20.火炎(フランメ)の魔女との戦い 其の肆
「ユーカ!」
俺はユーカの元へといちもくさんに駆けだす。
ユーカの身体は一瞬燃え上がっていたが、しかし俺が上に着せた防火仕様の学ランのおかげかユーカは火だるまになっていない。
しかし、ユーカはピヨッている。
「ふわぁあああー。なんだかあたまがくらくらするー」
神経がふっとぶほどの強烈な打撃を受けてしまったんだろう。あたりの薄い酸素も相まってか、ユーカはもはや立ち上がれないようだ。
「ユーカ、大丈夫か」
「せ、先輩……。なんだか先輩が3人いますよー」
「視力もすっかりぼやけてるじゃねぇか。やっぱり魔女の攻撃は応えたか」
そのユーカをワンパンで倒した魔女、マルスは正面に立ちつくしている。もはや酸素も薄くなっているのに、気力だけで立っているようだ。
これはユーカ以上に厄介なやつだ。
「私は、私は私は私は私は私は私は私は私は私は――っ! 負けないっ――!」
そうやつれた感じの身体でマルスは叫ぶ。たしかに気力だけで立っているものだが、その気迫はすさまじい。
「そこのお兄さん! もはやそこのちびっ子は虫の音だ! あとはお兄さんをこんがり焼くだけだ! 逃げるなら今のうちだぞ!」
そう言ってマルスは正面に手のひらを突き出す。
もはやユーカは戦力にならない。俺にはもはや戦力がなかった。
それは敗北を意味すること。
と――常人なら考えるだろう。
「先輩! せめて、先輩だけでも逃げてください!」
「なにを言うユーカ。俺は引き下がるわけにはいかないからな」
あくまで俺は強気でそう言った。
「はははっ! 強がりを言ってられるのもいまのうちだぞ! みたところお前はあのちびっ子のように戦力があるようには見えないぞ。私の力は、いまでも底なしだぁ! 魔力もまだかろうじてある! さぁ、逃げないっていうなら私がお前を燃やしてやる――!」
正面のマルスは、いまにも魔法を放ちそうな勢いで手を突きだしている。
そこから炎の柱が放たれれば俺は一貫の終わりだ。
なので。
「さらま」
「ちょっと待て、やっぱり俺は逃げるぞ」
「な、なにぃ!」
俺は手のひらを反して逃げることにした。
相手は魔女な上にユーカ並みにタフなやつだ。そんなやつに真正面から向かってかなうわけもない。
これは勇退だ。
ユーカの襟首をつまんで俺はマルスに背を向けて去っていく。
「っててててて! 先輩! なんかカッコイイ感じになっておきながら撤退なんですか」
「なにを言うか。これは撤退じゃなくて勇退なんだぞ」
「わああああ! 敵に背を向けるなんて! 先輩にはプライドが」
そこでユーカの言葉が切れる。なにせここには空気があまりないので、話すのも苦しいものだ。
「ユーカ、俺はあの魔女とは戦えないんだ。だから正面に向かって戦わない。だから、俺は背を向けて立ち向かってやるんだよ」
俺は広い部屋の向こうの入り口まで向かった。
「ま、待てぇ! お前たち! そうやすやすと逃げられてたまるかぁ!」
「散々俺たちをあおっておいて何をいうか。マルス、お前はやはりバカだな」
「な、また私をバカにして!」
「お前は俺が『戦えない』と思っただろう。たしかに俺は『戦えない』。だが、俺はユーカが戦っている間、ずっとぼうっと突っ立っていたってわけじゃないんだぜ」
読者のみなさんには申し訳ないのだが。
いわゆる叙述トリックを使わせてもらった。ユーカが戦っている間、俺に関する描写がなかったのは、べつにユーカの戦いを観戦していたからではないのだ。
ユーカの戦いを横目で見つつ、俺は密かにとある作業をしていたのだ。それは……
「なっ、そ、それは!」
俺の目の前にある入口は、木の板で密閉されていた。
木の板と布をのりで張り合わせた簡素なバリケード、というか蓋だ。
「入り口だけじゃない、向かいの出口にもつけてあるぞ」
「な、ななぁ!」
マルスの振り向く先、俺たちの正面の向こうにある部屋の出口にも、入口と同様の木の板と布のバリケードがあった。
「い、いつの間にこんなものを……」
「お前たちが脳内物質放出させながら戦いに熱中している間、お前たちの意識の外で工作しておいたんだ」
「ま、まさかここの酸素を無くすために、わざわざ入り口と出口を封鎖したのか!」
密閉した空間で火を起こすとどうなるか。たしかに酸素が薄くなるが、もう一つ起こることがある。
「酸素が薄くなるだけじゃない。有機物が燃焼すると二酸化炭素になるが、『不完全燃焼』すると、一酸化炭素となるんだ。一酸化炭素はCOで、二酸化炭素はCO2。一つの酸素しか結びついていない不安定な気体に酸素を送ってやればどうなるか――」
俺は愛用シャベルを取出し、それを正面の入り口の木のバリケードに向けて振り降ろす。
豪快な音とともに、あっさりとバリケードの木が砕けて、入口が解放されて通れるようになる。
「せ、先輩、バリケードを壊して一体何を」
「逃げるぞユーカ! 下の階に直行だ!」
「えええっ!」
ユーカを抱えて俺は入り口を突き抜け階段を駆け下りる。
「あっ、貴様らぁ!」
後ろからマルスの声がするが無視。
とにかくはやくあの部屋から離れなければならない。
階段を転げ落ちるように下って行って、下の階の32階へと到達する。
「お、お前たちはぁ!」
そこにはエキドナとマカロンちゃんがいた。マカロンちゃんは今はぐったりと眠っているようだが。
「エキドナもマカロンちゃんも伏せろ! 爆発するぞ!」
「な、何を言っているんだ!」
「いいから早く――!」
俺は抱えていたユーカを床に乱暴におろす。なぜかユーカに覆いかぶさるような状態になっているがいまは致し方ない。
「先輩ぃ――!」
ユーカの叫び声のあと、上の階が轟音を上げて激しく揺れた。




