコン”のように行われているのか。
その可能性はあるかもしれない。しかもしっくりくるんだ。なにせサバトの洗脳魔法は『距離が離れれば』効果がないんだ。それはリモコンも同じことだ。
それに――人間とロボット、相互は全く違うように見えて、結構同じような物だったりする。人間は脳で物事を考えるが、それは脳のニューロンが信号を受け取っているもので、その信号というは――微弱な『電気信号』なのだ。
サバトの思考の命令はどのようにイージスに伝わるのか。声になって伝わるのか? それなら、耳を塞げば伝わらなくなってしまう。魔法的ななにかと言ってしまえばそれまでだが……いや、魔法だってなにかの法則に乗っ取っているはずだ。何かを伝えるには何かを介さないと伝わらない。
一つだけ、可能性が浮かんだ。それはたしかにそれっぽい考えだが、正しい可能性はどこにもない、ただのあてずっぽうの、当て推量だ。でも、今の俺には時間がない。
「走馬灯は見終えたか?」
サバトは考えている俺に対し、冷たく言った。
「走馬灯? そんなもの、俺は見る必要ないさ」
あくまで俺は強気で突っぱねるように言う。
「俺は負けるわけにはいかないんだ。俺はもう、失うわけにはいかないんだ。世界がどうなろうが関係ない、魔王が復活しようがどうでもいい。ただ俺は……理不尽な野郎に誰かがやられるのを、もう見たくないんだよ」
俺は正義の味方になるつもりはない。
ただ、俺は罪滅ぼしがしたかったのかもしれない。あの梵慨邪に星とされたコロビに……。
後ろのユーカを見ると、なぜかその容姿がコロビの姿と重なる。
俺は戦えない。だからユーカは俺のために戦ってきたが、それは本来俺が背負うべきものだ。その“借金”は一生かかっても返せないかもしれないが――せめて、俺はあいつの命を守らないといけない。
「ハン、つまらないことを言いおって。強気なことを言っていられるのもこれまでだ。死に顔が楽しみだなぁ。まぁ、消し炭になるから、もしかしたら顔さえも灰となって見えなくなっているだろうがな!」
あざけるように笑い声を上げてサバトは手を正面に突きだす。
「さぁ、食らうがいい! 聖光砲【カノンキャノン】」
サバトの手に光が集まる。力が集束する。やがてそこから光の柱が放出される。狙いは正確に正鵠を定められ、呪文はすでに唱えられている。ユーカのような機敏な反応も、底なしの体力もない俺は、ただ立ち尽くすだけだ。
立ち尽くしたまま、俺は最期の賭けに出る。道具袋から鋼鉄のヘルムを取り出す。それは自分の頭脳を守るため、この世界に来たときに使ったものだ。
このヘルムを使って頭脳を守ってやる。
脳は人間の本質だ。それがなくなれば人間でなくなる。だから俺は守らなければならない。あの脳を、守ってやらなければならない。
俺は鋼鉄のヘルムを掲げる。そして――それを天高く放り投げた。
「俺たちを守れ! 伝説の勇者の仲間たる魔女よ!」
あたりが白い光に包まれた。そこで俺の思考が停止する。




